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304話 変化する境界線

ども、坊丸です。


稲葉山城を竹中半兵衛さんが乗っ取って以降、自分の関与できないところで世界が変容しています。


犬山織田と美濃の勢力に多くの変化がおこってしまい、現状を認識するだけで、いっぱいいっぱいです。


柴田の親父殿や吉田次兵衛さん、中村文荷斎さんなんかに色々教えてもらってなんとかついて行ってる感じ。


きっかけは、それこそ竹中半兵衛さんの稲葉山城乗っ取り事件。

噂話では、斎藤龍興を諌めたら干された仕返しだとか、斎藤龍興と斎藤飛騨に色白なのを馬鹿にされた恨みだとか、稲葉山城を歩いてる時に櫓から斎藤飛騨に小便をかけられた怨みだとかが原因で乗っ取りを企てたんだとか。


さすが戦国時代。

コノウラミ、ハラサデオクベキカ!って、やつですね。


そういえば、ボスキャラへ到着の直前の石碑に「恨み晴らす日まで、安らかに眠るなかれ!」だか「復讐を遂げるその日まで安らかに眠ることなかれ!」っていう怖い文面が刻まれているゲームがあったなぁ…。


それはさておき。

稲葉山城がごたごたしているので、信長伯父さんは黒田城に居る犬山織田の家老二人にめっちゃプレッシャーをかけた様子。


二月は毎晩のように小牧山城に篝火が焚かれてましたからね。

それに連動して小口城の森可成殿が威力偵察のように兵を時々動たりしたようです。


そんな状況で丹羽長秀殿が硬軟取り混ぜて調略をした結果、黒田城は二月末には開城。犬山織田の家老、和田定利殿と中島豊後殿は、信長伯父さんに下りました。


この功績を以て、丹羽長秀殿は黒田城の城主になられたとのこと。本当、順調に出世なさってますな。

そして、墨俣城城代は木下秀吉殿が務めることに。

こちらも、徐々に出世街道に乗ったご様子。


我が預かり親の柴田の親父殿は、対美濃ではそんなに出番がない様子ですが、特に焦った感じはありません。


新加納の戦いのように、戦に出ればそれなりに活躍しているし、墨俣城改修では脳筋の戦馬鹿じゃ無いところを家中に示せた余裕でしょうか。


その後、「信長公記」の情報通り、七月に入って美濃の加治田城城主 佐藤忠能殿が向こうから丹羽長秀殿に連絡を取ってきたとのこと。


確か、七月の時点では稲葉山城は竹中半兵衛さんと安藤守就殿が籠もっていましたからね。

美濃はゴタゴタしているし、尾張は着実に信長伯父さんの勢力が増していますから、何かあった時に連絡をとっておき、必要なら美濃の斎藤家を裏切る算段でしょうね。


まぁ、自分だって家中にゴタゴタがあり落ち目のところからは逃げたいですもん。


それにあわせて、丹羽長秀殿を主将に佐久間信盛殿、佐久間盛次殿が副将として犬山城の包囲が開始されました。


自分が攻め手に選ばれなかったので、柴田の親父殿がめっちゃ落ち込んでいたのが印象的でした。

逆に火縄銃を借りる為に挨拶に来た佐久間盛次殿がめちゃくちゃ気合入ってたのも印象的でした。


佐久間盛次殿は、理助の父上何だけど、理助と違いあんまり戦大好き、脳筋キャラじゃないのですよね。

どちらかと言うと内政方面が得意で、戦では補佐役的なイメージで何でもそこそこ卒なくこなすんだけど、余り目立たない感じの方ですからね。


丹羽長秀殿に席次を抜かされそうになって気合が入ったんでしょうか?


ただ、柴田の親父殿の話ではいつも信長伯父さんがやる力攻めは封印しているそうで、包囲してるだけだそうです。


犬山城は美濃攻めの重要拠点になるだろうから、できるだけ損傷させずにまるっと頂きたいんでしょうね、きっと。


ちなみに犬山城攻めを信長伯父さん自身が率いなかったのは、理由があるそうです。


丹羽長秀殿、両佐久間殿に犬山城を包囲させている間に、森可成殿や木下秀吉殿を率いて木曽川対岸の伊木山の砦と宇留摩だか鵜沼だかにある城を落としていたそうです。


鵜沼城は犬山城から見て対岸から直ぐ側とでも言うべき場所らしいです。


それより少し木曽川を下ったところにあるのが伊木山で、この二つの拠点は美濃側から見て犬山城の動きを見張るのにとても適した場所だと、親父殿が言ってました。


敵に回れば厄介至極、味方ならとても良い位置の支城になるんだそうです。


籠城戦は、城の外での城外戦を展開する兵力や後巻きと呼ばれる支援勢力が無いと勝てないらしいんですが、美濃が混乱している隙に、木曽川の向こう岸、美濃側で支援の拠点になりそうなところを潰したってことですね。


で、現在は永禄七年八月になるわけです。


半年近くゴタゴタしていた稲葉山城の騒動も収まり、稲葉山城には、斎藤龍興が戻ったそうです。

安藤守就は特にお咎め無しで、稲葉山城から退去。竹中半兵衛は、強制的に隠居させられ、長井道利の預かりになったらしいです。


あれ?稲葉山城乗っ取り事件の後の竹中半兵衛って隠棲して世にでないんじゃなかったっけ?

確か、豊臣秀吉から諸葛亮孔明ばりに三顧の礼を受けて出仕、豊臣秀吉の知恵袋になるイメージなんですが…。


記憶、間違ってたっけかな?

稲葉山城乗っ取りからの犬山城攻めまでの流れですが、細かく描写したい気持ちもありました。

が、話が進まないのと坊丸くんが全く出てこない感じになりそうだったので、地の文多めで一気に巻きました。


せっかく色々調べたので、もし書籍化されたら、SSのネタにします(笑)


「復讐を遂げる日まで安らかに眠るなかれ」

は、「俺の屍を越えてゆけ」というゲームに出てくる文言。大江山の山中、ボス手前の石碑に刻まれています。ちなみに坊丸くんにはあえて間違えさせました。

「恨み晴らすその日まで安らかに眠ることなかれ」と記憶ていたので、確認するのに手間取りました…。


伊木山、鵜沼城、猿啄城、犬山城の攻略時期は、各資料を確認し、当作品では永禄七年に伊木山と鵜沼城攻略、永禄八年の犬山城後に猿啄城攻略、猿啄城落城から加治田堂洞合戦につながる流れと解釈し設定しております。


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