299話 永禄七年 新年の儀 前段
ども、坊丸です。
今年は新築の小牧山城こと火車輪城で新年の儀です。
何が良いって、清須城の時は、柴田の屋敷は少し離れたところにあったので、移動があったわけですが、小牧山城は移動距離がほぼゼロ。
柴田家の屋敷を含め重臣格の屋敷は小牧山の中腹にありますからね。山を少し登れば、そこは小牧山城の本丸御殿。
さすがに昼間なので、篝火は焚いてないと思っていたんですが、こういう記念の日はやっぱり焚くんですね、篝火。
柴田の親父殿と一緒にすこしばかり山登り。
不均一な段差と幅の階段が足をもつれさせるので、足元を時々確認しながらなんですこし面倒ですが。
本丸御殿に到着したところで、柴田の親父殿とは一時別れ、自分は奇妙丸様のいる奥御殿に。柴田の親父殿は、本丸御殿の大広間で指定の場所に座って待っている、はず。
一応、月に一、二回は奇妙丸様の小姓として、ご学友として登城をしておりますが、その時は、お桂殿と腰元さんや女中さんくらいしか会いませんからね。家臣一同が集まる年の一回の新年の儀が一番緊張します。
いつものメンバーと合流し、小牧山城の大広間に奇妙丸様の小姓として着座。
例年の如く、信長伯父さんの挨拶から始まります。
「昨年夏、この城の披露目を行い、今年はこの広間にて皆の新年の挨拶を受けることができるのを嬉しく思う。まことにめでたい」
「新しき城にて新しき年の初めに殿のご尊顔を拝することができ、まことに嬉しく存じあげたてつかまつりまする。家臣一同を代表しご挨拶申し上げまする。あけましておめでとうございまする」
重臣筆頭の森可成殿の挨拶の後、家臣一同一斉に発声し、平伏。
これです。これぞ完璧な様式美です。
「皆の挨拶を受けられ、誠に目出度い。この城の披露目の宴でも話したが、丹羽長秀、木下秀吉の両名の努力でこの城ができた。両名、今一度褒めてとらす。また、秀吉は美濃は新加納付近での戦でも別働隊での仕事のみならず、よく機転を利かせ本隊を救助したこともよくやった。秀吉、合わせて褒めてとらす」
「ありがたき幸せ」
「有り難いことのございます。秀吉、さらに粉骨砕身励みまする」
褒められた二人は誇らしげな顔で応えた後、神妙に平伏。
「うむ。その他にも新加納付近で戦ったものはご苦労であった。負け戦ではあったが、西美濃の有力国人が一人、牧村半之助を討ち取れた。それに、中美濃付近を攻める時に西美濃三人衆が動かないことを知れたのも収穫である。今後も中美濃を攻め、その後に稲葉山を目指すこととする。
が、その前に、織田信清と犬山勢じゃ。今後も美濃を狙うのは変わらんが、まずは黒田城、犬山城を落とす。森可成、坂井政尚。お主らは小口城、楽田城から黒田城へも犬山城に向けてもいつでも出陣できるよう準備を怠るな。丹羽長秀、黒田城の和田定利、中島豊後への調略を行え。この火車輪城の威容と圧、森、坂井両名による武、長秀の調略。この三つを以て硬軟取り混ぜて黒田城を落とす。黒田城からの後巻きが無くなれば、次は犬山城じゃ。美濃斎藤がちょっかいを出せぬようにしつつ、囲む。黒田城と美濃からの後巻きが無くなれば信清如きおそるるに足らずよ」
「「はっつ」」
「黒田城への調略、しかと行いまする」
名前の上がった三名が平伏しました。しかし、丹羽長秀殿は今年は何度も名前が出てきますね。あ、よく見たら丹羽長秀殿、重臣格の席次になってるじゃん。重臣格になったんだから励めってことでしょうか。
「さて、この城の披露の際に、我が娘、五徳と松平家康が嫡男竹千代との婚約の話をした。まぁ、二人とも幼い故、輿入れは数年後になるが、この婚約により両家の結びつきは強くなり、東については安心できることと思う。
美濃を攻めるにあたり、今後は北近江の浅井や東美濃は岩村や苗木の遠山の伝手で甲斐信濃の武田と同盟を結びたいと考えておる。
甲斐武田については今後も津田掃部が交渉せよ。浅井については林の爺に任せる」
「ははっ」「承りましてござります」
名前が挙がった林秀貞殿と織田掃部忠寛改め津田掃部殿が平伏。
津田殿は楽田城を失ってから今のところ目立った功績がないからね。頑張ってほしいものです。同じ織田から津田になっちゃった者としては。
あ、あと、三河の松平元康が今回は松平家康って呼ばれていた。
呼び間違いじゃないよね?本当に改名したんだよね?
そんで、多分数年以内に徳川に苗字も変更するのかな?
てっきり松平元康から一気に徳川家康になるんだと思ったけど違うんだね。
「伊勢方面と海西郡の服部党は、一益、お主に任せておる。犬山および美濃方面の動きが先になる故、使える兵も人も少ないが、お主であれば、伊勢長嶋の一向宗と尾張海西郡の服部党を抑えることができると信じておる。励め」
「はっ。この一益。一命に変えても一向宗と服部党を抑えまする。ちなみに、殿。服部党を調略や騙し討ちしてもよろしゅうござりますか」
「おう、一益。できるならやって良いぞ。できたら、な」
そういうとニヤリに笑う信長伯父さんと滝川一益殿。
その後に平伏する一益殿。なんだろう、二人だけで何か策略でも進めているでしょうか。ちょっと怖い。
「さて、皆の衆。この火車輪城ができたことで、犬山城を落とす下準備は終わった。これよりは信清をうち、犬山城を手に入れる。さすれば尾張統一はなったも同然じゃ。皆の者、励めよ」
「ははっ」
あれ?尾張統一って言ってるけど、海西郡には服部党がいるし、知多半島には水野家と佐治家があるんだよね。犬山織田を攻略しても本当の尾張統一じゃないんじゃあ…。
うん、気にしちゃ駄目ってやつかな。家臣の士気をあげるアジテーションには小さい嘘も必要だよね。うん。
徳川家康ですが、名前は数回変えています。
幼名が松平竹千代で、十四歳で元服して松平元信に。
その二年後、祖父松平清康の「康」の字をもらって松平元康に。
清須同盟の後、永禄六年に松平家康に。このころから清和源氏新田氏庶流の世良田氏の末裔を称するようになるわけです。
永禄九年に三河守任官のため、清和源氏の新田家庶流、世良田氏の分家得川氏が藤原氏になった故事にこじつけて藤原氏一門の徳川姓をなのることに。これで姓は徳川、名は家康。
これで徳川家康の完成です。
三河守の地位が欲しくて藤原氏になったのに、今度は征夷大将軍になりたいとなると清和源氏であることを強く訴えて藤原氏になったのは隠すあたり、戦国武将らしい都合の良さですよ。
ちなみに元信から元康に変えたのは、本当におじいちゃんを尊敬してたのか、岡部元信とかぶるのが嫌だったのか?「信」の字の由来も織田信長なのかそれとも他の誰かなのか?ここら辺は謎ですね。
家康の「家」も母の於大の方の再婚相手久松長家からとった説と源義家からとった説があるそうです。源義家や河内源氏を意識しているのなら、河内源氏の通字が「義」もしくは「頼」なんだから義康や頼康でもよかったかもね。
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