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262話 治世の能臣、乱世の奸雄

二人がひとしきり笑いあったあと、夕の饗応膳の最後の膳が運び込まれる。


最後の膳に、肉メインの膳になるが、坊丸謹製のキジ肉の照り焼きも含まれている。


照り焼きと言っても、醤油とは一味違う塩辛さのある垂れ味噌と甘味のある味噌や味醂、そして堺からの買い付けた砂糖で作った照り焼き風のタレを塗ったものではある。


しかし、甘味の少ないこの時代、鳥の焼き物と言えば塩か味噌風味だけであるから、雉肉の皮の面に甘辛いタレをつけて焦げないように焼き上げたそれは、大変珍しいものであった。


だが、饗応膳にて坊丸の新作料理を食べてきた元康は、饗応膳で砂糖を使った料理がでることに慣れ始めていた。


最後の膳を食べながら、信長と元康は、思い出話に興じる。

そして、二人は、十五年の年月を埋めるように、お互いに起きたことを話し合った。

そして、ここで二人が同盟を結ぶ端緒となった桶狭間の戦いについても話し始めた。


信長はどのような思いで出陣したか、どのようにして今川義元の本陣まで駆けたのかを。

元康は大高城に兵糧を運びこんだときの事や義元が討ち死にした後、どのような思いで居たのか、どのようにして岡崎城を再び手に入れたかを。


酒の力を借りたとはいえ、お互いの武勇や決断を話し合い、苦悩をぶつけ合った二人は、その昔、ニ年間を共に過ごした幼馴染から、胸襟を開いた朋友にその関係性を昇華させたのだった。


だが、その楽しい時間は突然に終わる。

信長は、途中から清酒ではなく、水や枇杷の絞り汁を入れて薄めた柳陰を呑んでいたのだが、如何せん酒に強くない信長である。

急に酔いが周ると、呂律があやしくなりはじめる。

少しばかり気持ちが悪くなったところで、厠に立ったのは良いが、信長はそのまま厠の側の廊下で寝てしまったのである。


元康一行のは、その場にて信長をしばし待ったが、饗応する側の信長は一向に帰ってこない。

そうこうするうちに、信長が寝てしまった事を小姓らから伝えられると、元康は小姓らに楽しい宴席であったと信長に伝えるよう言付けると、苦笑いしながら、指定された寝所に引き上げるのだった。


寝所に元康が戻ると、そこには石川数正と天野康景が待っていた。


「殿、大分酒が進んだようですな」


軽い感じで元康に話しかける天野康景。

石川数正は、一つため息をついたあと、小姓で護衛役の本多忠勝と榊原康政に注意する。


「いかに、同盟締結の交渉がまとまった後とはいえ、ここは織田の本拠地。

まだまだ信用しすぎるわけにはいかん場所ぞ。敵地までとは言わんが…。

今回は大丈夫だとおもうが、歴史を紐解けば、和平の後の宴席で暗殺された人間が数多おるのだぞ。

それに殿の身を守るだけでなく、殿が危険な状態にならんように気を回すのも小姓の務めぞ。

殿が深酒する前に諫めよ、二人とも」


二人を注意するように見せて、元康本人にも釘を刺すあたり、元康から十歳年長の為せる技である。


「「申し訳ございません」」


本多忠勝、榊原康政からすれば十五も年上で西三河旗頭次席の石川数正からの叱責に二人は恐縮するしかない。


「まぁまぁ、数正。二人を責めんでくれ。儂も悪かった。信長殿と昔話に花が咲いてな。呑みすぎた」


「殿がそういうのでしたら…」


そう言って石川数正は矛を収めた。


「で、織田信長はどうでござった?我らが万松寺でおうた三郎殿とだいぶ変わられたか?」


ゆるい感じで元康に問いかける天野康景。

親代わりに近い酒井忠次や厳しい兄といった感じの石川数正とは違い、康景は元康の緊張を解くような配慮も見せる。

天野康景は、元康が織田、今川の両方の人質になっていた時代をともに過ごしている。その為、万松寺に信長がうつけた格好で現れた姿を目にしている。


「夕の膳の前、同盟の交渉をしていたときは、威厳もあり、だいぶ落ち着いた感じであったが、夕の膳の信長殿はうつけと呼ばれた時の雰囲気も見せておったな」


夕の膳での信長の様子を思い出した本多忠勝と榊原康政は、元康の後ろで深く頷いている。


「うつけの雰囲気が残っているのですか…。それがし、松平の未来のためになると思い、この同盟を進めて参りましたが、思い違いでしたでしょうか…」


松平側で同盟の交渉を主導してきた石川数正は、少しばかり不安を見せる。


「数正。それは大丈夫であるぞ。うつけの様子を見せたのは、儂との思い出話をしたあと、酒が進んだあとじゃ。儂も懐かしさにあかせて酒が進んだが、信長殿も同じ事であろうよ」


本当は、べっ甲漬けを食べた際の辛味で酒が進んだのであるが、酔っ払いの元康は、若干記憶が都合よく修正されている様子である。


「では、織田との同盟を後ろ盾に今川を攻める方針でよろしいので?」


話を変えるようにしながら、主の意向を確認する天野康景。


「そういうことになるな、康景。尾張の方は見ずに、遠江、駿河を狙う。織田は上り調子だが、今川は落ち目。落ち目を狙うが良し、よ」


「そこまで違いますか?織田と今川は」


「昼の饗応膳を見たであろう、康景。

織田は南蛮渡来で高価な砂糖を使った菓子を作ることもできるし、油を料理に使うほど、金に余裕がある模様だ。

田楽狭間で義元公の本陣に火縄銃を撃ちかけたという話もあるしのぉ。

南蛮渡来の品が何でも良いとは思わんが、少なくとも多数の鉄砲をもっておるのは確実。そして鉄砲、弾薬、油、砂糖を買い集められる金を織田は手にしている。

どうやって作ったか知らんが鉄砲と弾薬を手に入れる伝手と金があるのだ。

南蛮渡来の品を使いこなすを見るに信長殿は、新しい物を取り入れる度量がある。これは人にも当てはまる様子であるしの。

小口城の森可成とやらは、美濃斎藤から織田に鞍替えした者と聞く。使えるものなら新参でも重用するなど、氏真殿にはできまいよ」


「信長殿の方が、今川より進取の気性に富む、ということでしょうか」


今の話を聞いていた榊原康政がそうつぶやく


「康政、殿の話をよく聞いていたな。つまりは、そういうことだ。ただ、その裏付けに津島の港から上がる金子、尾張の肥沃な大地から取れる米の二つがあってこそ、だがな」


「当家ほどではないが、家臣がよくまとまっておる。やはり、桶狭間での武勲や指揮を見れば、自ずとつき従いたくなるも道理よ」


「そういう数正と忠次の爺は、儂に諫言が多いような気がするがな」


「殿。諫言は、殿のためを思ってでございまする。他意はござりませぬ。この数正、松平への忠義第一ですぞ」


「忠義なら、それがしや忠勝も負けんがな。のう、忠勝」


と、場の雰囲気が悪くなったのを感じた天野康景は、穏やかな感じで話し、そして、黙っていた本多忠勝にも話を振った。


「天野殿の言う通りにございまする。この忠勝も忠義第一。殿の刀、殿の槍として戦働きに邁進する所存」


少しばかりズレた脳筋ぽい意見を言う本多忠勝に元康以下は、一笑した。


「まぁ、なんだ。乱世の世では、当主がその武を見せねば、人はついてこん。

その点においては、信長殿は、氏真殿に明らかに勝っておろう。

氏真殿は、治世においては、足利様を支える能臣、名門の守護足り得るが、乱世には向いておらん気がするのだ。

乱世には、曹操の様な雰囲気を持つ者、すなわち信長殿の方が向いているであろうよ」


そういう元康の言葉に、氏真と接する機会のあった石川数正、天野康景は深く頷く。


ここ数年で小姓として取り立てられた本多忠勝、榊原康政の両名は、今川氏真の人となりを知らないので、お互い顔を見合わせたあと、なんとなくその場の雰囲気に合わせて頷いてみせるのだった。

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