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260話 プリンの魅力と揚げ物の魔力

「これは、プリンという菓子じゃ。気に入ってくれたか?竹千代?あ、いや、すまん。つい昔のように幼名で呼んでしまった。お許しいただきたい、元康殿」


「ハッハッハ。では、こちらも元服したてだった頃のように三郎殿とお呼びいたしましょうか。

それはさておき、このプリンという菓子、大変美味しゅうございますな。

かつて、駿府にて暮らしたていたときもこのようなものにはお目にかかりませんなんだ」


「さもありなん。これは、津…」


信長が津田の小僧と言いかけたところで、包丁頭の井上左膳が咳払いをする。

新作料理の出どころは知られたくないと信長自身が言ったのを思い出させるために。


ちなみに井上左膳は、菓子膳が供された後、本日の料理人として紹介され、信長、元康の側に座しているのだった。


「津島の商人どもが堺あたりで食べた物を伝え聞いたのでな。当家包丁頭、井上左膳に命じて再現させた」


「ほう!では、この不思議な菓子は南蛮渡来の品なのですな。ちなみにどのようなものなのか、触りだけでも教えていただきたい」


「まぁ、いずれは堺から情報が知れ渡るであろうからな。門外不出というわけにもいかぬだろうし、な。鶏の卵、牛の乳、砂糖をうまい具合に混ぜて蒸したものじゃ。そうであるな、井上」


「はっ。殿のおっしゃる通りにございます。似た料理に、卵と豆腐を蒸した空也蒸しなる料理がございますが、牛の乳でコクを出し、砂糖で甘味をしっかりつけたものでございます」


牛の乳と聞いて、かすかに手が止まる松平元康。


三河一向宗との戦いやキリスト教に対する取り締まり等を後におこなうことになる元康だが、本人自身は浄土宗を信仰する敬虔な仏教徒である。


当然であるが、信長は元康が敬虔な浄土宗の信者であることを把握済みである。


牛乳が使われていることを元康に告げた信長は、表情自体は変わらないが、元康を観るその目はわずかに鋭さを増す。


そう、自身の生き残りをかけた尾三同盟と自身の信仰上の穢悪のいずれを重視するか、元康の器をはかる様に元康の表情のささいな変化も見逃すまいと観ていたのだ。


が、元康も人質生活の中で表情や雰囲気を読まれることには、慣れている。


何事もなかったかのように、匙を動かし、自然な速度でプリンを口に運ぶ。


その様子を見て満足したのか、信長も少し表情を緩め、プリンを味わい始めた。


松平元康は、織田信長の眼鏡にかなったのだった。


そして、饗応料理の後は、再度、同盟の交渉になった。

不戦同盟とするのか、より積極的な軍事同盟とするのか、軍事同盟の場合、どの程度の将兵での援助が妥当か、国境線の再確認、水野家や佐治家の扱いや立ち位置はどうするのか等の問題を詰めていく作業になる。


尾三同盟を積極的な軍事同盟とすることが決まり、難しい争点も落とし所が絞りこまれると両当主の鶴の一声で、順次決定され、両家にとって納得がいく同盟が締結されることになった。


そして、その夜。

夜の饗応料理にも、井上左膳の饗応膳を(もと)に津田坊丸の新作料理が加えられた膳が並ぶ。


一の膳のスズキのべっ甲漬けを食べた元康は、その辛味に驚いたが、酒で口の中をリセットすると、またべっ甲漬けを食べ、また、呑み、ついつい呑み過ぎることになる。

なお、信長は、辛い物は得意なようで、パクパクとべっ甲漬けを食しても、酒が過ぎるということは無い様子である。


そして、二の膳の天婦羅を食べた元康は、美味い!と思わず声をあげてしまう。


同盟がまとまった安心感と酔いが進んだ事もあったであろうが、交渉前の饗応膳ではあり得ない有り様であった。


「こ、これは良いものですな。信長殿。フワッとカリッとして、実に美味にござりまするな。特にこの魚が良い」


「美味いであろう。これは天婦羅と申してな。津…、津島にて当家包丁人が見聞きしてきた南蛮渡来の揚げ物じゃ。昼に出たキジ肉も唐揚げという揚げ物であるがな。なんでも衣が違うので味わいが違うらしい」


「油で揚げる…」


「それについては、それがしがご説明を」


坊丸作の新作料理についてまた聞かれる事を想定して、小姓とは別に控えていた井上左膳が説明を始める。


「これは天婦羅と申す料理にござります。堺、津島を経て伝わりし、南蛮渡来の料理にて、高温に熱した油の中にうどん粉、卵を溶いた液をまとわせた野菜や魚介を入れて泳がせるようにし、狐色になるまで熱を加えたものでございまする。ちなみに、元康様がお気に召したのは、鯛の天婦羅にございます」


「鯛の天婦羅という料理なのでござるな。しかし、熱した油に食材を入れるということは、大量の油を使うことになるのでは?」


「はい。油は多く使う料理でございますな」


当作品で以前にも記したと思うがこの時代は大山崎などの油座配下の油売りから油を購入するのが一般的である。


織田家では坊丸により提案採用されたアブラナからの搾油が始まり、他家よりも油に対して余裕が出始めているのだが、当然、松平元康は知らない。


このため、織田家では貴重な油を食べ物の為に大量に使うのか!と驚きつつも、饗応料理だから特別なのでは?とも思う元康であった。


「これはこれは、珍しき料理を馳走いただき、有り難き幸せ。して、信長殿は、よく召し上がるので?」


「うむ、今月はこれで三度目、であるかな?」


「はっ。殿にこの料理をお出しするのは、三度目にございます」


元康の意図を見抜いた信長は、天婦羅等の坊丸の新作試作料理を食すのが、まだ三回目であるにもかかわらず、『今月は』という枕詞をつけることで、あたかも、織田では揚げ物をちょくちょく食べているかの如く偽装する。


井上左膳はその意図を理解してはいなかったが、三度目という一点おいて同意したので、包丁頭の確認も取れたという形になってしまう。


このため、元康は織田家の経済状況を本当よりも高く見積もってしまうのだった。

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