251話 助けて、お滝さん〜!
ども、坊丸です。
饗応料理にて「牛乳」とそれに派生する品々を使っていいか信長伯父さんに聞いたら、あっさり「美味い物を出すなら、特に差し許す」とのことでした。
松平様に許可取り必要かも聞いたのですが、「食った後にサラッと伝えればよかろう」とニヤニヤしながら言い放ちました。
うん、これ、いたずら好きな信長伯父さんの悪い面が出そうです。
それで、同盟締結がご破産になっても自分と井上左膳殿のせいにしないでくださいよって、釘を刺しておきました。
でも、信長伯父さんは「信心深い坊主でもあるまいし、竹千代は飯の一つで同盟を無かった事にするような愚か者ではあるまいて」と言って高笑い。そんなもんなんですかね。
井上左膳殿にも書面にして伝えておく言ってくれたので一安心で、下城しました。
さて、饗応料理では牛乳の使用が解禁されたので、プリンが作れそうです。
あとは、何を作ろうかなぁ…。牛乳使っていいなら、バターを力技で作れないかなぁ。竹筒に入れて振り回してさ。
それに醤油っぽい調味料として垂れ味噌もあります。
以前、味噌に塩水を足して絞った醤油ぽいナニカをつくった時に、お滝さんが一言洩らした「垂れ味噌」ですが、正規の作り方を確認してもらいました!お滝さんに!
まあ、作り方と言っても、味噌に三倍くらいのお水を加えて、加熱したものを袋吊りにして出て来た液体を集めるだけなんですがね。この袋吊りから垂れ落ちる様から、其の名を「垂れ味噌」というらしいのです。たしか、高い日本酒でもやるよね、袋吊り。
醤油代わりの垂れ味噌ですが、ここは、醤油という認識で料理を組み立てましょう。醤油とバター!そして二の膳の主催は鮑の水煮!つまり、鮑!
鮑と醤油とバターといえば、鮑のバターソテーに肝バター醤油のソースをかけたやつ。鮑の貝殻に薄切りにして乗ってるのをその昔見ました、食べました。鮑のバターソテー、めっちゃ美味かった記憶があります。
そして、肝バターソース。最初、いい匂いがするけど緑と茶色の間の不思議な色のソースが脇の小皿に添えられてるのを見た時は、なんじゃこりゃ~って思いました。
勇気を出してなめたら、少し苦いけど旨みたっぷりのソースで鮑と一緒に美味しくいただきました。合わせたら倍うまいじゃないか!と思った記憶があります。そして、隣りにいた小学生の弟は顔をしかめていたのが良い思い出です。
鮑のバターソテーと肝バターソース、こっちの時間線にくる前、最後の家族旅行でちょっといいお宿に宿泊したときにメインで出た料理なのでよぉく覚えております。
あ、最後と言っても、自分が高校生になって部活の合宿とかで自分が家族旅行のタイミングに合わなくなっただけで、なにか悲しい理由があったわけではないですからね。
あれ、そう言えば、元の時間線の家族のことをこんなに思い出したのは久しぶりだなぁ…。
そんな感慨に浸りながら、台所に歩いていくわけで。
お、お滝さんがいた。プリンの前段階として、茶碗蒸しができるかどうか確認しなきゃ!
「こんにちは、お滝さん」
「坊丸様、年末以来だね。どうしたんだい?また、何か作らなきゃいけない感じかい?」
はっはっは。其のとおりですよ、お滝さん。年末の天ぷら蕎麦活動以外は、台所にきてないからね。
「はい、残念ながら。また、伯父上に無茶を言われました…」
「台所にきながら、織田の殿様に無茶を言われたとくれば、なにか新作の料理を作るはめになったってことだろう?」
「其のとおりです。織田と松平の同盟締結のため、松平家の当主、松平元康様がすこし後、清須城を訪れます。其の際の饗応膳を作るお役目の補佐をするよう、伯父上よりご下命がございました」
「はぁ?あたしゃ、饗応膳なんてできないよ!いつぞやの織田の殿様のときだって、基本は坊丸様が考えたのを人数分作っただけだからね。大名同士で饗応するときは、庖丁道をきちんと納めた人が取り仕切るもんだよ、坊丸様」
「あぁ、それなら大丈夫です。あくまでも補佐役ですから。饗応膳の流れとかは、既に織田家の包丁頭の井上左膳殿が考えてくれてます。自分の仕事とは、伯父上が饗応膳に目新しき料理を入れろということですから、一つの膳に一品くらい目新しい料理を足せばいいだけ…だと思います」
「ふうん、なら、新しい料理を一つ二つ作ればいいんだね。なら、大丈夫だ」
「いやぁ、それが、一の膳から三の膳、菓子膳とありまして、最低四品は考えないと…」
「なんだって?四品も新しい料理を考えるのかい?大変だね、坊丸様も!」
「なので、手伝ってほしいわけです」
「あいよ。いつものように、考えるのは坊丸様。あたしゃ、坊丸様の考えたものを実際に一緒に作る係だろ。わかっているよ。で、なにか考えがあるのかい?」
「まずは、菓子膳なのですが…。お滝さん、茶碗蒸しって知ってます?」
茶碗蒸しのルーツは卓袱料理の一つと言われます。元禄年間には卓袱料理が知られております。
なので、戦国時代の永禄年間には其の名前が存在しない可能性が高いです。
空也蒸しは平安時代の僧、空也上人の弟子たちが考案したとされる料理。空也上人自体は踊り念仏や六波羅蜜寺の空也上人木像が有名です。空也上人は超宗派的な方だったようで、正式な法統は存在しないそうです。なので、空也蒸しのルーツについて、どこまで本当かは不明ですが、平安時代の人の弟子が考えた料理と江戸元禄年間に伝来した料理では、前者の方が古いだろうと考えました。
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