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248話 信長の料理番。の補佐役って

清須同盟の裏方編、開始です。

ども、坊丸です。


小牧山の山頂で虎哉禅師を中心に練り込んだ策と森可成殿の奮戦にて史実と異なり小口城を落とせたわけですが、岩室長門さんは流れ矢で討ち死にしてしまいました。


戦場の流れ矢での死は、昔からあるわけで。

三国志の名軍師の一人、龐統も洛城攻防戦の合間、落鳳坡で流れ矢に当たって落命してるんですからね。仕方ない、仕方ないんですが…。


それと、岩室長門さんを救えないのに、本能寺の変を改変して自分と織田信長の運命を変えられるのかも不安になったわけで。


まぁ、本能寺の変のことは置いておくとして、岩室長門さんの死をそういう事もある、と割り切ろうとしても、結構いろいろと考えて動いたし動かしたわけなのに、この結果かぁ…と思うと、なんか無力感とか寂寥感とかを感じてしまうわけで。


いつも通りの生活をしているつもりですが、不安感と無力感からちょっと身が入らないというか、何もいうか。

お妙さんに報奨金が預けられてるけど、いつもなら何に使うか楽しく考えるんだろうけども、どうにもこうにも。


そんな感じで数日過ごしていたら、親父殿から呼ばれました。心配かけてるのかなぁ。シャンとしないとね。


「お呼びですか、親父殿」


「おう、坊丸。本日呼んだのは、他でもない。殿が坊丸を呼べと仰せられた」


ん?何で?このところはやらかしたこともなく、静かに生活をおくっている感じなので、呼び出しを受ける理由はないと思うんですが…。

ていうか、元気出せって話じゃないのかよ、親父殿ぉ。


「はぁ。承りました。しかし、何事でしょうか?」


「詳しくは儂も聞いておらん。何でも、料理頭の井上左膳がそなたに会うことを所望とか、なんとか…」


ん、井上左膳?誰?

って料理頭って言ってたから…。あ、昔々、信長伯父さんに料理を振る舞う羽目になった時にいた人でしたっけ?


料理頭と面会するために清須城に呼ばれるってことは、何か新作料理をご所望なのかな、信長伯父様は。


まぁ、怒られるわけでない感じなので、ほっと一安心。


で、翌日。清須城に親父殿と登城です。登城すると、すぐに広間に案内されました。

ちなみに、広間までの案内は小姓衆や同朋衆の方々にしてもらったのですが、当然、岩室長門さんはそこには居らず…。


「どうした、坊丸」


「いえ、岩室長門殿は居ないんだなって思って」


「そうだな。先の戦にて亡くなったからな。流れ矢の当たりどころが悪かったらしいぞ。五郎左に()ぐ器用の(じん)であったからな。城を落とした後で、岩室が討たれたのを知った殿の悲しみ様と言ったら、大変なものであったぞ」


そんな話をしながら、山口飛騨さんの案内で大広間に到着。


そこには、滝川一益殿、井上左膳殿が先に座っていました。


ん?井上左膳殿は、今回の呼び出しの関係者だからわかるけど、なんで滝川一益殿も居るの?


柴田の親父殿が二人に目礼をしたので、とりあえずそれに倣って目礼後に着座。


家老格、母衣衆筆頭、少し地位は下がりますが料理頭と織田家で役職付きの家臣ばかりの所に自分が座っているのが、場違いな感じなんですが?


新作料理の相談なら、井上左膳殿が書状でアポイントメントを取っていただき、そのうえで柴田の屋敷に訪問&相談すれば良いだけだと思うんですが…。


そんな風に考えていたら、殿の御成の掛け声が。

そして、掛け声が終わる間もなくズンズン広間に入って来て着座する信長伯父さん。


「皆の者、大儀」


「「「「ハハッ」」」」


「で、だ。今日そなた達を呼んだのは、他でもない。そこに居る滝川一益の働きにて三河松平と同盟を結ぶことと相成った。

盟約自体は一月二月に大筋まとまったのだがな。当家でも、松平でも先代の遺恨がありおる。不満を持つ者のせいで詰めに時間がかかった。のう、一益」


「ハッ。それがしの不徳、力不足にて、正式の文書の取り交わしに時間がかかり、面目次第もござりませぬ」


叱責されたと思った様子の滝川一益が慌てて頭を下げます。


「良い、一益。そなたは良くやった。利と先を見れば、どうすれば良いか一目瞭然であるに、情と過去にとらわれる者が多い、それだけよ」


さらりと言っていますけど、個人の感情を切り離して、より有益な方を選ぶ理性を優先するって、この時代の武士達には無理なんじゃあ…。

そういう人はきっと「表裏比興の者」って言われちゃいますよ、この時代。


「この交渉をまとめられたのは、偏に殿の御威光のお陰にござります」


自分の手柄を誇りすぎず、主君を立てる滝川一益、素敵です。信長伯父さんがこの後、重用する理由がわかる気がする。


「それはさておき、二十日の後、松平元康が清須を訪れる。上ノ郷城の鵜殿をやっと討ち果たし、こちらに顔を出せることになったそうじゃ。

挨拶と尾三における盟約の確認を兼ねて、参上いたしたいとのことである。

で、だ。盟約の文書や詰めはもちろんの事、儀礼、饗応の事も一益に引き続き任す。

饗応の膳については、井上左膳を頭とし、そこな津田坊丸を補佐とする。勝家、坊丸の後見役ゆえ、そなたも相応に助力致せ。一同、良いな」


「「「「ハハッ」」」」


エェッ!今度は松平元康こと徳川家康の饗応かよ!

って、これ、清須同盟成立の場面のお食事任されたってこと?

まぁ、メインは井上左膳殿だから、お手伝い程度…、だよね?

史実だと、永禄五年正月頃 清須同盟成立、六月小口城攻め、秋から冬頃 小牧山城竣工の順ですが、本作品では少しだけ歴史が変わっています。つうか、改変を少しづつ入れていきます。


清須同盟も、松平元康はその頃三河上ノ郷城の鵜殿長照を攻めていたので、会談は無理!って説が有力になりつつありますが、同盟成立の時期と会談の時期は別物という考え方です。


ていうか、岩倉城を攻めていた時期に上洛している信長の前例もあるんだから、一月頃の会談も可能なんじゃ…。

歴史学者って、現代の感覚に囚われ過ぎなのかも知れませんね。


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