246話 永禄五年六月 小口城攻め 後段
小牧山を出立した信長軍二千余が、北に進むこと一里。
そこには、楽田城から西方向、小口城に向けて先に出陣し、本隊と合流するために先に来た坂井政尚以下の騎馬隊が待っていた。
およそ、その数二百。楽田城に数日前に入り、このときを待っていた信長の母衣衆、馬廻衆もそこには含まれていた。
他家であれば、一度陣を張り、合流に合わせて主君に挨拶などする儀礼や手間をかけるところであるが、そこは速さを尊ぶ信長である。
坂井隊の前に馬を進めた信長は馬上にて坂井政尚の挨拶を受けると、その場にて坂井隊の配置や指令系統を伝達。その後は、歩を休めることなく小口城に向う。
こうして、小牧山を出発して一刻程後には、小口城の前に信長軍は布陣していたのだった。
それを見た小口城城主 中島豊後は驚愕していた。
中島豊後のもとには、楽田城方向から二百人程度の軍が向かっている旨の物見の報告が少し前に入っていたからだ。
そう、中島豊後は二重に謀られたのだ。小牧山からの本隊が先に小口城の近くに現れていれば、中島豊後も其の数に驚き、犬山城に救援依頼の使者をすぐに出していたであろう。
だが、小口城を攻める様に見られた軍勢の数は二百。しかも、騎馬隊が主体であり、城攻めには向かない編成であった。
この報告を聞き、中島豊後は坂井政尚をなめてしまった。楽田城奪取の際に活躍した坂井政尚が功を焦り、少数で小口城を攻めたのだろうと考えてしまったのだ。
その存在を巧妙に隠された信長本隊と油断を誘う坂井の別働隊。この二重の詐術により、小口城は犬山城や黒田城に救援を依頼する余裕も無くなった。すなわち、後詰がない状態での籠城戦に突入する事になったのだ。
小口城を取り囲む信長軍二千と数百。北東方向、犬山城への方向は坂井政尚率いる騎馬隊を主体としてその連絡を切るように布陣、そして大手門のある南方から搦手の西方に信長本隊が布陣した。
小口城は東西五十間、南北に五十八間、堀と土塁で囲まれた平城である。さして大きくない小口城は、この時、北方向以外、半包囲状態となった。
そして、信長の指示の下、大手、搦手に攻めかかる軍勢二千余。有利な状況であるが、気を抜かぬように再度、信長の激が飛ぶ。
大手門の部隊の大将を任された森可成が大声で号令を発し、その補佐を命じられた丹羽長秀、木下秀吉などが部隊を動かす。
搦手は、柴田勝家が大将を務め、蜂屋頼隆が其の補佐に任じられた。
信長本陣は、母衣衆、馬廻衆が詰め、其の前方に佐久間盛次が遊軍として布陣した。
美濃方面軍の主将を任じる森可成は、焦っていた。
たしかに、犬山の織田信清は今までの自分の思う攻撃対象ではなかった。そして、今までの美濃攻めは、墨俣方向から西美濃を経由して稲葉山城を狙うというものであった。
だが現状は、小牧山に築城し織田信清を攻めている。
今まで、西美濃からの美濃攻略という固定観念に縛られていた森可成は、現在信長が主導する東美濃、中美濃経由での美濃侵攻の新たな方針に頭がついていっていないのを自覚していた。
それに対し、柴田勝家、丹羽長秀の両者は二宮山の視察、小牧山に築城を開始したことから、信長の思考を類推し、小口城攻めを信長に提案したと聞きいて、正直、自分の視野の狭さを恥じた。
以前から、上手の人と言われ、信長の心を、考えを、読んでうごく丹羽長秀が、それを行っただけであれば、「さすがは五郎左、先を読むのがうまい」と思うだけであるが、自分と同じような武人にして槍働きが得意な柴田勝家も同時に進言したと聞くに及んで、何故自分が同じようなことをできなかったのか、と悔やむ気持ちもあった。
そのため、森可成は、この小口城攻めで二人に負けない、いや二人の献策を霞ませるほどの武功を上げることを心に誓っていた。
このため、森可成は前線に立ち、部下を、その声で、その姿勢で、その武威で鼓舞し続けた。
其の姿をみて、足軽たちは奮いたち、大手門前での戦闘は信長軍優位に進む。其の様子を見て、丹羽長秀が、焙烙玉を大手門の内側に投げ込むよう指示する。さらに焙烙玉の爆発音を聞いた秀吉は、大手門内の守備が乱れ開門近しと判断し、破城槌代わりに杭状にした丸太を大手門に打ち付けるよう指示を出す。
そして、大手門が開くのが近いと見た信長は、本陣を少し前に出すように指示をだした。
が、その時、黒田城に向け救援を依頼するための騎馬武者数名が搦手側の乱戦をつくように躍り出る。
その様子が伝えられた信長本陣より、遊軍の佐久間盛次に搦手側に回るよう指示が出た。すでに大手門側は現状の戦力と自分の馬廻りだけで問題なしとの判断であった。
本陣前の遊軍が動いたことで、信長は更に本陣を前に出したのだった。
小口城内では、敗色が刻一刻と濃厚になって行く状況に将兵の士気はギリギリの状態であった。
大手門の内側、枡形での戦闘が続き、まだ士気はかろうじて保たれているが、そこを抜かれれば一気に落城にむけて進むのは火を見るが如く明らかであった。そんな中、中島豊後のもとに櫓の物見より信長本陣がかなり近づいているという報告が来た。
ここで、中島豊後は乾坤一擲の策に出る。櫓に城内に残る弓の上手達をあつめ、信長本陣に射掛けるというものである。信長を射殺すことは無理でも、一時的にでも本陣に混乱が発生すれば、攻め手が緩み、其の隙に搦手から城内の兵を落ち延びさせる事ができるのでは、と考えたのだ。
其の結果、信長本陣には急に矢が多数打ち込まれることになる。が、其の矢は信長に届くことはなかった。本陣に居る小姓や馬廻衆のうち、たまたま当たりどころが悪かった数名が死亡したのと、信長をかばった者十数名に軽い矢傷を追わせたのみであった。
しかし、僅かな隙は生まれた。その隙をつき、中島豊後以下の守備兵は搦手から決死の脱出を図る。
多くのものが討ち取られることになるが、中島豊後はどうにか逃げ延び、黒田城に落ち延びた。
そして、城主が脱出したあとの小口城は、士気を保つこともできず、あっさりと落城してしまうのだった。
永禄五年六月。史実では落とすことができなかった小口城を信長は手に入れたのだった。
「火を見るよりも明らか」が正しい慣用句なのですが、わざと「火を見るが如く明らか」にしました。落城の様子を「火」で焼かれるイメージと重ねたいと思ったからです。なので、誤字脱字で指摘するのは無しでお願いします。
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