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242話 小牧山、山頂にて 其の壱

花粉症の時期は、本当に辛い。色々、キツイ…。

ども、坊丸です。


現在、小牧山を登山中です。今までは少し整備された直線の登山道でしたが、現在は未整備の山の中に人がすれ違えるくらいのなんとなく道があるという程度のところを登山中です。

しかも、やたらとくねってる感じのつづら折り。日光のいろは坂かよ!とか思うわけで。


こんなクネクネした道を登っている途中に、丹羽長秀殿から、山頂側に石垣を組むことやカーブのところに弓や鉄砲の射手を隠すような場所を作ると説明を受けながら登っていくわけです。

大きなUターンのカーブが2つあり二段三段の石垣を作る予定らしいです。出来上がりが楽しみです。


そんな話を聞きながら皆で山頂まで来ました。

山頂は、木々を伐採している途中で、幼児の自分でも見晴らしが良い状態。

柴田の親父殿と丹羽長秀殿が、あそこが楽田城、あれのあたりに犬山城、小口城、川向うの山が不動山、あの遠くの山のどこかに稲葉山城と近隣の城郭やの位置を説明してくれました。


へぇ~って感じで聞いていましたが、この小牧山という位置が今後の攻略目標を的確に捉えられる位置にあることがよくわかりました。この山に目をつける信長伯父さん、すごいね。


「伯父上は、山の上からこの風景を見て、ここに城を建てると決めたのでしょうか?」


「信長様が、家臣一同を連れてここまで登った後、ここに城を建てると宣言なさいましたぞ、坊丸殿。その数日前にはあれに見える本宮山のあたりに城を建てるとおっしゃられていましたが、この小牧山の立地を見た後にこちらが良いということになったのですぞ」


と丹羽長秀殿から説明を受けました。その様子を見て、柴田の親父殿と吉田次兵衛さんは、どう説明すればいいか、少し困った顔をしています。

うん、ごめん。丹羽殿。二宮山が当て馬で、その後に小牧山に来る話を柴田の親父殿たちにはしていたから、ね。

自分が言った意味は、家臣一同を連れて小牧山山頂に来る前に決めたのかな?という意味だったのですが…。

すこし困ったんですが、とりあえず答えてくれた丹羽殿にニコリと作り笑い。

その様子を見ていたらしく、沢彦禅師が顎を撫でながらこちらに近づいてきました。


「ふむ、坊丸殿。吉法師殿は、楽田の攻略のあと、政秀寺に寄りましてな。その際に、小牧山をしげしげと眺めておられました。その数日後、平手政秀殿の月命日に、再びふらりとやって参りましてな。小牧山のことを色々と聞いてこられましたな。その後、馬でぐるりと山を回ってくるといっておられたな」


あ、沢彦禅師に小牧山のことをリサーチしていたんだ。

そして、何故に、こっちの思いを正確に読み取れますか、沢彦禅師?もしかして、それが臨済宗で大悟した禅師たちがもつ「悟り」の能力(スキル)ですか?

そして、信長伯父さんを吉法師よばわりですね。さすがです。


「しかし、二宮山の後に、小牧山を移転の目的地にするといえば、家臣の異論が出ないだろうと読んでいたのでしょうな、殿は。まぁ、それがしと柴田殿、それに秀吉は二宮山の際にも異論は唱えませんでしたが」


「そ、そうですな、丹羽殿」

目がめっちゃ泳いでますよ、柴田の親父殿。自分から色々聞いていたから、最初から小牧山になると知っていたからね、柴田の親父殿は。そのうえで、対応を協議済みだったしね。


「むふ、やはり、吉法師殿はそう対応しましたか…」

「献策した甲斐がございましたな、沢彦師父」


ん?なんか禅師二人が聞き捨てならないことを言ってますが…。


「沢彦禅師、虎哉禅師。もしかして、最初に移転先の候補として二宮山を提案するのをご存知でしたか?」


「うむ。そうするように、我らが提案したからな」


え?二宮山を当て馬にして小牧山への移動に異論を出させないのって信長伯父さんのアイデアではないの?と、とりあえず聞いてみよう…。


「ああ、坊丸殿の予想したとおりであるな。吉法師のやつめ、小牧山にいきなり移動すると言っても、家臣らに文句を言われそうだと、拙僧のところにやってきて、愚痴りおってな。仕方ないから、虎哉と相談して、知恵を出してやった」


「師父。信長様は、そのことは公言するなとおっしゃっておりましたが?」

片眉を上げ、咎めるような表情で沢彦禅師の方を見る虎哉禅師。


「おお、そうであったな。ここにいる四名は吉法師の名誉と我らの首を守るために、今の話は忘れてほしい。我らは、太原崇孚の様に前に出て名を売りたいわけではないからな。カッカッカッ」


そう言って、大呵する沢彦禅師。


「そうですな。できれば拙僧は酬恩庵の一休禅師のごとく生きたいのですが…」


そう言って、遠くを見る虎哉禅師。


「宗乙、大名や君主のそばに学僧として居るとそれはなかなかに叶わぬことぞ。一休宗純の如くでなく、満済准后の如くが現実よ」


「で、あれば、拙僧はもう数年、坊丸を教育した後には、庵を持たずに、百代の過客となりましょう」


「ふっ。宗乙がそうしたいなら、そうするがよかろう。ただ、そなたの才の輝きを見たものが、それを許すかは別問題ではあるがな」


なんか、二人の禅僧が、僧侶としての生き方について問答を始めたぞ。

そんなことよりも、二宮山を当て馬にして小牧山に移動への心理的障壁を下げるという人間の心を操る御業は、信長伯父さんの発案じゃなかったんかい…。


あ、そうだ。たしか、今年の六月に小口城を攻めて、岩室長門さんが死亡しちゃうんだよね。その戦いは、得るもの無く敗退するはずだから、その予防や対策ができないか、この面子に相談しておこうっと。

満済准后は、足利義満から足利義教の時代に活躍した真言宗の僧侶。くじ引き将軍と揶揄されることになる足利義教ですが、そのくじ引きのアイデアを出したのが満済です。当時は、学識随一で足利義満に特に気に入られたとのことです。


沢彦禅師が、一休禅師や満済准后を呼び捨てにしてますが、沢彦禅師は臨済宗妙心寺の第一座、妙心寺第39世住持になっているので、実は彼らに負けないくらい凄い禅僧なのだとわかってもらうためにこのような表現になっています。


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