215話 墨俣城改修作戦! 玖の段
今回は全編三人称です。
墨俣城改修作戦、当日、酉の刻。
川並衆の面々とともに川並衆の船に乗って吉田次兵衛が、美濃の土田城の近く、可児川の河原に到着した。
「吉田殿、予定通りですな」
河原で作業の様子を監督していた文荷斎は、船が近づいているという報告を受け、河原にある桟橋で彼らの到着を待っていた。
「おう、文荷斎殿。わざわざ、出迎えとは痛み入る。しかし、さすがは川並衆。木曽川は所々急流もあったが、上流への移動、予定通りの動きであったのぉ」
「よっと。で、この河原にある筏や竹束を下流に運ぶのか。話には聞いていたが、多いな。この数を暗闇の中、岸の篝火を頼りに運ぶのか、これは難儀だぞ」
「こちらは?」
川並衆との交渉には参加していない文荷斎が川並衆の面々をみて、誰何する。
「こちらは川並衆の蜂須賀殿でござる」
「川並衆の一人、蜂須賀正勝だ。で、そちらが、中村文荷斎だな。そして、その後ろにいるのが、福島正信。合ってるかい?吉田殿」
「いかにも。文荷斎に紹介しておくが、蜂須賀殿の後ろにいるのが、前野兄弟、坪内殿、そして松野殿だ」
「川並衆の前野宗吉と申す。以後、お見知りおきを。しかし、こう見ると、筏と竹束の数、多いですなぁ」
「墨俣城をより強固にするため必要なのです。数は多いが、これも織田のため、宜しくお頼み申す」
「まぁ、今までは、織田と斎藤、天秤に掛けさせてもらっていたが、斎藤の若当主はいまいち、な。
これからは織田についた方がよいと見ゆるので、今後の取引もよろしく、と言ったところよな」
「坪内殿。今回のことも含め、織田は川並衆に損をさせぬように取り計らうつもりだ。それはそうと、文荷斎殿、杭で作った筏と竹束、数はそろっているか?」
「委細、抜かりなく。坊丸様の言う通り、何かあったときのため、一応、数個余計に作り申した。
それで、船と筏・竹束をつないだ後は、福島殿と船に乗れる兵は乗ってもらいます。
それがしはこちらで後始末があります故、残ります。以降の指揮は、吉田殿、よろしくお願い申し上げます」
そういったやり取りをしている間にも、福島以下の木こり、大工、兵達がてきぱきと彼らが作り上げた筏を船と結び付けていく。
「よぉし、結びつけは終わったな!今一度縄を確認してくれ!木こりの衆は、ここまでだ。
後払い分の金子についてはそこの文荷斎の旦那に聞いてくれ!大工と若衆は船に乗ってくれ!」
「木こり衆のこと、承知した。吉田殿、福島殿、あとはお任せいたす。ご武運を!」
「文荷斎殿の働き、墨俣で待つ殿にお伝え申す。ご苦労様でござった」
「ご武運をって、大袈裟だな。文荷斎の旦那のおかげで万事予定通りだった。あとは、墨俣まで船旅を楽しむとするさ」
川並衆の船に分乗した大工や兵を、可児川の河原で中村文荷斎と木こり達が手を振って見送る。可児川と木曽川の境目で波が立つ水面は、夕日の光をうけて茜色に輝いていた。そして、その川面を川並衆の船と後々塀になる筏が、降っていく。
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可児川から木曽川にでて少し後、坂祝を過ぎて、犬山に差しかかかる前、勝山にたつ猿啄城の傍を下り始めると、木曽川は急にその表情を変え、急流に変わる。
上りの時は流れを読み所々で岸に寄せて流れを躱しながら川を上って行ったが、下りは筏や竹束を引きながらの道行である。
水流に翻弄され、筏の紐が切れる事もあるような状態である。
「あぁ、せっかく作った筏が!」
「おいおい、川並衆。しっかりしてくれ!筏が流れに敗けて壊れて流れて行ってしまったぞ!」
川の流れにもてあそばれて、あるものは船と筏とを結ぶ紐が切れ、あるものは岩にぶつかり壊れ、散らばり、流れ去って行く。大工や若衆からすれば、山に分け入り必死に作った筏や竹束である。墨俣城で使うこともなく、壊れ流れて行くのを見るとついつい、川並衆に文句を言ってしまう。
「この辺りは急流なうえに、犬山も勝山の麓にも明かりがねぇんだ、全部の筏が無事に川を下るなんて、土台無理な話なんだよ!」
せっかく作った筏が流れていく様を見送る織田の兵たちに向かって、急流を下る川並衆からは怒号が飛ぶ様な始末であった。
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犬山のあたりを過ぎ、木曽川の流れもも穏やかになったころ、ちょうど前野家の拠点がある不動山の傍を過ぎた。彼らの道行きを照らすため川筋の傍には篝火が焚かれている。
「おかしいな。予備で残した船がない」
「どうかしたのか、前野殿?」
「おお、吉田殿。いや、大したことではないのだがな。あのあたりに、何かあった時のため予備で残した船があったはずなのだが、見当たらんのでな」
「そう言えば、弟御に留守を頼んでおりましたな」
「あいつ、俺らがいないから、勝手に船を動かしたな。留守を頼んだに遊び歩くとは…」
「前野殿も、気苦労が多いと見える。うちにも、変なことばかりやらかす坊主がおりまして、いつもいつも何をおっぱじめるかとハラハラしておりますわい」
「さて、軽口はこれくらいにして、木曾川から、境川にすすみまするぞ。木曾川に比べると流れが緩やかですが、その分、川底が浅い。場合によっては、織田の兵の方々は筏の方に移ってもらい、漕ぐのを手伝ってもらいますからな」
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墨俣城 戌の刻
木曽川、境川をへて、長良川に入ると、墨俣は目の前である。
川並衆と吉田次兵衛、福島正信は、長良川の流れをわたるようにして墨俣城に到着した。彼らを出迎えるために、柴田勝家以下、柴田家の面々が出迎える。丹羽家からも軍監として大谷吉秀が同行している。
川並衆の船に結びつけられた筏を柴田家の若衆達が前もって穴を掘っていた場所にどんどん立て、梯子をさきほどまで筏だった塀に立てかけると、木槌で深く打ち込んでいく。
筏として紐で結び付けてあるので、一つを立てるだけで、一気に二間ほどの塀が姿を現す。そして、筏から塀に姿をかえたそれを連結するために、あらかじめ加藤清忠が持ち込んだ大きめの鎹を手早く打ち込んでいく大工たち。
大工たちは柴田家の庭でのリハーサルには参加していないが、材木の伐採や筏作りに比べれば、単なる普段の仕事と変わりのない作業である。あっという間にコツをつかみ、手分けして筏を本物の塀に作り替えていく。
その裏で、手すきの大工たちは、加藤清忠の指揮のもと、竹を組んで馬防柵を作り始めた。
そして、数刻。順調に作業は進んでいたのだが、ここでいくつかの筏の紐が切れ、流れ去ったツケが出る。
坊丸の指示通り、筏は数個多く作られてはいたが、相手は木曽川の急流である。坊丸とて施工管理の知識があるわけでも、実際に流す木曽川の急流を体験したわけでも無い。その読みは、残念ながらやや甘かった。
「次兵衛の兄ぃ。筏が足りんぞ!」
「なに、足りんだと!ああ!そういえば、木曽川の急流で流れ去ったものがあったのだ、玄久!で、いくつ足りん!」
「二つ、三つと言ったところだ。どうする、次兵衛の兄ぃ!それに、そろそろ竹の馬防柵を所定の場所に打ち込んでいかないと、馬防柵ができる前に日が昇るぞ」
「どうもこうも、どうにかするしかあるまい!玄久!」
1585年の大洪水の後、木曽川は南に流れが変わったとされています。
それ以前は、現在の境川近辺を流れて墨俣近くで長良川に合流していた流れと現在存在する位置の近くを通り、及川と名前を変えてもっと下流で長良川に合流する流れがあったようです。
詳しくはWikipedia様で木曽川を検索していただけると幸いです。
Wikipedia様の過去の木曽川の流れによる国境線の変遷に関する情報と、そこにあった家康が木曽川の堤防を造成する前の木曽八流の地図をもとに、今回の墨俣城改修作戦のお話を作成しました。
ただし、読者諸賢が現在の地図でもイメージがしやすい様に移動ルートを木曽川→境川→長良川と記載しています。
現在の木曽川の流れをもとに「有り得ない!」と言う前にWikipedia様で確認をお願いします。
本当はネタ元を晒すことになるので、書きたくなかったんですが、絶対調べもしないで鬼の首を取ったかのように間違った「間違い」を指摘をする方がいると思ったので、泣く泣く記載しました。
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