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205話 墨俣城改修作戦 幕間(壱) ~不満と怒り、一徹に~

稲葉 一鉄 良通は怒っていた。


曽根城の私室にて怒りを酔いで誤魔化そうとして、昼間から酒を飲んだが、余計に怒りに怒りが強くなり、庭に向かって盃を投げ捨てる始末である。


「くそっ!斎藤義龍が死んでから何もかもうまくいっておらん!」


怒り狂うのは、頑固一徹の由来にもなったと言われる稲葉良通、後に出家して稲葉一鉄似斎と名乗る人物である。

後世の書物に「人となり敢決強直、ゆえに敢決強直なる人のことを一鉄者という」と評されたその人が一度怒ると、その怒気は容易には解けはしない。


家人は勘気に触れるのを恐れ、近寄ることすらできない有り様であったが、その様子を見かねて庶長子の重通が芋がらと代わりの盃を、出生順では次子になるが正室の子で嫡男である貞通が濁り酒の入った二合徳利をもって、父のもとに赴いた。

父に酒を勧めつつ、機嫌を直すように話をするためである。


「父上、そろそろ酒が足りないかと思いお持ちしました」

「父上、代わりの盃をお持ちしました。少し寂しいですが、酒の肴に味噌のしみ込んだ芋がら縄をお持ちしました」


一瞬、酔いと怒気の赴くまま、入ってきたものを叱り飛ばそうとして、にらみつけるような視線を二人に向けたが、酒と肴、代わりの盃をわざわざ子供らが持ってきたのを見て、すこし落ち着いたのだろう。

一度、眼を瞑り、深く深く長く長く息を吐くと、顔を上げ気分を切り替えるように二人に声をかけた。


「おう、お前たちか。わざわざ、酒を持ってきてくれたか、すまんな」


そういうと、左手に盃がないことを思い出し、自身が怒りのあまり盃を投げ捨てたことに思い当って苦笑いするしかなかった。


その様子をみて、重通が父に盃を手渡し、その盃に空かさず貞通が酒を注ぐ。

二人から注がれた酒を目の前まで持ち上げ、目礼をした後、良通は半分ほどを飲み干した。

そして、顎をしゃくって、二人に着座を促す。


「父上、先ほどはだいぶ猛っておられたようですが?」


と、重通が話を聞くために促した。


「おう、このところ、うまくいかんことばかりでな。我を忘れかけた」


「父上。最近、と言いますと、織田が西美濃を荒らしていることでございますか?」


次に貞通が話を聞く姿勢を見せる。


「とりあえず、お前らも、呑め」


そういわれると思っていたのだろうか、二人とも懐から盃を出し、父からの酌を恐縮しながら受けた。


その様子を受けて、良通が、父として稲葉家の現状を教えようという気になったのだろうか、盃を口に運びながら、まだ残る怒りをわずかに言葉の端々ににじませながら、話し始めるのだった。


「先日、斎藤義龍が亡くなったのは知っているな。斎藤義龍は妹の深芳野の子じゃ。

義龍とは常々相談を受けておっての。さすがに伯父を優遇しすぎると角が立つからと、六重臣に儂のことを入れなかったことを直々に詫びてきおった。

言っても伯父甥の関係じゃからな。長良川の戦いでも義龍のために奮戦したしの、武においては当家を一番に頼りたいとも言っておった。

奴がもうしばらく生きておれば、我が稲葉家はもう少し良い目が見れたものを…」


「良い目、と申しますと?」


「斎藤家はもともと、守護職の土岐家の守護代じゃ。そして、先代の道三はもともと小守護代の長井家に入り込んだ人間。

義龍の奴は、室町殿に取り入って、一色の名をもらい、そのうえで守護に任じてもらうつもりだと言っておった。

さすれば、守護が守護代を任じる権限を持つのは道理。

新しき守護のもとで、わざわざ古い守護代の眷属や小守護代家を重んじるつもりはない、と義龍は申しておった。この意味が分かるか、重通、貞通?」


「一色となった義龍様が守護で、当家が守護代。と言うことでございますか!父上!」


「おうよ。斎藤義龍改め、一色義龍が守護で、稲葉が守護代。

ゆくゆくはそうしても良い、とのことであった。計画通り、義龍が一色の名をもらったところであったのに、誠に口惜しいわ!」


「「当家が、守護代…」」


貞通・重通は、聞かされていなかった斎藤義龍と父良通の密約とその計画に心底驚いた。


「義龍が死んで、その計画も水の泡よ。さらには、龍興の奴、森部の戦いで活躍した当家を重んじようともせん。

六重臣のうち、日比野と長井の奴が討ち死にしたのに、稲葉山まで攻め寄せられなかったのは、当家が奮戦したからぞ!

しかも、あの小僧、二人が死んで空いた席に、長井道利と斎藤飛騨を入れおった。

道三の弟で、実績がある長井は仕方ないにしても、もう一席は長良川の戦い、森部の戦い、軽海の戦いと斎藤家を支えた儂を任じるのが筋であろう!

長井道利が大叔父なら、儂も同格の大伯父ぞ!

軽海の戦いでは又右ヱ門の叔父貴も討ち死にする程の奮戦ぶりだったのだ!

なのに、自身の小姓あがりの斎藤飛騨を任じるなど、ありえんわ!

百歩譲って、不破や岸、佐藤ら西美濃や中美濃の有力者を任じるならまだしも、龍興と歳のさして変わらぬ小僧だぞ、斎藤飛騨は!」


「父上、お怒りはごもっと。なれど、声が大きすぎます。しかし、忠通の大叔父貴のことは、自分も悔しゅうございます」


と、一鉄の叔父、稲葉又右ヱ門忠通に目をかけられていた重通が父をなだめつつ、悔しさをにじませた。


「父上、落ち着いてくだされ。稲葉の武が無くば、斎藤はそのうち立ちいかなくなります。

今は面従腹背、斎藤龍興殿に従うふりをして力を蓄えましょう。そして、いずれ稲葉の武を高く買ってくれる勢力に附くのも良いかと」


庶兄の重通が父を抑えきれないと見た貞通は、父をなだめつつ、稲葉家の将来の話をすることで、父の怒りを誤魔化そうとするのだった。


「稲葉を高く買ってくれる、か。ならば、織田か浅井か、だな。京極は落ち目であるし、六角は京の方ばかり見ておる。

今しばらくは、墨俣にいる織田がどう動くか、自領をどう守るかに専念し、斎藤には従うふりをしておくことにするか…」


そういうと、ふんと鼻を鳴らした後、良通は盃を今一度、煽った。

そして、空になった盃を見る良通の目は昏く冷たいものであった。


そう、斎藤龍興に対する怒りと不満を抱える稲葉 一鉄 良通の心は、わずかに、しかし確実に斎藤家から離れ始めたのだった。

稲葉一鉄は、貞通、長通、良通と名を変え、天正二年に出家してから一鉄似斎になります。

一鉄が一番知られた名前なのですが、さすがに出家してないのに出家した後の名前を使うのはどうかと思い、ここでは稲葉良通で通しました。


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