202話 墨俣城って大変なのね
ども、坊丸です。
五月に入ってすぐに美濃攻めが始まったんですが、六月近くになってもまだ戦が続いてるらしいのです。
さすがに大きな戦はなく、小競り合いくらいとのことで、丹羽長秀殿に墨俣の砦を任せて、信長伯父さんも柴田の親父殿も美濃から戻ってきました。
柴田の親父殿は十九条城、軽海の戦いで上手に鉄砲隊を運用したことで信長伯父さんに褒められたと自慢してました。
その後、婆上さまや次兵衛さんしかいないところで、大きな手で頭をグリグリっと撫でてくれましたよ。
撫でてくれながら、「坊丸が鉄砲の修練に参加しているおかげじゃ。おかげで儂も鉄砲の扱いがわかってきたし、おかげで殿にお褒めいただいた」と言ってくれたので、なんだかすこし誇らしかったです。
そのあと、戦の話を色々としてくれたのですが、柴田の親父殿のお話だと、信長伯父さんの考えとしては墨俣の砦を重要な橋頭堡と考え、要害化したいらしいのですが、必要な資材を運ぼうとすると、妨害されるとのこと。
何度か、丹羽長秀殿や森可成殿が改修のための物資を運び入れようとしたらしいのですが、河川を渡りきったところで急襲されたり、搬入中に妨害されたりしてるらしいですね。
あれ?そういえば、それって秀吉の墨俣城を短期間で作った話の前振りだよね。
重臣が二人くらい墨俣の土地を確保して、そこに城を立てようとしたけど上手くいかなくて、木下藤吉郎こと後の豊臣秀吉が、蜂須賀小六や前野長康たち山賊や川並衆に協力を要請、水運を利用して材木を運んで短期間で築城して信長に褒められたってやつ。
子供のころ、秀吉の知恵が回る逸話としてどこかで見た気がする…。
でも、墨俣城ってもう信長伯父さん既に確保済みなんですけど?あれ?子供の頃に聞いた話と合わないな。
よし、こういう時は、天使級10598号の人に、預言を人に託すシステムを流用して、頭の中にダウンロードというか強制書き込みみたいな感じで覚えさせてもらった『信長公記』を参照してみようっと。
あ、ちなみに、『信長公記』のデータなんですが、短時間読む分にはいいんですが、長い時間閲覧しているとだんだん頭痛がしてきて、吐き気も出てくるので、一度読み通した後は、必要な場所を短時間だけ適宜閲覧する程度にしています。
だって、頭痛しながら読むの嫌だし。
それはそうと、墨俣城に関する記録、記録っと。
あれ?すこし頭痛に耐えて稲葉山城陥落のところまで読み進んだけど、秀吉が墨俣に城を立てたなんて記録はどこにもないのですが?頭痛しただけ、損したじゃんかよ!
墨俣城建設のエピソードって秀吉が後からでっち上げた嘘なの?それとも『信長公記』の著者の太田牛一が書き忘れたの?どっちなのよ!こたえてよ、YOU!って、虚空に向かって怒っても正解が返ってくるわけじゃなし。
と、そんな感じで、二日酔いのような頭痛を数日抱えながらいたら、ある日、柴田の屋敷に柴田家の重臣の人たちが続々あつまってきました。
なんか、大変そうだな、また出陣あるのかなって思ってみていたら、みんな大広間の方に集合していきます。
さて、朝の漢詩のお勉強が終わって理助たちとでも遊ぼうかと思っていたら、吉田次兵衛さんが、今日の分の勉学は終わった様子ですから、そのまま、一緒に大広間に行きましょう、とか言いだしました。
え?坊丸は、軍議に参加しても、何も役に立ちませんよ?いつも軍議には呼ばないのに、どうしたんだろう?なんか、面倒ごとだと嫌だなぁ…。ていうか、元服前の幼児を大切な会議に参加させるなっつうお話ですよ。
そして、案の定、面倒くさいお話でしたよ。
柴田の親父殿のお話では、墨俣砦に詰める丹羽長秀殿、美濃方面担当の森可成殿が墨俣砦の改修に失敗しているので、柴田の親父殿が三番手として指名されたとのこと。
信長伯父さんのご下命は、一月の間に墨俣砦の城壁をより強固なものにすること、だそうです。
なにこれ。
まんま、墨俣一夜城の流れじゃん。で、ここで親父殿が失敗したら、木下秀吉の出番なんですかね?きっと。
まぁ、木下秀吉に頑張ってもらってもいいんですが、自分の後見役、柴田の親父殿に頑張ってもらって、信長伯父さんに褒めてもらうのもいいかな…、と思うわけで。
よし、坊丸式の墨俣一夜城を試してみますか!秀吉の有名なお話と現代知識を活用して!
秀吉の墨俣一夜城は、良質な史料にて確認できないことから、功績の捏造や面白おかしく作った説話と言われることもありますが、このお話は史実ではなく、「史実を天使級10589号さんがエミュレートしている世界」なので、面白くなりそうなら話に組み込まれます。
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