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200話 連戦の後。蝮の弟、登場。

佐々成政と池田恒興の二人は猛っていた。


十九条城に織田広良の副将格兼軍監として付けられたにも関わらず、主将の織田広良は敗死し、十九条城に詰めた兵を少なからず失った。


単なる軍監としての仕事を行うのではなく、織田広良の才を見届けるよう密命を受けていたにもかかわらず、その役目を全うする暇なく、主将であった織田広良を救うことも支援することも、さらにはその才を推し量ることもできないまま、敗走の憂き目にあった。


しかも、そのことを信長に報告の上、詫びたのだったが、信長の言葉はただ「で、あるか」の一言であったのだ。

彼ら二人は、その一言の口調の中に信長の失望を感じ取っていたのだった。


信長の信頼を取り戻すには、ただ戦功をあげるしかないと、そう思い、二人は殿近くで戦って武功を上げることを胸に誓い、ただ静かに猛っていた。


十九条城は犀川のほとりに築かれた城であるが、犀川の支流で再若の東に五六川という河川がある。


丹羽長秀の空城の計を元に、偽装退却と伏兵、待機した鉄砲隊による迎撃作戦を採用した信長は、十九条城と墨俣砦の間で、犀川と五六川が一度近寄る地点、二つ河川の間の距離が四町から五町(500メートル前後)しかない地点を迎撃地点に選んだ。


隘路というほどではないが、敵の機動力を削ぎ、大兵力の利点を減少させ、迎撃戦による鉄砲の射程と攻撃力を生かせる地点を選んだのだ。


この作戦を選択し準備した時点で、十四条の戦いで信長軍が不利であった地の利と兵力差の二点を打ち消した。そして、斎藤軍に追撃戦を行っていると誤解させることで、戦意と練度による速度差を誘発させ、今度は敵に戦力の分散を強いたのである。


十四条の戦いでの敗戦と十九条城の空城の計からの放火、森可成の撤退が一連の釣りとなっていたのだった。

そして、柴田勝家は、信長が指示した地点に鉄砲隊を中央が開いた鶴翼の陣で配置した。

坊丸の付き添いでたびたび参加した火縄銃の修練でその威力を実感し、桶狭間の戦いにおける信長の迎撃戦での鉄砲の運用を見て、敵の侵攻方向を誘導した上で使用した時の鉄砲の有効性を理解した柴田勝家は鉄砲隊による迎撃を完璧にこなした。


そう、図らずも織田軍は、島津家が得意とした釣り野伏を小規模な戦術規模ではなく、より大規模な戦場規模で行ったことになる。


中央がすこし開いた鶴翼の陣とでもいうべき形に配された鉄砲隊の間を走り抜けた森可成の部隊は、そのまま鉄砲隊の後ろを移動し、鉄砲隊の砲撃を待って、鶴翼の陣に布陣された大外から斎藤家の追撃部隊を攻撃。


自分たちが追撃戦で嵩に懸かって攻めていたつもりの斎藤家の第一陣は、鉄砲隊の砲撃で大混乱に陥った。


そして、さらに斜め横から反転攻勢してきた森可成の部隊の二の矢を受ける。

そのうえで、鉄砲隊の後方、中央部に控えていた信長の本隊が鉄砲隊の間から攻めかかった。


そして、本来なら母衣衆として信長本隊にいるはずの池田恒興、佐々成政は、森可成率いる殿の部隊にいた。

二人は、十四条の戦いでの失態を取り返すべく、あえて殿の部隊に参加したのだった。

そして、二人の奮戦はすさまじかった。稲葉良通率いる斎藤家の第一陣に躍りかかるように切り込み、まさに鬼神の如く戦った。


稲葉良通自身は部隊の後方に居たため鉄砲による負傷はなく、混乱する兵を叱咤激励して部隊の立て直しを図ったが池田恒興、佐々成政の二人の槍働きで思うように部隊を立て直せない。

やむなく、自身の片腕ともいえる叔父の稲葉又右エ門を疲れの見えた二人に差し向けるが、これも二人の協力で打ち取られてしまう有様であった。

他に追撃していた真木村牛介率いる別の部隊が壊滅したことで、稲葉良通は部隊の退却を選択。そのまま戦場を離れた。


勝ちに乗じていたはずの斎藤家の各部隊は敗走してくる味方に大混乱になった。

ただでさえ今回の斎藤家の兵力は西美濃の各家から集められたものである。

勝っている時は良いが、敗走し始めると、各家ともに被害を抑えるために独自の判断で退却を始めてしまう。こうなると、いかに兵力に勝るとはいえ、まさに烏合の衆である。


織田軍は、その逃げる斎藤家を逆に追撃し、十四条付近の軽海の地まで追い立てた。

夜半になる前に斎藤家本体を率いる日根野弘就が軽海で部隊の立て直しを図り、そこに追いついた織田の本隊と足軽による乱戦になったのだった。

しかし、両軍ともに長時間に及ぶ戦いの疲労蓄積していた。夜の帳が深くなると、闇が両軍の視界を奪い、自然に停戦を強いたのだった。


後に、十四条の戦い・軽海の戦いと言われるの戦いで、織田信長は織田広良とその兵を失ったが、墨俣近辺の支配を確立することに成功し、逆に斎藤家は多くの将兵を失い、その威光には陰りが見え始めた。

稲葉山城には昏い雰囲気が滞り、信長有利で一気に斎藤家討伐が進むかに見えたその時、意気消沈する斎藤龍興に強力な支援者が現れた。


その者の名は、長井道利。


斎藤道三の末弟にして、斎藤義龍をたきつけ道三と対立させ、長良川の戦いを引き起こした謀を好む男である。

その『「美濃の蝮」の弟』が、東美濃より稲葉山城に入ったのだった。

そう、この後、数年、蝮譲りの策謀で織田信長の前に立ちはだかることになる男が、再び歴史の表舞台に立つことになるのだった。

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