192話 織田信長 VS 徳川家康(松平元康)七の段
翌日、信長は昨日の方針の通り軍を動かす。
まずは矢作川の東岸、鈴木氏の籠もる寺部城を攻める。
矢作川の渡河の際には、草むらに滝川一益以下の鉄砲隊や弓衆、馬廻り衆を潜ませた上で、梅ケ坪城からわざと見える様にモタモタと渡河をして城から誘き出す策まで準備したが、松平元康以下の軍勢は動かなかった。
「チッ。ここまでお膳立てしてやったのに打って出ないとはな」
「殿。先に渡河を済ませた我らから見るに、草むらの近くを飛ぶ鳥の列が乱れました。源義家公の故事や孫氏の兵法書をよく学んだ者がおれば、伏兵を予想し、動きますまい」
「ふむ。先に渡河した勝家達の方から見て、そのように見えたか…。しかし、元康め、太原雪斎から孫氏の講釈でも聞いておったかのぉ。
やむなし。寺部城を攻めている振りでもして、梅ケ坪から誘き出せるかやってみるか。
では、本隊、佐久間盛次隊は寺部城に矢合戦を仕掛ける。
勝家は、梅ケ坪からのこちらに仕掛けてこないか警戒しておけ。
佐久間信盛隊は近くの高橋村あたりを麦畠を放火や青田刈りしつつ、後詰めのつもりで待機とする」
寺部城に対して半刻ほど矢合戦や周囲の青田刈りを仕掛けるも、やはり松平元康は動かない。
「ふうむ。元康め、城に籠もってばかりで動かんな。やむ無し。次は挙母の金谷城を攻める。皆のもの、続け!」
再び、矢作川を渡河し、梅ケ坪よりやや南に離れた挙母地区の中心、加治屋村から金谷城へ向かう。
矢作川南方、岡崎方向に軍を向けることで、松平軍を誘き出す作戦である。
だが、その金谷城に向かう途中で先行する物見役から驚きの一報が届く。
既に金谷城には、兵が居ないというのである。
「空城の計、か?」
「殿はそのまま金谷城にお進みください。それがし、辺りに伏兵が無いか確認して参ります」
「勝家、任せた。盛次の隊も行かせる。手分けして確認してこい。怪しいところは焼き払っても構わんぞ。盛次も良いな」
「はっ!」「御意!」
そう言うと、柴田勝家の隊、佐久間盛次の隊が本隊から離れ、城の周辺を探りつつ火を放つが敵兵は見つからない。
それもそのはず、金谷城城主の中条常隆は、織田軍が挙母地区に来ただけで恐れおののき、梅ケ坪城から自分の城に織田軍が向かっているという情報を掴むや、城や領民を守ることを諦め、我が身大事と城から退散していたのである。
そんなことを知らない織田軍は、空城の計を疑い、周辺の警戒をしながら金谷城を接収することになったのだった。
しばらく金谷城周辺を焼き打ちしつつ巡回をした柴田勝家、佐久間盛次であったが、危険がないと判断、城に入り信長に伏兵はなく安全であると報告をすることになるのだった。
中条常隆とその一党が城から逃げだしていたことで、松平元康を梅ケ坪城から誘き出すという信長の計画は崩れた。
しかしながら、挙母の金谷城を得たことで、今回の三河攻めに一定の成果を上げることができ、織田軍は面目を保つことが出来たのだった。
更に、三河に対する威力偵察によって信長の本当の目的である松平元康の将器、及び松平家の戦力を測るということは十分に達成し得たのだった。
そして、信長の出した松平元康と松平家への評価は、『元康の将器と松平の家臣団の実力は高く、坊丸が言うように松平と同盟を結べば彼らを今川、武田の壁として利用出来うる』というものだった。
その晩、金谷城を得た信長は、今回参戦した主だった家臣を金谷城の広間に集めた。
「梅ケ坪を落とすことは未だ出来ていないが、とりあえず挙母の地、この金谷城を抑えることが出来た。
明日は、伊保を攻める。それと梅ケ坪を短期間に落とすのは困難に思う。故に使者を出し、松平と当面の和睦を致すことにする。
儂の本隊と佐久間信盛の隊は梅ケ坪の近くに陣を敷き、和睦に向けて動く。
その裏で、勝家と盛次の隊は伊保城を落とせ。
さて、和睦の使者であるが、誰ぞある?」
和睦の使者をやりたいものがいるか?と信長は群臣に問いかけた。
しかし、前日に両軍が衝突したばかりの梅ケ坪城に使者として乗り込む役割である。
下手をすれば、和睦など以ての外と斬り捨てられる可能性すらある役割なのだ。当然、すぐに応えるものは居ない。
「それでは、それがしが」
少しして、佐久間信盛の後ろに控えた三十路くらいの武者が名乗り出る。
「おお、和睦の使者、引き受けてくれるか!して、名は?」
「はっ。佐久間信盛が家臣、余語久三郎正勝にございます」
「余語とやら、よくぞ名乗り出た。和議が相成ったら、この金谷城を信盛に任せるつもりじゃ。そして、お主がここの城代を務めよ。余語、出世の糸口じゃ、和議をまとめて来い。明日、和睦についての書状を認める。梅ケ坪の近くに布陣したら、儂の下に来い」
「はっ!承りましてござりまする」
翌日、金谷城には少数の兵を残し、梅ケ坪城、伊保城に向けて織田軍が出立する。
信長が出した和睦についての話は以下の如くである。
一、織田軍は挙母より南、伊保より東は攻めず、守るのに必要な兵を残りして、残りは撤退する。
一、撤退の際には、松平もこれを追撃するような真似はしないこと。
一、松平が今川から独立し、これを攻めるのであれば、和睦だけでなく同盟を結ぶ用意があること。
これらの条件を記した信長の書状を持って、余語正勝は、松平元康と三宅一党の籠もる梅ケ坪城に向かうのだった。
余語正勝は実在の人物です。
ちょ~マイナー武将で、実際に挙母金谷城の城主を務めています。興味のある方は調べてみてください。
少しでも「面白い!」「続きが気になる」と思った方は、下の★でご評価いただけると、作品継続のモチベーションになります。
宜しくお願いします。




