189話 織田信長 VS 徳川家康(松平元康) 四の段
永禄四年四月三日、梅ヶ坪城の城門の傍に三つ葉葵の旗を掲げた軍勢が迫った。
その数、千にわずかに足りないほど。それは、岡崎城からやってきた松平元康以下の軍勢だった。
「開門~!松平勢約千、梅ヶ坪城の援軍にまいった。開門を願う」
先手の大将として大久保党を率いる大久保忠世の大音声が辺りに響く。
その声に応えるように、速やかに城門が開くと、城門近くには三宅政貞、康貞父子以下の三宅家主要な面々がそろっていた。城門を松平元康がくぐると、彼らは一斉に片膝をつき、頭を下げた。
「元康様、梅ヶ坪への援軍、誠にありがとうございます。三宅家一党、これよりは元康様を主君と仰ぎ、変わらぬ忠誠を誓います」
三宅政貞がそういうと、元康は馬を降り、三宅政貞の傍に立つ。すると、元康は片膝ついた三宅政貞と同じように片膝をつき、政貞の肩に手を置いてかかりかけた。
「三宅殿。面を上げてくだされ。当家への服属、誠にありがたい。これからは三河を守るため松平は戦うことになる故、今後は我が麾下にてその力をふるっていただきたい。まずは、織田からこの城を守るのが第一じゃ。この戦、共に勝つため、よろしく頼みまするぞ」
「「「ははっ」」」
松平元康の言葉を聞き、三宅家の面々は感動した。援軍に来てやったと居丈高にふるまわれても仕方ないところ、三河のためにともに戦おうといわれたことで、若いながらも分別があるところを見せた元康に対する一同の忠誠心が高まったのは言うまでもない。
「では、軍議をいたそう。広間に案内いただきたい」
元康がそういうと、三宅政貞は、松平元康の先導を買って出た。そのあとを松平の家臣、三宅家の将たちが続き、梅ヶ坪城の大広間に向かっていくのだった。
そして、その一刻ほど後、織田信長以下二千の兵が梅ヶ坪城の目前に迫った。彼らが見たものは、城に三宅家の旗ともに三つ葉葵の旗が立つ光景だった。
「殿、いかがいたしましょうか?松平の軍勢も城に入っているようですぞ」
佐久間信盛が信長にそう、声をかける。
「松平の動き、思ったよりも早いな。しかし、梅ヶ坪を攻めることは変わらぬ。まずは矢を射かけよ」
信長はそういうと、矢合戦の準備を小姓衆に指示する。
「殿、鉄砲や焙烙玉は使わないので?」
柴田勝家がそう、疑問を呈した。坊丸が火縄銃に執着し、信長が主催する河原での修練にも時に参加する勝家である。
鉄砲の有用性は既に理解しているし、このところの戦で火縄銃や焙烙玉を駆使した戦いを信長がしてきたのを見てきたので、今回、火縄銃の数が少ないのを元から不思議に思っていたのである。
「勝家、確かに鉄砲や焙烙玉は強力である。なれど、火薬が直ぐに手に入る訳では無い。ここぞというときは惜しげもなく使うが、流石にこの戦では使えんよ」
「殿のお考えも知らず、出過ぎた事を申しました。申し訳ございません」
と、素直に謝る勝家。
「勝家、良い。気にするな。むしろ、暫く前にそなたと盛重に向けて、いつかは鉄砲隊を作る故、鉄砲隊をどう使うか考えておけと命じておいたからな。鉄砲の使い所が気になったのであろうよ。鬼柴田は戦のことになると本当に勤勉よな」
少しばかり、からかうようなところもあるが、全体的には褒められた様なので、信長のその言葉に柴田勝家は恐縮するのだった。
その後、陣を敷いた織田軍は梅ケ坪城に矢合戦を仕掛けた。
平井長康、太田牛一、浅野長勝、堀田孫七、前野義高など織田家の中で弓衆として名の知られた者達が城に向かいどんどん射掛ける。
このところ、信長は火縄銃を重用している上、さらには坊丸が少しの雨ならば対応可能な火縄銃を開発したことで、その価値は高まっている。
その様子を知っている弓衆の面々としては、このまま鉄砲隊に取って代わられてはならじと言う思いもあった。
彼らは、鉄砲隊がほぼ居ないこの戦いで、弓衆ここにあり!という活躍を信長に見せておきたいという気持が強く、その気持ちが乗った矢は時に三宅家の侍大将格にすら深手を負わせるほどであった。
その様子を見て、元康が石川党に矢合戦への加勢を指示する。
さらに大久保党に足軽合戦へ備え城門付近へ向かうことも指示を出した。と言っても梅ケ坪城は、砦に毛が生えたような小城である。広間のある建屋が本丸と言えるのだが、そこから城門までとて、さほど離れていない。
そんななか、矢合戦が織田家優勢のまま進んだことで、梅ヶ坪城からの弓矢による攻勢が弱まった。
その様子を見た信長は、足軽たちに力攻めの指示を出した。
梅ヶ坪の城門近くに殺到する織田軍。当然、足軽以外に馬廻り衆と言われる旗本たちも武功を求めて城門に向けてひた走る。
と、そこで、梅ヶ坪の城門が開いた。
わざわざ敵が城門を開いてくれたのであるから、これを好機と織田軍は一気呵成に攻め立てる。
先ほどまで弓衆として戦っていた前野義高もその一人であった。
城門近くで三宅・松平の雑兵を数人打ち取り、城に一番乗りを果たそうとしたその刹那、前野義高の目の前に黒塗りの鎧兜に籠手、兜の前立てには上り藤をあしらった侍大将が躍り出た。
「松平元康様が家臣、大久保党を率いる大久保忠世じゃぁ!元康様の命にて、ここを通させはせん」
そういうと、片鎌槍を振り回し、城門に殺到した織田の兵を突き殺していく。
そこらの雑兵とは違い、弓衆として武芸の覚えのある前野義高は、その槍をどうにかさばいて見せた。
「ほぉ、織田にも少しは骨のある者がおるようじゃ。忠佐、忠包、手出しは無用ぞ。お主らは儂の脇をすり抜けるようとする小者を抑えよ。この武者は儂が殺る」
そういうと、大久保忠世は獰猛に笑った。
永禄四年四月三日。
織田信長と、後に徳川家康と名を改める松平元康は三河 梅ヶ坪城にてついに干戈を交えた。
主人公は名前だけ…。坊丸が元服して津田信澄となった後、初陣は史実通りだと天正三年(1575年)の越前一向一揆征伐。あと14年も先になります。
さすがに、ここまでは待てないので、少しは歴史をいじる予定ですが…。
とりあえず、しばらくは、信長VS家康のお話をお楽しみ下さい。
少しでも「面白い!」「続きが気になる」と思った方は、下の★でご評価いただけると、作品継続のモチベーションになります。
宜しくお願いします。




