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188話 織田信長 VS 徳川家康(松平元康) 参の段

三宅惣右衛門は、父の書状を懐に、騎馬にて岡崎に向かっていた。

護衛の者が三宅の嫡男たる彼に数名同行し、彼らの一団は矢作川に沿って岡崎に向け南下していくのだった。


梅ヶ坪城から岡崎城までは現代の距離にして20キロ弱。騎乗の彼らは速歩と駆歩を駆使して彼らの一団は駆けぬけた。

そして、一刻もかからずに岡崎城に到着。岡崎城の城門にてひと悶着はあったが、彼らは松平元康と面会することが許された。


そして、三宅惣右衛門は、岡崎城の大広間にて松平元康に謁見する。


「伊保が三宅家の分家、梅ヶ坪の三宅政貞が嫡男、三宅惣右衛門氏貞にございます。こたびは、急な訪問にも関わらずお会いいただき、有難うございます」


居並ぶ松平家の譜代の臣たちの前で、まだ十代の彼は緊張しながら口上を述べる。


「三宅の嫡男とな。そなたの伯父上、父上には、前の寺部攻めにて助力いただいたのを覚えておる。その時の恩故に今回は面会を許した。しかし、あの時の父の背の後ろにいた少年が立派になったことだ。ま、それはさておき、用件を聞こう」


「はっ。さすれば、今、挙母や我が家の梅ヶ坪に向けて、織田信長が軍を進めております。我が家だけでは、今川義元を討ち、日の出の勢いの織田に敵わぬは必定。

何とぞ、我が家にご助力いただきたく、お願いに参りました。詳しくは父のこの書状に記してございます。なにとぞ、おあらためください」


惣右衛門がそう言って父の書状を捧げる様にして松平元康に向けると、惣右衛門と同年代の小姓が手早く書状を回収し、松平元康に手渡した。


「康政、ご苦労。三宅殿、書面を読ませていただく」


松平元康が書面を読み終わるまで、しばしの沈黙が流れる。

三宅惣右衛門にとっては、家の将来、梅ヶ坪にて守りを固める父と家臣達の命運がかかった時間である。


「三宅殿。書状によるとそなたの父、三宅政貞殿は当家に援軍を頼みたいとのこと。そして、その見返りは梅ヶ坪の三宅家はこれより松平の傘下に入り、忠義を誓うとある。相違ないか?」


「相違ございません。こたび、元康様に援軍いただければ、梅ヶ坪の三宅家は、その恩義を決して忘れることなく、子孫累代、松平家に忠誠を誓いまする」


「あいわかった。援軍を出そう」


その言葉を聞き、松平元康は、即決した。

松平の家臣も、援軍を出してもらえることになった三宅惣右衛門にも、その即断に驚きの色が見える。


「殿、相手は織田信長。昨年、今川の大軍を打ち破った戦上手ですぞ。本当によろしいので?」


松平元康のそばにいる年長の人物、駿府の人質生活の間、松平元康に付き従い、陰日向に守り、養育してきたその人、酒井忠次が静かに懸念を口にした。


「忠次。松平に力を貸してくれと頼んできた三河の国人衆を見捨てれば、今後、三河の国人衆は松平は頼り無し、力無しと思うであろう。

そして当家を見限り、織田か今川の傘下に走ることは火を見るよりも明らか。

織田信長は手強き敵なれど、三河に松平元康あり、と知らしめる機会ぞ。ここは三宅を助ける。これは決まりじゃ」


「殿のお心、あい分かり申した。すぐに兵を集めまする」


酒井忠次は、自分が養育してきた元康が三河の主として立つ気概を見せたことに少し感銘をうけていたのだが、その事をあえて表情に出さないようにして、主たる松平元康にただ深く頭を下げた。


「忠次、手配を頼んだ。そして留守居も申し付ける。岡崎城の留守居は酒井忠次を主将、本多重次を副将とし、酒井、本多勢にて守れ。

梅ヶ坪には儂自らでる。石川康正、数正父子の石川党、大久保忠世以下の大久保党は、梅ヶ坪に出陣じゃ。鳥居元忠は馬廻、小姓衆をまとめよ。両半蔵は鳥居を補佐せよ。

織田の軍勢が来る前に梅ヶ坪の城に入る。皆の者、急ぎ、支度せい」


「「「ははっ」」」


「それと、三宅惣右衛門氏貞。そなたの名のうち、『氏』の字は、今川氏真よりの偏諱よな」


「はっ。いかにもそうでございます」


「ならば、その名、改めよ。今後は儂に仕えるのであるからな。今この時より三宅 惣右衛門 康貞と名乗るがよい。そして、父と梅ヶ坪の城の皆に援軍の先触れのため、速やかに城に戻るがよい」


「援軍のこと、名乗りのこと、誠に有難うございます。いただきました康貞の名前に恥じぬ様に、今の時より殿に忠義を尽くします。ただ、今は援軍のことを速やかに城の皆に伝えたく存じます故、ここで失礼させていただきまする」


「うむ、あい許す。我らもすぐに梅ヶ坪の城に入る。しかと、準備しておけ」


「ははっ」

平伏し答える、三宅康貞。

援軍を取り付けられた三宅康貞は、安堵の為か、自分でも気づかぬうちに涙を流していた。

そして、涙を拭うと、岡崎城の広間に居る松平譜代の家臣達に頭を下げ、大急ぎで梅ヶ坪城に戻るのだった。


永禄四年四月。後に戦国三英傑と言われる二人が干戈を交える日がすぐそこに迫っていた。

次回よりついに織田信長軍と徳川家康(松平元康)軍が激突です。

戦国三英傑は基本的に直にぶつかり合うことがあまりありません。

「桶狭間の戦い」で織田信長軍の一部と今川軍の一部隊としての徳川家康軍が戦ったのと、「小牧長久手の戦い」で秀吉軍と信雄・家康連合軍が戦ったくらい。

「信長公記」にある梅ヶ坪城、伊保城、八草城などの戦いならば織田信長と徳川家康が矛盾なく戦闘できるので、今回はあえて質のいい資料の裏付けがないのですが、試しに戦わせてみる企画です。


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