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187話 織田信長 VS 徳川家康(松平元康) 弐の段

織田信長が清須城にて三河攻めを家臣一同に宣言して十日後。


織田信長とその直属の旗本衆、佐久間信盛、佐久間盛次、柴田勝家とその家臣などの軍勢、その数二千が、沓掛城に集結した。


今回は三河攻めと言っても、岡崎、安城などの松平家の直接の所領を攻めるわけではない。

だが、信秀とともに小豆坂などで戦った者共は久々の三河攻めにその戦意は高い。


一方、三河の状況はこうである。

桶狭間の戦いの後、勢いがなくなった今川家は、三河を支配下に置くことが困難になり始めていた。


そして、三河の最大勢力である松平元康が今川家に臣従したまま、もしくは協力していくことになるのか、はたまた敵対するのかが明らかにならない以上、三河の国人衆もその旗幟を鮮明にしづらい状態であった。


そんな中、織田信長は、挙母、梅坪などを領有する松平家にまだ服していない国人衆を攻める決断をしたのだった。


挙母周辺は、鎌倉幕府、室町幕府の時代から尾張守護や三河の地頭職を務める中条氏を中心として、その被官だった三宅氏、鈴木氏、那須氏などがその周辺に城を構えて国人化してた。


この状況を見て、信長は挙母地区からやや北方、矢作川西岸の梅ヶ坪城(現 豊田市梅坪)を攻める決断をする。


梅坪城は、伊保を領有する三宅氏の支城である。伊保城を本家の三宅師貞とその子が、梅坪城を師貞の次男にあたる三宅政貞が分家としてそれぞれ守っていた。


梅坪城の立地は、矢作川西岸、矢作川と篭川の合流地点近くである。

矢作川をさかのぼれば、信濃の恵那付近まで、篭川の支流である伊保川をさかのぼれば尾張北東部の瀬戸につながる。

そして矢作川を下れば、松平の本拠地、岡崎にたどり着く。

すなわち、梅坪は水運の要所と言える場所なのであった。


国人たちが割拠している上に、松平の本拠地の岡崎へつながる交通の要所、そのことに価値を見た織田信長は、この地を抑える為に動いたのである。


そして、自分たちの領地に向けて織田信長の軍が向かっていることを知った挙母地区の国人たちは、自分の城を守るために各々動き出した。


当然、梅ケ坪城を治める三宅政貞も城の守り固め、兵を集め出した。

が、その数は二百にも届かない。そして、織田軍の動きを見るに自分の城が狙われていることに気がついた三宅政貞は、伊保の本家やかつての主たる中条氏、同僚格で矢作川東岸を有する鈴木氏にも助けを求めたが、他家は何処も動かず、伊保の本家からの百の援軍がやっとであった。


三宅政貞の必死の呼びかけでも、井田野合戦で松平親忠と戦った際の様な挙母地区の豪族連合軍はついに作ることは叶わなかったのである。


やむなく三宅政貞は、井田野合戦以来、何度も刃を交えてきた松平家に使いを出すことを決心した。


「惣右衛門、護衛のもの数名とこの書状を岡崎の松平元康殿に届けよ」


「父上、それがしはここに残りとうございます。こたびの相手は今川義元を討った織田信長、しかも自分の城を守るための戦い。武士としてこれ程面目のたつ戦もございますまい。なにとぞ、そのお役目は他のものに」


三宅政貞の嫡男、三宅惣右衛門は自身の初陣を数年前の寺部城の戦いで飾ってはいたが、あくまでも初陣のため、本格的な戦闘には参加させてもらっていなかった。

本当の意味での戦闘参加はこれが初めてであり、しかも自領を守る戦いとくれば意気込むのも無理はないものだった。それを突然、岡崎に行けと言われて、父に思わず反論してしまったのだった。


「勘違いするな。岡崎に遣わすはお主をこの城から逃がすためにではない。

この書状は松平に援軍を要請するものだ。

今後、松平の傘下に入る故、織田に対し共に戦ってくれと頼むためのものなのだ。

本来ならば、自ら岡崎に赴いて、自らの赤心を顕にして助力や援軍を頼みたいところではある。

だが、儂が今、この城を離れれば、家臣たちの心は乱れ、すぐにでも落城の憂き目にあうは必定。故に嫡男のお主に頼むのだ。

良いか、三宅は松平に今後変わらぬ忠誠を尽くすゆえ、この度はなにとぞ助けてくれと、頭を下げて来るのだぞ。

そして、この城に松平の援軍を連れて帰れ。良いな」


「父上のお気持を理解できず、申し訳ありませんでした。必ずや松平の援軍を連れて戻ります」


「その意気や、良し。早く行け、惣右衛門」


「然らば、父上、御免」


そう言うと、三宅惣右衛門とよばれた青年は、父に背を向け駆け出していく。そして、騎馬に乗り梅ケ坪城を岡崎に向けて飛び出していった。


その様子を見送った三宅政貞は、松平は援軍を出してくれるか、もし出してくれたとして織田軍と松平の援軍いずれが速いか、目をつぶり思案する。


「分の悪い賭け、か。今はただ、松平元康殿の将器を信じるのみ、だな」


岡崎の方向へを見ながら、三宅政貞はつぶやくのだった。

井田野の戦いは、松平家の松平親忠と中条家が作った挙母地区の豪族連合軍との合戦。

寺部城の戦いは、寺部城の鈴木氏が織田寄りの立場になったのを、今川義元が松平元康に打ち取らせた合戦。ちなみに松平元康の初陣です。


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