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182話 永禄四年 新年の儀 壱の段

ども、坊丸です。


柴田の親父殿は、元日、顔色が悪いなか家臣の方々の挨拶を受けてました。

ま、若衆や中間の人達も顔色が悪い人が多そうだったから、かき揚げの端切れを肴に皆で深酒して二日酔いになったに違いねい。


本当は、年賀の宴会用にすこし天麩羅取り置いてあったはずなのに、全部食べちゃったみたいだし。


そんなことを知らない、吉田次兵衛さん達そこそこ偉い家臣の方々は、タコの唐揚げが今年も出たので満足していただけたご様子。よかったよかった。


天麩羅を食べつくしたのを知った婆上に、元日の朝、二日酔いの状態で柴田の親父殿が怒られているのを目撃してしまいました。

あの鬼柴田がしゅんとした上に青い顔をしながら小さくなって叱られてる姿は、家臣の方々には、見せられない姿でしたよ。


それはともあれ、本日は1月2日。

今年も奇妙丸様の小姓役として清須城に出仕です。


広間の方まで柴田の親父殿と一緒でしたが、今年は速やかに別行動に。本丸御殿に入ると、柴田の親父殿は大広間に、自分は奇妙丸様たちのいる控えの間に案内されました。


虎丸君、理助が先に座っていたので、着座。

新年の挨拶や各家の年末年始の様子などを話していると、牛助君登場。

遅れたと思って焦った様子ですが、奇妙丸様が来てないので問題ないことを伝えると、ホッとした様子。


奇妙丸様と信長伯父さんの小姓の長谷川橋介が来たらところで、皆でご挨拶。

その後に奇妙丸様を中心に一度フォーメーションを確認。

そんなことをしていると、長谷川橋介さんの同僚の佐脇さんが、出番なので大広間に移動するよう指示がありました。


信長伯父さんと一緒の移動かと思ったら、別の部屋から出立して大広間で合流とのこと。


大広間の上座につながる廊下を進むと、丁度信長伯父さんが広間に入ったご様子。

我々はそのまま大広間に進むよう佐脇さんから指示が出ます。


うん、君主の小姓って、側近兼こういう裏方の仕切り役もやるから大変だよな…。

このまま、奇妙丸様づきの小姓役をずっと続けるとおんなじことやることになるのかなぁ…等と考えたり。


そんな気分で走り回る信長伯父さんの小姓の方々を見ていたら、大広間に入場のタイミングになりました。


大広間上段中央に信長伯父さんと岩室さん、加藤さんの小姓のコンビ。その下手に奇妙丸が着座するので、去年のフォーメーション通りに奇妙丸様を囲んで我々は小姓役も着座。


信長伯父さんが座り直したところで、今年の新年の儀、開幕です。


「今年も恙無く新年を迎えることができた。昨年は今川が攻め寄せてきたが、義元の首を挙げ、彼奴らを追い返した。皆の顔を見て新年の挨拶ができること、誠にめでたい」


なんつうか、毎年思いますが、信長伯父さんの新年の挨拶って簡潔明瞭で本当に短め。

桶狭間の戦いで勝ったことを喧伝するような話をするかと思っていたのですが、それすら無し。


「新年にあたり、殿のご尊顔を拝することができ、誠に嬉しく存じ上げまする。家臣一同を代表し、ご挨拶させていただきまする。

明けましておめでとうございまする」

「「「おめでとうございます」」」


今年は家臣代表の口上は、森可成殿です。

昨年までは重臣筆頭がやる家臣代表の口上は佐久間盛重殿の担当でしたが、桶狭間の戦いの前哨戦、鷲尾砦、丸根砦の防衛戦で討死しているので、森可成殿が筆頭重臣の座を引き継いだということなんでしょうね。

そして、森殿の平伏に合わせて一同が挨拶。


「皆の挨拶を受けられ、誠にめでたい。先ほども申したが、先年の五月、今川義元の首を挙げ、大高や鳴海に押し寄せた今川の軍勢を追い払うことができた。今一度、皆の奮戦に感謝する。ただ、先の戦では、佐久間盛重、秀敏の大叔父(じい)以下の鷲尾、丸根砦の守備隊の者ども、佐々政次と千秋季忠らが率いた別働隊の者どもなど当家にも多くの討ち死にがでた。彼らの命がけの奮戦のおかげで、今年もここに新年の挨拶ができていることを、ここにいる一同にも胸に刻んでほしい」


そういうと目をつぶり天を仰ぐ信長伯父さん。そんなに長い時間ではありませんでしたが、新年と言うことで華やぎざわついていた場が一気に静かになりました。

信長伯父さんのそれは普通の黙とうとは違いますが、礼法とは違うが故に、桶狭間の戦いで逝った家臣を思う心がにじみ出ていると感じられました。


「さて、皆の者。今川義元を討ち三河の国境近くまで我が領土を広げられた。わが父信秀は一時、三河安城を支配下に置き、我が兄信広を城主としたことがあるのを考えると、まだまだすべてを取り戻したとは言えないが、大きな前進である。

また、大高や刈谷は水野、他の知多郡も佐治が抑えておる。東については縁者となっている佐治と同盟を結ぶ水野がおりだいぶ安心できる状況ではある。

犬山の信清の動静は微妙ではあるが、もし美濃と組んでも、単独であれば、我が織田弾正忠家の敵ではない。伊勢国境の服部党もまた、今川義元の死後、静かになっておる。

機は熟した。今後は、三河の松平、遠江の今川、美濃の斎藤など他国に攻め込むようになるであろう。皆々、武名をあげ、所領を増やす機会が目の前に来ておる。今後も皆の努力と奮戦を期待する」


「「「ははぁ~!」」」


佐久間盛重殿、織田秀敏殿らの死を悼み、しんみりさせてからの戦に備えての鼓舞激励。

さすが、織田信長。アジテーションと言うものがナチュラルにできるのが、戦国三英傑のカリスマ性でしょうか。


でも、なぁ。やっぱり、三河方面も攻め込む可能性あるのか…。

「信長公記」と現代知識を利用して、無血で清須同盟の方向にもっていきたかったんだけど、無理なのかなぁ…。



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