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171話  荒れ地にソバを咲かせましょう

ども、坊丸です。


柴田の親父殿の加増に伴って、自分の扶持も増えました。やったね!

って言っても、子供なんで自分で管理はできずに、婆上やお妙さんの承認が無いとお金、使えないですがね。


織田家全体としては、桶狭間の戦い以降、戦死者の供養や戦力の回復、鳴海や沓掛の内政に忙しい様子。


柴田の親父殿も、末森の城代からの城主になって、末森城の御殿に詰めることが増えました。

あと、吉田次兵衛さんも親父殿と交代で末森に詰めてます。


なので最近は、子供たちの相手と虎哉禅師のところへ行っての勉学、時々加藤さんと石田村に行って農業改革の行末を確認したりしてます。


あ、あと、理助が奇妙丸様の小姓役をしてから、ガキ大将風を吹かせて威張り散らさなくなりました。何かしらの自覚でも出たんでしょうか。

良いことです。


で、今日も今日とて加藤さんと石田村にお出かけ。

理由は蕎麦です!


少し前に虎哉禅師に荒地でも育つ穀物ってなにか良いのないですか?と勉学の合間に聞いたら、蕎麦だって言われました。


良いよね!蕎麦!

うどんとはまた違って独特の蕎麦のいい香り、ちょっとザラつく喉越し!

二八でよし、外一、十割もまた風情があってよし!

うどん、蕎麦、ラーメンは現代日本人の国民食だと思うの。


でも、蕎麦については食べ物の麵状態かそばがき状態になったもの以外の知識がないので、どうしようかな…って思っていたら、虎哉禅師が気を利かせて信濃や甲斐のかつて修行したお寺の縁者の方から種もみ?種蕎麦?を取り寄せてくれました。


手配がいいね!虎哉禅師!

ほんと、先読み能力と交渉力の高さにビックリです。そして、何時もお世話になっております。


でも、育て方わからないと言ったら、石田村の連中に聞け!と言いつつ、少しレクチャーしてくれました。

基本的に、虎哉禅師って教えるの好きなんだと思うの。きっと。


で、蕎麦の栽培について虎哉禅師から教わったのはこんな感じ。


1)蕎麦は荒地でもよく育つ!

2)日当たりが良いところで、からっとした場所、乾燥気味の土地が良い!

3)肥料はほぼいらない!

4)送ってもらった種は7月から8月に種まきする奴!

5)9月10月頃収穫できるはず!そして、蕎麦が取れたら、自分にも喰わせろ。


ん?最後のが本音か?


それはさておき、この情報と蕎麦の種をもって、石田村に出発です。

騎馬の訓練をしたので、自分の馬に騎乗してますが、加藤さんが徒歩なので曳き馬状態です。

親父殿や家臣の方々が末森城の往復に馬をたくさん使うから、加藤さんに使ってもらえる馬が無いせいなんですがね。

ま、焦らず急がずぅ〜、参いろう〜かぁ♪ってね。


で、石田村到着です。

何時ものように名主の仁左衛門のお宅へ向かうと、村に入る前から捕捉されてたらしく、既に仁左衛門さんが門のところで待ってました。


「これはこれは、坊丸様。本日はどのようなご用件で?」


「仁左衛門さん、無沙汰しておりました。本日は蕎麦を持ってきました。荒れ地に蒔いて育ててみてほしくって」


「はぁ、うちの村でも少しばかりは育てておりますが。」


「なら、話が早い。荒れ地、痩せた土地でこれから本格的に田畑にするところにどんどん植えて行きましょう!虎哉禅師が言うには飢饉に備えて作るのも良いらしいですよ。あと、荒れ地に根を張って耕す代わりにするのも良いって」


「はぁ、虎哉禅師がそう言うなら、やってみますが…」


虎哉禅師に教わった通りのことを伝えると、田圃にしづらい日当たりは良いけど水路から離れていて乾いた土地がそこそこあるからそこに試しに蒔いてることに。


石田村にも月2回ほどは来ていましたが、蕎麦畑は様子を見るだけでできるだけ手を入れないようにしてました。

あ、流石に芽が出たあとの間引きくらいは石田村の方々にやってもらいましたよ。

あまり手をかけずにいたのに、蕎麦の小さくて白い可愛らしい花がたくさん咲いたときは少し感動。

雑草に負けないんだね!蕎麦!


そして、10月。

蕎麦を収穫です。三角錐っぽい独特の蕎麦の黒い実がたくさん収穫できました。

乾燥させて、蕎麦粉を作ろうとしたら、仁左衛門さん達から驚かれました。

いやいや、蕎麦粉にしないほうが驚きだよ!


って、蕎麦粉にして蕎麦がきや蕎麦切りにしないの?蕎麦粉のガレットを作ろうとかは言わないけどさぁ…。


えっ、この辺では蕎麦粥が一般的な食べ方ですって!

マジか!

現代日本と戦国時代の違いにまたしてもビックリだよ。


いくら説明しても、蕎麦切りについては、理解していただけません…。仕方がないので、飢饉や冷害に備えて蓄える分と蕎麦粥にして食べる分を除いて、どうにかそこそこの量の蕎麦の実を確保。


ここで、活躍するのは、石田村にて長い期間をかけて制作した水車小屋の石臼システム。

蕎麦は脱穀をせずに殻のまま石臼で挽いて粉にしてしまうのだ。

蕎麦粉の黒さは蕎麦殻も一緒に製粉してるからですよ。

あ、皆さん、それくらい知ってましたか。すいません。


ちなみに、蕎麦の後作、冬場は大根を作ることにしたそうです。

根っこを生やして、土地を耕す代わりにするんだって。

そのうち、小麦を後作にしたいと石田村の方々は言っておりました。


蕎麦粉にしてもらった奴と小麦粉を少しいただき、後日、政秀寺にレッツラゴーです。


なんと、虎哉禅師も蕎麦切りは知りませんでした。

虎哉禅師は、味噌をつけて蕎麦がきを食べるつもりだったらしい。


臨済宗東福寺開祖 円爾禅師が製粉やうどんの製法を中国から持ち帰った縁で、臨済宗のお寺ではうどんをよく食べるらしいので、蕎麦粉八小麦粉二の二八蕎麦をうどんを作る感じで作っていただきました!


醤油がまだないから、味噌汁っぽい奴につけて食べる羽目になったけど、お蕎麦、美味しくいただきました。


やっぱり、醤油作るしかないな。

美味しい日本食と麺つゆのために。

そして、いつか天麩羅蕎麦を再現したるんや!

ちなみに、蕎麦切り最古の文献は天正二年(1574年)長野県の定勝寺の寄進記録だそうです。

つまり、永禄四年のこの時点で蕎麦切りはまだまだどマイナーな食べ物か、もしくは存在してない可能性すらあります。

なので、博識の虎哉禅師も知らなかったと。


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