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168話 桶狭間の戦い 後日譚

今川義元の首をあげた織田信長は、桶狭間の隘路を出たところ、大将ヶ根、今で言えば中京競馬場付近で全軍を集結させ、勝利の凱歌をあげる。

そして、落武者たちを追いかけ、沓掛城に至った。


このころ、沓掛城では、今川義元から城を任された浅井政敏は既に兵をまとめて逃げ出し、大圃城を仮の居城としていた近藤景春が手勢を率いてちょうど入れ替わりに入城し、居城を取り返していた。


近藤は、再び今川軍に居城を支配されるのを嫌い、城門を閉じ、守りを固めた。


近藤景春の見立てでは、勝ったとはいえ織田方もそれなりに死傷者を出しているであろうから、数日居城を守り通したあと、今川義元を討ったと言う織田信長に使者を出し再びよしみを通じて、降れば良いと考えていた。


だが、近藤の予想は裏切られる。


城門を閉ざし、近藤らが手分けして城の様子を確認しているその時、織田の軍勢が城下に迫っていた。


近藤景春に敵襲の一報が来たとき、近藤は今川軍の敗残兵が近づいてきたのだとばかり思い込み、城に近寄らせないよう指示を出す。


近藤景春が櫓に登り敵軍を見たとき、自身が致命的な間違いをおかしていることに気づいた。


そこには、数日後に降る先になる織田の旗指物が翻り、既に部下達は矢を射かけている有り様だった。


今川義元死すの報に触れ、今川家から付けられた兵卒は既に逃げ去り、残ったのは近藤家譜代の家臣達ばかり。


城を守る沓掛城の城兵は、その数二百余り。

それに対して、城を囲む織田軍は今川義元を討ち意気あがる兵たち、その数四千弱。


近藤景春は、途中、降伏の姿勢をみせたが、信長は何度も裏切りを繰り返した者を今川との国境に置くつもりは無く、降伏の使者は無視され続けたのだった。


そして、四半刻後、沓掛城は織田軍の手に落ちたのだった。


沓掛城の広間に集まる諸将の前で織田信長は、梁田政綱を呼び寄せた。


「梁田政綱、前に」


「はっ、これに」


梁田政綱は、森可成、柴田勝家などの家老格、丹羽長秀などの部将格の後ろから応えた。そして、おずおずと前に進み出る。


「此度の戦、戦功の第一はここに居る梁田政綱である。政綱は、知多郡や三河の知り合い、縁者の衆を用いて、今川義元の本陣の場所、今川の各将の配置を調べ上げた。お陰で、義元を討つことができた。褒めてつかわす」


「はっ!有り難き幸せ」


「故に、この沓掛城を任せる。だが、すぐに沓掛城を守る兵を集める事は叶うまい。恒興、馬廻り衆二百を預ける。今川の逆襲に備えるため、政綱の副将としてしばし沓掛城に詰めよ」


「委細、承知」

「あ、有り難き幸せ。沓掛城城主として励みます」


「で、あるか。梁田とその配下、恒興と赤母衣衆を沓掛城に残す。他の者どもは、清須に戻るぞ。岩室長門、義元の首を掲げよ!」


「「はぁ!」」


沓掛城を出た信長の軍勢は、馬先に義元の首を掲げ、義元討伐を声高に伝えながら清須城に帰城した。


翌日、首実検にて並んだ今川軍の首は三千強。


今川義元の同朋衆を捕えることができたので、そのものに首を確認させながらの首実検であったという。


また、今川義元が服部小平太を切りつけ、毛利新介を苦しめた義元の愛刀、左文字は信長の手に渡った。

僅かに刃こぼれがあった為、後日、研ぎ直し、少しばかりその長さが短くなったがその切れ味は見事なものであったという。


しかし、桶狭間の戦いから二日後、鳴海城を守る岡部元信とその配下は、いまだ、頑強に抵抗を続けていた。


善照寺砦を任された佐久間信盛は、鳴海城を攻めあぐね、清須の信長に救援を依頼。

信長は、翌日、再び四千の兵を率いて鳴海城を囲むことになる。


流石に鳴海城は、敵中に孤立しており、逃亡する兵も徐々に増える中、岡部元信は義元の首を返してくれれば、城を明け渡すと連絡を寄越した。


信長は、義元の首で城が織田家の手に戻り、死傷する兵も減らせるのであらばと、義元の首を返還することを決定。

死に化粧を施し、首桶に入れて岡部元信のもとに届けた。


今川家の勇将、鳴海城にて孤軍奮闘し続けた岡部元信は、首だけになった主君の姿を見て、滂沱の涙を流したという。


そして、約束通り、岡部元信は最後までともに戦った兵数百とともに城を出た。


織田信長としてはここで桶狭間の戦いは決着したが、岡部元信としてはまだ終わっていなかった。


流石に鳴海城を逆襲するような真似はしなかったが、駿府に帰る道すがら、なんと、刈谷城を襲い、落城させるのである。


大高城を接収しに水野信元と水野家の将兵の多くが向かっていたなか、刈谷城の水野信近は岡部元信の攻撃で討死。

水野家の将兵は、速やかに刈谷城を奪還するも、刈谷城落城の影響はこのあと、松平と水野家の戦いや関係にも影響を及ぼすことになる。


それはさておき、今川義元の首をあげ、今川軍の二万五千を打ち破り、鳴海城と沓掛城を奪い返すという織田信長の完勝と言っていい状態で、桶狭間の戦いは幕を降ろしたのだった。


後日、清須城大広間に桶狭間の戦いの戦勝報告、褒美の事で諸将が集められた。

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