167話 桶狭間の戦い 第十三段
この時間線では、松井宗信を撃破後、今川軍本隊に対し火縄銃と焙烙玉の連続攻撃を行い、意気上がる織田軍であるが、本来の時間線の桶狭間の戦いで火縄銃を使用したかを見て行こう。
本来の時間線、史実の記録である「信長公記」にはこうある。
『信長が大音声で「それ、かかれ、かかれ」と叫ぶ。黒煙を立てて打ちかかるのを見て、敵は水を撒くように後ろにどっと崩れた。弓・槍・鉄砲・幟・旗指物、算を乱すとはこのことか。義元の朱塗りの輿さえ打ち捨てて、崩れ逃げた』
この文章から分かることは二つ。
一つは、今川軍も鉄砲を装備していた可能性が高いことである。
ただし、数か少ないのか実戦での運用経験が少ないのだろう。
雨の後は火縄銃は使えないという固定観念で使用しなかったのかもしれない。
もしくは、雨に濡れるのを嫌って使用可能な状態にしていなかったのだろう。
今川軍は雨の戦場では鉄砲は無用の長物とおもったのだろうか、大枚はたいて購入したはずの貴重な鉄砲を戦場に打ち捨てて逃げている有り様である。
そして、もう一つ。
織田軍は、本来の時間線でも火縄銃による射撃を行った可能性が高いということである。
ここで出てくる黒煙は、やはり火縄銃の煙を指すものと考えられる。
現在の火縄銃の射撃イベントなどの動画を見るに、火縄銃の煙は白煙と表現する方が正しいと思われるが、燃焼の具合や火薬の配合の具合によっては黒く見えるのかもしれない。
この「黒煙」が土煙を指すという意見もあるが、それは非常に考えづらい。
直前まで、ダウンバーストを伴い、雹を含むまさに短時間の局地的暴風雨があった場所が戦場のはずである。乾いた土地でないと起こりえない土煙が立つとはとても考えられないのだ。
そして、今川義元が討ち取られた場所は「桶狭間」で「深田に足を取られ、草木が茂り、この上もない難所」「深田に逃げ込んだ敵は、そこを抜け出せずに這いずり回る」有り様であったと「信長公記」は記す。
打ちかかった場所は桶狭間からそれほど離れた場所ではないはずであろうから、やはり湿地帯かそれに近い場所であるはずなのだ。そのような場所であれば、たとえ雨の影響が限定的でも土煙は出ないと思われる。
ゆえに、「信長公記」に記された「黒煙」は火縄銃の硝煙と考えられるのだ。
そして、史実でも村木砦の戦い等で既に実戦で火縄銃を運用している信長のことである。数を揃えて一斉に今川軍に射撃したのは想像に難くない。
一斉射撃をしたのであれば、やはり、ある程度開けたところで運用するのが、定石であろう。
で、あるのならば、中京競馬場前駅側の桶狭間古戦場で会敵したとは考えづらい。
以上の点を踏まえて本来の時間線、史実での桶狭間の戦い、最終局面はこうなる。
1)織田軍が、松井宗信隊、瀬名氏俊隊の間を雨中行軍で抜ける。
2)晴れたところで、田楽狭間ちかくに到達。今川義元の本陣近くに出る。
3) 信長軍が今川軍の本陣を発見。信長が、檄を飛ばし火縄銃を発砲。今川軍本陣を襲撃、今川軍混乱。
4) 今川義元と旗本衆発見。午後二時、東に向かって織田軍は攻撃を繰り返し、今川義元の旗本衆を削り殺しながら追撃。
5) 中京競馬場前駅側の桶狭間古戦場方向に今川軍が逃亡、織田軍が追撃。今川義元が毛利新介に討ち取られる。
本来の時間線の桶狭間の最終局面をご理解頂いたところで、この時間線の桶狭間の戦い、最終局面に戻る。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
信長の4度目の檄は、織田軍全体に勢いをつけた。
信長が檄を飛ばしたの後、織田の軍勢は生山から駆け下り、再び恐慌状態になっている今川軍の先鋒を捉えると、一気に蹂躙。
さらに逃げ惑う兵を追い立てるように突き進む。
織田軍の先頭には、譜代の家臣の次男三男を中心に集められた信長の直属部隊と言える馬廻り衆、母衣衆であり、若武者ばかりである。これらの若武者が戦功を求めて、我武者羅に駆けていく。
この頃になると、桶狭間山の本陣に居る今川義元もこの絶望的な状況を把握できた。
しかし、ここに至って敗残兵をまとめて立て直せる様な歴戦の将は、今川軍本陣には居なかった。
庵原将監にしても、本陣の旗本衆に義元を守って撤退するよう指示するのが、精一杯であり、自身も命からがら撤退するような有様であった。
本来の時間線であれば、織田軍の戦闘員が二千弱に対して今川軍本陣のそれは三千を超す。
彼我の戦力差を信長の大音声による檄と総大将自身が前線で奮戦し、周囲を鼓舞し続ける事で打ち消しながらの戦いにならざるをえなかったが、この時間線では、織田軍の戦闘員は四千弱とはるかに多い。
しかも、松井隊を打ち破った勢いと火縄銃での敵先鋒の殲滅という状況を活かしての突撃である。
大局的には織田軍の数的不利は変わらないが、この局所的戦闘では士気、兵力ともに織田軍の方が有利な状態である。
織田軍全員が、目前にある勝ちを目指して奮戦。
今川軍の逃げる兵を追いかけ、追いつき、背後から槍で突き、首を狙う。
瞬く間に今川義元の旗本も数を減らし、桶狭間の地にて散っていく。
今川義元は、輿に乗ることなく、少なくなっていく旗本に守られながら、自分の足で走り、深田の泥にその身を汚す。
そして、追いすがる敵を振り返っては切りつけ、切りつけては逃げるを繰り返した。
今少しで桶狭間の隘路を抜けえると見えたその時、今川義元の前に服部小平太と毛利新介の二人が立ちふさがった。
気がつくと、先程まで周囲を囲んでいた旗本衆はおらず、ただ近くの泥にまみれて、ピクリとも動かないかうめき声をあげるかの有様である。
舌打をしたのち、今川義元は、二人を前にしても怯むことなく、愛刀の左文字を正眼に構えた。
「今川治部殿とお見受け致す。お命、頂戴致す!」
そう叫ぶと、服部小平太が勇躍し、義元に一番槍をつけた。
しかし、傷は浅く、小平太は二の槍を狙うも、今川義元の左文字が槍の柄を跳ね上げるように払うと、柄はスパリと切れ、服部小平太はたたらを踏んでしまう。
その隙を見逃さず、再び振るわれた左文字は、小平太の膝口を鮮やかに切り裂いた。
小平太を切り倒した義元が、毛利新介に向けて左文字を振うと、新介はこれを受けるしかなかった。
その隙をついて、脱兎のごとく逃げる義元。そこには、数刻前の威風は微塵もなかった。
逃げる今川義元は齢四十二。街道一の弓取りと言われた義元も最近は前線に出ることはなく、数刻までその身を飾った美麗な鎧兜は今は泥にまみれ、その身に重くのしかかる。
対して、毛利新介は信長の馬廻りを務める若侍である。左文字の横薙ぎに一瞬ひるんだが、逃げる義元をすぐに追い回す。
「今川治部、見苦しいぞ!」
「五月蠅い!」
お互いの怒号が行き交ったのち、毛利新介はその背後から義元を切りつけた。
倒れる義元に馬乗りになり、首をあげようとする毛利新介。
今川義元は最後のあがきを見せ、首を圧し斬ろうと刀の柄を握る新介の右手に嚙みついた。
新介は、指をかみちぎられる痛みに耐え、刀に全体重を乗せて、義元の首に刃を押し付ける。
義元が毛利新介の指をかみちぎってわずかに左に頭が向いたその瞬間、新介の刀は義元の右頸動脈を切り裂いた。
今川 治部大輔 義元、享年四十二歳。
駿河今川家第十一代当主にして「海道一の弓取り」と称された戦国の雄は、桶狭間の泥と自身の血にまみれて、その命を無様に散らしたのだった。
桶狭間の戦い、終幕です。
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