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162話 桶狭間の戦い 第八段

織田信長が善照寺にて兵の集合を待ちながら、今川軍の動きの情報を集めている頃、中島砦の佐々政次、千秋季忠は、陥落間近の丸根砦への救援を決めた。

当然、善照寺砦の信長が自分達に続いて動いてくれる事を期待しての軍事行動である。


『信長公記』などには、佐々政次と千秋季忠が中島砦から出撃し、そして今川軍の前にその命を散らしたことは記されているが、詳細は不明である。


本作品では、彼らは、中島砦を出て直ぐに手越川を渡り、左京山の麓を通って、今の大高緑地の縁を通り、太鼓田川に沿って進んだと推定する。

そのルートで進めば、現在の大高緑地内の恐竜広場付近まで到達しうる。

そしてそこは、丸根砦の目と鼻の先というべき距離なのである。


ただ、その行動は今川軍本隊の前陣部隊、特に大高城方向を警戒する瀬名氏俊、井伊直盛の部隊には容易に確認できるものであった。


瀬名及び井伊の部隊二千は、佐々政次と千秋季忠の率いる兵三百の動きを捉え、丸根砦への救援を阻止せんと急行。丸根砦への攻撃を行っていた朝比奈泰朝隊、松平元康隊と連携し、挟撃した。


衆寡敵せず、数の力の前に、佐々政次、千秋季忠は丸根砦の近くまで到達するも、徐々に数をすり減らし、両名とその配下三百は奮戦むなしく、丸根砦に到達する前に戦場の露と消えた。


その様子は、善照寺砦の織田信長、桶狭間山の今川義元に速やかに報告される。


織田信長のもとには味方討死の悲報として、今川義元のもとには御味方大勝の戦勝報告として。


善照寺砦の信長は、織田の軍勢が集まってくる報告を、小姓たちから受けていたが、その中に、佐々政次、千秋季忠討死の報が入った。

信長は、深く嘆息し、ただ、「是非もなし」と呟いた。


そして、四半刻としないうちに、丸根砦陥落の報告も入る。

その報告を受けた信長は、床几より立ち上がり、大高城の方を見ながら言う。


「丸根が落ちたか。盛重、あい、すまぬ」


そこに、柴田勝家が申し訳なさそうに入ってきた。


「殿、今、よろしいでしょうか?」


「勝家か、なんぞある?」

愁いを帯びた表情から瞬時に織田家棟梁として毅然とした表情に切り替えて、勝家の方に向きなおり、信長は答えた。


「はっ。おそれながら、坊丸めが出陣前に焙烙玉六つばかり入った葛籠を渡して参りました。殿であれば、必ずやこたびの戦にて焙烙玉を役立てていただけるにちがいないと、申しておりましたので、今、ここで献上を、と思いまして」


そう言うと、柴田勝家は手にした小さい葛籠を開けて、信長に見せる。

乾燥した杉の葉が敷かれ、油紙に包まれた陶器製の焙烙玉が六つ、そこに収まっていた。

油紙を剥いて、焙烙玉を一つ手に取り、信長はそれを眺めた。


「焙烙玉か。急ぎ出陣したから、清須にて作ったものを持ってくるのを忘れておったわ。とりあえず、納めておく。勝家、大儀。それと、佐々政次のこと、すまぬな」


「いえ、義弟も、織田のため、尾張のために考えて動いたことと思いまする。戦場での生死は紙一重。武士(もののふ)が一度戦場に出たのですから、覚悟はしておるでしょう。致し方ないことかと」


「で、あるな」


そう言うと、小姓たちに自分の手に持った焙烙玉を渡し、柴田勝家から残りのそれを受けとるよう指示をだした。


柴田勝家がその場を去ろうとしたその時、佐脇良之が信長の元に駆け込んできた。


「殿、お耳に入れたき儀が」


ただならぬ気配に、信長が佐脇を呼ぶと、何事か佐脇は耳打ちした。

それは、信長が待ちわびた今川義元の本陣の位置情報であった。


そう、打ち倒すべき敵の位置が明らかになったのだ。

打ち倒すべき敵は、桶狭間山に陣を張っていた。

その報告を聞いた信長は、一度目を閉じ、眼を開くと虚空をにらむ。

その頭の中では「何処をどう駆ければ、今川義元のもとにたどり着けるか」の計算が駆け巡っている。


ふぅ、と一つ短く息を吐くと、信長は矢継ぎ早に指示を出し始めた。


「勝家、ここを退出したらすぐに諸将に声をかけろ。中島砦に動く。小姓衆、火縄銃を持参したものがどれだけいるか確認せよ。信盛、善照寺にある鉄砲、すべて持っていく。準備いたせ」


「「「はっ」」」


前の晩、清須城の軍議で自分の意見を言わず、家臣たちの意見を聞くだけ聞き、世間話をしていた織田信長はそこにはいない。


今川義元の襲来にあわせ一時的に演じた「うつけ」の姿を脱ぎ捨て、本来の、いや、全身全霊まさに全力を絞り出す織田信長がそこには、居た。

佐々政次さん、柴田勝家の義弟として設定しましたが、ほとんど出番無く桶狭間の戦いで散華してしまいました。合掌。



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