138話 油を搾るのは人力が良いですか?人力も良いみたいです。
どうも、坊丸です。
菜種油、燈明と火縄銃の補修のために必要なので、頑張って搾りました。
主に、柴田の屋敷の若党や中間が。
柴田の親父殿が最後に搾り上げてくれたので、思ったよりも量が取れました。流石は、鬼柴田。剛力無双ですな。
牛乳飲用許可の免状をいただきましたが、なかなかどうして、まだまだ牛乳は手に入っておりません。
一つは、やっぱり仏教的に不浄とされているので、牛乳くれって言っても理解していただけないこと。
もう一つは、基本的に牛が農耕用で乳牛という概念がどうもご理解していただけないこと。
免状だけもらっても、現実は厳しい感じ。いろいろ一緒にやっている石田村で雌牛の出産後に分けてもらうことができるのを待つしかありますまい。
で、搾油機で菜種油を搾った数日後、加藤さんがいつものように柴田の屋敷に出勤してきました。
「坊丸様、おはようございます。先日は作ったばかりの菜種油を分けていただきありがとうございました。おかげで、道具の手入れが存分にできました。おっかあも、夜に灯りを常より長く使えて喜んでおりました」
「いやぁ、良かった。加藤さんの道具が良い状態なら、次もいい仕事してもらえますからね」
「それはさておき、坊丸様。先日の搾油機でございますが、あれは人力でなければなりませぬか?」
ん?人力以外の動力あるの?あるなら、あんな重労働、頑張ってしなくてすみますからそれに越したことはないんですが。
「人力である必要はないですね。そうだ、水車の動力を使うのはどうでしょう」
「いやぁ、奇遇ですな。それがしも同じことを考えておりました。小麦や蕎麦を挽く石臼と水車を繋げたものを美濃に居たとき見たことがござりまして。
石臼を回すことができるなら、搾油機の圧搾のための部分を回すことが出来るのではなかろうかと、愚考しました」
水車小屋ね!板橋の水車公園とか安曇野の方で観た気がする。水車の回転する力を歯車を利用して方向を変え、石臼を回したり、臼を搗いたりしていたやつ。
「石田村の川はそれほど大きくありませんができますかね?」
「う~ん、どうでしょう。水量はそこそこありますが、水の勢いはあまりありませんし、川の大きさもちあまり大きくありませんから何かしら工夫は必要かと」
「そういう知恵は、虎哉禅師に聞くのが一番ですよ。明後日、屋敷に勉学を教えに来てくださいますから、一緒に聞いてみましょう!」
そして、二日後。
最近は春秋左氏伝をもとにいろんな話が広がるパターンが多いのですが、本日は鎌倉幕府の御成敗式目に話が飛びました。
うん、自分の感覚では歴史の話から歴史の話って感じなんですが、戦国時代は鎌倉幕府以来の御恩と奉公が生きているから、御成敗式目の話は実地法として実用性の高い話らしい。
ここら辺、感覚がまだまだ分からないところだよね。
で、話が一段落したところで、菜種油をごくごく小さい壺で虎哉禅師に献上。
「うむ、坊丸殿。この油は頂いてよろしいのですかな。油座の商人から買う以外で手に入るとは有り難いことです。で、大山崎のゴマ油と臭いも色も違いますな」
「はい、これは石田村で取れた菜種を、柴田の屋敷の総力を使って搾って手に入れた油でございます。お納めください」
「総力とな?」
怪訝そうな顔になる虎哉禅師。
「搾る機械は、わたくしと専属の鍛冶として働いていただいている加藤殿で作ったのですが、搾るのは二人でなかなかどうして、大仕事にて。柴田の屋敷の若党、中間の皆さんに協力いただきました。最後は柴田の親父殿にも手伝ってもらいました。いやはや、大事になってしまいました」
頭をかいて苦笑しながら、素直に事情を説明します。
「搾るのはそれほどに大変なのですか?大山崎ではどうやっているのか気になりますな…」
「で、加藤殿と話していたのですが、水車小屋で石臼で小麦や蕎麦を挽く方法を利用できないかと相談しておりまして…」
「ふむ、信濃、甲斐でも水車で小麦や蕎麦を粉にしているのを村々にて見ましたからな、動力としてはいいのではないですかな」
顎を撫でながら、虎哉禅師は目を細めて答えてくれます。
「で、でございます。虎哉禅師は信濃、甲斐で水車小屋をご覧になったとのこと。その知恵をお貸しいただきたく。それがしが、石田村にて農業改革を行っているのは虎哉禅師もご存じとは思いますが、現状、領地を持たない自分では石田村に協力を仰ぐしかございません。しかし、石田村には小川程度の水量の川しかないのでのございます。そのようなところでも水車小屋を作る方法は無いか、と」
「ふむ、そんなことですか。水量が少なくても、落差を作ればよろしかろう。本流から水を引いて、一段低いところに水車を設置すれば水が流れる力に落ちる力も使えるのでそれなりの力がでるようになるかと。ただ、段差を作るのに、村の人々の協力がいりますがな」
さすがです、虎哉禅師。知恵の泉が湧き出る、知恵いず。あ、知恵伊豆は松平伊豆守信綱か。
虎哉禅師のアイデアをもとに、早速、石田村で加藤さんと水車小屋つくりを始めたんですが、これが大変な手間がかかることに。
水路の掘削、水車小屋の設置、水車と歯車の連動で動力の向きを変える方法の考案と具現化、そこに石臼や搾油機をつなぐ工夫とその調整。
結局、人力以外で菜種油が絞れたのは、秋になってからでした。
ちなみに、その間、搾油機の初号機を使って、柴田の屋敷では、若党中間の鍛錬と油の調達を兼ねて時々搾油が行われておりました。吉田次兵衛が監督してながら。
あ、柴田の親父殿も時々油を搾っておりましたよ。義兄の吉田次兵衛さんに、激励されてるのがほほえましかったです。
「殿、その一回転で屋敷の油代、燈明代が浮くのです!もっと気張ってください!そう、そこでもうひと踏ん張り!」




