131話 スジャータと末法末世
ども、坊丸です。
虎哉禅師にも聞きましたが、イタヤカエデはやっぱり山形県以北にしかないみたいです。
日本国内産のメープルシロップは簡単には作れなさそうです…。
「坊丸様の土産の品、お持ちいたしました」
宗尋さんが冷えきったパンケーキを黒い漆器に乗せて三名分持って来てくれました。
配り終わると、挽き茶も配ってくれます。
「さて、せっかくですから、坊丸殿の土産、いただくとしましょう。砂糖にうどん粉、玉子で作られたとか。坊丸殿は、甘いものに貪欲ですな」
「本当は、それに牛乳やバターを加えるともっとコクがでて美味しくなるんですけどね」
「牛乳は、牛の乳なのはわかり申すが、バターとは?」
やっちまった!できるだけカタカナ言葉を話さないように気をつけていたのに、よりにもよってこの時代の知識階級のトップクラスの虎哉禅師の前でバターとか言っちまうとは…
「すいません、まちがえました。バターではなく、酪や蘇でした」
「酪や蘇ですか。坊丸殿は、そんなものを何処でお知りに?」
酪や蘇について教えてくれたのは、マニアックな知識を授業にちょいちょいいれてくるマニアックで、マニックな日本史の教師ですが。
皆さんご存じの通り、奈良時代の税制で租庸調ってやつがあったわけなんですが、『租』と『蘇』を入れ替えて問題にするのは、どうかと思うわけですよ。
しかも、『調』は地域の特産品を納める税で、乳製品の『蘇』を納めろって全国に触を出した天皇がいたとか雑学入れてくるし。
いらん蘇の雑学のせいで、租と蘇を間違えるっちゅうねん。
ま、そんな内容を虎哉禅師に話せるわけもないので、誤魔化すしかないわけですよ。
「昔の律令で、乳製品の蘇を税としたと言う話を聞いたことがありましたので…」
虎哉禅師の顔がみれないっす。絶対、目が泳いでるやつですよ。
「大宝律令の頃の触でしたかな、確かに自分も何処かで見た気が致しますな。しかし、御仏に仕える身としては、牛の乳を使うと言うことには、なんともいえませんな」
「虎哉禅師も牛の乳は不浄とお思いで?仏教は、殺生は禁じているとは思いますが、牛の乳を飲んだり使ったりするのは、殺生に当たらないのでは?乳を飲むことが殺生に当たるなら、幼子は、皆、母に対して殺生を行っている事になります。すなわち、母に愛され乳を飲んだ幼子ほど悪になる。乳を飲んで育った人はすべからく悪としては、御仏はどれだけ悪をお救いにならねばならないのでしょう」
「ふむ、仏の教えに対しての問答となりますか。ならば、身をただして答えねばなりますまい。まず、坊丸殿、人の乳と牛の乳では、違うのでは?」
「牛の乳も人の乳も子を育むために出るもの。子を育むと言うことに関しては、種族にて貴賤はなきものと思いますが。牛の乳といえど、子を育む母の愛たる乳を不浄と言うのは、如何なものかと。もし他の乳を奪うのが悪と言うのなら、乳母に育てられることが多い貴人は、すべからく悪になりまする。それに過去の皇は、牛の乳といえど、無駄にしない思いがあったから、蘇を作り税としたのでは?」
「ふむ、坊丸殿は、牛の乳は不浄でないと申されるか。今のところは、坊丸殿に理があるように見える」
よし、もう一押し。
「それに、仏陀たるお釈迦様も牛の乳は召し上がったのでは?その昔、御仏の話を聞いたときのことですが、お釈迦様が苦行に苦行を重ねても悟りに近づけず苦しんだとき、スジャータなる娘が乳粥をお釈迦様に施し、乳粥供養をしたと聞き及んでおります。そして、仏陀は、苦行では悟りに至らぬと気がつき、苦行放棄の先に真の悟りに至り御仏の教えを完成させたと。仏陀が悟りに至るきっかけとなった乳粥を作るのに必要な牛の乳を不浄として否定することは、御仏の教えに背くのではないでしょうか?仏陀が口にした牛乳を不浄としてこれを否定することは、正法を保つつもりで誤りの道に入り像法、末法となっていく姿を表しているのかもしれないとおもいます。仏陀の口にしたものを否定し、口にすべきものを口にしないことを課すと言う無駄な苦行を勧めるになった今の教えは、もはや末法を推し進める悪法と言っても過言ではありません!」
フッフッフ。かなり論理の飛躍があるのはわかっているけれども、動物の乳は仏陀も口にしたし悟りに至るための必要要素だったと言う論理展開と苦行放棄に逆行していると言う指摘。
仏陀の事をよく知っている真面目な仏教徒ほど否定しづらい嫌らしさだぜ。
どうや!虎哉禅師、諦めて一緒に牛乳を飲もう、使おう!そして、バターやチーズ、ヨーグルトを普及させよう!ビバ、乳製品!
「少し偏った考え方なれど、坊丸殿は仏陀の事跡もよく学んでおられる。いやはや、面白い説を伺った。そこまで考えて牛乳を使いたいと言うのであれば、この虎哉宗乙、坊丸殿の行いを否定はいたすまい。それに大般涅槃経には、涅槃経が他の経典より素晴らしい事を説明する例に牛の乳から酪、生酥、熟酥、醍醐となる五味相生の譬が出て来ておりますれば、涅槃経が成立した頃は仏教も牛の乳を不浄として嫌っていなかったのかもしれませんな」
「では、虎哉禅師は、それがしが牛の乳を使っても叱りはしないと?」
「坊丸殿は、時々、不思議なほどに知識を示されることがある。しかも、そういう時はけっして引かぬ決意がある時のご様子。他の沙門の前で声を大にして牛乳を飲んでいる使っていると言うのは控えた方が良いとは思いますが、拙僧は、非難致すつもりはございません。悟りの道に牛乳が必須などと言う考えは、へそ曲がりを信条とするこの虎哉宗乙で思いつかない面白き考え。まるで一休禅師のようですな、ハッハッハ」
うん、一緒に牛乳普及運動はしてくれないけど、黙認はしてくれると。でも、一休禅師に比較されるのはこそばゆいっもんですよ。
「伯父上から何か褒美を頂ける時に、牛乳使用の許可をいただこうかと考えております。その際には、禅師も認めている旨、一筆頂けますと有難いのですが」
「はぁ、やれやれ。致し方ございますまい。今の代の織田のうつけ殿は拘りが強すぎますからな。拙僧の名前だけでなく沢彦禅師にも話しておきます故、両名連名とさせていただきましょう。さすれば、信長様も諦めて認めてくれるでしょうしな」
「有りがたき幸せ。貴重な砂糖を用いた菓子を持ってきた甲斐がございました」
ま、協力いただけるようだし、とりあえず、深々と頭を下げておきますね。




