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119話 信長、上洛。参の段

美濃の刺客を追い払い、小川表を中心に街をそぞろ歩きした信長一行は、翌日、信長と林秀貞を中心とした数名で山科言継と中御門宣教の屋敷のある一条烏丸に向かった。


「秀貞、今一度確認するが、山科卿の邸宅ではなく、中御門卿の邸宅で面談なのだな?」


「はっ、午の刻に中御門卿の邸宅にて面会と書状にて承っております」


「で、あるか。では中御門卿の邸宅に参ろうか」


中御門家は藤原北家勧修寺流の庶流、名家格の家柄である。先の当主 中御門宣忠は極官の権大納言まで進むも数年前に急逝し、今は中御門宣教が当主であるが、喪が明けきらぬ故、無位無官であった。


だが、権大納言を務めた父の威光もあり、当時の中御門邸は東西に対の屋を持つ寝殿造りの基本ともいえる立派な建屋であった。

信長と林秀貞、数名の従者は家人に案内され、寝殿造りの正殿、まさに寝殿に通された。


すると、既にそこには、二人の貴族が待っていた。一人は年のころは五十歳前後、もう一人は二十歳になるかならないかと言ったところである。

信長と林秀貞が着座すると、年上の貴族が声をかけた。


「よう参られた。林秀貞殿。そして、そちらが織田信秀殿のお子の信長殿じゃな。面持ちがよう似ておる」


「は、織田弾正忠信秀が嫡男、織田上総介信長にございます。父亡き後、織田弾正忠家の当主を務めております」

「その家臣、林佐渡守秀貞です」


「麿が山科言継である。現在は正二位太宰権帥を拝命しておじゃる。そして、こちらが、我が従兄弟甥の中御門宣教殿じゃ。今回は、麿の邸宅が改修中である故、親戚縁者のよしみにて面会の場として邸宅をお貸しいただいた」


今まで黙って二人の様子を見ていた若い公家が口を開いた。

「中御門宣教です。以後、お見知りおきを」


その後は、しばらく以前に山科言継が尾張に下向し、信秀に禁裏修繕の寄進を依頼したときの話やその際に平手政秀や林秀貞に和歌や蹴鞠の伝授を行ったときの話などの昔話に花を咲かせた。


「して、信長殿。林殿を介して麿に会いたいとのことだったが、そろそろその理由をお聞かせ願おうか。わざわざ公卿とはいえ名家ごときに伝手を欲しがることもあるまいて」


「では、失礼して。」


「殿、理由を聞きたいと山科卿は申されましたが、名家ごときという部分を否定なされませ、失礼に当たりますぞ」


「ほっほっほ、信長殿は公家の回りくどいやり取りはお好みでない様子。良い良い、秀貞殿。これが若さ、というものでおじゃる」


「では、改めまして。山科卿は十年ほど前、細川晴元殿と三好長慶殿が戦われたおり、細川殿に本能寺を紹介したと聞き及んでおります。

細川殿は本能寺の伝手にて火薬を手に入れ、火縄銃をうまく運用したことで寡兵でも三好長慶の軍勢を打ち負かしたとのこと。

我が織田家も火縄銃を戦で使おうと考えております。願わくは、細川殿と同様に本能寺を紹介していただきたく、お願い申し上げます」


「ふむ、信長殿は、ご存じかのぉ。三好長慶殿と足利義輝公が先年末に講和した後は洛中には火縄銃の使用は制限されておる。このように畿内では火縄銃の使いどころは難しくなっておる」


「畿内では、そうでしょう。しかし、地方ではそのようなことはございません。なにとぞよろしくお願いいたします」


「しかしのぉ」


「山科卿に置かれまして、本能寺をご紹介いただければ、先ほど訪問の際の手土産としてお渡しした美濃紙や刀、銭十貫文に加えまして、こちらの菓子と銭二十貫文を追加で献上いたす所存」


そういうと、信長は坊丸に作らせた琥珀糖を懐中より取り出す。

ほんのり茶色を帯びた透明な何かとわずかに乳白色の透明な何かを目ざとく見つけた山科言継は、すこし興味を持った。


その様子をみて、信長は懐紙の上に数個づつ琥珀糖を盛り、さらに中御門宣教の分とばかりにもう一山盛り上げる。


「信長殿、先ほど菓子と言ったが、その懐紙の上のもの、もそっと近くで見たいものじゃ」


「では、こちらを山科卿に、もう一つを中御門卿にお渡しください」

そう言うと、信長は中御門邸の家人の方に琥珀糖を差し出した。


家人の手によって自分たちの手元に来た琥珀糖をまじまじと眺める二人の公家。

半透明で硬そうにも見え、柔らかそうにも見えるそれは、齢五十を超え、諸国にもたびたび下向したことのある山科言継でも見たことのない菓子であった。


「信長殿、これはいかなる菓子でおじゃるか」


「はっ、海藻から作られるところてんを当家秘伝の作法にて処理いたし、甘味を加えて再度固めたものにございます。わずかに茶色いほうが水飴の味が、中に黄色いものが入っている方が柚子の風味が付いております。そのまま指でつまんで食べていただきたく」


その言葉を聞いて、顔を見合わせる二人。

その様子を見た信長は、手元に最後に一つを出し、

「毒見を兼ねて、それがしが食して見せまする。では失礼して、これこのように」

懐紙の上に取り出した最後の琥珀糖をつまんでひょいと口の中に入れる信長。


その様子をみて、中御門宣教が口元を扇子で隠しながら同じように琥珀糖を食す。

「む、不思議な食感じゃ。口に入れた最初はかりっとしているが、すぐに柔らかくなる。そして、水飴の懐かしい甘みが、また良い」


「ほ、本当か、宣教殿。では、麿も。麿はこの柚子風味という方をいただくとしよう」

山科言継も同様に扇子で口元を隠しながら柚子風味の琥珀糖を食した。


「ほぉ。宣教殿の言う通り、初めて食べる触感じゃ。柚子の香りと酸味に水飴の甘味、これは美味」


「お口に会いまして、何よりでございます」

山科言継の胃袋をつかんだことを確信した信長は、、ほくそ笑んだ顔を真顔に戻しながら平伏したのだった。

今しばらく 「信長公記」の上洛篇をお楽しみください。

坊丸、今頃、尾張で何してるかなぁ~。

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