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105話 永禄二年 新年の儀 針の筵ってやつ…

永禄元年(1558年)11月に室町幕府の第十三代 足利義輝は三好長慶と長年の抗争に終止符を打ち、和睦した。そして、12月に足利義輝は京の都に戻ることができた。


天文22年(1553年)8月に東山霊山城の戦いで敗北したのち、丹波や近江をさまよい、近江朽木谷を御座所とすること5年。


朝廷が三好長慶と相談して改元したことを当代の将軍であるにもかかわらず、知らされずに古い元号の弘治を使い続け、面目をつぶされたこともあったが、永禄元年12月、足利義輝は久しぶりに入洛し、京の都の空気を吸うことができたのである。


京に戻った足利義輝は、勘解由小路烏丸に新御所を造営するとともに、各地の有力大名に、「新御所造営のために寄付・伺候せよ」と御内書を発したのだった。


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ども、坊丸です。


年が変わりました。永禄二年になりました。


正月のお膳は普段の食事より少し豪華でした。おせちって、本当に数日炊事しなくていいように作られてるんだなって感じの保存食みたいなものも多かった印象です。


信行パパたちとの末森城での新年の料理はもっと豪華だった気もしますが、乳幼児からみて食べたいなってものが少なかったし、あんまりよく覚えていません。ま、今でも幼児ではありますが。


去年のおせち?去年は、柴田家に慣れるのに精いっぱいだったので、あまり覚えていません。


ただ今年は、信長伯父さんに年始の挨拶をする行事に、柴田の親父殿だけでなく、自分も参上するようにとわざわざ清須から指示が来ました。

え~、なんで呼ばれたの?って感じで、はっきり言って、困ってます。


信行パパの謀反の後、柴田の親父殿に預けられてから、色々あって少しは信長伯父さんに認められてるっぽいけど、どんな立場で呼ばれたのがわからないので、非常~に、困ってます。


で、正月二日、柴田の親父殿に伴われて、清須城に登城しました。

小姓衆や同朋衆の人たちが、あわただしく行き来していてます。知らない大人ばっかりだし、織田家の有力者や後に有名武将になる人たちもいるかと思うと、すこし、ドキドキ。


柴田の親父殿に連れられて、本丸御殿の玄関まで来ましたが、そこで、まぁ、みておれ、と親父殿がいうと、「柴田権六勝家、新年のあいさつにまかり越してござる!」と大音声。

すぐそばに立っている身としては、鼓膜がビリビリっとした感じですよ。

でも、そのおかげで、小姓衆のうち、信長伯父さんのお気に入りの一人、岩室長門さんがわざわざ案内に立ってくれました。


で、清須城の大広間に柴田の親父殿とともに案内されました。

さすがに、柴田の親父殿は織田家の老臣・重臣の一人。それに比して、自分は謀反人の信行パパの息子で、柴田の親父殿の預かりの身。


正直、柴田の親父殿が新年のあいさつをしている間、多分、奇妙丸様や帰蝶様、吉乃殿の相手でもさせられるのだろうと思っていたのですが、なぜか、自分も家臣団の居並ぶ大広間のほうに案内されました。何故だ。


しかも、柴田の親父殿の隣に座れと。すぐ近くに、柴田の親父殿の義兄に当たる佐久間盛次さんも座っています。

知ってます?岩室さん?ここ、織田家の重臣クラスの方々が座る場所ですよ?

いいんですか?本当にいいんですか?間違いじゃないんですか?あとでみんなに怒られるとか、絶対に嫌ですよ?まぁ、ここに座れと言われば、座りますけど。


あ、柴田の親父殿も、岩室さんが立ち去る前に、坊丸の席次はここで良いのか、ここにいていいのか?

と確認しています。

で、す、よ、ねぇ。柴田の親父殿から見ても変だと思いますよね。


「坊丸殿は、柴田様の脇に控えるように、と、殿から申しつかっておりますれば、間違いではございません。ご安心を」と答えると、軽く一礼し、次の人を案内するために、本丸御殿の玄関のほうに向かって去っていく岩室長門さん。うん、やっぱり、自分の席次は此処らしい。


少しすると、徐々に家臣団がそろってきます。

重臣の席にも、徐々に人が並んできます。そして、近くの席が埋まるたびに、柴田の親父殿が、名前を教えてくれます。

重臣の席の筆頭の場所には、佐久間大学盛重殿、その次は森可成殿。柴田の親父殿の隣で、上位に当たる場所に佐久間信盛殿。下位に当たる場所に佐久間盛次殿。重臣格のなかでは一番下位に林佐渡守秀貞殿。

柴田の親父殿を含めてこの六人が、今の織田家の重臣格だそうです。重臣の半分が佐久間の一族じゃねぇかよ、とか思ったら負けですか?


森可成殿、佐久間盛重殿は、こちらを一瞥しましたが、そのあと、柴田の親父殿の顔を見て、何か理由があるのだろうと、気にしないことに決めたみたいです。


佐久間信盛殿と林秀貞殿は、周囲に行き来する同朋衆や小姓衆を捕まえて、何故、重臣の席次の傍に小僧がいるのか?と聞いています。

佐久間信盛殿はわざとこちらに聞こえるように、林秀貞殿は、小声で聞いていました。なんか二人の性格がよくわかる感じの対応ですね。


同朋衆や小姓衆は、信長伯父さんの指令が徹底しているのか、「上様の指示で、津田坊丸殿を柴田勝家様の脇に控えるように申しつかっております」と答えるのみ。


佐久間信盛殿は、ちっ、と舌打ちしてますが、気にしない。気にしないったら、気にしない。


信長伯父さ~ん、わざわざ新年の挨拶に呼び出した上に、こんな針の筵のような席次にしたのは、何か意味があるんですよね? 

はぁ~、意味もない思い付きや嫌がらせだったらどうしよう…。

予約投稿のミスが多すぎて、どうにもこうにも。

「8時」って入力したつもりで「7時」って入力していることが多いので、もう、いっそ、しばらく7時投稿にします。


あ、花粉症に対して行うゾレアの注射の治療はすごいです。

値段も高いが、効果はもっと高い。気になる人はぜひ検索を。


4/11 8:00頃の変更は森可成と佐久間盛重の席次を入れ替えただけです。

大筋には変更点ありませんので、ご安心ください。

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