104話 信長への農業改革の報告書、提出日にハブられました
ども、坊丸です。
石田村での収穫状況や昨年との比較、肥料を入れたところとそうでないところの収穫量の比較の生データを文荷斎さんが集めてくれました。
それをもとに、文荷斎さんと話していたんですが、これをどう報告書にしようか思案のしどころ。
結局、文荷斎さんが書面にまとめて信長伯父さんに提出してくれることになったので、ラッキーでした。
ただ、提出の際には、柴田の親父殿と文荷斎さんが信長伯父さんのところに持っていくことになったので、発案者の自分がいなくて大丈夫か?って質問したんですが、二人には笑って、大丈夫と言われてしまいました。
本当に大丈夫なのかなぁ?まぁ、信長伯父さんのご下命を受けたのは、自分だけど、どうやら責任者ではないってことらしいので、それはそれでいいんです。
なんかハブられた感じもするので、すこし納得いかぬ。
そして、二人に報告はしておくので、虎哉禅師のところに行って勉強してこいと言われ、吉田治兵衛さんに連れられて、政秀寺に行くことになりました。むぅ、すこし納得がいかぬ。
----------------------------------------------------------------------
僅かばかり後、清須城の広間にて、織田信長の前に柴田勝家と中村文荷斎が座っていた。
「石田村で行った、坊丸様の発案の石高を上げる工夫についてのご報告は以上になります。仔細は、お手元の書面にまとめてありますれば、再度、お読みいただきたく存じ上げます」
そういうと、中村文荷斎が平伏する。
「で、あるか。報告、ご苦労。種もみの選び方、肥料、農機具、本当によう、坊丸も考え付くものよ。坊丸の守り役、世話役、苦労も多そうじゃからな、勝家、文荷斎、ようやった。褒めてとらす。後は、今一度、この書面を読み、来年春から行えることは吟味することとする。以上じゃ、二人とも下がってよい」
「「はっ」」
信長は二人が退室するのを目の端で確認しつつ、手元の書面をパラパラとめくる。
以前の饗応役をさせた時に、面白いことを考え付く童だ、使えるかどうか試してやれという気持ちと、一度鼻を折ってやれという気持ちの混じった状態で、期待半分、嫌がらせ半分くらいのつもりで坊丸に下した農業改革の命令が、思った以上の成果と読むのが難儀そうなほどの分量の報告書という形で自分に返ってくるとは思っていなかった信長は、手元の書面に目を落とし、軽くため息をついた。
「佐脇、長谷川、自室に戻る。供をせい」
「「はっ」」
自室に戻った、信長は、脇息に肘をつき、やや崩れた姿勢で、中村文荷斎がまとめたという書面に目を通した。
その書面は、今まで信長が目にしてきた、ただ己の功績を誇るような、去年より多く取れましたということが記載されたものではなかった。
何かの事業を家臣たちに指示した場合、ほとんどのものが後で報告してくる内容は、如何に大変であったか、如何に自分が努力したかを大きく記したものであった。
そして、実績については、成功した場合は過大に、並みの場合はつつがなく滞りなく遂行できたことを記載し、うまくいかなかった場合は釈明や言い訳じみたものが並んでいる、そういう書面であった。
そして、普通は半紙や美濃紙に一枚か二枚、簡潔にして明瞭と言えば聞こえはいいが、詳細は記されることがないので、結局、本人や周辺のものから聞き取りが必要になることもあるものであった。
「ふぅ、勘定方の書類よりも細かいぞ、これは。先にまとめのようなものがついておるからよいものの、美濃紙十数枚にわたっての報告の書面など見たことないわ」
そう、坊丸は、理系のレポートのようなものを文荷斎の協力のもと、作り上げ、信長に提出したのだ。
簡単に、信長自身が坊丸に農業改革を命じた経緯とそれに対する回答、そしてその効果をごくごく簡単に記した概論。
そして本論として、農業改革としてのアイデア各種を列挙し、実際に、塩水選を行った種もみのみを使用した場合とそうでない場合の発芽率と収穫量の差や、各肥料を使用した場合の収穫量の差などを具体的な数字を挙げて記載されているのだ。
最後に結論として、塩水選と千歯扱きは必須として、肥料は農地の状況、土地の肥沃さをみて、導入するか検討すべきと記されているのだ。
勘定方の書類や年貢の量など数字が大きな意味を持つ文書の承認・決裁のために目を通すことになれている信長からしても、その文書の構成や精密な収穫量の比較などは驚くべきものであった。
「文荷斎がこのような書類の形を思いつくとは思えんからな、これも、坊丸の仕業か。文荷斎も災難なことよ。しかし、仔細に記すのは良いが、美濃紙がちともったいないな」
信長は、そう呟くと、最初のまとめ部分と結論部分だけをもう一度目を通した。
その後、信長は、報告書の一枚目をじっと見つめて、考え込んだ。
この時代の平均よりも合理主義の傾向のある信長から見ても、坊丸と文荷斎が仕上げてきた文書は、論理的でありながら奇妙であり、ややくどいと思うものである。
「坊丸の才、まさに、異才というべきものか。そして、勝家や文荷斎など周囲の大人をいつの間にか巻き込む奇妙な魅力もある。なれど、手柄を井上に譲るような変な甘さもある」
そして、信長は、坊丸がこれまでに作り上げたものを指折り数える。
真夜寝酢、多留多留蘇酢、きな粉と水あめをまぶした餅の菓子、塩水選、三又鍬と曲がり鋤、小魚を干した肥料や酒や豆腐の絞り粕から作った肥料、千歯扱きなど。
すこし考えれば思いつきそうだが、今まで作られなかったものの数々。
「あ奴が、十五、十六となり、槍働きにて武功を上げれば、あ奴に肩入れするものが出てくるやもしれん。そうだ、奇妙が坊丸に変になついておるからな、奇妙に坊丸の重石となってももらうか」
坊丸は、父である信行の謀反の罪をその背にせおっているのか、この信長の才に無条件の信頼や尊敬を寄せているようだし、自分と奇妙に変わらぬ忠誠を誓っているようではある、と信長は感じている。
だがしかし、品行方正で真面目だけが取り柄の信行も林兄弟に「織田弾正忠家の当主にふさわしいのはあなただ」といわれ続けたら、変わってしまったことを考えれば、坊丸を担ぐ人間たちが出てきたとき、坊丸が変わらないと、信長はどうしても思えなかった。
だからこそ、信長は考えた。
嫡男の奇妙丸がいますこし大きくなったなら、坊丸の心理的な重石とすべく、奇妙丸の学友・小姓として坊丸を奇妙丸の近くに置いておこうと。
信長に坊丸が農業改革の報告書を提出する回です。
今まで書いてきたことを何度も繰り返すようなものになる上、2話分4500文字近くになったのですが、あまりにくどい感じになったので、全削除したうえで、全く違う形にしました。
年度の切り替え時期で仕事が多忙だったのと、上記の理由で書き直しになったので、かなり投稿間隔が開いてしまいました。
次回から、永禄2年のお話しになる予定です。




