功労者を偲ぶ会で言われたこと
カタンというボードゲームをご存知だろうか?
およそ30年ほど前に発明されたボードゲームで、全世界で遊ばれている。およそ四半世紀前にカタンが日本へ上陸した際、日本全国でこのゲームを遊んでいるのが数十人というレベルだった。それが今日では全国各地に百人単位での試合が出来るレベルになってしまっている。それもこれも、ある男の尽力によるものだった。
その男は日本カタン協会の創設者ではなかった。だが出来あがったばかりで名ばかりの協会に、今日のようなシッカリとした枠組みを与えたのだった。仮にその方をAさんと呼ぶことにしよう。Aさんはカタンというボードゲームを日本に普及させる上で、大変なご活躍をなされた。だが数年前、残念ながら志半ばにして亡くなられた。
・とあるボードゲームのお店
知る人ぞ知るボードゲームのお店がある。そこは雑居ビルが立ち並ぶ一角にあって、辿り着くのが非常に難しい。だが今あるボードゲーム喫茶の草分けであった。
場所はそんなに広くはない。20人も入れば満杯になる。この素朴なことこの上ないこのお店こそ、ボードゲーム愛好家たちの聖地なのである。何故ならココの席主が大変な凝り性であり、どんな類のボードゲームでも勝利への道筋を追求したくなってしまう性分だからである。すると自然とこの店に集まってくる人間というのが、いわゆるガチ勢(真剣にその種目を極めようとする連中)に偏っていくという次第。したがってどんな種目のボードゲームをやっていても、トップクラスの連中だけがこの店に集まるようになっていく。
・開会式
Aさんを偲ぶ会は、このお店で開かれていた。故人の人柄を示すものか、死亡から数年経った今でも彼を偲ぶ会が執り行われている。
Aさんを偲ぶ会は、朝10時に始める。丁度その時間帯に亡くなられたからだ。彼をよく知る人に言わせれば、
「駆けつけたときには、心電図が既にまっ平らになってました」
とのことである。本当にあっという間に病状が悪化してしまったのだそうだ。
「本当に惜しい人を亡くした」
とは、Aさんを知る人間が皆口を揃えていう言葉である。
だが湿っぽくなるのを防ぐためだろうか、あまり故人の思い出話に華を咲かせるという事はない。ただ故人の遺影と、故人が大好きだったお酒(チューハイとかレモンサワーとかそんな感じだった気がする)が置かれているだけだった。彼を知る人間にとっては、恐らくそれで十分なんだろう。
・新型コロナウィルス蔓延につき
試合が終わると当然のように飲み会となる。といっても全員行く訳ではない。精々7名くらいだ。まぁ他の人々もそれぞれに飲みに行ってるのかも知れないが、ともかく私が参加した飲み会には7名しかいなかった。折からの新型コロナウィルス蔓延につき、皆例外なくマスクをしている。多分後の時代になってみれば、
「何故2020年の人々は例外なくマスクしているんだろう?」
と不審がることだろう。ウィルス蔓延を防ぐためなんだから仕方ない。酒を呑むときにはいちいちマスクを取り外さねばならず、とても厄介だった。実際にはそんな面倒なことをしている客などいやしない。皆酒が入って気が緩むのか、マスクを外しっ放しだ。だが世の中こんなものだろう。
・shaさん
カタンの世界にはshaさんというお方がいる。とても若々しい外見であり、実年齢の45歳には全く見えない。だが流石に「よく20代に間違えられる」という本人の言は言い過ぎな気がする。20代というには白髪が多すぎるからだ。それに年相応の貫禄を見せた腹回りは、隠そうにも隠しきれないものである。そこら辺の事情は私自身も人のことはいえない。最近になって運動量は減り、体の新陳代謝は衰えてきているのに、相も変わらず食べる量は変わらないからだろう。
shaさんは若かりし頃、ブリッジと呼ばれるトランプゲームの一種をやっていて、そこからカタンの世界に移ってきた。彼に限らず、カタンの世界には他の競技から移籍してきた人間が多い。例えば将棋の世界で普及指導員をしている人間がカタンの世界にやってくるとか。学生なので今のうちにボードゲームを経験しておこうと思ったとか。人それぞれだ。
飲み会でshaさんはこう振り返っていた。
shaさん「あの当時は年間2万試合はしていたからね!!」
流石にこれは嘘だろうと思って、こう尋ねてみる。
ツキ「それ嘘ですよね?一年って365日しかないですよね?」
shaさん「うん、いやまぁ・・・。365日がフルに使えるって訳じゃないから、まぁ300日くらいとして、平均66試合?
うん、それくらいはやってたね?70試合くらいか!一日!」
ツキ「え、でも時間とか体力とか・・・」
shaさん「時間は大丈夫!一試合5分とかそこらだから!」
しかし仮に70試合できたとして、350分。約6時間である。そもそもカードゲームというのは疲れるものだ。精神的に全く疲弊しなかったとしたらそれは異常である。だから休憩時間も必須となる。睡眠時間8時間、その他食事とかで数時間、それ以外は全てブリッジに突っ込んでいた勘定となる。
理系の大学生だったような事を言われていた(研究室にいたころがどうのこうのとかいう話だ)ので、この時間の使い方が非常に気になるところではある。一体肝心の研究はどうしていたのか?
ツキ「よく70試合も出来ますね」
shaさん「頭使わないから!定石みたいなのがあるからね。15試合に1回くらいは頭使うかなぁ。。。」
ツキ「あぁ、要するに定石に落とし込めるパターンだったら、あんまり頭使わなくて、ただ定石に落とし込めないパターンだと、どうしようかなぁって悩む訳ね?」
shaさん「そぉそぉそぉ」
ツキ「それにしたって、定石に落とし込むのにもある程度は頭使うし、まぁ大したもんだよなぁ」
shaさんとツキは丁度テーブルを挟んで机の対角上に位置している。shaさんにせよ、ツキにせよ、声が大きく初対面の人間に物怖じしない性格なので、こうやってテーブルを挟んで会話をしてしまうのだ。その間には何人かテーブルに座っている人間を挟んでいる。その中の一人にWさんという方がいた。
・Wさん
この人は面白い人で
「次の試合では最低でも半分以上はいきたいな!今回16人いたから、まぁ8位以上にはなりたいな!」
と発言された。目指す目標地点は人それぞれではあるとは思うが。
Wさんの近くには、OさんとYさんという方も座っていた。二人とも22歳。Oさんはこの「Aさんを偲ぶ会」では準優勝を飾っていた。本来であれば、彼らが次世代のホープとしてこの場の会話を取り仕切ってもよさそうなものだった。だが彼らには全く話は振られず、テーブルの隅っこに座っていた。
ー勿体ないな。皆と話せば面白いのにな、と私は思ったものだ。
Wさん「YさんもOさんもツキさんとは初対面ではないですよね?」
私「ええ、都内のボードゲーム喫茶とか定例会でよくご一緒しますがね・・・」
だがお二人は黙っているままだった。二人とも育ちの良さが随所に見受けられる、私とは正反対のタイプだった。この飲み会では、とうとう彼らとは会話しなかった。
・私の人となり
私の服装というか人となりは、誤解されることが多い。
「あなた反社会的勢力じゃないよね?」
とカタンの定例会で言われたほどだ。何がいけないのか。大学の後輩曰く
「一つ一つ取ってみれば全部普通なんだ。でも全体を纏めて見ると、何処がどうということではなく、なんかおかしい」
らしい。別にヤクザぶった行動や服装をしているつもりはないし、それでいて周囲のこの反応ということは、まぁこの後輩が言っていたことが的を得ているのだろう。確かによく警察に職務質問はされる。
以前、日暮里駅を歩いていると
『は~い、ちょっといいかな~』
と数人の男に囲まれたことがあった。面倒ごとを避けようとして
「いや、あの、ちょっと急いでるんですけど・・」
と避けようとすると
「いや、こういうものだからね。」
と警察手帳を見せられた。
「協力してね。ナイフとか持っていないよね?」
一見柔らかいものの、有無を言わせぬ口調だった。一体なにがいけないというのか。下を見て歩いていたのが気に障ったのか。さらに自分の職場である御徒町界隈を歩いていても、よく職務質問されるのだった。やはり挙動不審なのだろう。
・意図のよく解らない質問
さて話の途中、Wさんは私になかなか真意がハッキリとしない物言いをするのだった。
Wさん「ツキさん、ツキさんはどういう人に習いたいですか?」
私「どういう人・・・とは?」
Wさん「だから、どういう感じの人にカタンを教わりたいですかね?」
咄嗟には質問の意図を把握しかねた。長い不動産屋としての経験からなのか、この質問に
は慎重に答えたほうがいいな、となんとなく感じた。
ーもしもこれで固有名詞を出せば、そこからまた面倒なことになるだろうし、そもそもなんで師匠がいる前提になっているんだろう?
そのとき思ったことを文章化するとこうなる。
Wさんにせよ、Yさんにせよ、Oさんにせよ、彼らは将棋の世界出身である。将棋や囲碁の世界では師匠と弟子の関係というのが一般的なのだそうだ。だから師匠みたいな存在がいることを当然視するのかも知れない。
実際のところ、私は都内のボードゲーム喫茶でカタンを教わった。だから強いていえば、そのボードゲーム喫茶のオーナーが師匠となろう。だがそもそもそのボードゲーム喫茶は不特定多数の人間を相手にする形式であり、将棋の徒弟制度というよりも学校のイメージが近い。だから「師匠と弟子」という関係も少し違う気がする。
そこでWさんの質問に対して、私はこう答えた。
「私よりもカタンが上手い人は全て私の先生です。誰であれ、私にカタンを教えてくれるのであれば大歓迎です。」
我ながら極めて優等生的な、誰に聞かれても問題のない返答をしたように思う。Wさんは詰まらなさそうな表情をし、それ以上この話題を振ってくることもなかった。
ー一体なにが目的でこんな質問をしたのか
という腑に落ちない思いを抱きながらも、それ以上この件には触れなかった。
・「仕事」の概念
あいも変わらず私とshaさんがテーブルを挟んで大声で話し合っていると、shaさんが面白いことを言われた。曰く
「海外の連中には、6点から2点アップして・・という発想はあっても、(カタンのゴールである)10点から逆算して今4点足りない、という発想はない。日本人が強いのは、この逆算の発想があるせいじゃないか?」
というものだった。
shaさんは他の場所でも
「海外の連中には『仕事』の概念がない」
と言われていた。
『仕事』である。
遊びであるボードゲームをやっていて、仕事もなにもないだろうとかそういう話ではない。shaさんが言われている『仕事』というのは、
「現在のトッププレイヤーを勝たせずに試合を長引かせるために、自分一人が勝つ上で得にもなにもならない行為を敢えて実行すること」
を示す。
例えば鉄3枚と麦3枚を使って道3本引くなどはまさにその典型例と言えよう。無論のこと、3:1港に自分の開拓地を建てているのが大前提である。それだけの資源があれば、普通なら開拓地を都市化してしまうだろう。(都市化に必要な資源は、鉄3枚、麦2枚)
だがそうすると、トッププレイヤーが10点をとってゲームが終わってしまう。
だから「本来はやりたくない作業だけれども、ゲームを長引かせる為、敢えて本来はやりたくない作業をする」必要が出てくる。「仕事」というのはそういう意味だ。
shaさんは、他にも似たような言い回しで同じことを言っていた。曰く
「海外の連中は、6点から8点になることばかりを考えている。しかし10点から逆算して、
『あと4点をどうやって獲得するのか』
ってところも考えていかないと勝てないんだ」
という事を言われていた。
そこで私が
「つまりさきほどshaさんが言われていた、仕事という概念ってやつですね。
ラミーキューブ世界王者やカルカソンヌ世界王者も日本人だ。
我々日本人が何故世界で頑張っているのか、それは『仕事』という概念があるからだ」
と付け加えると、そうそう、と嬉しそうに笑っていた。
・何事も突き詰めると面白い
このshaさんは、世界大会にも出場されているくらいの猛者である。ブリッジで培われた記憶力を頼りに、相手の手札を全て暗記しているのだそうだ。普通の人間には、無理な芸当である。shaさん曰く
「ほかの宇宙からやってくる様なカタンを打たれている気分になる」
と言われたこともあるらしい。そうやって相手の手の内とこれからやりたいであろう事を読む。そして逆に相手に提案するのだ。
「但し選択肢のうちの片方をね」
と言っていた。これがポイントである。
本当の詐欺師は決して嘘はつかない。ただ事実の片方だけを提示して相手の判断を誤らせるのだ。
・別れ際の会話
別れ際、私はshaさんとこういう会話をした。
私「shaさん、私は今小説を書いているんですよ。カタンの競技人口を、今の100倍に増やすための小説だ!」
私「なんで小説という形を取っているのか?
コロナウィルス蔓延で、ドラマやアニメの収録だって録にできやしねえ!
だから少人数、それも一人かそこらで作れて、それでいて初期投資が掛からない媒体ってなると小説くらいしか考え付かないからなんですよ!」
私「で、女のプレイヤーを増やす為にだ!」
shaさん「オンナって言っても具体的にどういう層なの?そこをハッキリしてくれないと」
私「30~40代、子持ち、既婚女性!そういう連中は子育てをしていても旦那が手伝っちゃくれねえとか色々と不満を抱えてますよ。そいつらをカタンの世界に引きずり込む!
場合によっては、女性専用フィットネスクラブならぬ女性専用ボードゲーム喫茶を作っても良い・・」
shaさん「そこまで決まってるなら話は早い。」
私「そんでね。今そういう層を引っ張り込むために小説を書いてるんすよ」
shaさん「ボクもマーケティングやってるから解るけどね。やっぱり本人達に聞くのが一番はやいんじゃないかな?でも聞き方には注意するんだよ?」
最早子供に諭す先生みたいになっている。この人は本当に教え方が上手い。
shaさん「なんていうかな、(小説に)書いてやる!だから答えろみたいなやり方じゃ駄目で・・」
私「あぁ『ボク解らないんです、チョット教えて下さいよぉ』みたいにこう、下手にね」
shaさん「下手っていうと語弊があるけど、まぁ相手に教えて下さい、というのが伝わる聞き方だよねえ」
やはりココらへんのチョットしたアドバイスは、本当に私みたいな人間が気づかないことである。ひょっとしたらshaさん本人も歳を取ってから気がついたことなのかもしれない。