中編
中道陽生視点
新たに建設されたショッピングモールの影響で活気を失った商店街。さらにそこから一つ外れた道沿いのビルに立地条件最悪の小さなオフィスがある。面向きはバーということになってはいるが俺たちの集合場所になっている。
まだ日も暮れていない夕方で明かりの少ない薄暗い店内に数人の男女がたむろっていた。
欧米人の白い肌に 金髪のアロハシャツにジーンズ姿の男が呆れながら俺に話しかけた。
「――それにしてもよく、あんな有名人がそばにいるっていうのに、何事もなく学校で過ごしているお前がすごいぜ」
彼の名前はローハン・ディロン。
色の抜けた白髪というより銀髪で細身と高身長、そしてラフな格好のわりに頭の上に布帛ハットをうまく被った洒落たファッション。
明るく気さくな性格で口もうまいのだがギャンブル中毒者である。
仕事が無い日は公営カジノ、パチンコ、スロット、競馬などのギャンブルで金を増やしている。今日もカジノで勝ったらしく、ここにいる人間にドリンクを奢っている。
「別に学校にいても、授業中も休み時間も寝ているだけだからな」
俺はディロンの皮肉に、同じように皮肉で返した。
「というよりもお前、学校で友達いないから、誰とも喋らないだけだろ?」
「うるせぇよ」
何気なく場を仲裁しようとしたのか、俺の前に筋肉隆々の男がコーヒーカップを置いた、
「それにしても天津くん、可愛いわよね」
そして頬を染めながら話に割ってはいった。
「テレビで喋るのは下手みたいだけど、それでもイケメンならテレビに出るだけで映えるわね」
この男は漢であって男ではない。オカマだ。
しかも今日はご丁寧にチャイナドレスを着ている。
男としての名前はシンイー。男としての名前はユーウェンだがその名前と本人が怒るので呼ぶことは禁止されている。一応このバーの店長をしているのだが、興味本意でここに来てしまった馬鹿な客は魂まで抜かれる。客が何をされるのかは知りたくない。
「俺の知っているヒーローっていうのはバットマンとかスパイダーマンとか、だいたい仮面をつけてるもんだと思ってたんだがな。ヒーロー活動をしたあとテレビの収録だなんて、夢があるんだか、ないんだかわからない話だな」
「なんだそりゃ? 仮面をつけたまま調査活動をしている変人研究者が言ってもひがみにしか聞こえないぜ」
俺は茶化すようなディロンの指摘に俺は反論できない。
「……たしかにそうだな。俺はバッドマンほど金持ちじゃあないしな」
「あら。スパイダーマンはスーツ脱いだあとにデートに行くし、ブルースウェインはパーティーに出席したりするじゃない」
「おまえ、やけに詳しいな……」
「あなたが詳しくないのよ。自分の夢中になっていること以外に、もうすこし興味を持ったら? そうしたら学校でも友達ができるんじゃない?」
「べつに作るつもりはない」
すると、三人のやり取りを聞いていた一人の女性が割りこんでくる。
「でも、あの子の本当の能力は誰にもわからないわ」
黒色のジャージを着た外国人女性がカウンターでノートパソコンをいじりながら、ぼそぼそ呟く。
「本当の能力ってなんだ? まだあのヒーローになにかあるのか?」
彼女の名前はルイズ・エレナ・ウォーカー。
きちんとすればかなりの美人なのだが、何日も風呂に入らない汚女だ。
毎日オンラインゲームをしており、ほとんどのゲームを制覇している廃人ゲーマーだ。
安物のブカブカのスエットを着こんでいて、ノーメイクでマスクをして顔を隠している。
「どうやら彼自体は自分の能力がなんで生まれたのかもわからないし、超能力の研究を行っている『東京超能力開発所』でもいまだ解明不能だそうよ」
『東京超能力開発所』と聞けばいかにも名前は大学の裏サークルやオカルト好きの裏サイトにありそうな名前だが実際には違う。
「あの『東京超能力開発所』っていう胡散臭い名前の割に、堂々と品川にある高層ビルの研究所か?」
「ええ、そうよ。なんでも天津くんの能力を解析して今度は人工的に彼のような存在ができるって……テレビやネットで話題になってるわ」
うさんくさい。
「それよりも今、その天津雅騎がテレビで記者会見を行うそうよ」
彼女は自分が操作していたパソコンのディスプレイを俺たちの方向へ向ける。
そこに映っていたのは……………………名前がわからん。
「こいつらたしか……今日学校に転校してきた二人だな」
「名前は?」
「しらん。あまり興味がないし、担任が黒板に名前を書く前になんか天津とごちゃごちゃ話してたしな」
「ひとことも会話してないからわかんないだけでしょ。ぼっちなんだから」
「痛いところをつくな。まぁでもテレビでちゃんと名前が出てるな」
学校で空気のような扱いのような人間がきちんと人の名前を聞いていなくても、有名人ならテレビで放映される。……なんとも妙な話だ。
男のほうは七瀬葉介。女の方は八武崎ヒカルというらしい。
二人ともカメラに向かって堂々と挨拶している。
「はじめましてみなさん。ぼくの名前は七瀬葉介といいます。ぼくは生まれてから手足がない先天性横軸形成障害で生まれてきて、それから機械の義手をつけています。この義肢は城鐘財閥の特製でパラリンピック用の義手ではなく、特殊なモーターにより常人の何倍もの筋力を出すことができるんです」
七瀬が強化された義肢を使い、カメラに映るような位置で、バーベルを持ち上げてアピールする。
「すごいっ‼ あんな巨大なバーベルを持ち上げるなんてっ⁉」
報道陣の人間が驚きの声を上げた。
「これからはこの力と天津くんのサポートをしながら、この国を守っていきます」
今は八武崎ヒカルが愛想を振りまく声色で報道陣に手を振る。
「みんな。これからも『イザナギ』をよろしくー♪」
同時に動きを連結させているヤクモはすぐ近くで連動した動きをしはじめた。
そして七瀬と八武崎に囲まれた天津がカメラに向かって宣言した。
「みなさん。これからは自分ひとりではなく、特殊能力をもった人間が集まってスーパーヒーロー集団『イザナギ』として、活動していきたいとおもっていますので、これからもみなさんよろしくお願いします」
イケメンと美少女、そして報道陣の役者が三文芝居を演じていた記者会見が終わり、動画が終了する。
「……天津だけじゃあなくて、正義のスーパーヒーロー戦隊『イザナギ』? いよいよわけがわからなくなってきたな」
天津雅騎だけじゃなくてあの二人とも戦わなくてはいけないということだ。
「……そもそもスーパーヒーローって必要なのか?」
ディロンの何気ない質問に対して、珍しく俺も同様のことを考えていた。
「おれもそうおもう。日本の治安維持は世界でも優秀だ。警察、消防、自衛隊とあるのに、ヒーロー組織なんて必要ないんじゃないのか?」
その時、粗末な呼び鈴とともにバーの入り口から一人の中年サラリーマンが入ってきた。
「いやぁ、やっとおつまみ買えましたよ。やっぱりこれがないと、はじまりませんね」
ハゲ上がった頭頂部から汗を垂らしながらコンビニ袋に入ったおつまみを広げる。
鈴木一。元は会社の営業マンをしていたがリストラされたサラリーマンのおっさんだ。
二年前に勤めていた会社を解雇されていたところを雇い入れた俺の部下の一人だが、特にたのんでもいないのに俺を『社長』と呼んでいる。そしてほかの人間は鈴木を『課長』と呼んでいる。
一番の年長者であり、おれたちの組織のナンバーツーであり、みんなを仕切っている年長者だ。
「遅かったわね課長。……何かあったの?」
シンイーがつまみの中身を確認しながら課長を心配したが、課長は自慢げに語りだした。
「いえ、ちょっとそこの若いのに説教をしてやっただけです」
彼の言葉に全員イヤそうな顔を浮かべた。
「またかよ」
「老害はこれだからめんどくさいのよね……」
ディロンとエレナが二人そろって、酒で不快感を拭おうと酒に手を伸ばした。
「な、なんだよ。私はすこし――」
「はいはいごくろう様。ご褒美のビールよ♪」
課長の長話を遮るように、シンイーが彼にグラスを握らせもう片方の手でビール瓶を差し出す。
「う、うむ……ありがとう」
色っぽいオカマの圧力におされて、課長は注がれたビールをあおぐ。
「ぷはーっ♪ うまいっ♪」
「……おっさんね」
「うるさい。いいから風呂に入れっ‼」
課長が戻ってきたことにより、場が盛り上がってきたので、これいじょう『イザナギ』の話題を蒸し返すのはやめにして、黙々と一人で考えることにした。
『ヒーロー』なんてものは現実のこの社会には必要ないものだ。
なら、なぜ天津雅騎とイザナギは活動する必要がある?
天津のあの能力はいったいなんなんだ?
なぜ急に天津のサポート役のために八武崎と七瀬が現れたんだ?
…………いやまてよ?
イザナギはあるのに………。
………イザナミはないのか?
もしかしてヒーローというのは…………そういうことなのか?
もしそうなら、何人も人が死んでしまうかもしれない。
それが本当に正義と呼べるものなのか?
中道陽生視点
俺は学校ではひとりでいることがすきだ。
他人と時間を過ごすのは必要最低限でしか関わらない。つまりほとんど人間だから俺は一人で昼飯を食べる。
この学校の屋上は教師が入り口を施錠しており、一般生徒は入ることができないのだが、俺はナノマシンで鍵を作り出すことができるので、俺は誰にも見つからないようにこっそりと入り、そして鍵を閉めなおしている。
剥き出しのコンクリートは座り心地は悪いが、誰もいないこの平穏な時間。という何にも代えられないものだ。
俺はそんな環境のなか、あの天津雅騎とイザナギについてネット経由で調査していた。
なにかがあるはずだ。俺の予想が正しければあいつらには秘密があるはずだ。
しかし一向に天津の情報であの能力の正体をつかめるものはなかった。
そのときだった。
普段は誰もいないこの屋上に、かすかな気配を感じた。どうやら誰かがこちらに来るらしい。
屋上の踊り場の窓からなにかの気配がした。
おそるおそる建物の影からのぞき込むと一人の女が窓から顔を出して屋上の窓でじたばたともがいていた。
だがあの窓は確か、踊り場から二メートル以上高いところにある窓だ。何かを脚立か何かの踏み台を使わなければ、届くことができない。
彼女は窓からさらに体をくぐらせ、じたばたと上半身を動かしていた。
どうしたものか。ふと迷ったがあのままでは下半身のほうが目立ってしまい、もしかしたら別の人間に見つかってしまうかもしれなかったので、仕方なく声をかけることにした。
「……何をしているんだ?」
俺が声をかけるときょとんとした表情で、彼女はこちらを見つめた。
彼女は天津雅騎の知り合いのあのバンジージャンプをやっていた涼森凛奈だった。
なるほど、彼女はドアからじゃなくて窓から入ってきたわけか。
「……あなた……だれ?」
同じクラスの人間だろうが。と心の中でつぶやいたものの、自分が学校の中では誰とも関わらないぼっちの人間だったことを思い出してそれいじょうは何も言わないかわりに。
「出られないのか?」
「うん」
彼女が短くそう答えたので俺も特に説明を省いて答えた。
「わかった」
そして俺はだらんと垂れている彼女の手首をつかむ。
「ひっぱるぞ」
筋肉の違いと体格の違いもあり、彼女の手はまるで細い棒のように感じられた。
「え? ちょっとま――いたたたたたたっ!」
彼女の返答を待たず、俺は彼女の手を取って引っ張った。腹部に窓の冊子に食い込んでいるでいか、彼女は苦痛の叫びをあげる。
「いたいいたい。いたいって――ぎゃっ‼」
ずるんと根菜を引っこ抜くように俺は力まかせに引っこ抜き、地面に引きずり落とす。
「いたいよっ⁉ もっと丁寧なやり方があるんじゃないの⁉」
腹部をさすりながら抗議をする彼女に、
「悪かったな。これがいちばん時間がかからない方法なんだ」
俺は全く悪びれることもなく答えた。
「……別にいいけど……あなただれ? 何年生?」
彼女が必死に俺の名前を思い出そうとしていたので、簡単に自己紹介をしてやることにした。
「俺の名前は中道陽生。いちおうお前と同じクラスの男だ」
「えっ? 同じクラスだったの⁉ ぜんぜん知らなかった」
「そりゃ、どうも。怪我はないようだな。ところでおまえ、ここに何しにきたんだ?」
俺は彼女に一刻もはやくこの場から立ち去ってほしかった。
「私はここに動画を撮りにきたんだよ」
俺はめんどくさそうに聞いたつもりだったが、彼女は自分の話を聞いてくれたのがうれしかったのか、よくぞ聞いてくれましたとばかりに熱を入れて答えてきた。
「動画?」
聞き返すと、彼女はバックからビデオカメラを取り出して答えた。
「これを使って、動画を投稿するんだよ」
彼女は話を聞いてくれると勘違いしたようで嬉しいようだ。
「動画投稿? アフィリエイトでも稼ぐ気か?」
「違うよ。単純に趣味というかいきがい。自分のしたことをみんなに知ってもらいたいんだ」
俺にとってはどうでもいい主張だったが、ここはひとつあわせてみることにした。
「そうか。そりゃすごいな」
とっとと失せろ。という気持ちを押し殺して俺は話を合わせた。
「だけど俺には関係ない。俺はそこで飯食ってるから」
「わかった。じゃあ、勝手にはじめるね」
俺は屋上の隅の腰かけに腰を下ろして、バックからゼリー飲料を取り出し、飲み込んで行く。
彼女はカメラのスイッチを入れて、自分の方向へと向けた。
「どうもー、みなさんこんにちは。リンリンチャンネルでーす!」
なんともダサい事を言いながら、彼女は撮影をはじめていく。
「前回、この『屋上から飛びおりてバンジージャンプをしたらどうなるのか?』という動画を投稿させてもらったんですけど……まぁなんですかね…………すんっごく怒られました。幸い停学とかにはならなかったんですけど。まぁあまり学校で色々と騒ぎになるようなことはしませんでした」
前回というより、今日の朝の話じゃあなかったのか? まぁどうでもいいか。パンでも食べながら聞いていた。
「次回はですね。今やスーパーヒーローとして全国に名前を響かせているあの、天津雅騎くんにですね……」
彼女はわざといったんそこで声をしぼませた後に、宣言した。
「ドッキリを仕掛けていきたいとおもいますっ‼ いぇーい。ぱちぱちぱちぃー」
俺は菓子パンを食べる手を止め、彼女の言動に改めて聞き耳を立てた。
「実はですねみなさん。今大人気の天津くんとはですね、わたくしリンリンは幼馴染なんですよ。むかし養護施設が一緒だったってだけなんですけどね」
『むかし養護施設が一緒だった』?
「いやぁでも、これをネタに使わない手はないと、前々からおもってまして。今回のドッキリを計画しました」
涼森はてぶりをわざと大きくしながら撮影を続ける涼森を俺は先ほどの言葉の意味を追求したい気持ちをこらえて、静かに彼女を見守る。
「その企画については、次回に説明しますので、期待していてください。よかったらみなさん、チャンネル登録のほうもよろしくお願いします。それじゃあいったんこのへんで。バイバイリーン」
撮影を終え、自分の方にカメラを逆向きに直した彼女に俺は声をかけた。
「バイキンマンのパクリじゃねぇか」
聞きたいことはそこじゃないが、とりあえず二番目に気になったことでもあったので突っ込んでおいた。
「パクリだけど。私がやれば私のネタ。バイキンマンがやればバイキンマンの決めセリフだよ」
「その言葉もどうかと思うがな。それよりさっき気になることを言ってた気がしたんだが、おまえ、天津雅騎の知り合いなのか?」
「そだよ。といっても昔、養護施設が一緒だったってだけだけど」
そういえばエレナが調べてくれてたな。天津は児童養護施設にいたところを今の両親に引き取られたんだったな。
「天津は養護施設にいたときからあんな能力をもっていたのか?」
俺がそう聞くと彼女は何かを思いついたようにニヤッと笑い。
「…………知りたい?」
と、わざともったいつけるように聞いてきた。俺は彼女のその不敵な笑みが少し気になったが質問を続けた。
「ああ。ちょっと興味があってな」
彼女は『待ってました』といわんばかりに勢いよく手を叩いた。
「じゃあ。今週の週末、まさきにしかけるドッキリを手伝ってよ。そしたら教えてあげる」
「それはちょっと……いやまてよ……?」
正直そんなことはやりたくない。とはおもうものの一旦考え直す。
「…………?」
急に黙り込む俺を不思議がる彼女にかまわず、少し考えなおした。
今週末は予定がないし、前回コテンパンにやられたあの天津に仕返しするのも悪くはない。それに内容がドッキリという幼稚的なものではあるものの、あの天津が相手ならば実験動物を相手にしているような気持ちになる。
「……わかった。俺もその動画作りに協力してやるよ」
俺は彼女にそう答えた。
「いよっしゃあぁっ!」
が渋々ながらそう言うと彼女は嬉しそうにこぶしを上に突き上げた。
「ありがとう。それじゃあ連絡先教えて」
そう言われて俺は自分が携帯電話を持っていないことに気づいた、
「……いや、おれは携帯を持ってくるのを忘れたから、お前の連絡先を教えてくれ」
一般的な携帯電話は位置情報や検索履歴、使用履歴などをサーバーに情報が流用されることがあるため、俺をはじめ、会社の人間は使用しない。
九十九が内蔵されているものであればなおさら使えない。九十九は前段階の人工知能よりも優秀な学習能力をもった人工知能なので、俺が裏でラーフとして活動することなんてすぐにわかってしまうだろう
「え? いまさっき携帯みたいなものを持っていなかった?」
俺が独自で作り上げた携帯端末を操作しているのを見ていたのだろうが、なんとでもはぐらかすことはできる。
「いや、これはタブレットみたいなもんだ。あいにく古い型だから携帯機能はついていないんだ」
「そっか。じゃあ私の連絡先は教えておくけど、家にはあるんだよね」
「ああ。またかけなおすよ」
「うん。それよりさ……」
俺の言葉に彼女は怪訝な表情で恐る恐るきいてきた。
「……中道くんって、もしかして友達いないの?」
「ああ、いない」
即答した。
「断言しちゃったよ⁉」
断言もするさ。ないものはないと言い切るのが科学者というものだ。
「だけど、それが俺にとっては好都合なんだ」
「どうして?」
自然と今度は俺が自分の主張を言うべきなのだと理解して、素直に答えた。
「自分の時間を楽しみたいからだ」
「…………うわっ……きもちわる……」
この女。普通にドン引きしやがった。
「だったらさ」
「ん?」
彼女は女性の割には膨らみのない胸を突き出して言う。
「中道くん。友達いないみたいだからさ。私が友達になってあげる」
どうやらこの女は俺が教室でいつも一人だから、誘ってやると言いたい。
「いや、必要ない。俺は孤独を愛するぼっちマスターだ」
「なに言ってんのかわかんないけど、カッコださいよ」
俺の勝手な主張を無視して涼森は話を続ける。
「じゃあ、今週の土曜、駅前に集合ね」
「詳しい内容は?」
「まだ考え中。もうすぐ昼休みが終わるからまた連絡するね」
そう言って彼女は昼食を片付けはじめ、話を打ち切ろうとした。
「たしかにそうだな。それじゃあまたあとで連絡する」
詳しい話はこの女との連絡回線を確保してからにしよう。
すると彼女はくるりとこちらに振り返り、答えた。
「お金」
短い単語だけの答えに戸惑ってしまい、おもわず聞き返してしまう。
「……何がいるって?」
彼女は毅然とした態度でこう答えた。
「だからお金だってば。全部奢ってもらうから、お金をたくさん持ってきてね」
なんとも厚かましい女だと改めて認識せざるを得ない発言だった。
「………………たかる気か」
なんとも言えない微妙な雰囲気のまま、俺は彼女の背中を見送ったあと、自分も端末をしまってポケットにしまい、きちんとナノマシンで作り出した鍵でトビラを閉めた後、自分も教室へと戻った。
中道陽生視点
後日、俺は旧式の九十九搭載のスマホを購入、契約して涼森と連絡をとり、土曜の昼にとあるショッピングモールに集合することになった。
だけど俺は涼森と会う約束のまえによるところがあった。
大型のショッピングモールによる影響による客がとおのいた商店街。何件もの店がシャッターを閉められたままだったがデザイン性のない古いデザインが皮肉にも何の店だったかは教えてくれる。それすらない店も多々あるのだが、その中のひとつにある飲食店に入る。
買い取った直後はほこりなどの汚れでまともに営業できない店だったが、今では狭いながらも豊富な酒の種類と木のカウンターがあるバーへと様変わりしていた。
事務所にいたのは、バーの机で競馬新聞を読んでいるディロンだけだった。
「こんな時間に珍しいな社長」
「ああ。おまえにすこし仕事を頼みたいんだ」
俺はディロンの横に座りながら、そう切り出すとディロンは視線を巡らせてまくしたてる。
「俺はこれから朝一のパチスロリセットを狙うために、パチンコ屋にいかなきゃいけないんだ。そのあとは競馬場にも行かなきゃいし、忙しいんだよ」
パチンコ屋の朝の整理券を受け取って時間を潰しているらしい。
「そういうのは忙しいって言わないんだよ。ギャンブルは仕事と一緒にやるから,
楽しいんだろ?」
「時と場合によるさ。今日は新台の設置日なんだよ。……まぁそこまで気になる台でもないから別にいいよ。なにすればいいんだ?」
「おまえに天津雅騎がむかしいた児童養護施設に潜入して調査をしてほしい」
「……たいしたことは知れないとおもうぜ。あいつのことを知りたいやつなんてかなりいるだろう? だからストーカー紛いのやつがもう調べてるんじゃないのか?」
「まぁ念のためだよ。俺はこれから『俺らしくない』方法で天津のことを調べるから、よけい疲れそうだよ」
「『らしくない方法』?」
「……今から、涼森鈴奈という天津雅騎の幼なじみに会ってくるんだ」
するとディロンはフューっとわざとらしく口笛を吹いた。
「女の子とデートかよ。ずいぶんと余裕だな」
「ああ。少し学校の付き合いに行かないといけなくなってな」
俺がそう言うとディロンは口をぽかんとして驚いた。
「……え? 友達いないんじゃなかったのか?」
バカにされてる感が半端ない言葉に思わずむっとしてしまう。学校でのキャラは俺が望んでいることなので反論はしない。
「いないさ。それが中道陽生のキャラだからな。今日だけの付き合いだよ」
俺の言葉にディロンはすこしいじけだす。。
「なんだそりゃ。俺らがせっせと情報集めてるあいだに女の子とデートかよ」
「そういうなよ。天津雅騎に対する情報を少しでも集めたいんだよ」
「はんっ。どうだかな。そう言いながら女の子とのデートを楽しんでんじゃねぇのかよ」
ディロンは俺の言葉を言い訳に捉えたらしく、苛立ちが募っているようだったので、これ以上の説明はしないほうがよさそうだ。
「とにかく、俺はこれからそいつに付き合わないといけないから、さっきの件、頼んだぞ」
「わかったよ。このことは、みんなに隠さず広めとくよ。とくにアネさんが知ったら、興奮するだろうな」
アネさんとはあのオカマのことだ。野郎扱いするとキレられるからアネさんとキースと
「……まぁどっちにしろ、天津雅騎のことがわかったら、報告するさ」
「デートのことも報告しろよ」
なおも冷やかしてくるディロンに、
「ああ。お前もおみやげよろしくな」
よ言い返してやった。
「けっ。言ってろ」
ディロンのからかうような言葉を軽く流しながら、俺は涼森との集合場所へと向かった。
駅前の噴水広場を見渡してみると目的の人物はすぐに見つかった。
涼森鈴奈は椅子に座って必死にスマホをいじっていた。
「よぉ」
声をかけるとようやく俺に気付いたらしい。
「中道くん」
スマホから目を離してにぱっと眩しい笑顔を向けた。
「ずいぶんとはやいんだな」
約束の時間までにはまだ十数分あるのに、彼女のほうが先に来ていたらしい。
「わたしってなにかにのめりこむと抜け出せない節があるから、すこしはやめにきたの」
「そうか。それより天津にするドッキリの内容は決まってるのか?」
「うん。だいたい決まってるよ。でもそのまえにまず……」
ふと、なにやら広場のほうで人だかりができている。
「……ん? なにか広場でやってるのか?」
「うん。近くでイベントをやってるんだ。ちょっと行ってみようよ」
気乗りした彼女とともに広場の方へと行ってみると、そこにはロボットと、その傍らに一人の中年男性が大勢の人間に囲まれていた。
俺は中年男性の名前を知っている。
「あれは九十九の製作者『白神卓也』だな」
「白神? 誰?」
「人工知能の開発において、生命保存の法則を応用したプログラムを作り、一躍トップサイエンティストになった人だ」
「みなさん。よくぞ集まってくれました。今日はみなさんに九十九を搭載したロボットをご覧にいれましょう」
白神博士がそう宣言すると、二足歩行の黒いロボットが機動音を出しながら、歩いてくる。
「うわっ。すごい! かっこいい!」
涼森は子供のようにはしゃぎながらロボットに注目している。
白神卓也はマイクを片手にスピーチをはじめた。
「かつてこの国は東日本大震災によって、福島第一原子力発電所の原子炉が爆発寸前の大事故を起こす手前でした。冷却装置の停止によって、燃料プールが冷却されず、放射線量が溢れる発電所では生身の人間による作業は困難でした」
会場の特設モニターでは過去の東日本大震災の影響で起きた津波によって崩壊した福島第一原子力発電所の空港写真が映し出されていた。
「人間では困難な状況で二足歩行ロボットの活躍が期待されましたが……」
白神博士はわざともったいぶるように言葉を切ったあとにモニターが当時人気を博していた二足歩行ロボットに切り替わったあと、言葉を続けた。
「当時のロボットではこの福島第一原発での作業は不可能でした。当時のロボットは転倒した場合、自力で起き上がることができず、がれきの下をくぐるなどといったことはまだできませんでした。事故の数年後、アメリカや各国が『ロボティクスチャレンジ』という災害救助用のロボット競技を行ってこの事故の作業をロボットで行うことが可能になりました」
「私は福島県の生まれでこの事故の影響で私の家族は福島から引っ越しをせざるを得ませんでした。チェルノブイリほどではありませんでしたが、福島には放射能が撒かれ、数年間は人が住めない地域になりました。私はこの事故でもし、天津くんのようなスーパーヒーローがいれば、もしかしたら放射能の流出を防げたのかもしれません。しかし、今や日本の有名人であり、国宝である彼をそんな危険な場所に行かせるわけにはいきません。そして人間に危険な作業をさせないように、これからはロボットが人間の代わりをしてくれます。それでは登場して もらいましょう」
白神博士の紹介とともに、彼の後ろにあった卵のような形をしたポッドが開きだした。
「何がでるんだろうねっ♪」
隣で涼森がわくわくと嬉しそうにしている。浮かれている彼女とは逆に俺は心底、嫌な予感しかしない。
「……さぁな」
俺はぶっきりぼうにそう言って、タマゴ型のポッドを見守る。演出のためだろうか、わざと濃度の高いドライアイスをくゆらせながら、ポッドは徐々に開いていき、中から全身白色の白銀の二足歩行ロボットが登場した。
「これが城鐘グループの作りあげた遠隔操作型ロボット『ヤクモ』です‼」
ポッドから小さな駆動音をあげながら、ロボットはうつ伏せで倒れた状態で起き上がった。
この『うつ伏せの状態から立ち上がる』という動作が人間にはなんでもないように思えて、実はロボットにはものすごく高度な技術なのだ。
人間の関節は内側と外側に対をなして存在していて、一方が収縮してもう一方が伸長するという形になっている。この絶妙なバランスが働いているからこそ、人間は日常生活を無意識に活動しているのだ。
その動きをロボットで行おうとした場合、安価なものでは関節部に各モーターを配置していたが高価なものでは人間の筋肉を模した人工筋肉アクチュータを使用している。その人工筋肉は力加減が複雑で、あまり酷使し続けるとすぐに破損してしまう。モーターの精度もさすがだが、その力学計算を効率よく自動計算してくれる人工知能――九十九だ。
「みなさーん。盛り上がってますかー⁉」
スピーカーから、白神博士とは違う、女の子の声が聞こえてきた。どこか男に媚びるような甘い声に、俺は嫌気がこみあげてきた。それと同時に、涼森の方も声の主にきづいた
「こ、この声はまさか……ヒカルちゃん⁉︎」
「みたいだな。友達でもないのに、よくわかったもんだ」
俺の軽い嫌味に彼女はむむっと眉をひそめる。
「こんなわかりやすいアニメ声を聞いてたら、誰だかわかるよ。それよりなんでヒカルちゃんが?」
「このまえの発表を見てないのか? あの八武崎ヒカルと七瀬葉介は天津雅騎のサポートをしているんだ。八武崎のほうはあの遠隔操作型ロボットで天津をサポートするらしい」
「そうなんだ。わたし。あの二人が転校した日、生徒指導室でこっぴどく叱られてたからあんまり詳しい話を知らないんだよね」
「それぐらいですんでほんとうによかったよ。……ネットで動画を配信しているのに、最近の話題に疎いんだな」
「いやぁ……わたし動画のネタ探しはするんだけどニュースはあんまり見ないからね」
「おおかた、あのヒーローの役に立ちたいと思ってやってたんだろうよ。あの女はヒーローに惚れからな。ロボットでも使ってヒーローのサポートがしたいんだろ」
俺の言葉に補足をするかのように、白神博士がマイクで彼女を紹介しはじめる。
「彼女の名前は八武崎ヒカル。幼い時からアイドルのレッスンを受け、ジュニアアイドルとして活躍しています」
「それじゃ、いっくよー♪」
彼女の掛け声とともに彼女が歌っているミュージックが流れ出し、踊りだす。
「実は彼女はこの会場にはいません。ヤクモは遠隔操作を行うことのできる彼女は遠く離れたところでヤクモを操作しているのです」
さらに音楽は続き、録音された彼女の歌が流れ、八武崎ヒカルはさもそこにいるかのように、ダンスをしてパフォーマンスをおこなうと、周りの観客も嬉しそうにはしゃいでいる。
「すごいねっ♪ すっごいね♪」
涼森はきゃっきゃっとはしゃぎながら、彼女はスマホをバックから取り出して撮影を始める。
「ああ……そうだな……」
俺は彼女の言葉に軽く答えながら、内心では冷や汗をかいていた。
それは先日、バーで『会社』の人間と話していた疑問の続きだった。
『この社会にスーパーヒーローは必要なのだろうか?』
俺は自分だけじゃなくて、俺以外の人間もそう思っているはずだと思っていた。
しかしこの会場の人間や隣にいる涼森のようにテレビにでてくるヒーローが集まってヒーロー戦隊のようになっていくのだと浮かれている。
……なぜだ? なぜこうして浮かれていられるんだ?
強大な能力者たちが『イザナギ』という得体の知れない組織によって集められ、強大な力を集めていく。
そして『救って』くれる? 『なに』から? 『なに』を? 『なぜ?』
そんな思考を自然と放棄しているここにいる全員、そしてこれをまとめるとするなら日本中の人間がそう思っている・
これはとても恐ろしいことだ。俺だけじゃなく、もしかしたら日本や世界を巻き込む事態になるのではないだろうか。
そして先日、俺の姿がテレビで報道されてしまった。補足の説明では憶測ではあるが俺が佐竹を殺したことになっていた。誤解したままの天津がイザナギの人間に、そう伝えたんだろう。
そんな考えをちらつかせながら、俺は涼森とヤクモのダンスを眺め続けた。
彼女は少し改まったような雰囲気で唐突に失礼なことを聞いてきた。
「今日お金いくら持ってきた?」
唐突に彼女が財布の中身を聞いてきたので、企画の内容はわからないが、俺になにか奢らせようとしていることを察して、俺は少しすくなめの金額を提示した。
「……五千円ぐらいだ」
本当は余分に二万以上の現金をまえもっていれていたのだが、この女にそれだけ大金を持っていると伝えると限界まで奢らされそうだったのであえて言わないことにした。
「中道くん。おなか空かない?」
「そんなに空いてない」
俺は彼女のあきらさまな提案をはっきりと断った。
「むぐぐ……私はこの日のためにおなかペコペコにしてきたよ」
彼女は腹部をさする仕草をして空腹をアピールしてきたので、そこでようやく涼森が何をいいたいのかがわかってきた気がする。
「つまり……動画を撮影するまえに、俺に飯をおごれと?」
「イエス! 今回撮影するドッキリのまえに、まずは食レポ風動画を撮ろうとおもうんだよね」
嬉しそうにガッツポーズをとる彼女の言葉に俺は驚いた。
「……はぁ? 今日の撮影は一回だけじゃあないのか?」
天津に対するドッキリの動画だけだとおもっていたが、彼女はそんなことないじゃん。とでも言いたげな雰囲気だった。
「ちっちっちっ。動画を投稿するのは一日に一回が限界だけど、撮影は二回以上しないのが動画投稿者だよ」
あまりにも堂々としているのでこれ以上聞くのは諦めることにした。
「わかったよ。飯は俺がおごるから、好きなものを食えよ」
どちらにしろ今日一日は彼女と付き合わなくてはいけない。
「じゃあそろそろ行こう♪ まずはあっちの商店街のほうだよ」
彼女は嬉しそうに目的地はどこなのかは彼女の性格から察するに無駄なことだと知っていたので、大人しくついていくことにした。
しばらくすると、某全国チェーンのステーキハウスの前までやってきた。
「じゃあはいこれ持って、撮影許可をとってきて」
そう言って彼女はバックからスマホを取り出して俺に手渡した。カメラの型には詳しくはないけれど、画像の解像度などで、おそらく中古で買ったのだろう。
「撮影許可? 慣れているおまえがとったほうがいいんじゃないのか?」
どうせ押し付けられただけだろうが、受け取ったカメラに向けながらいちおう聞いてみる。
「……ちょっと『やむをえない事情』があって……」
俺はスマホのカメラに夢中だった視線を涼森に戻すと、彼女の表情はどこか気まずそうだった。
「……『やむをえない事情』?」
「ちょっとお客さん」
後ろから声をかけられ、背後の人間に気づいた俺は振り返った。
そこにいたのは、肥え太ったからだの割に、ボーイに見立てた制服はきれいに整えられた中年の男だった。
「ああ、ちょうどよかった。おれたちこれから動画の撮影のために――」
「あんたうしろの子の連れだろ? その子。うちの店でだいぶやらかして、出入り禁止になったからね。そんな子と一緒に撮影どころか、入ることもだめだよ」
「……………出入り禁止?」
俺は中年男の言葉を聞いてようやく涼森の『やむをえない事情』という言葉の意味を理解した。
「……………おい、どういうことだ?」
「……いやぁ。以前この店で、『店の中でおおごえを出してみた』っていうベタなネタだけどなかなかやってみたら気持ちが良くて、調子にのっちゃって……」
涼森は目を泳がせながら、言い訳をしはじめた。
「おかげで店がかなりの大騒ぎになっちゃって、大変だったよ。だからその子は出入り禁止だ。君も彼氏なら、彼女の趣味をやめさせるか、別れたほうがいいとおもうよ」
「別に彼氏じゃないです。ただ動画の手伝いを頼まれただけなんで」
「そうなの? でもまぁ、うちの店は出入り禁止だから今日は来ないでくれ」
「わかりました。それじゃあ別の店を探してみます」
俺は店員の言葉に素直に従い、涼森を連れて別の店へ向かうことにした。
しかし俺たちは他の飲食店に行くたびに、店員から入店を断られた。
まぁ厳密には俺が「涼森凛奈という動画投稿者が撮影したいんだけど、撮影してもいいか?」と彼女の名前を出すたびに店側から一方的に断られた。
彼女が問題を起こした店はもちろん、彼女が問題を起こしていない店でも入店を断られた。なんでも彼女の動画を見て、自分たちの店でも同じことをするんじゃないかという理屈らしい。
俺たちは商店街から離れた公園で一息つくことにした。
「……おなかへった」
出発前とはうってかわって、ベンチでうなだれている涼森に。
「自業自得だろうが。ある意味で天津よりも有名人だな」
と皮肉まじりのツッコミを入れた。
俺はこの女の動画に対して、たいして興味はないがここまで一般人に断られるとなると、すこし内容が気になった。
「いやぁ。照れまするなぁ♪」
「褒めてねぇよ。少しは他人に迷惑をかけない方法を考えたらどうだ?」
「いいや、断固断る‼」
ぶっとばしてやろうか。このくそアマ。
「……なんでだ?」
怒りを必死にこらえながらそう聞いた。
「おもしろい動画っていうのは、一歩道を外れなければいけないの。たとえ私のアンチが増えようと、関係ない。私は私の動画を撮り続けるの」
なぜか堂々と言い張る彼女に、俺はすこしだけ感心した。
日本中が天津雅騎をはじめとするイザナギの人気に取りつかれ、
天津雅騎もまた人からの人気を必死で集めようとしている。
そんな彼らに対してこいつはこいつのやりたいことやっているとおもうと、『悪役』それなのにこの女はアンチに何を言われても、気にせず撮影を続けている。その覚悟はさすがだとおもうが。
「そうは言うが、それで飲食店から出入り禁止になれば、意味がないとおもうんだがな」
出入り禁止になって撮影ができなくなっては意味がない。
「ぐぬぬぬぬ…………こ、こうなったら……」
彼女はうなりながら、スマホを熱心にいじりだした。
「……いいかげん、どこかのコンビニか持ち帰りの食べ物で済まさないか?」
「まだだ、まだ終わらんよ‼(赤い彗星風)。次の店がラストチャンス」
諦めの悪い彼女に嫌々ながら腰を上げ、
「わかった。でも次が最後だからな」
と念のため釘を刺したうえで俺は彼女と一緒に最後の店へと向かった。
彼女について向かったのは、なんとここに来る前に寄った俺のアジトであるバーのある商店街だった。
(もしかしたら、この女が行くのは俺たちのバーか? だけどあのバーの営業時間は)
「あそこが目的のお店だよ」
俺は彼女が指した場所に目を向ける。
「……もしかしてあの飲食店か?」
遠目で赤い看板に『めし処』という文字が見える。しかしどうにも彼女の意図がうまく理解できなかった。
「うん。ちょっと聞いてきて」
「……わかった」
俺は店の入り口へと近づいていったが、客らしき人の気配がほとんどない。
まぁ考えても仕方がないので、そのまま引き戸を勢いよく開ける。
「おわっ⁉ びっくりした‼ 客かよっ‼」
素敵な『いらっしゃいませ」だなおい。
料理人らしい前掛けをつけたおっさんが客の座るテーブルで、漫画『美味しんぼ』を持ったまま、ぎょっとした目をこちらに向けてきた。
「……すみません。今は営業中ですか?」
若干こちらのほうが面喰いながらも、俺は店員構わずアポをとってみた。
「は、はい。やってますよ。一名様ですか?」
ずんぐりと太った巨漢のおっさんはとても衛生的とは言い難い薄汚いティーシャツに黒いカーゴパンツのラフな服装で接客を始めた。
「すみません。撮影しても大丈夫ですか?」
「……撮影?」
少し慣れないことをするせいか、俺は緊張しながら撮影許可を求めると、おっさんはきょとんと困惑して固まっていた。
「ネットで動画を投稿している涼森凛奈っていう女の子がここで料理を撮影したいって言ってるんです」
「インターネットで動画投稿されるのか……いまいちピンとこないな」
「……じゃあ『リンリンチャンネル』っていう番組も知らないんですか?」
「『リンリンチャンネル』? おじさんは知らないなぁ」
おれはそんなおっさんの様子で、なぜ涼森がこの店を選んだのかという
いまいちピンときていないおっさんにさらに推し進める。
「もしかしたら動画がきっかけでお店が繁盛するかもしれませんよ」
もちろんそんなことで店が繁盛するかなんて知らない。俺にしてみればどうでもいい。とっと終わらせるだけだ。
「べつにいいじゃない」
俺の提案に賛同したのはおっさんではなく、店の奥から現れた細身のおばさんだった。
「どうせお客さんもそんなに来ないんだから、それぐらい自由にさせてあげればいいじゃない」
穏やかな口調でおっさんにそう諭すやりとりをみて、彼らが夫婦同士なのがわかった。
「ありがとうございます。それじゃあ、連れを呼んできます」
俺は軽く頭を下げて礼を言いながら、俺は一度店内を出た。
外にいた涼森はスマホの画面を凝視しながら何かをチェックしていた。
「おい。アポとれたぞ」
俺が呼びかけると、彼女はこちらに向き直ってニンマリと嫌な笑みを向けた。
「ごくろう♪ いやぁ流石だねぇ」
涼森はどこか上から目線で行ってきたので、俺はおもわずひっぱたきたくなった。
「こう言ったらなんだが、あまり繁盛しているお店とは思えないな」
「そりゃ、そうでなくちゃ困るよ。」
繰り返すかもしれないが、俺は動画投稿のことを詳しく知らない。だから彼女の言う『大抵の動画撮影者の投稿』を知らない。
「こんな潰れそうなお店で動画のネタになりそうなものがあるのか?」
「SNSでここの料理は美味しくないっていう情報が出回っているんだけど、そのなかでもかなり面白そうなメニューがあるから来てみたの」
「面白そうなメニュー?」
俺がそう聞き返すと彼女は目線を宙に逸らした。
「と、とりあえず中に入ろうよ」
涼森は答えをはぐらかすように、再びカメラを差し出して撮影を促した。俺自身は撮影をとっとと終わらせたかったのでカメラを受け取って涼森と一緒に店内へと入っていった。
店内に入ると、先ほどのおばさんが店で待ち構えていた。おっさんの方は厨房の方に引っ込んだらしい。おばさんが注文を聞いて、おっさんが作るのがこの店の営業スタイルらしい。
「いらっしゃい。好きな席に座っていいからね」
高校生相手に敬語を使う気はないのか、おばさんがタメ語で俺たちに席を勧めてきた。
「涼森。どこで撮影をするんだ?」
あらためて店内を見渡してあらためて気づかされた。この店は個人で営業している飲食店とはいえ、あまりにも汚すぎる。
「えっとね……」
涼森は自分なりの撮影プランを練りたいらしく、ぐるりと店内を見渡していた。
「じゃあ、あっちにしよ」
彼女は店の座敷席に決めたらしい。乱雑に靴を脱ぎ散らかすと、手書きのメニューが書かれた壁沿いに腰を下ろした。
「中道くんはカメラだからそっちね」
「……わかった」
彼女に促されて俺はテーブルを挟んで向かいの場所へと座る。
「メニュー表はこれね」
おばさんが俺たちにメニューを差し出してくる。俺はそれをテーブルに置いて涼森に見えるようにしながら、自分でメニューを読んでいった。
親子丼、カレー、ラーメン。チャーハン。唐揚げ。
……メニューの内容に特に変わったものはなない。彼女はいったい何を頼む気なのだろうと、彼女の顔を仰ぐと彼女はメニューには目もくれず、びしっと親指を立てて答えた。
「横綱カレー」
彼女が注文した途端、おばさんの顔が驚きに変わった。
「え? おじょうちゃん。あれを食べる気なのかい?」
鼻のでかいおばさんが冷や汗をかいているのを、俺は横で見つめていた。いったいそのカレーには何があるのだろうか? 今日初めてこのお店に訪れたおれにはまったくもってわからない。
だがおばさんの心配など、知ったものかと言わんばかりに涼森はびしっと親指を立てて答える。
「だからいいんでしょ? 動画のネタにはぴったりだよ」
彼女の発言におばさんは数秒ほど唖然としていたが、すぐに満面の笑みを浮かべてオーダー表を書き込みながら答えた。
「わかったわ。じゃあそっちの彼氏は何にするんだい?」
「……そうですね……」
俺はメニュー表を眺めて軽く思考する。この店の内装と彼らのやる気。そして涼森の謎の目論見から察するにおそらくこの店の料理はどれを頼んでも美味しくはなさそうだ。
「チャーハンでお願いします」
ならばここは素人でも簡単に作れそうなメニューを頼んでおくのが無難そうだ。
「あいよ。チャーハンね」
注文の確認に俺はうなずくだけで応対すると、おばさんはそそくさとおっさんのいる厨房に入っていった。俺がその姿を観察していると、ふいに涼森が説明を始めた。
「じゃあここらへんでわたしから、中道くんにお願いがあるんだよね」
「なんだ?」
「動画撮影中は喋らないこと。わたしに彼氏がいるってネットで流れたら、私の評判がガタ落ちに――」
俺は身を乗り出して腕を伸ばし、テーブル越しに彼女の顎を鷲掴みにした。
「……誰が『彼氏』だって?」
そのまま手のひらに軽く力を入れて彼女の暴言を訂正してやった。
「いたたたたっ! いたいいたい。ちょっと言いすぎました‼ ごめんなさい。ごめんんさぃぃ‼」
素直に謝ったようなので、俺は指の力を抜いて彼女を開放した。
「ふつう女の子にアイアンクローかますっ⁉ ありえないよ‼」
彼女が顔をさすりながら抗議してくるが俺は全く反省していなかった。
「おまえが変なことをいうのがいけないんだろうが」
「そんなんだから、友達がいないんだよ」
「お前もいないだろうが」
「もういいもん。とにかくわたしはカメラに向かって話しかけることもあるけど、ロッキーは喋らないでよね」
彼女がむくれていると、厨房の奥から料理が運ばれてくる。
「あいよ。おまちどう様。これがウチの名物。横綱カレーだよ」
おばさんが涼森の前に置いた料理をみて俺はその大きさに仰天した。
直径三十センチほどある赤色の器に盛られたご飯の上になみなみと溢れんばかりにカレーののルーがはみ出るほど盛られ、さらにまるで生け花のように揚げ物が刺されていた。
俺はその大量のカレーライスを前にする彼女に問いただす。
「……こんなにもたべれるのか?」
「なんとか大丈夫。……まぁいざとなったら編集でうまくごまかすから」
「……いまなんて言った?」
「いいから、いいから。撮影をはじめるから、ここからは喋らないで」
俺は彼女に言われたとおり、俺はここからは喋らずに黙ることにした。
「はいどうもー♪ リンリンチャンネルにようこそぉっ! さぁ今回参りましたのは、創業三十年で評判だった父親が亡くなり、そのあとを継いだ息子さんの料理が『すごく不味い』と別の意味で評判がたって客足がピタリと止まってしまったここめし処に来ました」
彼女がそう説明した途端、厨房の方から、
「うるせぇよぉ!」
とおっさんの叫び声がした。
俺はカメラをそのまま涼森に向けたまま、首だけをひねって振り向くと、あのおっさんが調理台を叩きながら、叫び声を上げていた。どうやらこのおっさんが店を継いでダメにした息子らしい。おばさんも戸惑い始めたが、涼森の放送は続いていく。
「そして、苦肉の策の謎の名物「横綱カレー」。これもただインスタント食品を盛り合わせただけのバカ盛りメニューで、完食しても、特に意味はなし!値段は
一杯三千八百円と無駄に高い!」
そんなネタメニューをおごらせる気だったのか。というよりもそんなことを
そう思わず大声で怒鳴りたくなるような気持ちを押し殺して、撮影を続けていく。
「な、なんてこと言うのこの子は……」
あれだけ優しかったおばさんもさすがに怒りで顔を真っ赤にさせていた。
「さぁ、ということでいただこうとおもいまーす♪」
彼女はスプーンを手に取って、下のほうからすくって口へと運ぶ。
「……もぐもぐ……うむ……」
そしてよく咀嚼して、確かめて味の感想をひとこと。
「完全にレトルトカレーだね」
「うるせぇ! だまって食えっ‼」
厨房にいるおっさんが怒鳴り声をあげる。
「お湯であっためるだけなのにわざわざカレーなんか作らねぇよ!」
料理人とはおもえれないほど、料理に手を抜いているようだった。
「さらにカレーのルーの色が微妙に違います。これはいったいなぜでしょうか?」
涼森がカレーの皿を傾けてカメラへ向ける。たしかに涼森のいうとおり
「仕方がないだろうがっ‼ おなじ種類のカレーがなかったんだよ!」
正直で実に結構だな。
「……はい彼氏。チャーハンね」
おばさんは苦虫をつぶしたような嫌そうな顔で俺のよこに注文のチャーハンを置いてきた。
俺は右手でカメラを構え、もう片方の手でそのチャーハンを一口味見した。
濃い味付けとねっとりとした油の後味が舌に残った。あきらかに冷凍食品の味だからうまいも不味いもなにもないのだが、やはり個人店で食べるものではない。
「それじゃあ、味の感想を言ったところで、どんどん食べていきましょうっ!」
そうして彼女は周りの反応などお構いなしに、バカ盛りメニューを食べ進めていった。
そしてそれから数十分後のこと。
「うおぇええぇぇえっ!」
クリーム色の塗装が黄ばみ始めてているトイレのドアから、年頃の女子高生とは思えれないような嗚咽音が響き渡る。
彼女はカレーを無理に食べ過ぎたせいで店のトイレで嘔吐していた。
テーブルに残されたカレーはおよそ三分の二以上も残っていた。予測はしていたが、普通の一般の女子高生にあれほどの量は食べれはしなかったのだ。レトルトの寄せあわせとはいえ、かなりもったいない。
とはいえ、俺は自分が注文した(冷凍)チャーハンを食べ終わったが、たいして美味しくもないレトルトのカレーに手をつけようとも思わない。
「なぁ彼氏さん」
振り返るとさっき厨房にいたおっさんが睨むように俺に声をかけてきた。
「お会計なんだけど、迷惑料込みで一万五千円払ってくれ」
迷惑料? 何言ってんだボッタクリバーかよ。
「迷惑料って……トイレの汚染迷惑じゃあなくて、彼女の動画投稿での迷惑のことですよね」
よく酔っ払いがゲロを吐いてトイレを汚染して代金を請求される場合があるが動画の投稿でどうこう言われるのは聞いたことがない。
「そうね。いきなりやってきて、うちのお店を良いように紹介してくれるのかと思ったら、悪いようにしか言ってなかったじゃないっ⁉」
おじさんにつづき、顔が小さくて鼻がでかいおばさんもかなり彼女の暴走ぶりに腹を立てているようだ。
「た、たしかにそうですけど……」
二人の威圧感に押されて、普段からラーフとして仮面をつけて、ふざけた口調で話す俺も言い淀んでしまう。
「……………………………………」
肝心の涼森は嗚咽音がしてからというものの、それからなにも話さなくなった。
「俺も何も知らされていなかったんですよ。彼女の動画を手伝うのも、今回が初めてです」
俺はなんとかそう言い訳をした。
「男なら、付き合っているおんなのぶんまでしっかりと払うのが責任っていうもんだろ?」
「……いやべつに付き合ってないんで……」
「あらそうだったの⁉ まぁ男女二人で遊んでいれば、そう見えるのも仕方ないわよ」
悪びれもしないおばさんに更なる苛立ちを
「わかりました。払います。……彼女の動画を流すかどうかに関しては彼女にまかしてもらっても大丈夫ですか? 正直のところ俺もここの料理はまずいとおもいます」
俺がそう提案すると、おっさんとおばさんは少し押し黙ったあと、しぶしぶ了承した。
「……わかったよ。どうせ今の時代、情報の拡散なんて止められやしねぇしな。こんな店にきたのも、おやじの味じゃあなくて、俺の料理のまずさが目当てできたみたいだしな」
「どういう意味ですか?」
「あの女の子が言ってたとおり、この店はもともと、おやじが一人でやってた店だったんだが、そのおやじがこのまえ心臓発作で急に死んじまって、急遽俺が後を継ぐことになっちまったんだ」
「料理の経験はなかったんですか?」
「ああ。俺たち夫婦はもともと、コンビニのバイトで生計を立てていたんだが、料理はあまりしたことがないんだよ。おやじが死んだあと、この店を継いだんだけどよ。俺は飲食店のバイトをすると、なぜかシフトを一方的に減らされて、実質クビ扱いにされるような男なんだよ」
「聞いてもいない経歴にツッコミどころが満載ですね。それでおやじさんのお店でその料理の味の再現に失敗してしまったのですか?」
「ああ。正直おやじとはうまくいってなかったんだ。料理は『美味しんぼ』で勉強したんだけど、おやじの評判が良かったからしばらくは安いレトルトで儲けができるかなと思ってたんだが…………」
料理をしろよ。漫画呼んでレトルト食品あたためてただけじゃねぇか。
「つくづく立派なカスのような営業方針だとおもいますけど……お客さんがあっというまに離れちゃったんですね」
「だいたい一週間だよ。SNSやら掲示板とやらで、バカどもが書き立てたおかげで一週間足らずで店は閑古鳥が鳴くような状況になっちまったよ」
「全国の飲食店に謝れ。というよりもうここまできたんならいっそのこと閉店にしてしまえ」
「……あなた、途中から言いたい放題ね。……まぁ、確かにやっぱりわたしたちには飲食店は向いてなかったかもね」
なんだかよくわからないけれど、急に悟りだした鼻でかババァが鼻ミニおやじを。
「……そうだな。いくらマンガを読んでも料理はちっともうまくならないしな」
「でしょうね」と俺は容赦なく口を挟む。
「お義父さんのお店を潰してしまって申し訳ないけれど、お義父さんの料理はお義父さんしか作れないのよ。このまま、このお店は畳んで新しい事業をはじめましょうよ」
「そうだな。最後にこのカップルから材料費が千円以下の安い飯で儲けさせてもらったからな。今日から店じまいにして、夜に焼肉でも食いに行くか」
「ヤケクソだからってぶっちゃけ過ぎだろ……」
「いいからはやく払いな」
殺意が芽生えたが、ぐっと堪えた。
「…………わかったよ」
俺は渋々ながら納得し、手持ちの黒い長財布をバックから取り出して紙幣札から一万五千円をおっさんに渡した。
「……最近のガキは金を持っているんだな。本当に出すとは思わなかったぜ」
おっさんはしげしげと金を数えながらつぶやき始めた。
「もしものために入れておいたんですよ。もしかしたら、相当の出費になるんじゃないかとおもい、あえて彼女に隠したまま」
それは涼森に他の何かをおごられないようにするためではあったが、なぜかおっさんは異常なほど納得していた。
「なるほど! ホテル代はデート代とは別にいるもんな! わかるぞ少年! 俺も昔、デート代に力言えすぎてホテル代がなくて青姦を強要しちまって女にふられちまったぜ!」
なんだかよくわからないがどうやらおっさんは『予想以上の出費』という言葉を別の解釈で理解したらしい。
だがそんなおっさんに対しておばさんが険しい顔でおっさんに詰め寄っていた。
「あなた……それって、いつのこと?」
おばさんの怒りの声で自分の失態に気づいたおっさんは狼狽しはじめた。
「だ、だいぶまえのことだよ!」
奥さんの知らない交際関係のことを口走ってしまったらしく、おっさんは慌てた様子で弁解を始めている。
「ちょっと、あなたこっちに来なさい‼」
おばさんが勢いよくおっさんのクビ根っこをつかむ。
「な、なんだよっ⁉ べつにいいじゃんかっ!」
おばさんと二人で店の奥の方へと引っ込んでいった。
「……おい。おっさんたちはもういったから、いい加減出てこい」
俺はトイレに向かって涼森を呼びかけるとトイレからカギを開錠する音がきこえてきた。
そこからゆっくりとドアが開いて、おそるおそる周りを見渡しながら涼森が出てきた。
「……おじさんたちは?」
「奥の方にいる。……もう代金は払ったから、とっとと出るぞ」
ぶっきらぼうな言いかたで退店することを急かせながら、彼女のトートバックを手渡そうとしたが、彼女はなかなか受け取らない。
「う、うん。そのまえに口をゆすぎたいんだけど……」
彼女は口元を隠しながらそう言ったのでふとくる途中に公園があったのを思いだした。
「なら、もう一回あの公園に行くぞ」
「うん。はやく行こ。ここのトイレ汚い」
「汚したお前が言うな」
そんなやりとりをしながら、あの夫婦に気づかれないように、そそくさと店内をあとにした。
店からしばらく離れたあと、街中にある公園には走り回ったり、遊んでいる子供の集団でごった返していたが、幸いにも手洗い場は空いていた。
「とっととゲロをゆすげ」
生臭い女を手洗い場まで誘導したあと、
「そんな言い方ないじゃん。……ほんと女の子の扱いが雑だよね」
俺のぞんざいな扱いに涼森が不服そうにしながらも水飲み場の蛇口を捻った。
「言われたくないんなら、ゲロなんか吐くな」
涼森はしばらく口のうがいをおこなったあと、蛇口を閉めて口元を手で拭った。
「それじゃあ、そろそろ天津くんのドッキリをしかけるところに向かおうか」
俺もその言葉を聞いて、ようやく今日の目的の場所に行けるのかと安心した。
「そうか。それならはやく行くぞ。俺も忙しいんだ」
「はいはい。あんまり遅くまでいたら、ホテルに連れて行かれそうでこわいものね」
「行かねぇよ。絞め殺すぞクソ女」
そんなやりとりをしながら、俺たちは二人そろって目的地へと向かった。
着いたのは、とある町工場の跡地らしい。建物内部は黴臭く、むき出しのコンクリートと、ほこりの積もった床で長年放置していたようだったが、机などの器具は一切なかった。
「ほこりくさっ⁉ とりあえず窓開けよ」
そう言って口を手で覆いながら、窓を開け始めた。
「ここの所有者に無断で使っていいのか?」
「大丈夫だよ」
背後からしゃがれた老人に声が聞こえて、俺は振り返った。
そこにいたのは、ガリガリに痩せた細身の老人だった。
「あなたは?」
俺の質問に今度は涼森が答えた。
「ここの工場で働いてた中澤さん」
涼森の口ぶりに、俺はここの建物の所有者ということを理解した。
「ここ、本当に使ってもいいんですか? この女にまかしたら、どうなるかわかりませんよ?」
さきほどの飲食店でのできごとで今回も関係各所に迷惑をかけることはわかりきっていることなので、先に老人に忠告をしておくことにした。
「い、言い方がひどい……」
涼森はわざとらしくそんなふうに言ったが、俺は容赦しない。
「ヒーローがここを壊してくれるんだろ? べつに構わんよ」
……なんか間違ったかたちで理解してますけど……?
「いや、べつにここにヒーローが来るんじゃあないんですけど?」
「そうなのかい? まぁべつに構わないよ。どうせ使っていない建物だ。動画だがなんだか知らないけれど、好きに使ってくれてかまわない。いっそ壊してくれたほうがいいというのは、私の願いだよ」
投げやりな口ぶりとはべつに、老人の目つきはどこか寂しげだった。
「ちなみにこの工場はなにをつくっていた工場なのですか?」
俺は何気ない質問をしてみた。そうすることでこの老人が何を訴えているのかを知れる気がした。
「この会社は『小さな部品』を作っていたんだよ。大手企業の機械では作れない部品を作っていたんだけどね」
【ここでいう『小さな部品』に関しては、トラブルの原因になるのであえてふせておきます.
勉強不足ですみませんby作者】
「ここで働いていた跡継ぎの自分の息子が大手企業にヘッドハンティングされたんだよ。わたしはここの技術を盗まれるんじゃあないかと心配になって息子をとめたんだがね。待遇の良さに息子はどうしても聞き入れてくれなかった。そのあと、大手企業に就職した息子は数年後に自殺したんだ」
「自殺?」
「大手企業のもとで息子は部品を作っていたらしいんだが、そのうち、息子が作る部品を機械が作れるようになったらしい。でも息子は誰にも技術を教えてないらしい。おかしなものだけどね。でも息子はその技術を盗まれたことで、会社から追い出されて、さらには私の会社も発注がなくなってしまい、ついには工場そのものがなくなることになったよ」
「……そうですか……大変だったんですね……」
おそらく、技術が盗まれたのは九十九の影響だろう。人工知能は大量の強化学習をエンジニアが行わなければいけないのだが、技術者の道具に九十九を搭載しているため、彼らの技術すべてを強化学習に反映されるのだ。
「いや、ここはたたんじまったけれど、蓄えはあるからね。今はゆっくり暮らしているよ。この場所も誰にも使われないよりかは、誰でもいいから使ってもらったほうがうれしいだろう」
「そうですか。ありがとうございます」
「それじゃあ、おじさんは帰るよ。すぐそばにあるあの家に住んでいるから、なにか問題があったらきてね」
そう言って向かいにある民家を指さした。そんなおじさんに涼森は愛嬌たっぷりと
「ありがとう♪ おじさん」
言うと細身のおじさんはうれしそうに、にやつきながら、手を振り返していた。
なんだそりゃ。話を聞いて損したのかもしれない。
途中でシリアスな話になったけど、けっきょくは涼森みたいな可愛い女の子に相手をしてもらいたかっただけなのかもしれない。
細身のおじさんが去ったあと、彼女の横顔を見つめながら俺は話を切り出した。
「ところで、そろそろ天津のことを聞いてもいいか?」
「うん。そろそろ準備しないとね」
涼森はそう言ったあと、カバンの中からロープの束を取り出した。
「…………なんのロープなんだ?」
「SM用のロープだよ。これでわたしを縛って」
俺は彼女の真意を聞く前に、とりあえずその空っぽの頭をひっぱたいた。
「痛いよっ⁉ なにするのっ⁉」
勢いよく叩かれた頭を押さえながら抗議する涼森に、俺は問いただす。
「おまえこそ、どういうつもりなんだ? 天津のドッキリを仕掛けるためにわざわざこんな場所に俺を誘い込んだあとに、ロープで自分を縛ってくれだとか。変態なのか?」
「そうじゃないよ。縛られた様子を雅騎の携帯に送るんだよ。今回のドッキリの内容は『幼馴染が誘拐されたヒーローはすぐに助けにくるのか』っていう実験系動画なんだよ」
「じゃあ、最初からそう言えよ。……っていうか、もったいつけておいて、内容はそれだけなのか?」
「そうだよ。たしかに本当は爆薬を用意したり、もっといろいろやりたいけれど、予算がないからしかたないじゃない」
「爆薬は予算があってもやるな。というかこんなことをやるのに、俺が必要なのか?」
「もちろん。ひとりじゃあ縛れないもの。とりあえず撮影する内容は三つ。一つはまえに屋上で撮影した企画を自己紹介するものの続きを撮影するもの。もう一つは雅騎にボイスチェンジェーを使ってかけるところ。最後は雅騎がここにくる動画だよ」
「ああ。そうですか……じゃあとりあえず、最初は縛られていない状態で『これを使って縛ろうとおもいます』といって、手足だけ縛って撮影したほうがいいんじゃあないか?」
「うん。でもやっぱりエロは大事だからやっぱり『亀甲縛り』とか凝った縛りで……」
俺の提案を無視した涼森に、バシンと頭をはたいて突っこんだ。
「なんでわざわざ『エロ』の方向に持っていくんだよ。お前は変態なのか」
「しょうがないじゃないっ‼ そのほうがチャンネル登録が伸びるんだからっ‼」
「仕方がなくねぇよ。とりあえず縛りは無しだ」
「ぶー。じゃあ冒頭の部分から撮っていくね」
「はいどうもみなさんリンリンですっ‼ 今日はですね。あのスーパーヒーローであり、わたしの幼馴染である天津雅騎くんは、幼馴染であるわたしリンリンを助けにきてくれるのか? という実験をしていこうと思っています」
涼森は縄をカメラに映るようにつまみあげる。
「今回はこの縄を使って、私の両手足を縛っていきたいとおもいます…………はい、カット!」
俺は彼女の合図でカメラの撮影ボタンを押した。
「ちゃんと撮れた?」
涼森は俺の手からカメラを奪う。
「しらん」
俺の投げやりな言葉を気にも留めず、彼女は先ほど録画した画像に釘付けだった。
「結構よくとれてるじゃん♪ ……でもけっこう暗いかな」
「そうなのか?」
俺も彼女の横から、スマートフォンをのぞき込んだ。確かに照明が少なく、涼森の姿があまり映っていないようだった。
「これじゃあ、ここでの撮影は難しいかな……やっぱり想像していたものとは違うもんだね」
すこし落ち込んでいる彼女に俺は窓から当たる光の加減と向きを考えて少しアドバイスすることにした。
「少しまどに近くて、光があたる方向で撮影をやってみないか? ほらこのへんなんかはどうだ?」
俺は彼女の肩を掴んで、彼女を光があたる方へとひっぱった。
「………………」
彼女は突然体を強張らして、顔を赤らめる。
「なんだおまえ? 照れてるのか? さっきはあんな下ネタ全開だったのに、ただ体を触られただけで、どうしてそんなに照れるんだ?
「べ、べつに照れてないもん‼ いいからこの位置で撮影しよっ。はやくしないと日も暮れちゃうしね。じゃあはい、はやく縛って」
「は? 今さっきのところは撮影しないのか?」
てっきりさっきのところが暗かったので、もう一回撮りなおすのかとおもいきや、どうやら次の撮影にいくらしい
「さっきのところは大丈夫だよ。それよりほら、はやく縛って」
どんだけ変態なんだ。
「わかったよ。軽く縛るだけだから、変な気は起こすなよ」
俺はきちんとそう付け足しながら、彼女をロープで縛っていく。
「……んぅっ……あぅ……」
俺は年頃の男子高校生という設定だが、まったくムラムラしない。むしろ腹立たしい
「変な声をだすな」
さっそく悩ましげな声をあげはじめた涼森を遠慮なくひっぱたく。
「いたいっ」
「くっくっくっ。天津雅騎よ。お前の幼馴染は預かった。この女を助けたければ住所○○○○―○○○まで来い」
俺は目の前のバカに一言ツッコミを入れることにした。
「自分で自分を誘拐している人間の気持ちってどんな感じだ?
そう。涼森はスマホで自分が手足を縛られた動画を見ながら、自分の声を使って犯人役として声を録音しているというなんともシュールなことをやっているのだ。
もっとも音声を吹き込むことによって声を変換してくれるアプリを使っているので、天津も誰の声かはわからない。
あのあと縛られた涼森の動画を撮り、けっきょく最初のオープニングをもう一度撮った。
「う、うるさいなぁ……本当は中道くんに頼むつもりだったのに……」
涼森はスマートフォンをいじりながら、ぼやいている。
「そんな恥ずかしいことまで付き合えるか」
俺がはっきりとそう断ると、涼森はぷくっと頬を膨らました。
「わかってるよ。どっちみち、雅騎に電話をかけるのは、私だもんね」
そう言って今度はスマホを頬につけて通話をはじめた。
「まて。もうかけるのか?」
「そうだよ。だから黙って」
さきほど編集したばかりだというのに、さすがに早すぎだろうと、止めたかったがもう涼森は電話をかけ始めていたので、とめることはできなかった。
「……むぅ……」
俺の音声が彼女の脅迫電話に入ってしまってはよくないので、なんとか口をつぐんで成り行きを見守ることにした。
天津雅騎視点
今回の番組の分類はいわゆるクイズ番組というものだった。僕とほかの出演者がチームとなり、五人一組の二組十名でクイズ対決を行い、勝ったほうが優勝。といういかにもシンプルなものだけど、正直ぼくは頭の良いほうではなく、出される問題なんて本当はわからないはずなんだけれど……。
「……これってズルなんじゃあないの?」
僕は海鳴から渡されたクイズの答えを書かれた台本を見ながらそう聞いた。
僕こと天津雅騎と七瀬葉介に八武崎ヒカル、城鐘海鳴の四人は一緒の楽屋に集まって、クイズ番組の答えを見ていた。
するとヒカル僕をたしなめるようにこんなことを言い出した。
「いちおう言っておくけど雅騎。普通に答えたら、ダメだからね」
「へっ? どういう意味?」
ヒカルの言っている意味がわからない。クイズに正解するのがクイズ番組じゃあないのか?
「つまり、答えをやるから『面白く間違えろ』ってことだよ」
僕の疑問に葉介が答えてくれたが、やはり意味がよくわからない。そんな僕に海鳴が口を挟む。
「……クイズ番組っていうのは、難しい問題を回答者が正解することが面白いという面だけじゃあないの。テレビ越しで自分がわかるような簡単な問題を、テレビの出演者が間違えて『こんなこともわからないのかよ』と優越感にひたるのが嬉しいのよ」
「そ、そうなんだ……」
僕はその言葉を聞いて思い当たる節があった。
「それでもまぁ……」
葉介はなにかを言いかけたあと、いきなり僕が持っていた紙を奪いとる。
「えっ⁉ な、なにすんのっ⁉」
すごい早業だったので、さすがに反応できずなかった。というよりなんで自分ももらった紙があるのに、僕のぶんを奪い取ったんだ?
「雅騎にはこういうボケは無理だ。だから答えを覚える必要もないし、面白い答えを探す必要もない」
「……そんな……無理ってことは……やってみないとわかんないだろ?」
たしかに葉介の言うとおり、僕は嘘をつくことが嫌いだし、面白いことを言うユーモアもないけれど、やるまえに無理と言われては僕も傷つく。
しかしそんなやり取りを見ていたヒカルがフォローを入れてきた。
「……確かに七瀬の言うとおりかもね。雅騎は答えなんか見ずに正々堂々と答えればいいのよ。そのほうが雅騎らしいよ」
……たしかにヒカルの言うとおりだ。たとえ間違っても、面白くなくても正々堂々とやったほうが僕らしい。
「……そうだね。海鳴。僕の問題だけ、さっきの紙に書かれていない問題をだしてくれる?」
そう海鳴に伝えると海鳴はふぅっと短い溜息をついたあと、優しいまなざしで答えてくれた。
「わかったわ。天津くんだけ、さっきの問題と違うのを出してもらうわ」
「ありがとう海鳴。これで……」
すると突然、僕の携帯電話が鳴り響いた。
「……たしか、楽屋の中は電話しても……」
以前スタジオで携帯が鳴ったときにものすごく怒られたのを思い出した。
「楽屋の中は大丈夫だよ。誰からかかってるの?」
芸能界の先輩であるヒカルに教えて、半ば安心したあと、自分の携帯の表示をみて驚いた。
「……凛奈からだ。珍しいな。電話なんかしないと思ってたのに……」
まえに連絡先を変えてから、文章で連絡とかは行っていたけれど、直接電話をしたことはなかった。
「もしもし。凛奈?」
僕は通話ボタンを押した瞬間に無駄に明るくて元気な声が聞こえてくると思って、なかば身構えていたけど、聞こえてきたのは機械で音質を操作された声だった。
『くっくっくっ。天津雅騎よ。お前の幼馴染は預かった。この女を助けたければ住所○○○○―○○○まで来い』
「な、なにっ⁉ お、おいそれいったいどういう意味……」
僕が言葉の意味がわからず狼狽しているあいだに、通話は切られた。
「……な、なんだよいったい……?」
「どうかしたの?」
「どうしたんだ?」
困惑している僕に他のみんなも異常を察知したようだ。続いて凛奈の携帯から何かの画像が送られてきたので、すぐに開くとそこには縄で手足を縛られた凛奈がいた。
「……涼森さんになにかあったの?」
僕は凛奈の画像を海鳴に見せる。
「どうやら凛奈が悪い奴に捕まったらしい。助けにいかないとっ!」
「はぁっ⁉ 助けにいくってもうすぐ番組の本番だよ⁉」
「人命が最優先だよ。番組よりも人のいのちがかかってるんだっ!」
急いでスーツに着替えるため、服を脱ぎ始めたそのとき。
「待って天津くん。……涼森さんなら、もう一つの可能性があるわ」
海鳴は自分の携帯を取り出してどこかに電話をかけた。
「もしもし。急いで確認してほしい端末があるの。…………ええ。…………涼森凛奈という携帯の撮影データをお願い…………………………そう……やっぱりね。その『今回の企画』っていう動画を私の端末に送って…………ええ。ありがとう。…………それじゃあね」
彼女は通話を切ったあと、ふぅっと大きなため息をつきながら自分の端末を見せた。
中道陽生視点
涼森が天津に電話をかけたあと、俺たちは指定された住所である撮影場所でずっと待ち続けている。もうさきほどから一時間ほど経過している。
「けっこうヒマだね」
「ああ……そうだな……」
もう飽きてしまったのか、かなり退屈そうな彼女を観察しながら、話を切り出すのはここしかないと感じた。
もともと俺の目的は天津雅騎に狂言誘拐で助けてもらうためでも、大量のカレーを食ってゲロを吐く女の世話をするためでもない。
すこしでも天津雅騎の情報を得るため。
この女から『天津雅騎の児童養護施設にいたときの話』を聞き出すことだ。
「……ところで、天津雅騎は子供のころからあんな能力があったのか?」
「うーん……むかしはあんな能力はなかったかな」
案の定、彼女はすんなりと昔話に乗ってくれた
「雅騎とは小学生のときに私が引き取られてから別々になって、また会ったのは高校に入学してからなの」
俺は彼女の話を黙って聞きながら、教室での会話を思い返していた。
「子供のときは雅騎と一緒にいろんなところに行って、いろんなことをしたの。小さいときの雅騎は臆病だったけど、優しくていつも私の相手をしてくれたの」
懐かしい昔話に涼森は少し顔を緩ませながら、話を続ける。
「高校に入学して同じクラスになってうれしかった。これでまた昔みたいに私と遊んでくれるって思ったの。動画に誘ったんだけど……、」
「…………断られたのか?」
「『今はヒーローをやっているから、凛奈と動画を撮ることはできない』って言われたの。その横には海鳴ちゃんがいて、『雅騎くんはもうあなたと付き合うことはできない』って言われたの。しだいにヒーローとして有名になっていって、日本で雅騎を知らない人間なんかいないようになって……」
まぁ俺はその誰も知っている人間をつい最近知ったんだがな。
「むかしはあんなに仲がよかったのに、ヒーローっていう存在になって、まるでもう手の届かない遠い存在みたいに感じるようになったの」
おそらく涼森と過ごしているときには、天津はあの能力に目覚めていなかったらしい。
……どうやら、今回天津の情報を聞き出すことはできないだろう。彼女の動画に協力したのは無駄だったらしい。
「……それで一人で動画を撮るようになったのか?」
動画の話に戻り、彼女は宙を見上げて鬱屈した感情からふっきれたように、すがすがしい表情で語り続ける。
「動画ってさ。ネットで誰でも無料で見られるから色々な人が見てくれるんだよね。私は超能力に目覚めたスーパーヒーローじゃないし、アイドルでもないけれど、雅騎と同じように有名になりたいの」
『同じように有名になりたい』。彼女の最後の言葉が気になって、俺は自分のなかである予測をたてていた。
「……もしかしてお前は天津のことが好きだから、天津のように有名になって肩を並べたいのか?」
天津はかなりモテる男だ。彼の肩書きと見た目と天然な性格。
あの財閥の娘といい、アイドルといい。ついでにいうなら義理の姉妹とあのサイボーグ男もあいつのことが好きなのか、そしてもはや世界中の人間の女があいつのことを好きになるんじゃないかと感じてしまう。
とうぜんこの幼馴染もこいつのことを好きなのだろう。
と、俺は予測していた。
「いや、ぜんぜん。ただの幼馴染だし」
…………俺の予想はどうやら間違っていたらしい。こういうところをシンイーに『女ごころがわかっていない』と言われる要因なのかもしれない。
彼女は完全に無意識に冷めた口ぶりであっさりと答えた。
「そ、そうなのか……あれだけもてるやつだから、おまえもあいつのことが好きなんじゃあないかと勝手に誤解していた」
俺が素直にそう言うと、彼女はほっぺに指をあてながら、すこし考えるような仕草ではなしはじめた。
「……うーん。しょうじきヒーローって言われても、わたしはあんまり魅力を感じないかな」
彼女は急に少し俺に近づいて、俺の目をのぞき込むようにしながら続けた。
「……それよりもいっしょに動画を撮ってくれるのを付き合ってくれる相手がいいかな」
「んなっ⁉」
突然の不意打ちに俺は驚いてしまい、間抜けな声をだしてしまった。
「おやおやー♪」
俺の失態を見て、涼森は気持ち悪い笑みをにやにや浮かべていた。
「どうしたのかな? 中道くぅーん♪ さっきまでクールだったのに、もしかしてわたしにぐらっときたのかにゃ♪」
わざとらしく声色を変えて、子供のようなからかい方をはじめる涼森。なんでこんな女に一瞬でも動揺したのかわからない。
「…………じゃあ、俺も『グラッ』とさせてやる」
こんどは俺が彼女に近寄り、全体を腕で締め上げた。いわゆるヘッドロックというやつだ。
「痛い痛いっ⁉ 照れ隠しにしては、ちょっと大げさすぎない⁉」
「うるさい。ちょっと油断したからっていい気になるな」
俺はこれ以上はやる必要はないかと判断して、彼女を開放した。
「……なんだよぅ。……なんかすごくクールぶってるし、やけに雅騎にこだわっているから
女の子に興味がないホモなのかとおもっていたよ」
こいつ、俺をそんなふうに見てたのかよ。
「俺はホモじゃない。確かに天津のことばかり聞いていたが、俺はあいつの能力が知りたかっただけだ」
ホモだと誤解されないよう、俺はまくしたてるように説明した。
「ヒッスイーだね(必死だね)。でもまぁ……しょうがないかもね。私もあんな超人パワーがあれば……よかったのに……」
彼女は急にしおらしくなり、なにか言えない言葉を言いたげに言葉をつぐんでいた。
「……どういう意味だ?」
俺は彼女の言葉を引き出そうとしたが、
「それより少し話が変わるんだけどさ。中道くん」
彼女なんでもないとでも言いたげに話を切り替えた。
「ん。なんだ?」
彼女なりに気を利かせたいらしく、話題を変えようとしたいらしい。俺もこれ以上天津雅騎のことを聞ける気がしなかったので、今日の目的は達成されているため特に話題を振る必要はない。
「『中道くん』って呼びにくいからさ。なにか別のあだ名が必要だよね」
「あだ名?」
学校で友達付き合いのない人間にそんなものは必要もない。
「別にそんなものはいらない。どうしても呼びたいんなら下の名前でひろきと呼んでくれ」
だけど変なあだ名をつけられてはたまったものではない。だけど、どうせなら読みにくい下の名前で呼んでくれると助かる。
「ひろきか……。じゃあ『ロキ』でどう?」
涼森の何気ない思いつきに、自分の中のある嫌な記憶がよみがえった。
『俺はロキだ‼ なにものにも変わることのできる神だっ‼』
そう。あれは。あれは悪夢だった。
ふと一瞬よみがえったフラッシュバックから我に返った。
「……まるで北欧神話みたいだな」
俺はぶっきらぼうにそう皮肉を呟いたが、彼女は北欧神話の神なんて知っているはずもなく、俺のたとえを理解できなかったようだ。
「よくわかんないけど、ロキで決まりだね」
しかも俺の皮肉を彼女は気に入ったものだと勘違いらしい。
「いや、おれは……」
その名前だけは、嫌なことを思い出すからやめてほしいと抗議しようとしたが、
「よろしくね。ロキ」
無邪気に浮かべる彼女の笑みを見て、俺はそれ以上の言葉が出てこなかった。
それからしばらく経ち、時刻は夕方五時半を過ぎた。
「もうそろそろ帰らないか? このままだと夜になるぞ」
俺の提案に涼森は首を横に振って答える。
「イヤ。ここまできて『雅騎がきませんでした』じゃあ、企画がダメになる」
「そうか。でもおまえ、ここで撮影をしたあとすぐに天津を呼び寄せるんじゃあなくて、来週に天津に連絡をしてこの時間に来いと時間を指定して来させたほうがよかったんじゃあないのか?」
「…………あっ。そっか……」
なんだこいつ、いまごろ気づいたのかよ。
「おまえ、動画撮るのに、向いてないんじゃあないのか? たしか本当はもっと収録の企画をたててやるもんじゃあないのか?」
「うぐぅ……」
「今日のあの白神博士のロボットショーだって、食レポ動画だって、おまえすこしなりゆきまかせすぎないか?もうすこし計画性をもって行動したほうがいいんじゃないのか?」
「うぐぐ……」
俺の指摘に、だんだんと涼森のうめき声をあげる声が大きくなる。
「だいたい……」
俺がさらに涼森に文句を言おうとしたが。
「涼森、誰かがここに近づいてきている」
ふと外から誰かがきたような気配を感じた。
「え? もしかして雅騎がきたのかな? じゃあすぐにカメラモードにしないとっ‼」
涼森はのんきにそんなことを言っていたが、以前廃工場で天津と出くわしたときに感じた気配とは違う。
「いやちがう。この感じは……警察だ」
俺の言葉にスマホを構えていた涼森は俺の言葉が信じられなかったようだ。
「そ、そんなことないでしょ? ヒーロー呼んだんだよ? なんで警察がくるの?」
しかしそんな気持ちとは裏腹に工場の外から大声で呼びかけてきた。
「警察です。すぐにでてきなさい」
その言葉に俺たちは凍りついた。制服姿の警官が待ち構えていた。
「涼森凛奈さん。あなたを逮捕します」
俺は警察署のとある部屋で軟禁されていた。いわゆる『留置場』だ。
涼森は俺とはべつに『取り調べ』を行っている。
手錠もされていないし、監視をする警察官もいなかったが、逃げ出すことはできない。
人工知能で監視された部屋では逃げ出すことができないのだ。
まぁ抵抗してもしてもしょうがないし、俺の素性がバレることはないので、のんびりしていると無精ひげを汚らしく生やしたおっさんが話しかけてきた。
「おい小僧。お前、その年でなにやらかしたんだ?」
「動画の撮影だよ」
おっさんは何かに気づいたようで、ハハハッと大笑いしはじめた。
「はははっ。盗撮かよ。スケベだな兄ちゃん」
見事な勘違いだが、的を得ていた。
「盗撮か……。なるほどたしかに『動画』だな」
こんなおっさんに、一本とられたかとおもうと、すこし恥ずかしくなる。
「おっさんはなにやって捕まったんだ?」
「酒を飲んで酔っ払って、電信柱を上ってポールダンスやって捕まったんだ。『わいせつ物陳列罪』だってよ」
「脱いだのかよっ⁉ ていうか電信柱でポールダンスなんてできるわけねぇだろっ⁉」
「いやぁ、むかしストリップ劇場でみたのを自分でもできるかなとおもったんだよ」
「…………おっさんを撮ったほうが、よっぽどネタになったかもな」
「変な気はおこすなよ。気持ち悪いぜ」
「おっさんに言われたくねぇよ」
「むかしはストリップ劇場っていうのがあったんだぜ兄ちゃん」
「やめてくれよ。この作品の年代の設定があやふやになっちまうよ。ただでさえ、『東日本大震災』で少しネタがゆらぎはじめているのに」
そんなことを話していると、ローファーの音とともに警察官が俺のところにきた。
「中道陽生くんだね。すこしはなしをさせてくれないか」
「……はい」
俺は警官の指示におとなしく従い、立ち上がる。
「じゃあな少年。勉強しろよ」
絶対に少年時代に勉強をしていなかったようなおっさんに言われたくはないが、さきほどまで陽気に話していたおっさんに不愛想に答えるのも、気が引けるので俺もそのまま挨拶を返した。
「ああ。おっさんも元気でな」
と手を振って『留置場』を出てそのまま『取調室』へとむかおうとすると、付き添いの警察官がバツの悪そうな顔をしていた。
「悪かったな高校生。本当はこんなところに閉じ込めるのはよくないんだが、今は人手不足でな」
警官はさもありきたりな言い訳でなんとか取り繕うとする。
「いえ、大丈夫です。気にしないでください」
俺はわざとなんでもないような雰囲気をだしながら答えた。
「それより、どうして僕たちは捕まったんですか? あの女、なんの犯罪動画をあげたんですか?」
若い警官はいかにも人のよさそうな雰囲気をだしていないをだしていたのだが、申し訳なさそうに続ける。
「理由は話せないんだ。しょうじき言って、ぼくたち警察官も『逮捕』ではなく、『保護』だとおもうんだけど、上から急に辞令が出てね。ついつい逮捕しないといけなかったんだ」
「……上からの指示というのは、直属の現場を指揮されている方から受けたのですか?」
俺の質問に警官は首を振る。
「いや、彼女の父親である警視総監の涼森浩一郎さんからの命令だよ」
俺はその言葉に我が耳を疑った。
「…………え? あいつの親、警視総監なんですか?」
「らしいよ。警視総監もあの子のやんちゃぶりに手を焼いているみたいだよ」
「そうなんですか。意外ですね」
俺はのんきにそんなことを言いながらも、涼森のその境遇に疑いの気持ちを抱いたままだった。
彼女は児童養護施設で育てられていた人間だ。そんな人間を警視総監のような社会的地位のある人間がわざわざ引き取る必要があるのか?
………………もしかしたら、俺の思い過ごしかもしれないが、もしかしたら彼女も……。
そんなことをしているうちに『取り調べ室』へと到着した。
するとドアに入るまえから聞き覚えのある声が聞こえる。
「いやいやでもさ。みんな落ち着いて聞いて……」
そこにいたのは、涼森と……。
「……聞いてっていわれても。さすがに狂言誘拐は困るよ」
天津雅騎。そして転入生二人と城鐘海鳴のイザナギのメンバーが集まっていた。
……なんでこんなところにイザナギのメンバーがいるんだ?
俺の存在に誰一人として目もくれず、ただじっと涼森のほうに気をとられている。
「そ、それじゃあ僕はこれで。君たちの『保護』はもう終わったから、もう帰っていいから。じゃあね」
同伴していた警察官がそそくさと退室していき、残された俺は仕方がなくその場の成り行きを見守ることにした。
周りの怒りに対して、彼女は全く悪びれる様子はない。
「クラスの様子をネットに流したら、雅騎たちが人気者だから、再生回数も伸びるんだよね。雅騎たちのファンも増えてウィンウィンの感じになるとおもうんだよね」
平然とする彼女に周りの人間はさらに苛立ちを増していった。
「トクをしているとおもってるのは、あなた一人だけよ」
割り込んできたのは城鐘だった。
「海鳴ちゃん」
凛奈の気楽な呼び捨てに城鐘は無愛想な表情で答えた。
「あなたの動画の企画のせいで、あやうく、私たちは番組の収録にでれないところだったのよ」
「そうよ。台本をしっかり覚えている途中だったんだから」
城鐘に加えて八武崎も追撃に加わる。しかし涼森は違うところが気になっていたようだった。
「……台本って……台本どおりにやって、それで面白いの?」
「「はい?」」
突然の逆の質問に八武崎と城鐘は面食らってしまう。
「おもしろいことなら、テレビのバラエティ番組でこれからわたしたちはやっていくわ。放映する規制で、ある程度の企画と脚本を作ってドッキリを行うわ」
城鐘の淡々とした大人の態度で説明しているのに対して涼森は
「だから、それ面白いの?」
なおも首をひねって、さらに涼森は同じ質問をした。
「……どういう意味かしら?」
苛立ちが募る城鐘の表情が険しくなった。
「そんなことして何が面白いの? 脚本どおりに作られたエンターテイメントなんてつまんないよ」
物怖じしない涼森の態度に城鐘はやや興奮したように答える。
「じゃあ、聞くけれど、涼森さん。あなたが『面白い』と感じる企画ってなに?」
「いまのところは『奇声をあげながら○○してみた』っていうやつが多いかな。喫茶店とかで突然大声をあげて、店員さんやほかのお客さんがびっくりしているのを動画で撮るの」
嬉々としてその様子を話す涼森に対して、城鐘の方は苦虫を噛み潰したように嫌そうな顔で言い返す。
「……私個人の感性から言わせてもらえれば、そんなものは全然面白くないし、ほかの投稿者でやっているのを見たわ」
「う、うぐぅっ。……やっぱり他の動画撮影者と企画がかぶっちゃうんだよねぇ。……まぁ仕方がないけどさ」
城鐘によってあっけなく論破された涼森はぐぅの音も出ないようで、呻き声をあげていた。
「今回ばかりはこの女の言うとおりよ。あなたの動画投稿はこれでおしまい。大人しくしていなさい」
「凛奈」
そんな涼森に幼馴染であり、われらがスーパーヒーロー天津雅騎がとどめをくわえる。
「……もうこんなことはやめようよ」
天津は子供を言い聞かせるように涼森を諭しだした。
「……たしかに凛奈の動画はみんなに見られているとおもうんだけど。少しやりすぎだとおもうんだよね。このまえの屋上からのバンジーもかなり問題があるとおもうよ」
天津はまるで聖職者のような態度で諭すように言葉を続ける。
「今後はさ。もっと違う動画にしてみたら? 誰かに迷惑をかけるものじゃあなくてさ、だれかを楽しませる動画のほうがいいとおもうんだよね」
「やーだよーだ♪」
正義のスーパーヒーロー天津雅騎の言葉をまるで子供の駄々のような言い方で返した。
クラス全員が凛奈の言葉に凍りついた。
「……な、な……」
「………………………………」
あまりの空気の読めなさに、女性陣も声が出ないようだった。
「動画の方向性は私が決めるの。私がやりたいことが私の動画なの私のやりたいことがわたしの好きなことなの」
俺は彼女のその堂々とした姿をすこし尊敬したいようなきもちになった。
女子ふたりに非難されているというのに、涼森はまるで反省の色がなかった。
そんな涼森のまえにあのスーパーヒーローが立ちふさがる。
「……凛奈は昔と変わらないな。ほんとうに自分のやりたいことばかりやるんだね」
しかし天津雅騎は彼女の態度に短い溜息をつきながらも優しい瞳で彼女を見つめている。
「そういう雅騎はなんだか変わったね。……ほんとうに、ヒーローになってからつまらなくなった」
彼女の言葉に、天津の顔が急に暗いものへと変わった。
「……それは仕方がないだろ。いつまでも子供のままじゃあいられないんだ」
なにかを言い訳するように、天津は真剣な表情で彼女を見つめた。
「僕はスーパーヒーローだ。人を助けるためにみんなから信頼されなきゃいけないんだ」
天津の言葉を聞いて、俺は全身に虫唾がはしる。
おまえの言葉は、どこから持ち出した言葉で取り繕っているんだ?
「わるいけれど、凛奈のカメラは没収させてもらう。今後動画投稿はやめてもらうよ」
ずいと前へ出て彼女がもっているカメラを取り上げようとする天津。
「こ、このカメラがなくなったら、本当に動画投稿ができなくなっちゃう」
涼森はカメラを抱きしめるように身をよじって逃れようとする。
そのまわりに城鐘や八武崎と七瀬。そして数人の警官が見守っている。
ラーフが悪役なら、
「いいかげん、反吐が出るな」
そんななか、吐き捨てるように一人の人物が声を上げた。まごうことなき俺本人である。
「? あなたは……?」
クラスで存在感の薄い俺の名前を知らなかった城鐘が名前を尋ねたが、俺は彼女の質問を無視して自分の言いたいことを俺は言い始めた。
「なにが『スーパーヒーローだから、みんなの信頼を得なくちゃいけない』だ。こいつはこいつの言葉と意志をもっている。なのにお前の言葉はどこか空っぽで、いったいどこから持ち出してきた言葉なんだよ。おまえの言葉じゃあねぇだろうが」
ラーフではなく、俺は中道陽生として天津雅騎と向かい合い、ありのままの言葉をぶつける。いままでぼっちとして陰ながら観察していこうという計画が水の泡だ。
正直言って涼森とおなじように集団で責め立てられてしまうのがオチだと考えていた。
「……そんなこと自分でもよくわかっているさ」
しかし天津は少し苦い顔を浮かべながら、自嘲気味にそう言った。
「どういう意味だ? もったいぶらずに」
おれが暴言を吐くたびに、天津の表情がどんどん険しくなっていく。悪意から離された環境にいた人間が急に悪意を直接ぶつけられれば、面識がなくても敵として認識しなくてはいけない。
「……僕だって、アニメや特撮のヒーローみたいに、世間の目を気にせずにラーフのような悪党を倒したいさ。でも現実はそうはいかない。ここの」
人を悪党よばわりかよ。
「それで芸能人のようにテレビに出て、人気者としてちやほやされようってか?」
天津はすこしづつ苛立ちと憤りを積み重ねていく我慢にも、限界はきたようだ。
「……おまえに、なにがわかるっていうんだ?」
天津は怒りに満ちた瞳で俺に感情をぶつけてくる。
いいねぇ。やっぱり悪口はやっぱり直接言わなきゃ。人間にとって誰かを憎んだり、妬んだりするのは当然のことだ。
だけどそれをネットの掲示板に書いたり、陰で悪口を言うのとはまた違う。
どれだけ相手を憎んでいるのかを、直接相手に伝えないといけないのだ。
「お前のことなんかわからないさ。お前も俺の名前すらわかっていないだろ?」
「知っているさ。なかどうようせい君だろ?」
得意げにカッコつけながら人の名前を間違えてんじゃねぇよ。
「違うよ。『ロキ』だよ」
さらに涼森が横から、さっきつけられたあだ名で呼んでくる。
「いや、それはあだ……」
「おまえ、『ロキ』っていうのか?」
それは今日お前がおれにつけたあだ名だというまえに天津に遮られた。その表情は先ほどの怒りの表情とは違い、信じられない言葉を聞いてしまったような驚きの表情だ。
「ああ。なかどうひ『ロキ』だから。涼森がそうあだ名をつけたんだ」
「ひろき? なかどう『ようせい』って読むんじゃあないのか?」
こいついいかげんしつこいな。とりあえず自己紹介しておくか。
「俺の名前は中道陽生だよ。太陽の陽に生きるって書くけど、これでヒロキって読むんだよ」
天津がいまさらながらすこし悪いと感じたのか。
「そ、そうか。……僕は天津雅騎だ。よろしく」
自己紹介をやりだしたが、ラーフのときにあれだけ強烈な自己紹介をしたので興味ない。
「そうか。それより、『ロキ』っていう名前がなにか気になるのか?」
そう。俺の興味は『ロキ』という名前に反応したことだった。
正直な天津は意外にもすんなり答えてくれた。
「……ああ。……ぼくの義理の父親を殺した怪物の名前だ」
天津の言葉を聞いて、今度は俺のほうが驚いた。
「おまえ……あのときの事件に巻き込まれていたのか?」
その事件には、俺もまきこまれていたのだった。
自分自身にとって忌々しく、そして忘れたくても忘れられない。
「僕はあの芦森デパートの事件の事件のとき、能力に目覚めてあいつと戦ったんだ。あの怪物はたしかに自分のことを『ロキ』って言ってたんだ」
あの蘆森デパートのことを思い出す。
蘆森デパートでの猟奇殺人事件。当時それほど賑わってはいない売り上げの下がっていたデパートでおきた。死傷者百三十八名の大量殺人事件。
その犯人はいまだ捕まっていない。……捕まえられるはずがない。
……なるほど。そうか。……おまえ、あのときの……。
ようやく、理解した。というよりも思い出した。
「おまえ、なにかロキのことを知っているのかっ⁉」
天津の大声にはっと我にかえる。
「……俺もその事件で知り合いと妹を亡くしたんだ」
なんとかそう答える。誰かに話すのははじめてな気がした。
『真実』ではない中道陽生としての事実を。
「……そ、そうだったのか。……すまない」
天津はなぜか俺に謝る。いや本当は彼が謝る理由を知っている気がする。
謝る理由を知っていて、そしてわざと聞いてみる。
「……なぜあやまるひつ――」
と、会話の流れを阻止するのに十分な勢いで、誰かが部屋に流れ込んできた。
「た、たいへんですっ⁉」
さきほど俺をここまで連れてきてくれた警官だった。血相を変えるほど慌てた様子だった。
「おちついて。……なにがあったの?」
城鐘が彼を落ち着かせながら、報告を促す。
「……急にヤクモが暴走をはじめたんですっ‼」
天津雅騎視点
警察の人から連絡をもらって、僕たちはいそいで現場に急行することになった。
あのふたりの処分に関しては、今回は『厳重注意』ということでお咎めなしで帰ってもらったもの、凛奈と一緒にいたあの中道という男。あの男もあの事件に巻き込まれた関係者だということはおもいもよらなかった。いや、あの事件はあれからまだ時間がたっていないし、彼もこの近くの中学ならば関与していても不思議ではないだろう。
「それにしても、なんでヤクモがいきなり暴走しているの? 動かせるのはヒカルだけじゃあないの?」
「そ、そんなことわたしに聞かれてもわかんないわよっ⁉」
ヒカルにそう聞くのは、まずかったらしく、いつとちがう口調で怒られてしまった。これが
「そんなことはないわ。ヤクモを操縦するのは登録すればだれでもできるわ」
かわりに海鳴が説明してくれるが、いまだに人工知能についてのことはよくわからない。
「そ、そうなのか……?」
「とりあえず、暴走しているヤクモをとめればいいんだ。あとのことはまかせようぜ」
「……う、うん。……わかったよ」
葉介の言葉に僕は戸惑いながらそのまま目的地まで待つことにした。
中道陽生視点
天津雅騎たち御一行様方が出撃したあと、俺たちは警察の方々から『すぐに帰れ』と言われた。
じゃあなんでこんな大仰しく『逮捕』だとか『保護』だとかいう名目で拘束し、『留置所』や『取調室』というところまで使ったんだ?
その答えはおそらく城鐘海鳴がプロデュースした『イザナギ』やその支援の城鐘財閥の力かもしれない。
どちらにしても大げさに俺たちを拘束したのは涼森のせいだろう。
まぁ、それは置いといて、あいつらが『ヤクモが暴走した』といって出て行ったのが気になる。
ヤクモはなぜ暴走したんだ? 科学者としてその原因を突き止めたい。
そのためにはまず涼森から離れなければと、おもい涼森に別れを切り出そうとする。
「……涼森。あとはひとりで帰れるよな」
「え? なに言ってんの? 家まで送ってくれるのが普通でしょ? 襲われたらどうするの?」
当たり前のように送ってくれるようにたのむように言ってくる涼森。
「ふざけるな。おまえを襲うもの好きなんていない」
おれはそんな涼森を女子扱いしていないので、そう言い切った。
「ひっ、ひどい。私はこれでも動画をあげたら家に不審者がくるぐらいの有名人なんだからね」
「住所特定されてるじゃねぇか。なにやってんだよっ⁉」
「とにかくきてよっ‼ 普通の女の子より、敵が多いから襲われやすいのよっ‼」
「自業自得だ。ボケ」
「いいからきてよっ‼ こころぼそいのよっ⁉」
ぎゃんぎゃんわめいて、駄々をこねる涼森に俺はしばらくどうしようかと迷ったが、
「わかったよ。……家までついていってやる」
しかたがなく家まで送ってやることにした。
「よし♪ これで帰りの電車代を節約できる。ラッキー♪」
「なに電車代おごられるきなんだよっ⁉ いやちょっとまて。なんでお前そこまで金がないんだっ⁉」
「なんでって……カメラとかの映像機材とか、その他商品の紹介動画とか撮ってるからだよ?」
「……おまえの親、警視総監ってあの警官にきいたんだが……なんでそんなにも金がないんだ?」
「お父さんが厳しいからだよっ⁉」
なぜか逆切れされた。
「あのオヤジ。警視総監なのに、ぜんぜん私の事件をもみ消しにしたり、お小遣いを法外にくれたりっていう金持ちのお嬢様扱いしないんだよっ⁉ ひどくないっ⁉」
「ひどいのはおまえの思考回路だ。世の権力下の子供がおまえみたいなやつらだとおもわれるだろうが」
「いいじゃないの。親ならこどもをあまやかせてよっ‼」
「すごい発言だな。……というより、おまえは一人っ子なのか?」
「……なんでそんなこと聞くの? 妹萌えなの?」
「ちげぇよ。ただ単純に気になったんだが、なんで警視総監が児童養護施設の子供をなんで引き取ったのか? って聞きたいんだよ」
「……そっか。……………………うん。なんでだろ?」
「…………おまえなぁ……」
と、俺たちのまえに数人の男性があらわれた。
「……? なんだおまえら?」
男たちは全員マスクやお洒落サングラスをつけて、苛立った様子だ。
「……おまえ、リンリンの彼氏か?」
「ちがいます」
「即答っ⁉ いやたしかにちがうんですけどぉっ⁉」
俺はその男たちがかなり憤っている雰囲気を察して、もしやと推測してきいてみる。
「……もしかして、あなたがたも涼森の動画で被害を受けた人たちですか?」
俺のその質問に男はさきほどまでの威圧的な態度ではなく、仲間をみつけたような嬉しい顔をしていた。
「おまえもかっ⁉ そうだおれたちは毎年恒例の恋愛イベント、『バレンタインデー』で
男心をもてあそばれたんですっ‼」
「う、うううぅぅぅ……」
男たちが嗚咽の混じった声で泣きはじめた。
まぁだいたいバレンタインデーでひどい目にあったというなら、だいたい予想はつく。
「……おおかた、チョコを渡したあとに『ドッキリ』という看板をみせたような感じのドッキリだとおもうんですが……」
「そんな、なまやさしいもんじゃねぇよっ‼」
なんか地雷踏んでしまったよ。……なまやさしくないのか。
「……おまえ、バレンタインデーでなにやったんだ?」
「………………なにも?」
はらたつ。とぼけるまえの沈黙はいったいなんなんだ。
「……すみません。俺はこいつと最近会ったばかりなんで、ちょっとどういうことなのか教えてくれますか?」
涼森の苛立ちが若干顔にでてしまったためか、男たちはびびっている。
「う、うん。この動画なんだけど……」
男が俺にスマホをみせて、涼森の動画をみせてくれた。……おれも、今日一日こうなるんだったら、みたくもないけどみてくるんだった。
『はい、どうもみなさんこんにちはリンリンです。リンリン♪ もうすぐですね。バレンタインデーということで、チョコを作りたいとおもうんですけど……ただつくるだけじゃあもったいないんで、いろんな素材を入れていきたいとおもいます♪』
…………普通はチョコを溶かすときは湯煎用にボールを入れるのだが、こいつの場合、鍋にそのままぶち込んでいる。その中にはさらに……。
『ええ。まずは、こちらプラモデルを作ったときにでてくるプラスチックのゴミ。それとこのハウスに入っているゴキ――。うわ、きもちわるっ。まぁいいやこの中にあるラムネっぽいのも入れちゃえ。……うわっこんなやつ食う人間みてみたいわほんと』
中にいれたのは到底人間が食べてはいけないものばかりだ。プラスチックのゴミはもちろん有害だし、体内で消化されることはない。ゴキブリはそれ自体が有害物質はないものの、家庭内の有害な細菌を取り込んでいるため、食べることはできない。
「……なんだこれ? ……もしかして……おまえらこれを……?」
「……ううぅ……」
俺の問いかけに男たちは涙で答える。
『はい。じゃあこれを学校中の女子から、モテないっていうアンケートで上位に入った男の子たちに配っていきたいと思います』
動画の場所は学校へと変わり、楽しそうに説明をしている。
「……あの……これ……。動画のネタで余ったから、食べてくれる?」
「えええぇぇぇっ⁉ い、いいんですかっ⁉」
「うん。感想をちょうだい♪」
ニマニマと嫌な笑顔を浮かべる涼森と目の前で泣いている男たちのひとり。
「か、家宝にしますっ‼ ありがとうございますっ‼」
「ううん食べて。すぐ食べて。撮るから食べて。持ってかえらないで」
「は、はぁ……じゃあ……いただきます……」
なぜ急かされるのかわからない男は仕方なくその場でチョコを開けてたべると……。
「う、うええええぇぇえぇ。な、なんだこりゃっ⁉ むちゃまじぃ……」
すると、動画内の涼森がわざとらしくぶりっ子キャラへと変わり、
「……も、もしかして美味しくなかった? がんばって作ったんだけどだめだったのかな?」
とわざと不味く作ったチョコを健気に失敗したような上目遣いで男子に問いかけた。
「そ、そんなことないよ。ぜんぜんおいしい♪」
涼森は顔は可愛い。だからそんな子にチョコをもらっただけで嬉しいんだろう。
「ありがとう♪ じゃあぜんぶたべてね♪」
だけど心は悪魔だ。
『いやぁ、今回は大成功しました♪ みんなゴキブリ入りのチョコを食べた食べた♪ たべてるときの動画を撮らせてもらったけれど、笑いがとまらなかったよ♪』
そのあと帰宅して、編集を終えたあとに撮った涼森はゲラゲラと笑って男たちの動画をあげている涼森。そして彼女はチャンネル登録がどうのこうのといったあと、その動画を終わらせた。
「……おい、おまえ男心なめてるのか?」
俺は完全に罪人確定である人物に向き直り、責め立てる。
「い、いいじゃないっ⁉ わたしみたいな美少女にチョコもらえるのよっ⁉ うらやましいじゃないっ⁉」
本人は開き直って逆キレしだした。それと美少女は自分のことを美少女とは言わない。頭のおかしい女が自分のことを美少女っていうんだ。
「ふ、ふざけんなっ⁉ おれたちはそのまま保健室に行って、『食あたり』の診断をうけたんだぞっ⁉」
「おれなんか、そのまま入院したんだっ⁉」
と、怒り心頭の男たちが口々に文句をいうなか。俺は男の中で気の弱そうなやつが持っている袋が目についた。
「おい、おまえ。そのふくろはもしかして……」
「……こ、これはそのときにもらったチョコの残りで……」
なんだぜんぶ食わなかったやつもいたのか。正解だな。
「よこせ」
「え? は、はい」
素直に渡してくれる男子学生。見た感じひとつ下の後輩らしい。
「おまえ。携帯持っているなら撮っておけよ」
「え?」
聞き返す後輩に俺は答えず、男たちと言い争っているあの涼森のもとへと向かった。
「と、とにかく動画を削除してくれっ‼」
「それより謝ってくれっ‼ 俺はあの日以来、チョコが食えなくなっちまったんだよっ‼」
責め立てるおとこたち二人組に涼森はぶんぶんと頭を振って答える。
「あー、もううるさいっ‼ そんなことしているヒマないの。あんたたちの動画だけで謝罪してたら、私は毎日謝罪動画あげなきゃいけないでしょっ‼ そんなのごめんよっ‼」
まったく反省していない涼森の前までいくとなぜか彼女は勝ち誇ったように薄ら笑いを浮かべる。
「ふんだ。わたしには今日の――ぐびゃあっ‼」
俺は彼女の下あごを掴んだ。口が無理矢理開けられて、彼女の顔が短くゆがんだ。
「ふぁ、ふぁにおふるの?」
いきなりのことで驚いた涼森はまともにしゃべれない口で抗議してきた。
「よろこべ涼森。……いやリンリン。お前の作ったチョコが余ってたそうだぞ」
俺が彼女にとって見覚えのある小袋を見せると彼女の目が恐怖に染まる。
「ふあぁっ⁉ ふふぉふぇふょお? ふゃ、ひゃめへえぇっ‼」
抵抗する彼女に俺はむりやり黒い物体をねじこんだ。
「……ふがっ⁉ ふごっ? ふげえぇっ⁉」
「……こ、これは……」
「……いくらなんでも……」
「……エロすぎる……」
なぜか男たちが顔を赤らめて、股間を抑えていた。こいつら……変態なのか?
「う、うぉええ…………のんじゃ……うおえぇぇぇぇえっ‼」
今日二回目のゲロを吐いた自称美少女動画投稿者を最終的には男たちは許してくれたようだ。
天津雅騎編
ようやく車で現場についた僕たちが目にしたのは、火災が起きている研究所。そしてその一角にあるグリーンの芝生が敷かれた演習場の上ですでに起動しているヤクモと。
「な、なんだっ⁉ だれかがヤクモと戦っているっ⁉」
黒く鮮やかで長い黒髪が印象的な少女だった。髪を後ろで結い上げてはいるものの、長い髪は夜風になびいていた。しかし髪のことなど少女は気にも留めず、その睫毛に添えられた切れ長の目がヤクモを捉えたまま離さない。
両手に握っているのは、はっきりとわからないが鉈だろうか? 剣のわりにはかなり刀身が短いが刃の幅が三十センチほどある大きさだ。
「……ピ、……ピ……」
操り主を持たないヤクモは電子音を発したまま直立したままだ。
するといきなり海鳴がすたすたと僕よりも彼女たちに近づきはじめる。
「ちょっと海鳴。あぶないよっ⁉」
そうぼくが注意するが海鳴は気にすることなく、黒髪の少女へ声を張り上げた。
「桐生さん。そのヤクモは破壊していいわ。ガンブレードの使用も許可します」
海鳴の言葉に黒髪の少女はヤクモから目線を離さずに答える。
「了解。ガンブレードをソード形態に移行する」
ガン『ブレード』という武器であればそれは鉈ではなく、剣だったようだ。
すると、彼女が構えていた獲物の先から青く光る粒子が飛び出してた。
「いくぞっ‼ ガンブレードっ‼」
桐生さんとよばれる女性は大きな掛け声とともにヤクモへと踏み込む。
ガンブレードは大きく振り上げられ、ヤクモの胴体を斜めに袈裟斬りする。
「………………………………」
ヤクモはそのまま無機質に機能を停止し、胴体が崩れ落ちた。
「わ、わたしのヤクモが……」
自分の愛機が破壊され、ショックを受けるヒカルに海鳴はすぐにフォローをいれながら。
「気にしないで。ヤクモは量産機なの。すぐべつの機体を用意できるわ。……それよりあなたたちに彼女を紹介するわ」
「いや、大丈夫だ。自分でやりたい」
彼女のことを紹介しようとするが彼女自身に断られてしまう。
「私の名前は桐生刀華。きみたちより年齢が一つ上の先輩で、わたしもイザナギに配属されることになった。よろしくな」
中道陽生視点
しゃちょーう♪」
事務所に着くなり、いきなり筋肉隆々のムサイおっさん。シンイーが俺に飛び掛かかるように抱きついてきた。
「……な、なんだよ? きもちわるいな……」
突然のことで反応ができなかった俺はがっしりと捕まってしまう。
「デートに行ってきたんでしょ⁉ どうだった⁉」
ディロンのやつ、捜査のまえに涼森のことを喋ったらしい。
「どうもしないさ。天津雅騎の幼馴染の道楽に付き合っただけだ」
「へぇ。どんな娘だったの?」
「カレーの食べてゲロを吐いて、チョコを食べてゲロを吐くような女だ」
俺の即答にシンイーは若干引いていた。
「に、二回もはいたの……す、すごい娘ね……」
「素直に頭がおかしいって言ったほうがいいぜ」
声に気づいてカウンターを見渡すと、そこには潜入に行ったディロンもいた。
「おまえ、もうかえってきてたのか?」
「ああ。おまえさんの注文どおり、まったく収穫はなかった。ということが収穫だ」
堂々と帰ってきたこの男に言葉の意味が分からず、そのまま聞き返した。
「……すぐに帰れたってことか?」
「ちげぇよ。『あまりにもテレビやネットで公開されている情報と変わらない』ってことさ。ここまで秘密がない人間なんて逆に胡散臭い」
たしかに胡散臭い。だがそれはどういう理由でそこまで公開されたのだ? 児童養護施設自体が天津という存在を産んだから誇らしいからなのか? それとももっと、べつの理由があるんじゃあないのか?
「…………………………わかった。ありがとう」
「――ったく、思考しだすと素直になるから困るぜ」
俺の反応がおもしろくないのか、フンと鼻を鳴らしてウィスキーへ口をつける。
こんどは一日中ネットサーフインを楽しんでいたエレナにたのんでみる。
「エレナ。ネットでなんかわかったか?」
エレナは気怠げな顔をあげ、死んだ魚のような目で嫌々答える。
「天津雅騎とその仲間のメンバーのイザナギのメンバー一人ひとり一人について、調べたけれど。……そこのディロンと被るのもイヤだけど、『わざとらしいぐらい裏がない』っていうのが、私もかなり胡散臭いわ」
「……正しくて、裏がなくて胡散臭い。それは隠しているということですか?」
鈴木はエレナだけでなく、ディロンも質問した。
「そうじゃないぜ課長。嘘をついているんなら俺もわかるが、こいつらは表の顔も裏の顔もすでにできあがっているんだ。それをそのままバカ正直に公開しているんだ」
「それにこういう『出る杭』はかならずネット上で叩かれてもいいものなのに、なぜか掲示板に彼らのアンチが出てきても、逆にそいつらが大勢で叩かれるの。イザナギのアンチは本当に闇サイト扱いのひっそりとしたところにしかいない。……変じゃない?」
「……掲示板の悪口なんて気にする情報じゃないとおもうんですが……」
ネットに疎い鈴木に代わり、そのことに関しては俺が代弁することにした。
「それはたぶん。人間じゃあなくて九十九にやらしたんだろうな」
「九十九に? 最近人工知能のことを研究して、なんでもそのことにしすぎじゃない?」
「それが人工知能にできることだからさ。ネットの監視なんて人間が行えるものじゃない。掲示板に『悪意の感情』をのせても、その『悪意の感情』にたいしてどのような『言葉』でかえせばいいかという情報をもっている彼らはその悪意に対する『情報』で処理していくんだ。人間の感情は一時で情報容量の小さいものだが、反論する言葉の情報容量の多い人間が買ってしまうんだ。一昔前の『中国語の部屋』という人工知能の認識とは違い、言語だけでは人間は人工知能に勝てないんだよ」
「よくわかんないけど、経験の少なく感情的になりやすい若者の話を経験豊富で落ち着きのある人間が諭すようなものですか?」
「……かなり近い正解だが――違う。それは人の交流であり、掲示板はあくまで文章だ。交流は言葉だけじゃない。表情、呼吸、目線、気配り、目に見えない空気も会話の中には含まれている。だが文章だけで表現しようとするとそれらは無機質なものへと変化する」
「かなり難しい言い方してるけど……けっきょくなにが言いたいの?」
「つまり『イザナギこそ正義』という認識を植え付けようとしているのさ。『正義のヒーロー』。この存在が意味することはなんなのかを、俺はずっと考えていた」
「ラーフ(おまえ)を悪者にしたいだけじゃあないのか?」
「おれも最初はそう思っていた。でもおれひとりじゃあ、はっきり言って悪役として不十分じゃあないのか?」
「そりゃ、ごもっとな意見だな」
「……で? けっきょくヒーローってなんなの? わかってんならはやくおしえてよ」
シンイーの急かすような気持ちは他の部下たちもきもちが一緒だったようでみな俺が彼ら『イザナギ』がいったいなんなのかが感づいたことに気づいているらしい。
「それじゃあ、いまからスーパーヒーローがなぜこの社会で必要なのか? という疑問に対する俺のあくまで憶測を言わせてもらうよ。まだ確認してないから、まだ憶測だからな」
俺はそう前置きしながら俺は彼らに説明した。最初は淡々と聞いていた彼らも最後のほうには苦虫を噛み締めるような胸糞悪い表情だった。