第8話 銀の黒化
一応5本の木材を持ってライカの待つ事務所へ戻る。
「あ、お帰りなさい」
「ライカちゃん、この坊や、なかなか目も利くよ。いい男捕まえたじゃないか」
坊やって……ドドロフさんといい、エミーリャさんといい、まったく敵わないな……。
「つ、捕まえたって……」
ライカもからかわれて赤面。エミーリャさんは誰にでもこんな調子なのか。
「それで、この5本を選んだのだけれど……」
俺は、事務所のテーブルの上に5本の棒を並べて見せた。ライカはそれを見て、
「……エミおばさん、1本いくらになります?」
と尋ねた。財布の中身が気になるのだろう。
「そうだねえ。1本30。5本まとめてなら120」
もちろんマルスだよな。1マルスが10円くらいとすると、5本で1200円!?
高級木材という割に安すぎないか? と思ったが、日本と物の価値が違うのだろうと悟る。さらに女将さんは、
「あそこに置いてある木はみんな同じ値段だからね。そこからいいものを選ぶも選ばないもお客さん次第さね」
と言った。なるほど、たまたま品質のいい材木が混じっていただけであって、意図して並べたわけじゃないから同じ値段で売るというわけか。良心的だな。
「あ、じゃあ、1本……」
と言いかけたライカを、俺は押しとどめる。
「ライカ、もし買えるのなら5本全部買っておいてほしい」
「え!?」
「この5本は素性のいい木ばかりだ。いつでも手に入るとは限らない。魔法の杖が消耗品である以上、このくらいのストックは持つべきだ」
木材は工業製品ではないので、同じものは2つとない。量にもよるが、いいものを見かけたら仕入れておくべきなのだ。
だがライカは難しそうな顔をした。
「ええと、買えなくはないんですけど、そうしたらシュウさんのベッドが買えなくなっちゃいますよ?」
ああ、そうだった。俺はまだ、作業台の上に寝ているんだった。だが。
「いいさ、2日や3日。だんだん慣れてきたしな」
「そんな……悪いですよ」
「俺がいいって言ってるんだからいいよ」
「はい……」
というやり取りの末、ライカはまとめ買いをすることに決めた。
「じゃあエミおばさん、これで」
120マルスを取り出すライカ。
「はいよ、確かに」
女将さんはそれを受け取ったあと、ちょっと考えるような顔をしたあと、
「……そうそう、廃材があるんだけど、使えそうなら持っていっていいよ」
と言ってくれた。気を使ってくれたみたいだ。
「廃材ですか?」
「ああ、そうさ。切り揃えた時に出た半端材とか、最初から曲がっていて売り物にならない木とか、乾かしていたら反ってしまった板とかね」
女将さんは、事務所の裏手に俺たちを案内した。
「これは……」
種類も雑多な廃材が、長いもの短いもの、太いもの細いもの、ごちゃごちゃになって放置されていた。一応屋根の下なので雨ざらしではない。
「好きなだけ持っていきな」
「え、でも……」
最悪でも薪に使えるのに、とライカが言いかけたのを女将さんは遮って、
「いいったらいいんだよ。その代わり、これからもうちで木材を買っておくれよ?」
と笑って言った。これでベッドを作れというのか。いい人だな、エミーリャさん……。
「ありがとうございます」
ライカと俺は丁寧にお辞儀をしてから、使えそうな材木を物色し始めた。
「これとこれ、それにこれも」
「……シュウさん、そんなに持てますか?」
「大丈夫だと思う。……あ、じゃあこっちの買った5本だけは持ってくれるか?」
「あ、はい。それくらいおやすいご用ですけど」
杖用の木材をライカに渡した俺は、予め目をつけていた廃材をより分けていく。
2メートルくらいの曲がった木を6本、30センチくらいの短い木を5本、90センチくらいの細い木を4本、反り返った板を1枚……と、ギリギリ持てそうな量をいただいていくことにする。
女将さんはそんな俺を笑って見ていた。
「それじゃあ、これだけ」
「ああ、いいともさ。……その代わり、ライカちゃんをしっかり支えてやるんだよ?」
女将さんはそう言って俺の背中を思い切り叩いた。結構痛いぞ。
「は、はい」
俺は頷いて、簡単に縛った木材を肩に担いだ。
持ちにくいのと重いのとでかなり苦労したが、自分のベッドを作るためだ。頑張って木材を工房まで運んだ。
* * *
「ふう、疲れた」
「お疲れ様でした」
さて、ドドロフさんに頼んだろくろができるまではまだ日にちがある。
ならばと、貰ってきた材料で自分のベッドを作ることにした。
「これをここに使って……」
貰ってきた材木に工房に残っていたものを加えて、なんとかその日のうちにベッドをでっち上げた。
材料がやや足りないので、強度的に不安があるのが玉に瑕。乗っかると体重でしなるのだ。
おまけにギシギシいうし……。
だが、音は気になるが寝心地はいいかもしれない。
「……こんなベッドでいいんですか?」
申し訳なさそうな顔をしているライカ。
「少しずつでも直していくから。俺、修理屋だし」
と言って安心させておくことにした。
実際、寝心地はそれほど悪くなかったことを付け加えておく。
* * *
翌日。
今日は、硫黄による銀の被膜付けの実験を行うことにする。
まずは臭いを嗅いでみる。腐った卵のような臭いがかすかにした。確かこれは硫化水素の臭い……のはずだ。
一時期『混ぜるな危険』な入浴剤でニュースになったので覚えていた。純粋な硫黄は臭わないが、この硫黄は違った。不純物が混じっているようだ。
だが、かえって都合がいい。
「これをお湯に溶かす、と」
木製のバケツに汲んだお湯に『付け木』からこそぎ取った硫黄を入れてかき回す。なんの反応もしない。というか、なかなか溶けない。それが当たり前で、溶けるのは硫黄の化合物なのだ。その化合物こそが、銀を硫化させてくれる……はず。
根気よくかき回すと、少しだけ溶けたような気がする。白っぽく濁ってきて、温泉みたいだ。
「これに銀を漬けてみよう」
工房にあった銀の切れ端を硫黄を溶かした(と思われる)お湯につけると、少し黒くなった。
よしよし。
残った付け木から硫黄をこそぎ取り、全部をバケツに。
これで1リットルくらいの温泉水っぽいお湯ができた。
銀を入れておくと、2分くらいでかなり黒くなる。これならうまくいきそうだ。
「わあ、確かに黒くなりますね。魔法じゃないんでしょう? 不思議です……」
ライカはそんなことを言うが、俺としては魔法の方が不思議なのだが。
とにかく、銀の『黒化液』ができたので、メランさんが来るまで保存しておくことにする。
少々値は張ったがガラスビンを買って入れておくことにした。
この日の昼前、思いがけない仕事が入った。
先日、剣の研ぎを依頼してくれたエルフの騎士、ウィリデさんの紹介で同じく研ぎの依頼が入ったのだ。
同じようなショートソードが3本。あ、剣や刀は『振り』っていうのかな?
とにかく、まだドドロフさんに依頼した『ろくろ』は出来上がらないし、ちょうど手が空いたところだからお誂え向きともいえる。
「ウィリデさんの剣を見せてもらったけど、いい仕上がりだったわ」
そう言って3振りの剣を置いていったのはヒューマンの女性騎士だった。
「確かにお預かり致しました。ウィリデさんにもよろしくお伝えください」
「頼むわね」
「ありがとうございましたー」
ライカは上機嫌でお客さんである女性騎士を見送っていたが、俺は別のことを考えていた。
「ライカ、これからこういう依頼が増えた時のために、『預かり証』を作らないか?」
お馴染みさんだけを相手にするなら口頭での約束でもいいが、数が増えてきたり、初めてのお客さんだったりすると、後々トラブルの種になりかねない。
その思いは伝わったようだ。
「あ、そうですね」
そういうものを使っている店もあるということで、ライカもその意義は理解してくれた。
「ただ、お客さんが来なかったので必要性を感じませんでした……」
あ、うん。それは仕方ないな。
「それじゃあ、2人で考えよう」
こっちの世界と向こうの世界じゃ習慣も違うだろうし……。
そういえば、紙ってあるのかな? 羊皮紙とか? だったら高価すぎて使いにくいかもしれない。
結論として、この世界で『紙』といったらやっぱり羊皮紙だった。
高価すぎるな。木札にするのがいいかもしれない。
とりあえず俺は、研ぎの依頼をこなしてから考えることにした。
* * *
翌日の午前中までに、3振りの剣は研ぎ終わり、同日午後、引き渡すことができた。
「ありがとうございました」
「うん、いい仕上がりね。ウィリデさんも、今回の剣は今までより切れ味が長持ちするとも言っていたわ」
「そうですか、そう言っていただけると研いだ甲斐があります」
ライカに聞くところによると、この世界での研ぎはほとんどが油研ぎだという。
刃物は炭素鋼(鉄に炭素を0・6~1・2パーセントほど混ぜた合金)なので錆びやすい。その点油研ぎならば、研いでいる最中に錆びさせることはないというわけだ。だが俺の経験上、水研ぎに比べると油研ぎは、熱伝導性の違いからか僅かに焼きが戻る傾向がある。本当に、僅かだが。
それがウィリデさんの言う『切れ味が長持ち』に繋がっている……んだといいな。
これでまた少し、懐に余裕ができたことになる……はずなのだが、ほとんどが食費に消えていったようだ。
そうそう、KPの方は、15から20に増えてくれていた。