第49話 クルミ拾い
秋らしい晴天が続く今日この頃。
フィリップ君は、相変わらず工房に通ってくる。
ターニャちゃん目当てらしいのがちょっとな……。
そんなフィリップ君だが、もう『勇者』としての迷いはないらしい。
「あと何か、もう一押ししてくれるような『何か』を探しているような気がします」
とはライカの言葉だが、確かにそんな感じではある。
風が街路樹の梢を鳴らして吹きすぎていく。珍しく今日は風が少し強いな。
「そろそろクルミの実が落ちる頃ですね」
突然ライカが言い出した。
「去年はいろいろ忙しくて言い出せませんでしたけど、東の方にある林にはクルミの木がたくさんあって、風が吹いた翌日にはたくさんの実が落ちるんですよ」
そうなのか。あ、風が強いから思い出したんだな。
クルミの実は食べられるだけじゃなく、『乾性油』と言って、放っておくと固まる油が採れるのだ。
この油を木工製品に塗ると、いい艶が出る。また、木の補強や防水効果も期待できるわけだ。その上、手の荒れにも効く……と聞いた気もする。
それから、磨り潰して砂糖を混ぜるとクルミのペーストができる。パンに塗ると美味しいし、料理にも使えるのだ。
まあ、手の荒れうんぬんはともかく、食べて美味しく役に立つクルミなので、集めて損はない。
「それじゃあ、明日にでも拾いに行くか」
「おにいちゃん、おねえちゃん、どっかいくの?」
ライカとクルミ拾いに出掛ける相談をしていたら、ちょうどターニャちゃんが入ってきて話を聞きつけたらしい。
「うん。クルミ拾いに出掛けようか、ってね」
「くるみ? あたしもいきたい!」
うーん、即答はできないな……。
「ライカ、林は危険なのか?」
この世界には魔物がいる。とはいえ、うようよいるわけじゃないし、人によっては問題なく倒せる。魔導士のメランさんとか。多分トスカさんも。
元の世界だって、山には入ればイノシシやクマに出逢うこともあるし、山菜やキノコ採りに行った人が襲われたという話もある。危険度という点では似たようなものだろうか。
「そうですね、行く人は結構いますから、あまり危険ではないと思いますけど……」
とはいえ、何といっても魔王様のお嬢様だからなあ。
それに、もう一つ問題がある。お家から許可が出るのか、という問題だ。
「トスカさん、どうなんでしょうか」
「そうですね……。シュウ様方とご一緒させていただくのですし、私が付いてまいりますから、とお頼みすれば、旦那様は許してくださるかと」
トスカさん、四天王の1人だっていうものなあ。仮に『四天王でも最弱!』だとしても、俺より何倍も強そうだし。
それなら大丈夫かな……と思っていたら。
「あ、あの、シュウさん、僕も一緒に連れて行ってもらえませんか?」
とフィリップ君が申し出た。
「僕も、護衛くらいならできますし!」
うん、勇者様だもんな。強いよね。……それじゃ、頼もうかな。
ライカの方を見たら、にこにこしていたので嫌がってはいないようだし、むしろ賑やかなピクニックみたいなものになりそうだとわくわくしている……ように見える。
「それじゃあ明日、皆で行きましょう」
「はい、わかりました」
トスカさんも頷く。
お弁当は俺とライカが用意するので、飲み水と拾ったクルミを入れる袋だけを各自で持ってくればいいということになった。
「僕が荷物持ちしますから!」
とフィリップ君が言うが、いや、勇者が荷物持ちってどうなんだ……。
「あとは……そうだな、レーナちゃんも誘ってみようか」
「うん!」
ターニャちゃんは大喜び。
トスカさんとフィリップ君がいれば大丈夫だろう。そこで『俺がいれば』と言えないのが少々……いや、かなり情けないが。
* * *
翌日の朝8時半、俺たちは町の東門に集合していた。
誰一人として遅刻はしていない。
「では、行きましょう!」
フィリップ君が号令を掛ける。うん、パーティーリーダーが勇者というのは当然だよな。
だが、その背中には大きなリュックサックが背負われている。
勇者に荷物持ちをさせているパーティ……ある意味で伝説になりそうだ。
そのフィリップ君は、ターニャちゃんの方をちらちら見ている。
今日のターニャちゃんは動きやすいよう、パンツルックだ。オーバーオール風のボトムが可愛らしい。
レーナちゃんも同じような格好だが、革の膝当てがされているところが、革を扱う職人の娘さんらしい。
一方、トスカさんはここのところずっと着ている侍女服。動きにくくないのかな……?
ライカもパンツルック。デニム風のボトムに、作業服風のトップス。
俺はといえば、いつもの作業着上下。丈夫だし、ポケットがいっぱい付いていて便利なのだ。
真東に向かうと鉱山だが、今回はクルミ拾いなので南東方向に進む。
そちらにはクルミの多い林があるのだという。
「クルミの木は、川原や沢沿いに多いんですよ」
と、トスカさん。へえ、そうなのか。俺は植物には疎いからな。まあ、この世界のクルミが、俺の所のものとまったく同じとは限らないか。
「それで、クルミの実はエビルエイプも好むんだそうです」
え? ……エビルエイプ……邪悪な……猿? うわあ、俺、猿って苦手なんだよなあ。出てきませんように。
そんな祈りが『女神様』に届いたのか、2時間ほどの道中は何ごともなかった。
* * *
「ここが目的の林か……」
「他の木も生えていますけどね」
赤や黄色、茶色に色づきかけた雑木林の前に俺達は立っていた。
「ドングリもたくさん落ちていると思いますけど、クルミと間違うことはないでしょう」
ライカが説明してくれる。
「クルミは、クルミの実の『種』だと思ってください。木に生っている時は、緑色の薄い果肉に包まれています。それが裂けて、私たちがクルミと呼んでいる種が落ちるんですが、実のまま落ちているものもあるはずです。そういうものは果肉を取って中身を集めてください」
ここで手袋を着ける。果肉は多少臭うのだそうだ。あと、手を汚したり怪我をしたりしないための用心でもある。
「ターニャちゃんとレーナちゃんはトスカさんと。私はシュウさんと。リーダーの勇……フィリップさんは全員がはぐれないよう気をつけていただけますか」
「わかりました!」
『勇者』は、パーティーメンバーの安否をなんとなく察知できるのだという。凄いな、勇者……。
地面ばかり見つめていると、いつの間にかはぐれていることもあるから注意してくださいとライカに言われた。
というか、こういう時のライカって、しっかりしていて頼りになるな。
ということで、クルミ拾いが始まった。
「お、あったあった」
「わー! ここにも!!」
「あたしもみつけた!」
「お嬢様、あちらにもございますよ」
最初は賑やかな声が聞こえていたが、次第にそれは間遠になっていく。林の奥へと散らばっていったからだ。
「しかし、いろんな実が落ちてるものだな」
コロコロとした丸く艶のあるトチの実。アク抜きをすれば食べられるそうだが、その手間が大変なのだという。
細長い、ドングリに似たシイの実。ドングリとは違い、アクがないから煎って食べると美味しいらしいが、地面に落ちた実には高確率で虫が卵を産み付けているという。
お馴染みのイガは栗の実。焼いてよし、茹でてよしだが、この林のものは栄養不足なのか種類のためなのか、中身がぺったんこで、ライカたちは『実なし栗』と呼んでいるという。確かに食べるところ、ないわ。
そして本命のクルミだ。果肉からこぼれ落ちた種は黒く汚れていて、ちょっと見にはそうとわからなかった。ライカに教えてもらってようやく気が付いたほどだ。
「ブラシで洗えば綺麗になりますよ」
とライカが言うので、気にせず拾って袋に入れていった。
そしておよそ1時間。
「皆さん、どうしたでしょうね」
よっぽど遠くへ行っているんだろうか、ターニャちゃんたちの声も聞こえなくなっている。
「そろそろお昼にしたいな」
そう思っていたら、大きな袋を背負ったフィリップ君がやってきた。
クルミを拾いながら見回りをしているのだという。さすがだな。
「勇……フィリップさん、そろそろお昼にしたいので、ターニャちゃんたちを呼んできていただけませんか」
ライカは、まだ少し『勇者』と言いかけてしまうようだ。
「わかりました!」
フィリップ君は荷物を背負ったまま駆け出していった。下ろしていけばいいのに……。
そして5分ほど待つと、林の奥から足音が響き、フィリップ君と……ターニャちゃんとレーナちゃんを両手で抱いたトスカさんが疾走してくるのが見えた。
こんな足下の悪い場所で、どうしてあんな速さで走れるんだ、2人とも。
「お待たせしました」
そして息も切らしていない……くっ、これが戦闘職か!
「さあ、お昼にしましょう」
「わーい!」
用意してきたおしぼりで手を綺麗に拭いてから、お昼ご飯だ。
シートを広げた草地は、日が差して暖かい。
そこは林の中にぽっかり空いた空間だ。おそらく古い木が倒れてできたものだろう。
今は日が差しているが、そのうち幼木が芽吹き、若木に育ち、成木となってこの日だまりもなくなってしまうのだろう。
そんなことをぼんやり考えながら、弁当のサンドイッチをぱくつく。
「あまーい!」
ターニャちゃんが食べているのは多分あんサンド。
「おいしー!」
レーナちゃんが頬張っているのはジャムサンドだろう。
「これはまた、肉と野菜がハーモニーを奏でるような、複雑な味がしますね」
トスカさんが口にしているのはハンバーグ野菜サンドかな。
「美味しいですねえ、シュウさん」
フィリップ君がぱくついているのはカツサンド。
「この手軽さがピクニックに向いてますね」
ライカは卵サラダサンドを食べていた。
「うん、美味い」
そして俺はハムサンド。シンプルだが、少し高級なハムを使ったのでなかなか美味い。
飲み物はコーヒーミルク。冷やしてもよし、温めてもよし。温くてもそれなりに飲める。
魔法瓶が欲しかったな。今度ギルドに作り方を登録してもいいかもしれない。
「おそとでたべるとおいしいね!」
「おともだちといっしょだからだよ!」
「そうですね、お嬢様、レーナちゃん」
ターニャちゃんとレーナちゃんは、トスカさんに口の周りを拭いてもらっている。そんな彼女らをフィリップ君はチラ見していた。
その視線にターニャちゃんもレーナちゃんも気が付いていないだろうが、トスカさんは気が付いているようだった。
それでも、こののんびりした空気を壊さないためか、何も言わないトスカさん。ただ、2人を庇うように、背を向けるように座り直したので、がっくり肩を落としたフィリップ君であった。




