第33話 ピクニック
年が明け、ハーオスの町では平和な日々が続いた。
年明け早々に『全種族平和会議』が行われ、まずまず及第点の成功だったと人づてに聞いた。
わが『マイヤー工房』も、千客万来……とまではいかないが、ほぼ毎日仕事が入り、俺もそれなりに忙しい毎日を過ごしている。
いつしか風がその冷たさをなくし、春の訪れが近いことを感じさせるようになってきた、そんなある日。
「シュウさん、ピクニックに行きませんか?」
俺が働く『マイヤー工房』は10日間に1日、お休みとなっている。労働基準法? そんなものこの世界にはないし、うちよりもきつい職場はいくらでもある。
何より、俺自身不満に思っていないのだから問題なし、である。
話が逸れた。
その休日に、『マイヤー工房』のオーナーであるライカが、俺をピクニックに誘ってくれたのだ。慰安旅行の日帰り版……みたいなものか。
天気は上々。ここ数日は少し寒かったが、今日は日差しも温かい。外出には絶好だ。
「で、どこへ行くんだ?」
歩きながらライカに尋ねる。漠然とピクニック、と言われ、弁当を作り、水とお茶を水筒に入れ、敷物を荷造りして出てきたのだ。
方向だけはわかっている。南の門から出たからな。……南に広がるなだらかな丘陵地帯だ。
南門を出て500メートルほどで街道を横切る。この街道はずっと南から続いていて、この町の手前で北東へと向きを変える。何せ、そのまま北へ行くと10キロほどで大山脈に突き当たるからな。
ライカに聞いた話では、北東方向に逸れた街道は、大山脈を東側からぐるりと大回りして魔人族の国へと続いているのだそうだ。
「あの丘ですよ」
ライカが指差したのは、南に盛り上がる、丈の低い草で覆われたなだらかな丘。
近付いていけば、枯草色の中にすこし若草色が見え始めており、春の到来を感じさせてくれる。
「ああ、春だなあ」
つい、そんな言葉が口を突いて出る。
「シュウさんがこっちに来てくださって、もうすぐ1年経つんですね」
そうか、女神様がこっちへ呼んでくれたのは確かに春たけなわの頃だったな……。
ライカについて、丘を登っていく俺。いつの間にか、足も心臓も丈夫になったというか、このくらいでは息切れしなくなっていた。
「到着、です」
20分ほどで丘の天辺に着いた。
「おお、いい眺めだな」
麓からの標高差は100メートルもないだろうが、周囲に高い山がないので展望がいいのだ。
遠足で山へ行っって以来、山登りの経験はなかったが、こんなに気持ちがいいのなら、たまに登ってみるのもいいな。
「シュウさん、こっちです」
ライカは枯草の上にシートを敷いて、弁当の用意をしてくれていた。
その誘いに従い、ライカの隣に腰を下ろす。
「おお、ちょうどいいクッションだ」
「ふふ、そうでしょう? さ、お昼にしましょう」
弁当は白あんのあんパンとプレーンなコッペパン、それにお茶である。
ああ、こっちで単に『お茶』というと日本でいう『紅茶』になる。お茶の葉は摘んで放置しておくと含まれている酵素で発酵して緑茶、烏龍茶、そして紅茶へとなっていく……らしい。
妹がお茶好きなので、そんなことを聞いたことがあるのだ。
だからお茶の葉を摘んですぐに熱してやると酵素が分解するので緑のまま、つまり緑茶になるらしい。
ちなみに、この話は工業ギルドのドンゴロスさんにしてあるので、新茶の季節には試してもらえるはずだ。
そうなれば、あの懐かしい緑茶を味わうことができるようになるだろう。
「はい、どうぞ」
「ああ、ありがとう」
とはいえ、こうしてライカに淹れてもらうこっちの『お茶』も、決してまずいわけではないのだが。むしろパン系の食事にはこちらの方が合う。
「うん、美味いな」
「ふふ、ですね」
柔らかな春の日差しを浴びながら、他に誰もいない丘の上でのんびりと弁当をぱくつく。
ああ、本当にのんびりする。
「ここのところ忙しかったですからね」
「そうだなあ。でも、仕事が増えたのはいいことだよ。……これ以上増えると身が保たないけどな」
とは言ってみたものの、仕事とはつまり修理なので、そうそう激増するものではないだろう。
今のところ競合する店が他にないので、マイヤー工房はやっていけるのだ。
ハーオスの町の規模だと、もう1軒修理工房があったら、おそらく顧客の奪い合いになってしまうことだろう。
それがわかっているから新規参入がないともいえる。あ、昨年末の『レーム商会』は別な。
「ここからだと、ハーオスの町の全景が見渡せますね」
ライカの声に、俺も町の方を見やる。確かに、町の概観がよくわかる眺めだった。
だが、俺の目を惹いたのは、町のさらに向こうにそびえる山塊だった。
「ライカ、あの山の向こうが魔人の国なんだろう?」
「あ、そうです。そうなりますね」
今日は春霞も薄く、山塊がよく見える。
おそらく高山地帯なんだろう、山頂は白く雪を被っており、それが半ば……五合目っていうのかな?……あたりまで続いている。
「あの向こうに魔王城があるのか……」
思わず口に出してしまった、その言葉をライカは聞きつけ、
「魔王城の玉座の後ろに、シュウさんの世界へ繋がる扉だか入口だかがあるんですよね?」
「あ、ああ」
うっかりしていた。この話題を出すと、ライカの元気がなくなるのだ。
「シュウさん……帰っちゃうんですよね?」
「う、うん」
「……仕方ないですよね。向こうが生まれ育った世界なんですし、ご家族もいるんでしょうし」
俺も鈍い方だと自覚してはいるが、こうまであからさまな浮き沈みを見せられれば、ライカがこんな自分を好いてくれているのだとわかる。
何を隠そう、俺だってライカのことは嫌いじゃない。いや、はっきり言って好きだ。
だが、俺とライカは文字どおり『住む世界が違う』。
いずれ……多分、あと1年以内に、俺は俺の世界に帰らなきゃいけないし、帰るつもりだ。
そうなった場合、再びこの世界に戻ってこられるとは思えない。女神様もそれについては何も言っていないし。
だから、俺はライカに対して何のアクションも起こさずに――いや、起こせずにいるんだ……。
別れなければならないことがわかっているのに、どうして迂闊なことができようか。好きなだけに、そんなことはできない。
「でも、すぐ、というわけじゃないでしょうし」
そりゃ、魔王城へ行かなきゃならないし、まだ向こうの借金が返せる状態じゃないしな。
「……今は、一緒にいられるこの時を楽しみましょう!」
前向きだな、ライカは……。そんな健気なところも好きなんだ。
「うん、それはそのとおりだな。……そっちのコッペパンくれ」
「あ、はい。どうぞ」
天気は申し分なし。日差しは温かい。こんな空の下では、暗い考えなんかどこかに置き去りにしてしまえ。そう思わせるような早春の日であった。
* * *
「おおっ、ついにレベルアップしたぞ!」
ピクニックに行った翌日、割れた食器の修理を済ませたらKPが400となり、スキルがレベルアップしたのだ。
「おめでとうございます! どんなことができるようになったんですか?」
ライカは興味津々である。それは俺もだ。
「ええと……《スキル:人間工具 レベル4:掌で研磨できる》だって」
研磨か。確かに加工する上では役に立ちそうだ。俺は早速検証することにした。
結果。
「これって結構役に立つぞ」
スキル使用を意識しつつ、掌で擦れば対象を研磨できるわけだが、その荒さはイメージ次第だった。
そして、やっぱり『工具』である証拠に、ダイヤモンド砥石で研磨する程度の速度だった。決して一瞬で削り取れるわけではない。
だが、他のバリエーションと同様、ほとんどの素材を同じ速度で研磨できる。これはある意味凄いことだ。
試しに包丁を研いでみると、砥石を使わずともちゃんと研ぐことができた。しかも、手持ちの砥石では不可能な『鏡面仕上げ』も可能だ。
「ドドロフさんから買った砥石がそろそろ限界だったから有り難いな」
いい砥石だったが、剣や包丁などの刃物を研ぎ続けてきたため、すっかりすり減ってしまっていたのだ。
研磨時間はそれほど短縮できないが、砥石いらずというのは正直助かる。
しかもスキルによるものだからか、発熱がなく、刃先の焼き戻りがないであろうことは大きな特性だった。
木材や石材にも、もちろん使える。掌がサンドペーパーになったようだ。
検証のついでについ調子に乗って、テーブル、壁、床を磨いたらピッカピカになった。それはいいんだが、床が滑ること滑ること。
「きゃあっ!」
その床でライカが滑って尻餅をついたものだから、
「シュウさん! 悪戯しちゃ駄目ですっ!」
と怒られてしまい、もう一度研磨し直し、粗めの状態に戻したのだった。
しかし。
「わあ、これって凄いですよ!」
窓ガラスを磨くとつるつるのピカピカになるのだ。しかも、意識を集中すると平面も出せることがわかった。
今まではなんとなく凸凹していた窓ガラスが真っ平らになったものだから、もの凄く視界がよくなった。
「あ、もしかすると……」
俺はこれを利用して鏡の再研磨を始めた。
鏡が平らになるということは映りがよくなるということで、化粧やひげ剃りがしやすくなるということに繋がる。
そしてそれは案の定受けて、短期間ではあったが依頼が殺到する。
「……ふう」
「お疲れ様です、シュウさん」
依頼を受けた23枚の鏡を磨き終えると、かなり疲れた。
しかし、綺麗な平面となった鏡を見れば、その出来映えに疲れも吹っ飛ぶというものだ。
この後、各家を回って窓ガラスの研磨も依頼が来て、1週間ほどの間、食事の間もないくらいの忙しさになったのだった。
これによってKPは420となったのだった。




