第23話 焼き餅
暑くて熱かった夏が過ぎて少し涼しくなったと思ったら、雨がしとしと降り続くようになった。
こっちでは、梅雨の代わりに秋雨が長く続くのだそうだ。
その秋雨の季節が終わると、朝夕がぐっと冷え込むようになり、本格的な秋となった。
「こっちの木も紅葉するんだなあ」
所々に植えられている街路樹は黄色に染まっていたし、植え込みの灌木は赤く色づいていた。
吹く風も涼しくなって、皆長袖を着ている。俺は作業服しかないので着たきり雀だ。
「服を買わなきゃ駄目ですね」
とライカは言ってくれているが、どうせ着ていく当てもないし、作業服はけっこう暖かいので、
「もっと寒くなったらでいいよ」
と返事をしておいた。それを聞いたライカは不服そうな顔をしていた。なぜだ。
* * *
「シュウさん、今日は午後から神殿へ行きます」
ある朝、ライカに言われた。
「わかった。参拝か?」
ここのところマイヤー工房の経営も上向いてきたのでお礼参りかな?
「神殿から雨漏り修理依頼が来たんですよ」
違った。
「ええと、雨漏りだと何を持っていけばいいんだ?」
「何もいらないみたいですよ。資材は向こうで用意してあるそうですし、ハシゴも向こうにありますから」
あとは釘や接着剤……はいらないな。俺のスキルがあれば。
ということで午前中は他の修理依頼をこなし、昼食後に俺とライカは連れ立って神殿へと向かった。
「おお、麦畑が土になってる」
この世界での小麦は秋蒔き小麦ばかりらしく、晩春に収穫するので、秋の今頃は種を蒔いたばかりなので芽吹いていないか、ようやく芽を出したところ。
だから、前回神殿を訪れた時とは周囲の眺めが変わっていて当然なのだ。
「あ、ほら、ローゼが外に出てます」
ライカの幼馴染み、ぽややんな巨乳巫女のローゼさんが玄関前で手を振っていた。
「よく来てくれましたね、ライカ、シュウさん」
「ええ、修理依頼ということで大急ぎで来たわ」
先日までの秋雨で、数ヵ所雨漏りすることがわかったので急ぎ直してほしいということだった。
場所は司祭様の居室、ローゼさんの居室、礼拝堂、そして倉庫の4ヵ所だという。
「それじゃあ直す順番はローゼさんに指定してもらうとして、俺たちは手順を再確認するぞ」
俺は、道々考えていた修理手順をライカに告げた。
「俺が一度屋根に登って、状況を確認する。一旦下りてきて、必要な資材を指定してもう一度登る。その時にロープを持っていくから、ライカは下でそのロープに必要な資材を結びつけてくれ」
そうすることで、いちいち屋根から下りる必要がなくなり、作業効率が上がるというわけだ。
「わかりました。……気をつけてくださいね?」
「ああ、任しといてくれ」
雨漏り修理なら、俺の世界で何度もこなしたからな。
神殿とはいっても、全部が石造りではなく、屋根には木材も使われている。全部石だと重くなるからかな?
今回雨漏りしているのはその木材の部分のようだ。
これなら、雨漏りした部分の板材を交換すればいいだろう。
修理用の資材として、防腐処理が施された木の板が多数用意されていた。
接着は俺のスキルでできるから、寸法に合わせて切断するためのノコギリと、板を剥がすバールのようなものだけを持って上がればよさそうである。
この地方は雪が少ないのか、屋根の傾斜が小さいのでそうした作業は比較的楽だから助かる。
順番としてはまずローゼさんの部屋の屋根だ。
こちらは神殿そのものではなく、付随施設っぽくちょっと不自然な感じに出っ張った建物である。
多分建て増しした部分なんだろう。
高さとしては少し高い平屋くらいなので楽だ。
「3ヵ所、木が腐っているな」
俺はライカに声を掛け、板を3枚ロープに括り付けてもらい、引っ張り上げた。
「こことここを剥がして、と」
腐った板は簡単に剥がせた。剥がしたあとを見ると、木の梁と垂木が見える。
……なんかおかしいぞ。
「あ、この屋根って、本来ならこの上を瓦……はないから、石材か何かで葺くはずだったんじゃないのかな?」
少なくとも俺の家の屋根をはじめとする木造建築の屋根はそうだった。
骨組みである梁と垂木の上に板を張り、その上にルーフィングという防水シートを張って、最後に瓦やトタン板で葺くのだ。
そうはいっても、この世界の建築法はわからないから、まずは板を取り替えることにする。
新しい板を、剥がした板と同じ大きさに加工し、元通りにはめ込めばいい。スキルレベル2を使えば釘も接着剤もいらない。
右手の指で板を、左手の指で垂木を3度撫でてから押しつければぴったりと接合される。3回撫でたので強度は粘着シートレベルだ。いずれまた交換する必要があることを考えれば、バールのようなものである程度楽に剥がせるくらいが妥当だろう。
残り2ヵ所も同じように修理して終わる。
次は司祭様の部屋の屋根だ。こちらはローゼさんの部屋の隣の隣である。
こっちの雨漏りは2ヵ所。これもまた、同じように修理する。
ここまでは順調だったが、この先はそうはいかないだろう。
倉庫は別の建物だから、先に礼拝堂の屋根ということになる。
こちらは本殿からさらに突き出した、高さ10メートルはある部分で、落ちたら命がなさそうだ。
ハシゴも地面からではなく、1段低くなった屋根の上から本殿の屋根に登り、そこからさらに屋根伝いに登ることになる。
「気をつけてくださいね!」
ライカの声が遠くに聞こえる。
「ったく、高所恐怖症じゃないからいいようなものの……」
こういう時は命綱をどこかに付けて作業するのが鉄則だ。
その点は、礼拝堂を作った職人は心得ていたらしく、鉄製のハシゴが取り付けられている。
しかし鉄なのでかなり錆び付いており、強度的には少し不安があるのは否めない。
なんとか礼拝堂の屋根に取り付いた。
この屋根は尖塔といってもいいくらいの傾斜だ。60度以上はあるだろう。
なので屋根にも鉄のハシゴが付いていた。
「まずは天辺に命綱を掛けて……と」
こうした作業時には、命綱があるとないとでは安心感が段違いだ。
「雨漏り箇所は……ああ、ここか」
ここに関しては、板を張り替える作業は足場的にちょっと無理なので、上から銅板を張ることで対処する。
「5回撫でればいいか」
剥がれては困るので、先程までよりさらに強い強度で接合する。
「しかし、便利なスキルだな」
このスキルがなかったら、屋根の修理はもっともっと大変だったろう。
2ヵ所の雨漏りを直したあと、よくよく見ればもう1ヵ所、あと少しで雨漏りしそうな部分を見つけた。
銅板はあと2枚あるので、ついでに直しておくことにする。
「よっ、と……。ちょっと遠いな」
屋根に作り付けのハシゴからギリギリで手が届く距離だ。左足はハシゴに掛け、右足は屋根に踏ん張ることでなんとか手が届いた。
「きっとこの屋根を作った職人は、俺より20センチくらい腕が長かったんだろうな」
などとつまらないことを考えていたせいか、不意に右足が滑ってしまった。
「おわっ!」
慌てて命綱にしがみつき、事なきを得る。
あ、危なかった……ちびるかと思った。
横着して命綱なしに作業していたら今頃は……。
下界ではライカとローゼさんが悲鳴を上げていたようだ。
銅板を落としてしまったが、幸いにもあと1枚残っているので、やりにくい体勢だったがなんとか修理することができた。
その銅板は地面に突き刺さっている。ライカやローゼさんにぶつからなくてよかった。
「やれやれ、終わったか……」
慎重にハシゴを下りて本殿の屋根に立った時は、思わず溜め息をついてしまった。
そこからは楽なもの。
だが、『ハシゴの3段目』という言葉がある。ことわざでもなんでもないようだが、鳶職の人に聞いたのだ。
ハシゴの高い場所では気をつけるし、残り1段なら落ちても大丈夫だ。しかし、3段目から落ちると意外な大怪我をする、というもの。
人間、あと少しだ、と思うと緊張の糸が切れ、思わぬポカミスをする、ということを戒めたものらしい。
そんなことを意識しながら、俺はゆっくりと慎重にハシゴを下り、地面へと降り立ったのである。
「シュウさん!」
そんな俺は、不意に柔らかなものに抱きつかれた。
「ロ、ローゼさん!?」
「ああ、心配しました! 無事でよかった……」
先程、落ちかけたのを見て、心臓が止まるかと思った、と言う。
それはいいけど、いろいろ当たってます。胸とか胸とか胸とか。
「私の依頼のせいで大怪我を負われたら申し訳がなさ過ぎます」
「は、はい。……あ、あの、わかりましたから放してください」
さっきからライカが睨んでいるんで。
「あ、ごめんなさい……」
ローゼさんは離れてくれたが、ライカは頬を膨らませ、口を尖らせたままだった。
* * *
倉庫の屋根は、問題なく無事修理を終えた。だが……。
修理代を受け取ってマイヤー工房に帰る途中も、ライカが口を利いてくれない。
……俺が悪いんじゃないのに。
そしてなぜか、歩く道筋が行きとは違う。少しだけ遠回りになるルートを歩いているようだ。
来た時は中央広場を横切る環状道路を通ったのだが、帰りはもう1本内側の環状道路を使っている。
そして、不意にライカは足を止めた。
そこには見上げるほど大きな、黄色い葉を付けたイチョウによく似た大木があった。
そして、ようやくライカは口を開いてくれた。
「イチョウ、って言うんです。その昔、異世界から来た勇者が植えたという伝説が残っています」
マジか。芽を出す種……銀杏を持っていた勇者……つい、臭わなかったのだろうかと考えてしまった。
生の銀杏……イチョウの実は臭いのだ。この木は雄のようで、実は生っていないが。
そんなロマンの欠片もないことを考えている俺とは対照的に、ライカはイチョウの木を見上げていた。
「……」
ライカが何を言うつもりなのか見当が付かないので、とりあえず無言でいることにする。
「……ごめんなさい」
「え」
「シュウさんは何も悪くないのに。それどころか、お仕事で高いところに登って、危ない思いしたのに。……私……」
ライカは背を向けたまま俯いた。
「勝手に焼き餅焼いて、勝手に拗ねて……」
「……もういいよ」
俺はそう言うしかなかったし、それは本心でもあった。
「ごめんなさい。……そして……無事でよかった、シュウさん」
「ああ、うん。心配掛けてごめん」
そう言うと、振り向いたライカはいきなり俺の腕にしがみついてきた。
「……もう、危ないことしちゃ、嫌です」
「うん、気をつける」
「しちゃ駄目です」
「善処します」
「しちゃ駄目です」
これはあれか? 選択肢があるようで実はないという、RPGのお約束か?
「……わかったよ。危ないことはしない」
そう答えると、ようやくライカは腕を放してくれた。
そして、自分が何をしていたのか気が付いたらしく頬を染める。
そんなライカが愛しく思われて思わず抱きしめそうになったが、すんでのところで踏みとどまり頭を撫でるに留めた俺であった。




