第2話 ライカ
「痛えっ!」
目の前が白く染まったかと思う間もなく、一瞬の浮遊感の後、尻に衝撃が走った。
「ああ、ごめんなさいね。出る座標が少しずれたみたいね」
「……」
どうやら、目的地の空中に出たらしく、1メートルほど落下したようだ。
下着やら着替えやらを何枚も着込んでいたので、尻餅をついた程度のダメージで済んだようだ。
助かった。
「ここはどこですか?」
「私を祀る神殿ね。その神殿の地下にある祭壇の間よ」
なんとなく『それらしい』場所だ。
大理石なのかなんなのかわからないが、天井も床も柱も、やや灰色を帯びた白い石でできており、ギリシャかローマの神殿、といった感じの場所である。
「ふんふん、これは……」
一応、工業校卒として建築についても最低限の知識は持っているつもりなので、尻餅ついたまま興味深く『祭壇の間』とやらを見回していると……。
「!?」
同じく尻餅をついて驚いた顔でこちらを見ている女の子がいた。
一緒に召喚されたお仲間かな? いや、現地の子か。
「あ、あ、あ……」
その子は、驚きすぎて言葉がうまく出てこないようだ。
そうだろうなあ、いきなり女神様と得体の知れない男が何もない空中から現れて。しかもその男が床に落っこちて痛がっている……いやほんと、どういう状況だ、これ。俺でも引くと思うわ。
「ライカ、そなたの願い、叶えよう」
あ、女神様、こっちの子に何か言い出した。
「ここにおるのは異世界より妾が召喚した男。そなたの助けになるはずじゃ」
あ、口調もちょっと違ってるし。なんか偉そう。
……女神様だから偉いんだろうけどさ。
「あ、ありがとうございます!」
女の子……ライカっていうのは名前かな?
……はっ、土下座をしている。こっちにもそんな習慣、あるんだな。
「シュウ、引き合わせましょう。こちらへおいでなさい」
「は、はい」
俺は立ち上がると、言われるままに女神様の横に並んだ。
「ライカ、この者はシュウ。妾が異世界より召喚した。シュウ、これなるはライカ。この世界で修理工房を営んでおる」
ライカというその女の子は、歳は俺より少し下……妹くらい。肩の後ろくらいまでの長さの焦げ茶色の髪で、同じ色の目をしており、丸い眼鏡を掛けていた。美人というより可愛らしい感じだ。
「え、ええと、ライカ・マイヤーです」
「あ、俺は善田修……シュウ・ゼンダと言った方がいいのかな?」
女の子が名乗ったので俺も名乗ることにした。女神様が言っていたように、普通に言葉が通じているのはありがたい。
「ライカ、頑張りなさい。シュウ、スキルを磨きなさい。そして2人とも、よく務めるように」
「あ、女神様、向こうの妹と弟はいったいどうなるんでしょうか!?」
これにて解散、という雰囲気を感じた俺は、慌てて今一番気になることを尋ねた。
「それについては安心なさい。貴方がこちらの世界にいる間、向こうの世界の時間は動きません。……というよりも、まったく同じ時間に戻ることになります。つまり、あなたの世界では時間は経過していません」
「へえ、そりゃすごいな」
お金がいっぱい貯まるまで、こっちにい続ければればいいじゃないか……。
そう思っていた時が俺にもありました。
「でも、貴方の時間は止まっていませんからね?」
「は?」
つまり、こちら……『女神様の管理する世界』で10年過ごしたら10歳年を取ると説明された。
元の世界に戻った時、いきなり10歳老けていたらやばいわ……。
まあ1年、長くても3年ってところだろう。それくらいならなんとか誤魔化せそうだと、俺は気持ちを切り替えた。
それに、魔法もある世界らしいから、若返りなんてものもあるかもしれない……。
「……それでは、妾はもう行きます」
「あ、女神様……!」
女神様の姿がだんだんと透き通っていく。
「頑張りなさい。私はいつでも見守っていますよ……」
そしてその言葉を最後に、女神様は消えてしまった。
まだ聞きたいことがあったのに。
残されたのは棒立ちの俺と床に座ったライカだけ。
「……」
「…………」
しばらく無言でいたが、このままでは埒があかないので、多分年長である俺の方から話し掛けてみることにした。
「ええと、ライカ……さん?」
「あ、はい。シュウ……さん、でしたっけ?」
「できれば、場所を移しませんか?」
「あ、はい。そう……ですね」
ということで、ライカは立ち上がった。
「ええと、ライカさんの家の手助けをすればいいんですよね?」
女神様はそう言っていたし。
「はい。ええと、私の家の事情はご存じですか?」
「いや、ほとんど知りません」
俺は正直に答えた。
「じゃあ、歩きながら話しますね」
「お願いします」
そして俺たちは歩き出す……のだが、着ぶくれしているから、歩きにくいことこの上ない。
「あの、ちょっと待ってもらえます?」
「え? はい」
神殿を出る前に、重ね着を脱ぐことにした。
作業着上下、Tシャツ3枚、トランクス3枚、靴下を3足脱ぎ、そして首のタオル3本を取ると、ようやくさっぱりした。
脱いだ服は作業着のジャケットに包む。
「ああ、楽になった」
その様子をライカはじっと見ていたのだが、
「あ、それが普段の格好なんですね? 異世界の人って変な格好だなあ、と思ってました」
と言われてしまった。
「んなわけない。これは、着ているものとこの袋しかこっちへ持ち込めないと言われたから着込んでただけだよ」
思わず普段どおりの口調で返してしまった。
「ふふ、そうなんですか?」
ライカはクスクス笑った。ようやく緊張も解けてきたようだ。
「じゃあ、行きましょう。忘れ物はないですね?」
再度ライカは歩き出した。俺もそれに続く。
階段を上がり、鉄の扉を開くと、広いホール状の場所に出た。そこは普通の神殿……らしい。
白い大理石らしい素材で作られた女神様の像が立ち、数名の人が礼拝している。
「ここが本来の神殿です。さっきの『祭壇の間』は、切実な願いがある人だけが入れるんです」
ライカの説明によると、興味本位で訪れようとしても扉は開かないのだそうだ。
ほんと、ファンタジーっぽい世界だな。というか女神様が顕現する世界なんだから間違いなくファンタジーだろうけどさ。
参拝に来ている人々の服装をちょっと観察してみると、黒、グレーなど地味系なズボン、ゴワゴワしていそうなカッターシャツ。
あ、このカッターシャツというのはミ○ノの商品名が一般に浸透したものらしい。これ豆。
で、話を戻すと、そのカッターシャツの上に黒から茶系統の上着かベストを着ている……といったところ。靴は黒系統の革靴だ。
もちろん男性の話で、女性は膝下丈のスカートが多い。色合いも男連中よりは華やかだが、染料の関係なのか、色は付いていても鮮やかなものではない。
俺の前を歩くライカはというと、煉瓦色のスカートに白いブラウス、そしてやはり煉瓦色のベストを着ていた。靴は茶の革靴だった。
この世界は……。
そう考え始めたところで俺たちは神殿の外に出た。
昼の光が俺の目を射る。太陽……と呼ぶかどうかは知らないが、地球と変わらないようだ。
気温の感じでは春か秋のようだった。
「こっちです」
ライカはすたすたと歩いて行く。
神殿は町外れにあったようで、そこから町の中心部へ伸びていると思われる道を行く。
神殿とはいっても、全部が石造りになっているわけでもなく、どちらかというと長崎あたりにある天主堂の大きなもの、という外観である。
付近の道は石畳で、幅は5メートルくらいか。つまり普通乗用車が楽にすれ違いできるくらいだ。
「どうですか、この町は?」
「うーん、なかなか整った町だと思いますよ」
ライカに聞かれて俺はそう答えざるを得なかった。
これまで見たところ、文化の程度は中世から近世といったところだったからだ。
自動車ではなく馬車。オートバイではなく馬。釣瓶で汲み上げる井戸。そして建物の窓に嵌っているガラスがあまり綺麗な平面ではないこと。
そんな点から、俺はこの世界が俺のいた世界より少し後れていると判断したのであった。
ライカは交差点を左に折れた。この町は、中心から放射状に広がる道路と、同心円状に囲む道路とがあるようだ。
そしてなんといっても俺の目を惹いたのは……。
「ライカさん、この町って、いろんな……種族? が住んでいるんですか?」
「ええ、そうですよ。……シュウさんのところは違うんですか?」
「うん。俺のところは、俺みたいな人間だけですね」
そう、明らかに人間ではない者が町を歩いていたのだ。
「そうですか。……じゃあ、少し説明しますね。この町の名前は『ハーオス』。気が付かれたように、いろんな人種がいます」
「やっぱり」
「私は『ヒューマン』です。他に『エルフ』『ダークエルフ』『ドワーフ』『獣人』それに『魔人』が住んでいます」
確かに、女神様もそんなことを言っていたな。
「あ、『人間』っていうと、『ヒューマン』『エルフ』『ダークエルフ』『ドワーフ』を指します」
ここでライカは小声になった。
「それから、『人間』以外を『亜人』っていうのは最低最悪の差別用語ですから、気をつけてください」
確かに『亜』というのは次、とか次ぐ、という意味があって、そこから『少し劣ったもの』という意味があるのだっけ。
「わかりました、気をつけます」
「ええ。いっぺんには無理でしょうけど、いろいろ覚えてくださいね?」
この世界で過ごすために、覚えるべきことはいろいろありそうだ。
その間にもライカは歩んでいく。
「こんにちは、おばさん」
「おやライカちゃん、こんにちは。……その人は?」
「新しい職人さんです」
「ふうん、そうかい。それじゃ、またお店を開けるんだね? 頑張んなよ?」
「はい、ありがとうございます」
と、パン屋のおばさんと言葉を交わしたり。
「こんにちは」
「やあライカ、今日はいい天気だな」
騎士の格好をしたエルフらしいお姉さんに手を振ってみたり。顔が広いんだなあ、と感心する。
「いろんな人がいるんだなあ……」
「ええ、そうなんですよ」
それぞれ種族の特性というものがあるようで、大体は俺の……というか日本でのイメージどおりのようだ。
ライカはまた、町の管理体制についても教えてくれた。
「この町は色んな種族が住んでいるので、それぞれの種族の代表が1人ずつ『評議員』を出して物事を決めているんですよ」
「へえ……」
封建制かと思ったら、意外と進んでいた。
評議会の場所は町の中心部に建つ議事堂だそうだ。
「あ、それはこの町だけで、ヒューマンと獣人、魔人には王様がいます」
やっぱりいるのか、王様。
「エルフとダークエルフ、ドワーフは、聞くところによれば総じて評議会みたいな合議制らしいです」
「ははあ、なるほど」
そうこうするうちにライカの足が止まった。
「ここが私のお店です」
そこは、町の中心部から少し外れた区画にある石造りの建物だった。
心なしか、なんとなく寂れて見える。
「祖父も父も、腕のいい修理工だったんですけど、もういません。後を継ごうにも、私、あまり器用じゃなくて……」
ライカが話してくれたので、俺も事情を飲み込めた。
要は、この寂れた店を建て直せばいいわけだ。ここでようやく、女神様の意図が飲み込めた。
俺を連れてきたのは、ライカの願いを叶えるのに適任だと思われたわけだ。
修理工房を建て直したいライカと、修理の腕で金を稼ぎたい俺。
2人の願いが一致した結果ということ。
「異世界の修理技術で、この修理工房を流行らせればいいんだな」
異世界修理工。それが俺の役割だ。