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第19話 西の湖にて

 俺は工房でルアーを作ってみた。

 最も単純な『スプーン』というタイプだ。

 その名のとおり、スプーンに似た楕円形の金属板に釣り針を付けたもの。金属板は少し曲げたり、それこそスプーンのように片面を凸にしたりして、水中で水の抵抗を受けて複雑な動きをするように加工する。

 この動きを餌だと思って魚が食いつくというわけだ。

 当然ながら草食の魚ではなく、雑食や肉食の魚が対象となる。

 釣り道具の中には予備の釣り針があったので、それを取り付ければ完成だ。一応3種類ほど作っておく。


「面白い釣り道具なんですね」


 途中から見に来たライカが、俺の説明を聞いて感心していた。


「というわけで、明日は定休日だろう? 湖に行ってみたいんだけど」


「いいですね。私も行っていいですか? お弁当作りますから」


「お、ライカも来るか? なら、釣った魚をその場で塩焼きにして食べようか」


「ふふ、いいですね。……じゃんじゃん釣ってくださいね?」


「任しとけ」


 何を隠そう、釣りはそこそこうまいと自負している。なにせ、食費を浮かすためにちょいちょい釣りに行っていたのだから。

 ただし、店の仕事があるので主に夜の防波堤へ、だったが。



*   *   *



 本当なら『朝まずめ』といって、夜明け直後の明るくなり始めた時間帯が釣りの好機なのだが、そこまで必死になることもなかろうと、午前7時頃マイヤー工房を出発した。

 俺は釣り道具を、ライカはピクニック道具を持って。

 しっかりと踏み固められた道が西へと続いている。そこをてくてくと歩いて行く俺たち。


「初めて行くけど、西の湖ってどんな所なんだ?」


「いい所ですよ。この辺は海が遠いので、魚といったら湖で獲れるものばかりですから」


 そのため、道も整備されているし、魔物も出ないよう管理されているらしい。


「漁業権なんてないのか?」


 そういう場所なら漁協が管理していて、素人が釣りをする時は入漁料を払うのではないかと気になったのだ。少なくとも日本の河川や湖沼ではそういう場所が多い。


「なんですか、それ? 湖は誰でも魚を捕っていいんですよ」


 だが、ここではそういうことはないようだった。


「それはそうと、湖の名前は?」


 普通、○○湖と名前があるはずだ。だが。


「ありませんねえ。みんな、ただ『湖』って言ってますね」


「そうなのか……」


 確かに、他に湖がないのならわからなくもない……のかな?



 湖までは結構距離があり、小一時間も掛かってしまった。

 夏の日はとっくに高く昇り、気温も上がってきている。


「やっと着いたか……」


 こっちに来てから歩く機会が増えたので大分慣れたとはいえ、やはり少し疲れた。

 だが湖はいい眺めだ。小砂利の浜辺が広がった場所、アシのような草が生い茂った場所、岩でごつごつした場所、拠水林きょすいりんというのか、まばらに木が生えた場所など、景観に富んでいる。

 釣りをしている人も幾人か見かけた。


「どこが釣れるかわからないな」


「私もそれは知りません」


 ということで、適当に釣り人のいない場所を選んだ。砂利の斜面が湖まで続いている場所なので、水に落ちる心配はない。


「よし、ここでやってみよう」


「期待してますよ」


 俺は釣り竿を出し、ライカは木陰に敷物を出して腰を下ろした。


「さて、と」


 俺は小手調べとばかりに、10メートルほど先までルアーをキャスト(投げること)。

 ルアー釣りは基本投げ釣りだ。遠くへ投げ、リーリング(リールを巻き取ること)しながらロッドアクションと呼ばれる竿の操作でルアーを動かし、生きた餌のように見せかける。それに食いついた魚を釣り上げるわけだ。

 巻き取る速度も重要だ。遅いとルアーが底まで沈んでしまい、根掛かりといって水底の障害物に引っ掛かってしまう。かといって速いと水面近くまで浮き上がってしまう上、食いつこうとしている魚が追いつけなくなる、というわけだ。


「こんなものかな……おっ!」


 小手調べのつもりが、いきなりヒットだ。魚がスレていないのかも知れない。


「わあ、シュウさん、凄いです!」


 釣り上げたのは30センチほどのマスの仲間だった。緑っぽい体色で、側面に虹色に光る太いラインが走っており、俺の目にはニジマスに見える。


「ニジマスですね」


 こっちでも同じ名前のようだった。


「よーし、じゃんじゃん釣るぞ」


 再びルアーをキャスト。今度は意識してルアーを動かすと、またまたヒットした。

 今度はやや小振りで、25センチほどのニジマスだった。


「シュウさんって上手ですね!」


「いやあ、それほどでも」


 やはりここの魚はスレていないようだ。

 とはいえ、さすがに入れ食いとはいかず、それから数回は空振り。

 それでも太陽が真上に来る頃にはそこそこの大きさのニジマスを7尾釣り上げた。


「シュウさん、お昼にしましょう」


 ライカの声に振り返ると、彼女は小さく火をおこし、鉄串に刺したニジマスを焼いていた。

 魚を焼くいい匂いが漂っている。さらに彼女は荷物からサンドイッチを取り出した。


「必ず釣れるとは思わなかったので持って来ちゃいました。ごめんなさい」


「いや、謝らなくても」


 ライカの気配りに感心こそすれ、怒ることはない。


「はい、どうぞ」


 鉄串を使うと、串を伝わった熱が魚の内部にまで伝わるので、中が生焼け、という失敗が少なくなるのだ。

 炭火のような遠赤外線が出る熱源ならともかく、焚き火の場合には特に有効だ。

 ……これは体験談である。俺の焼き方が下手だというのは認めるが。


「うん、うまい」


 塩加減も丁度よく、たちまちのうちに2尾食べてしまった。ライカもまた、小ぶりのものだったが同じく2尾を平らげた。

 さらにサンドイッチを食べ、水を飲むと満腹だ。


「残った3匹はどうしよう?」


 ここで焼いてしまう手もあるが、冷めてしまった焼き魚は硬くなって不味い。かといって、氷もないので町まで運ぶのも難しいことに今更ながら気が付いた。

 貰った魚籠びくしか手元にないが、これでは生かして町まで持って帰れない。締めて持ち帰ろうにも、夏なので腐敗が心配である。さあ困った……と思ったら。


「逃がしちゃいましょう」


 とライカが言いだした。ああ、その手があった。キャッチアンドリリース。

 食べない分は逃がしてやればいいのだ。すっかり忘れていた、反省。


「またなー」


 と言って魚を逃がしたあとは、ライカと一緒に木陰で休憩だ。

 湖を渡ってくる風が涼しい。


「あー、なんだか久しぶりにのんびりしたな」


「ふふ、そうですね。シュウさん、こちらに来てから、ずっと忙しかったですものね」


「そうだなあ……」


 マイヤー工房の立て直しに奔走していたからなあ……。

 ようやく余裕が出てきたということだな。

 満腹なので眠くなってきた。

 涼しい風を頬に感じながら、俺は目を閉じた。



*   *   *



「……はっ」


 風が心地よくて眠ってしまっていたようだ。気が付くと日は西に傾いている。


「ライカは……うわあ」


 立木にもたれていたはずのライカは、いつの間にかずり落ちて、俺の腿を枕に眠りこけていた。

 起こそうかとも思ったのだが、あまりに気持ちよさそうなので、もう少しこのまま寝かせておくことにする。今朝も早く起きてサンドイッチを作ってくれたんだし。


「……」


 こうしていると、向こうに残してきた妹と弟のことが思い出される。戻った時には時間が経過していないということが救いだ。

 すっかり目が覚めた俺は、見るともなしにライカの寝顔を眺めていた。

 そんな時。


「おや、先客がおったか」


 背後から声が聞こえ、振り向くと釣り竿を担いだ老人が立っていた。


「あ、いえ、もう釣りは終えていますので、どうぞ」


 小声で俺は老人に声を掛けた。


「そうかね。それでは失礼するよ」


 老人は持参の箱ビクに腰を下ろし、短い釣り竿を湖に向かって振り出した。だが、糸も仕掛けも付いていない。

 大丈夫かな、この人? ぼけているんじゃないだろうな?

 そんな心配が顔に出たのか、


「はは、驚かなくてもよいよい。儂は魚を釣り上げるのが目的ではないのでな」


「あ、そうなんですか」


「うん。こうして湖に向かって竿を付き出し、思索に耽るのが好きなのじゃ」


「そうなんですか……それじゃあまるで……」


 言いかけて俺は口を噤んだ。こっちの世界の人に『太公望たいこうぼう』の話をしても仕方がないからだ。だが、老人は興味を惹かれたらしい。


「まるで……何かね? よかったら聞かせてくれんか?」


「あ、はい」


 そうまで言われては黙っている理由もないので、老人に太公望の伝説を簡単に話すことにした。


「ええと、大昔の賢人が、針の付いていない竿で釣りの真似事をしていると、その国の大公が通りかかり、『釣れますか?』と聞いてきたんですよ。するとその賢人は、『ええ、貴方のような大人物が釣れました』と答えたんです」


「ほう」


 大公の国は、もっと大きな国から圧政を受けており、今後、服従か反抗か……と悩んでいたところ、その賢人に巡り会うことができ、その助けによって見事に革命を起こすことができた、と説明する。


「それで、その賢人は大公が望んでいた人、という意味で『太公望』と呼ばれたということですよ」


 俺が知っているのはそんなところで、詳細は知らない、その国の名前も、大公の名前も忘れた。


「なかなか興味深い。じゃが儂はそんな大公に望まれるような賢人ではないがのう」


 そう言って老人は笑った。


「儂はシーガーという。貴殿は?」


「あ、申し遅れました。俺はシュウ。シュウ・ゼンダと言います」


「ふむ、シュウ君か。なかなか面白い話を聞かせてもらった。……ところで、膝の上の彼女が、いつ起きればいいか悩んでいるようじゃぞ」


「え!?」


 慌てて下を見ると、目を覚ましたライカと目が合ってしまった。


「お、おはよう」


 間抜けなセリフが口を突いて出た。


「お、おはようございます」


 ライカもまた、顔を真っ赤にして答え、慌てて起き上がった。


「ははは、若い者はいいのう」


 笑う老人。


「あ、え、ええと、こ、これで失礼します」


 なんとなくいたたまれなくなった俺たちは、急いで荷物をまとめ、帰り支度をした。



「……」


 無言のまま町へ向かっていた俺たちだが、ついに沈黙に耐えかね、ライカが口を開いた。


「シュウさん、今日は、楽しかった、ですか……?」


「う、うん。楽しかったよ、今日は。久しぶりにのんびりしたし」


「でしたら、よかったです」


「また明日からバリバリ稼がないとな」


「ふふ、頼りにしてますよ」


「おう」


 夕焼け空の下を、俺たちは肩を並べ、ゆっくりと町へ向かったのだった。

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