第18話 コーヒー物語
暑い。とにかく暑い。
季節は真夏を過ぎたというのに、残暑が俺を責め苛んでいる。
ライカは割合平然としている。暑くないのかと聞いたら、
「暑くないわけないじゃないですか」
と、けろっとした顔で言った。感覚が違うのだろうか……。
「今日の話は自然素材です」
「……頼む」
暑いが、レクチャーは受けておかないといろいろ困るからな。
「では。木材はご存じのようですので、それ以外ですね。皮、これは牛、馬、猪、羊が主です。鞣して革や皮紙にします。羊ではなくても慣例的に羊皮紙、と呼んだりもします」
「なるほど」
「もちろん服にも使いますし革鎧も作ります。靴も作ります。剣など刃物類の鞘に使う人もいます。一軒お隣は鞄屋さんですしね」
確かに、地球でもナイフのシース(鞘)を革で作る人は多かった。
あとは冬用、寒冷地用の服素材としての毛皮。ファッションやステータスとしての高級襟巻きには使われていないようだった。少なくとも、この町周辺では。
「変わった素材では糸ですね。『テグス虫』というのがいまして、今頃栗の木に発生するんですが、その虫から『テグス』という半透明で強い糸が採れます」
「おお」
それがあれば釣りにも使えるかもしれない。そう聞いてみると、
「そうですね。テグスは水に強いので釣り糸や漁業の網に使うこともあります」
と教えてくれた。あとで虫を見つけたら釣り道具を作ってみよう。
その他の糸として羊毛をはじめとした獣毛……ウサギや山駱駝の毛を紡いで糸にするという。山駱駝って……アルパカみたいな動物かな?
絹はなく、代わりに絹蜘蛛という蜘蛛が吐く糸が高級品として流通しているらしい。
「植物繊維は麻と綿が多いですね。他の草からも繊維は採りますが、流通量が多いのは、やはりその2つです」
樹脂はないのかな、と思って尋ねると、
「樹脂ですか? あります。パイン系の木から採れますね。接着剤に使われています」
パイン……というと松ヤニかな? 文字どおりの樹脂だ。プラスチック的な用途には使われていないようだった。
* * *
ライカから『テグス虫』の話を聞いたその日。
露店が出ていると聞き、駆けつけるとアントンがいた。
以前『カヒー』(=コーヒー)の種を頼んだ商人だ。
実は露天というワードを耳にするまで忘れていたのは、ここだけの話だけどな。
「お、しばらく。持ってきたぜ!」
「そりゃあ嬉しい」
俺は前回貰った木札を出した。
「おう、確かに。……で、これがそうだ」
麻の袋にいっぱいのコーヒー……カヒー豆。10キロくらいあるかな?
まだ煎ってないので薄茶色をしており、青臭い。
「言っとくが、この土地じゃ寒すぎて栽培できないからな?」
「ああ、わかってるよ。ありがとう」
礼を言って代金を払う。以前に前金として銀貨5枚を払っているので、今回はもう5枚、つまり合計1000マルス、およそ1万円払ったことになる。
「アントン、いつまでこっちにいる?」
「あと5日くらいかな」
「そうか。わかった」
工房に急いで帰った俺は、さっそく豆を煎ってみることにした。
鉄のフライパンに100グラムほどの豆をあけ、蓋をして弱火であぶる。
「ほうじ茶は作ったことがあったけど、これでいいのかな?」
慎重にやっていると、だんだんと豆が黒くなってきた。同時にいい香りもしてくる。
「よしよし」
どのくらいでやめるのがいいかわからないので、深煎り気味にしておくことにした。
「あ、いい匂いですね。何やってるんですか?」
店にいたライカが香りに惹かれてやってきた。
隠すことでもないので、
「コーヒーを作ろうと思って」
と答える。
「コーヒー?」
やはりこの世界にはコーヒーを飲む習慣はないようだ。
元々、地球でのコーヒーの歴史を見ても、コーヒーの実を食べる習慣はあってもその種であるコーヒー豆を煎って、粉に挽いて、お湯でエキスを抽出する、ということを誰がどうして思い付いたのか定説はないらしい。
火事で焼けたコーヒーの木に生っていたコーヒー豆が焦げていい香りになっていたのを見つけ、囓ったが苦かった。しかし、お湯で煮出して砂糖で味付けするとなかなか美味しい飲み物になった……などと言われているが、これも眉唾物だ。
それはともかくとして、煎った豆を挽こうとしてコーヒーミル(コーヒー挽き)がないことに気付く。仕方ない、今回は金槌で潰そう。
金床とハンマーを綺麗に洗い、よく水気を切る。そしてコーヒー豆を叩いて潰していくのだ。
ドリップ用の器具もないので、ライカに頼んで古いポットを貸してもらうことにした。
「潰すとさらにいい匂いですね」
ポットを持ってきてくれたライカは、興味津々で俺の作業を見つめている。
やや粗めだが、粉が多いと味が落ちるからこの辺でやめておこう。
潰した(お世辞にも挽いたとは言えない)豆をポットに入れ、水を加えて火に掛ける。
昔見た西部劇では、石で砕いたコーヒー豆をポットに入れて火に掛けて煮出し、カップに注いで上澄みを飲んでいた。ワイルドでカッコよかったな。
これはトルココーヒー(ターキッシュコーヒー)に近い淹れ方だ。
「ああ……さらに香ばしい、いい匂いが」
トルココーヒーは砂糖も一緒に入れて煮るのだが、失敗が怖いので今回はあとから入れるつもりだ。
「こんなものかな」
火を止め、2分ほどおく。煮立って舞い上がったコーヒー豆の粉を沈殿させるためだ。
その間にカップを用意し、頃合いを見てそっと注ぐ。
「うん、間違いなくコーヒーだ」
ブラックで飲んでみて味を確認すると、やや酸味とコクを感じる。味はモカブレンドに近いかな? そしてやや薄い気もするが、間に合わせにしてはまずまずの味だ。
味見が終わったので、ライカの分もカップに注ぐ。
「味見してくれ。苦かったら、砂糖を入れるといい」
そう言ってカップを差し出すと、ライカはおそるおそる口を付け……。
「苦いです……」
と言って顔を顰めた。やっぱりな。
弟の奴は生意気にも小学校の頃からブラックコーヒーを好んでいたが、妹は甘くしたミルクコーヒーが好きだった。ライカは妹寄りな味覚のようだ。
借金がなくなったので、砂糖も十分な量を買えるようになった。それを小さじに3杯入れるライカ。
「あ、今度は美味しいです。甘味とほろ苦さがマッチして。この香りもいいですね」
俺からしたら砂糖の入れすぎな気がするが、ライカが美味いというのならまあいいだろう。
「俺のところでは『コーヒー』といって、飲み物の1つなんだ。好きな人は1日に何杯も飲むんだよ」
ライカに説明しておく。
「コーヒー、ですか。飲み方によっては美味しいですね」
「そう言ってくれてよかったよ」
これで堂々と『焙煎器』と『コーヒーミル』をドドロフさんに発注することができる。
* * *
「おお、変わった味だな。でもうめえ」
ドドロフさんにもコーヒーの味見をしてもらってから発注をしてみた。
「コーヒーミル、か。構造は石臼に似てるな」
「ああ、そうかも。どっちも粉に挽くための道具ですから。……こっちのほうが粗く挽きますけど」
「それに焙煎器、か。こっちは簡単だから明日にはできる。コーヒーミルは2日くれ。納得のいくものにしたい」
「それでお願いします」
ドドロフさんは快諾してくれた。やっぱり味見してもらったのが功を奏したようだ。
「なあおいボウズ。苦みのあるこいつで甘い酒を割ったら美味いんじゃないか?」
それを聞いて、はっとした。
さすがドドロフさん、やはり酒好きのドワーフだ。俺が思い付かなかったことを思い出させてくれた。
それに近いものを俺は知っている。
それは『コーヒーリキュール』である。
コーヒー豆を強い酒に漬けてエキスを浸出させたもの。ミルクで割ると美味いのだ。
「なにい!? やっぱりそうか。ボウズ、それも作って飲ませろ」
「わ、わかりました」
言われるまでもなく、コーヒーリキュールはお菓子にも使える。是非作ろう。
「よし! 俄然やる気が湧いてきたぜ。任せておきな!!」
こうして俺は、この2日後、コーヒーを飲むために必要な道具を手に入れることができた。
* * *
「へえ、こうやって飲むと美味いんだな」
「だろう?」
考えた末、俺は行商人のアントンにもコーヒーの飲み方を教えることにした。KPのこともあるが、それ以上に商売人を騙すようなことは気が咎めたのだ。
「だけど、俺に教えてよかったのか?」
アントンも、それが気になるようだ。
「ああ、いいんだ。俺は商人じゃないし。……もしよかったら、またカヒーの種を売ってくれ」
「わかった! シュウ、俺も商人の端くれだ。誠意には誠意をもって返す。この先も、お前にはカヒーの種をできる限り安く売るよ」
「ありがとう」
俺とアントンはがっちりと握手をした。
この後、南の地方を発祥の地としたカヒー改めコーヒーがはやることになるのだが、それはまた別のお話。
「そうだシュウ、釣りって興味あるか?」
「ああ、あるよ」
「そうか。それじゃあ、これをやるよ。コーヒーの情報についての礼代わりだ」
アントンが取り出したのは1.5メートルほどの釣り竿と釣り道具一式だった。原始的だがリールも付いている。巻かれているのはテグスらしい。
「行商の途中、川や池、湖なんかがあると釣りをするんだ」
そうすることで新鮮な魚が食べられるから、とアントンは言う。
「これは予備の道具なんだ。で、ここの町の西には大きな湖があるだろう? あそこはマスが釣れるんだぜ」
アントンも何度か釣っているという。これはいいことを聞いた。
もう少し話していたかったが、2人ほど客が来たので、邪魔にならないようその場を離れた。
「マスが釣れるのか……じゃあもしかして……」
貰った釣り道具は餌釣り用だったので、ルアーでも作ってみるか、と考えながら、俺は家路を辿ったのだった。
あ、KPは160に増えていた。
新しいものを開発すると増えるのだろうか? 謎だ。




