表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サクラハイム物語2  作者: さき太
8/8

また新しい年がやってくる

 「最近よく煙草吸ってるとこ見るっすけど、お前、煙草のみだったっすか?」

 大学の喫煙所で一人煙草を吸っていると、そう片岡(かたおか)湊人(みなと)に声を掛けられて、真田(さなだ)一臣(かずおみ)はいやとそれを否定した。

 「昔一回だけ吸って噎せ返って後悔したから、それ以降吸ったことなかったんだけどな。このあいだ無性に吸いたくなって。一本吸って、やっぱうまいもんじゃないなって思ったんだが、残りを捨てるのももったいないから地道に消費してるだけだ。」

 そう言って煙草の煙を吐き出す一臣の姿を見て、湊人はじゃあ俺も消費するの手伝ってやるからよこすっすよと手を出した。

 「吸わないなら吸わない方が良いぞ。癖になるらしいから。」

 「大丈夫っしょ一本ぐらい。お前こそ、もったいないで一箱消費したら癖になるっすよ。それに、ムダに高いし必要ないと思うから吸わないだけで、ちょっとどんなもんなのか気になるってのもあるっすよ。」

 そう言われ、一臣はじゃあ一本だけなと言って、湊人に一本煙草を渡してそれに火を付けた。そうやって渡された煙草を湊人が口元にあて、吸って、煙を吐き出して、やっぱうまい物じゃないっすねと呟く。

 「でもなんか、スッキリすると言うか。さすが薬物っすね。」

 「その言い方、色々語弊がある気がするが。まぁ、そうだな。」

 「ちょっとだけ、吸う奴の気持ちが解った気がするっす。こんなこと(はるか)に聞かれたら、そんなの解らなくて良いからとか言われそうっすけど。室内に煙草の臭い持ち込んだらあいつうるさいっすよ。吸ってるってだけで嫌そうな顔しそうだし。だから、消費し終わったら追加しないことをお勧めするっす。」

 「そうだな。そうするよ。遙には既に、一臣煙草臭いんだけど、別に吸うなとは言わないけど、吸うならブレスケアと衣服の消臭しっかりしてから戻ってきてよねって言われてるしな。」

 「あぁ、もう言われてたっすか。」

 「昨日だったか。サクラハイムの庭に出て吸ってたらな。浩太(こうた)には大人の男って感じで格好いいって言われて、それに遙がバカじゃないのとか何とか、あいつらいつも通りの掛け合いしてたよ。」

 少し目を伏せながらそう言って、持っていた煙草をもみ消して新しい煙草に火を付ける一臣を見て、湊人は少し躊躇うように口を開いた。

 「お前が急に煙草吸いたくなったのって、やっぱ、花月(かづき)が浩太と付き合いだしたからっすか?」

 そう言われて、一臣は自嘲するように小さく笑った。

 「そうだな。全く関係ないって言えば嘘になるだろうな。」

 「お前、あいつらが付き合い始める前から様子おかしかったし。まぁ、花月の様子も変だったから、告白してダメだったんだろうなとは思ってたっすけど。でも、なんていうか。いくらフラれてたって、好きな女性(ひと)が他の男と一緒にいて浮かれてる姿を毎日目の当たりにさせられるとか。俺はお前のメンタルが心配っすよ。」

 「そうか。心配掛けて悪いな。でも、お前が心配してるような感じではないんだ。ああやって俺のこと気にせずいてくれた方が、正直楽だしな。二人の関係は初々しくて微笑ましいし。俺とじゃあぁはならなかっただろうなって実感して、未練も吹っ切れそうだしな。」

 そう言って、一臣は煙を吐き出して空を仰いだ。

 「本人が自覚してなかっただけで、俺はあいつが浩太のこと好きだって気付いてたからな。正直なところ、絶対に勝てないって最初から思ってた。だから、こうなることは最初から織り込み済みで、あいつらがいちゃついてるの見守ってくつもりもあったんだ。自分の気持ちは伝えないで、ずっと友達でいて傍で見守ろうって思ってた時期もあった。結局それで我慢できないって自覚したから、ダメ元でも告白しようって思ったんだけどな。でも、俺は、告白のしかたをどうしようもなく間違えたんだ。間違えて、あいつのことを傷つけて。自己嫌悪に苛まされて。なのに、それでも俺は、あいつからの返事を待つ間、あいつが俺を選んでくれないかなんて期待してた。結果は、まぁ知っての通りだ。あいつは浩太を選んで、今、本当に幸せそうで。元気になってくれて、元通りのあいつらしさを取り戻してくれて、凄くホッとした。でもな、それでもやっぱりな・・・。」

 そう吐き出して、一臣は困ったような顔で笑った。

 「フラれたとき、あいつからこれからも友達でいたいって、ずっと友達でいてくれるかって言われたんだ。そう言われて、俺のしたことを許してくれるのかって、今まで通りいても良いのかって、嬉しく思った反面、どうしようもなく辛くなった。今も、嬉しそうなあいつを見て、幸せそうなあいつを見て、良かったなって、本当に良かったなって心から思ってるのに、それと同じくらい苦しくなる。」

 そう言って、一臣は煙草を一気に吸い込んで、思いっきり煙を吐き出して、吸い殻の火をもみ消した。

 「だから、冬休みになったら傷心旅行にでも行ってくるわ。バイクで当てもなく日本各地を回る旅。いいだろ?冬休み全部使って自分探しの旅じゃないけど、傷心旅行兼、卒業製作用の撮影旅行をしようかと思ってる。俺はそこまで頭良くないから、論文書くより卒業制作で文章添えるくらいの方が合ってる気がするしな。色々写真撮って、それを纏めて、卒業制作にするのもアリかもなってな。教授に相談したらそれでも良いって言われたし。まぁ色々、課題というか、条件は付けられたけど。自分自身、まだ自分が見たことない世界を見て知って、それを枠に収めてみたいって気持ちもあるんだ。自分が感じたものを自分が感じたままに、写真を通して人に伝えられたらなってな。やりたいことに打ち込んでれば少しは気も紛れるかなって。」

 そう言って一臣は、花月に自分が撮った写真を見せびらかして、人生を本気で楽しんでいる自分を見せつけて羨ましがらせて、花月に自分を選ばなかったこと後悔させて思いっきり悔しがらせたいと楽しそうに笑いながら言っていた夏樹(なつき)の姿を思い出して、小さく笑った。今の俺はあの時のお前みたいなモノなのか?そんな風に思う。でも、写真をただの逃げに使ったら、お前に本気で怒られそうだな。そうも思う。逃げだとしても、本気で打ち込んで、本気で楽しんで、ちゃんと人生を謳歌しないと、お前に顔向けできないな。そんなことを考えて、一臣は、女一人にフラれたぐらいでうじうじするなよ情けない、お前の人生これからだろ、と言ってニッと笑う夏樹の姿が見えた気がした。

 「どうせなら、冬休みだけと言わず、大々的に撮影旅行に出掛けて。こうなったらとことん行けるところまで行って、写真を撮りまくって、俺にしか描けない世界を作り出して、それを卒業制作にしてやるか。」

 そう言って清々しく笑う一臣を見て、湊人も笑った。

 「よく解んないっすけど。なんかお前が吹っ切れたみたいで良かったっすよ。お前の卒業制作見るの楽しみにしてるっす。」

 そして二人で笑い合って。一臣は一つ息を吐いた。

 「さて。完璧に失恋したことだし、次にいくか。」

 「え?立ち直るの早っ。ってか、もう次の目星があるっすか?」

 「管理人さんとか、頼りになる姉的存在として慕ってたけど、彼女としてもアリだよな。今なら話し聞いてくれますかって誘えば、親身に話し聞いて慰めてくれそうだし。あの包容力で癒してもらえるってかなり魅力的だと思うぞ。管理人さんは俺みたいな見た目が好みらしいし、狙ってみるか。」

 そう言って湊人に視線を向けると、湊人があからさまに動揺して煙を呑み込んで噎せ返って、半分涙目になりながら、本気っすか?と訊いてきて、一臣は笑いながら冗談だと答えた。

 「ちょっ。真田。その冗談、マジでしゃれになんないっす。」

 「じゃあ、さっさとお前も告白してこい。そしてフラれろ。」

 「なんすかそれ。人を道連れにしようとして。」

 「フラれろは冗談だ。道連れにする気は更々ないよ。それに、お前は上手く行く気がするし、上手くいって欲しいと思ってる。管理人さん、親からいい年なんだから浮いた話しの一つでも持って来て少しは安心させろってせっつかれてるらしいしな。なんか色々あの人はどうだの、この人とか良いんじゃないかだの言われてるらしいし。このまま何も言わないままでいたら、そのうち管理人さんは俺達の全く知らないどっかの誰かと結婚することになって、結婚式に出席することになるかもしれないぞ。だから、後悔する前にぶつかっといた方が良いんじゃないかと思ってな。応援してる。でも、ま、このままでいてお前が失恋したときは、やけ酒でも何でも付き合ってやるよ。」


 「―って、結構いい顔して前向きに撮影旅行に出掛けてったっすから、真田のことは心配ないと思うっすよ。」

 管理人の西口(にしぐち)和実(かずみ)と並んでキッチンに立ちながら、湊人は冬休みに入る前に一臣とした話しを、都合の悪いところは省略し、掻い摘まんで話していた。それを聞いて、そっかそれなら良かった、わたしも心配してたんだよねとホッとした様に胸をなで下ろす和実を見て、湊人は小さく笑った。

 「それにしても、まさか今年はわたしと片岡君でお節を作ることになるとは・・・。」

 「去年嬉々としてせっせとお節作りしてた花月は、遙と浩太の帰省に付いてって、帰ってくるの年明けっすもんね。」

 「夏休みの時と違って、今回は花月ちゃん、浩太君の家族にお呼ばれして浩太君家に泊まりに行ったんだよね。浩太君家、遙君家みたいに客間とかないって言ってたけど、大丈夫かな。なんか、色々。花月ちゃんあんなんだし。なんて言うか、今の純粋で端から見てて微笑ましいお付き合いから先にいくのは、まだ早いと思うんだ。だけど、同じ部屋で一晩明かすなんてことになったらさすがにさ、さすがに・・・。」

 「大丈夫じゃないっすか?ほら、浩太、付き合い初めで浮かれたいのに浮かれられないというか。浮かれかけても、花月に絶対一緒に大学行こうねとかいい笑顔で言われる度に、さっと顔青ざめて一気に冷静になるっすし。いつも花月の天然砲くらって、浩太の気分の上がったり下がったりが本当激しいっすから、あいつの精神疲労半端ないんじゃないかなって。たぶん、なんかする前にぐったりっすよ。この間も、遙にお前ら部屋で勉強しろって食堂追い出されて五号室に二人きりになった結果、浩太が死んでたっすからね。何があったか知らないっすけど、あいつ顔真っ赤にして五号室から飛び出してきたかと思ったら、なんか洗面所に引き籠って、暫くしたら頭びしょびしょで出てきて、その後食堂で撃沈して動かなくなってたっすから。俺的には、色々耐えられなくなった浩太が遙ん家逃げ込んで、何も起きないに一票っす。」

 「あー。そう言われると、そうかも。それ、凄く想像が付く。」

 「でしょ?」

 「そういえば。片岡君は今年の帰省はいつからするの?実家でもお節作るんでしょ?ここでもお節作るの大変じゃない?」

 「花月もいないし、真田もいないからしかたがないっす。それに俺のお節は花月のと違って超手抜きだし、品数もあんなに作らないっすから、大した手間じゃないっすよ。品数少ないと遙に去年より貧相になってるんだけどとか言われそうっすけど、文句は受付ないっすから。でもまぁ、あまり貧相に見えないように重箱に詰めるときの盛り付け方は気をつけるっすかね。俺一人でもできるし、管理人さんはのんびりしてて良いっすよ。」

 「いやいや。わたしも手伝いますよ。去年、花月ちゃんが作ってるの見てたし。片岡君も教えてくれるし、大丈夫。それに、わたしもたまには料理しないと。再来年は片岡君も社会人になって、花月ちゃんも学生になる予定だし。今まで通り二人に家事を頼りっぱなしって訳にはいかなくなるからね。今のうちに練習、練習。今なら遙君もいないし、変なことしてもバレないし。」

 「そう言って管理人さん、いつもあいつが学校行ってていないからって、平日の昼間に練習してるっすよね。あいつに色々言われるのが嫌なら、もっと怒っても良いと思うっすよ。」

 「いやー。遙君に言われてることももっともすぎて反論できないというか。遙君の方が弁が立つし、わたしじゃ口で勝てないよ。それに、あれが遙君のコミュニケーションのとり方で、悪気があって言ってるんじゃないって言うのも解るしね。ただ、言われっぱなしも悔しいし、練習してるとこ見られて口出されるのも気持ちが萎えるから、遙君に見られないところで練習して、あっと言わせてやりたいというか何というか。去年はお正月にわたしが作った物何もないって言われちゃったから、今年は一つでも何か作って見返してやりたいな、なんて。」

 「なら、栗きんとんでも作りますか?ちゃんと作ると手間かかるっすけど、実はあれ超手抜きでできるっすよ。あと伊達巻きとか、材料全部ミキサーかけて焼いて巻くだけっすから、簡単にできるっす。紅白なますとかだとまた遙にバカにされそうっすけど、そういうのなら作り方バレなければあっと言わせられそうじゃないっすか?」

 「それは良いですね。是非ともご教授お願いします。片岡先生。」

 「了解っす。」

 そんな話をしながら、材料を並べて、何から始めるか話し合って。とりあえず、酢の物と煮物用の野菜を切っちゃおうかなんて話をして、作業に入る。

 「片岡君、いつ見ても本当手際良いね。どうやったらそんな風にできるようになるの?」

 「慣れっすよ、慣れ。それに、賄いや廃棄目当てで飲食店とか総菜屋のバイトも結構こなしてきたし、一緒に働いてるパートさんとかに色々教えてもらって仕込んでもらったっすからね。俺だって、料理始めたばっかの頃は酷いもんでしたよ。俺、サッカーばっかやってて全然家の手伝いとかしてなかったのに、急に家事の一切合切やらなきゃいけなくなったっすから。母さんの代わりに家事やるようになった最初の頃は、結奈(ゆいな)暖人(はると)に随分文句言われたっす。」

 「そうなんだ。元々趣味で料理とかしてた真田君とは訳が違うんだね。大変だったね。」

 「本当、大変だったっすよ。最初の頃は俺も本当になにをするにも手際悪くて。家事するのもいっぱいいっぱいだったのに、暖人も結奈もまだ小学生で。今でこそあんな感じっすけど、結奈小さい頃はかなり甘ったれでべたべたで、暖人も本当やんちゃだったし、母さん倒れた不安もあってかあいつら色々やらかしてくれて、本当手がかかったっすよ。父さんもオロオロするばっかで本当頼りにならないし。兄貴は高校から県外の全寮制のとこ行ってったっすから、そうそう帰ってこれないし。あの頃は俺自身かなりパニクってた気がするっす。」

 「その状況でよく頑張ったよ。本当、よく頑張ったね。今の片岡君がいるのはその頃の努力の賜だね。」

 「努力したっていうか、当時は、俺がやるしかないって、もうそれしか頭になかったっすから。目の前のことしか見えなくて、もうがむしゃらだったんすよ。でも結局、落ち着いた後もそれで突っ走り続けて、去年の兄妹喧嘩っすから。しかも、今年に入って知ったんすけど、結奈だけじゃなくて、暖人も俺に鬱憤溜まってたらしいっすからね。」

 「え?そうなの?弟君とは普通に仲良かったんじゃなかったっけ。」

 「そう思ってたっすけど。あいつ、俺が家のことやるのにサッカーやめたの気にくわなかったらしくて。いや。そうじゃないっすね。結局、去年、結奈怒らせたのと理由は同じっす。家のこと落ち着いて、あいつらが大きくなってからも、俺一人で負担背負い込んで、あいつらに家のことは良いから自分の事してろって、好きなことやってろって言っていつもへらへら笑ってたのが気にくわなかったらしいっす。暖人がサッカー始めたの、俺への当てつけだったらしいっすから。見せつけてやれば少しは、自分は我慢してるのにって腹立てるかなって思ってたらしいっす。で、俺があまりにも無反応だから、暖人の方が苛ついて、コレならどうだって躍起になって見せつけてきてたらしいんすけど。俺、全然そんなこと気が付かなくて。夢中になれるものができて良かったなって、応援してやらないとなとしか思ってなかったすよ。で、その反応も本当腹立ったって言われたっす。」

 「それはまた。なんていうか。」

 「色々ぶちまけてスッキリしたらしいっすけどね。ほら、ゴールデンウィークに浩太が友達に誘われてフットサルの大会出ることになったことあったじゃないっすか。それで、なんか真田がサクラハイムでもチーム作って参加しないかとか言い出して、俺も乗せられて出場することになって。あの時、暖人に喧嘩売られたっすよ。いや。ミナ兄が出るなら、俺も部活の仲間誘って出ようかなとか言われたときは、喧嘩売られてるって全然気が付かなかったんすけどね。サッカーじゃないけど、似たような競技で俺のことこてんぱんにして鬱憤晴らしたかったって。あいつ、今じゃインターハイで活躍しまくって、高校卒業したらプロ入りするのが決まってるような選手なんすけど。なんか、あいつが結果出すと、弟がこうならお兄さんがサッカー続けてればどうなってたかって、周囲がいちいち俺のこと引き合いに出してくるのが嫌でしょうがなかったらしくて。大会の後に、これでスッキリしたって、もろもろ全部打ち明けられたっすよ。だから俺、実は二年連続兄弟喧嘩してたっす。去年は結奈と兄妹喧嘩して、今年は暖人と兄弟喧嘩してたっすよ。」

 「そうだったんだ。なんて言うか、弟君も男の子だね。」

 「本当、まだまだガキっすよ。暖人、耀介と同い年なんすけどね。耀介の方がよっぽど大人に見えるっす。」

 そんな会話をしているうちに野菜の下処理が終わって、和実がふざけた調子で、先生これからどうしたら良いでしょうかと言ってきて、湊人は吹き出した。

 「煮物と紅白なます、どっち作りたいっすか?」

 「うーん。じゃあ、紅白なますで。」

 「了解。じゃあ、煮物は俺が作るっすから、管理人さんは紅白なますで。とりあえず。その千切りした大根とにんじんに軽く塩ふっといて下さい。水が出たら絞るっすから、ふったら暫く放置っすよ。その間にお酢を作るっす。もらった柚子があるからそれ絞って入れましょうか。柚子の絞り汁も酢に換算して、だいたい酢と砂糖、三対一ぐらいでお願いします。」

 「えっと、三対一でどれくらいの量作ればいいのかな?」

 「そうっすね。この量なら。とりあえず大さじ六、二で作っとけば良いと思うっす。大丈夫っすよ。そんなに慎重にならなくても後で調整効くっすから。酢と砂糖の比率なんて人の好みで各家庭結構違うし、最終的に味見して、管理人さんが美味しいと思えばそれで良しっす。」

 「わたしが美味しいと思えばって、なんか緊張するな。」

 「何言ってるっすか。味見は基本っすよ基本。管理人さん、舌バカじゃないんすから自信持って。それに、俺もちゃんと味見するっすから。」

 そんな会話を交わし、笑い合いながら、二人でせっせとお節作りを進めていき、和実はしみじみと今年ももう終わるんだなと思った。


         ○                           ○


 年が明け、帰省していた住人達も戻ってきて、サクラハイムにまた賑やかな日常が戻ってきた。撮影旅行に出掛けてる一臣を除いて、皆で新年会をして。わいわい話しに花を咲かせる面々を眺めながら、和実はやっぱこの賑やかさがサクラハイムだよねと思って胸が暖かくなった。

 「真田から。初日の出とか、色々写真が送られてきてるっすよ。正月は過ぎたが、新年会は今日してるだろって、皆に新年の挨拶付きっす。」

 そう言って、湊人にスマートフォンを差し出されて、和実はそれを受け取り画面を眺め、うわー綺麗と呟いた。

 「何見てるの?」

 そう言って、柏木(かしわぎ)(はるか)が覗き込んできて、和実は彼にも見えるように画面を傾けた。

 「真田君から、撮影旅行の写真付き年賀メールかな。」

 「へー。さすが一臣。綺麗に撮れてるじゃん。あいつの風景画って見たことなかったけど、こういうのもいけるんだ。あいつ、今どこら辺にいるの?」

 「どこっすかね。どこにいるとは書いてなかったすけど。祐二(ゆうじ)、解るっすか?」

 そう言いながら、湊人が和実が持っていたスマートフォンをとって近くにいた風間(かざま)祐二(ゆうじ)に渡す。

 「え?俺ですか?俺はあまり遠出したことないので、こういうのは詳しくないですから。耀介(ようすけ)君知ってる?」

 そう言って、祐二が今度は隣の藤堂(とうどう)耀介(ようすけ)にスマートフォンを渡して。

 「ん?知らねーな。どっかの観光地か?三島(みしま)さん、解るっすか?」

 そう言って、耀介が今度は三島(みしま)健人(けんと)にスマートフォンを渡し。

 「これは。もしかしてうちの近所じゃないか?なぁ、光。どう思う?」

 そう言って、健人が香坂(こうさか)(ひかる)にスマートフォンの画面を見せた。

 「どれどれ。あ、本当だ。これ僕らの地元だね。なんかこうやって見ると、有名な観光スポットみたい。実際は何もないただの田舎町なのに。さすが真田君。」

 「ってことは、俺達とすれ違いか。もしかしたら、地元で真田とバッタリなんてこともあったかもしれないな。」

 そんな風にサクラハイム内では一番地元が遠い二人が画像を見ながら盛り上がり、そして、スマートフォンは湊人の手元に戻った。

 「花月ちゃん。お酒はダメ。絶対、呑んじゃだめだから。」

 「新年会だし。日本酒、ちょっとだけ。」

 「だーめ。ちょっとって言って、ちょっとじゃ済まないでしょ。」

 「うー。浩太が。浩太が厳しい。」

 そんな珍しいやりとりが聞こえてきて、和実は視線を声の方に向けた。楠城(くすのき)浩太(こうた)が、篠宮(しのみや)花月(かづき)から一升瓶を取り上げて、食い下がる彼女をあしらっている姿に変な感じがする。

 「浩太がアレだけ言うって、花月の奴またなんかやらかしたっすか?」

 「まぁ、色々。花月ちゃん、成人してるんでしょ。一緒にお酒呑みましょって、うちの双子があいつにぐいぐいお酒勧めて、あいつ吞み過ぎてさ。まぁ、だいたいの酒は苦いって言って除けたり、凄く甘いからちょっとでいいって言ってそんなに呑まなかったんだけど、日本酒だけは美味しいって、あいつ本当に幸せそうな顔して呑むから、姉さん達が調子にノって色々呑ませて量がおかしくなったんだけど。なんていうか。酔っ払った花月に絡まれて浩太が色々大変だったかな。俺も迷惑被ったけど。」

 「花月ちゃん、日本酒好きだもんね。普段なら、ちょっとって言われたら、ちゃんとちょっとで終わらすのに、お酒入ると自制効かなくなっていつの間にか結構な量呑んでたりするし。お花見の時も気が付いたらかなりの量を呑んでて、なんか陽気に歌って踊ってくるくる回ってたんだよね。まだ、あんな感じの酔い方なら良いんだけど。花月ちゃん、酔うとなんていうか、かなり甘えん坊になるから・・・。」

 「本当、なんていうかね。なんていうか、さすがにアレはちょっと、俺も浩太のこと可哀相になったかな。しかも花月の奴、浩太の母さんに何吹き込まれたのか知らないけど、人前でそういうことするなって言ったら、だって浩太のお母さんが恋人同士は家族の前でもこういうことするの当たり前だって言ってたからって言いやがったからね。それはイタリアの話しで、日本じゃ普通じゃないからって結構キツく言っといたんだけど。どうせ酔ってるときに何言っても覚えてないだろうから、帰ってくる直前に改めて〆といた。だから普段はやらかさないと思うけど。酒入るとあいつなにやらかすか解らないし。取り上げて吞ませないのが正解だと思う。」

 「遙が可哀相になるほどの何かって。あえて掘り下げはしないっすけど。それは。浩太、大変だったっすね。」

 「もう自分の彼女なんだからいいかげん少しは免疫つけろよとも思うけどね。あいつ、顔真っ赤にして走り出して、もう花月ちゃんの顔見れない、ってか外出れない、ムリ、本当ムリだから、お願い暫くそっとしておいて、とかなんとか言って、俺の部屋に鍵掛けて引き籠もりやがったからね。おかげで俺も本当に迷惑したから。」

 「じゃあ、ここでやらかしたら、浩太君、二号室に鍵掛けて引き籠るのかな?」

 「それ、俺がかなり迷惑するんだけど。実家の部屋に引き籠もられるよりそっちの方がよほど迷惑なんだけど。」

 「なんか、浩太と花月の攻防終わりそうもないっすし、それ聞いちゃうと。ちょっと助け船出してくるっすかね。」

 そんな話をして、湊人が二人の元に向かう。

 「花月、福引き行かないっすか?正月セールは管理人さんや祐二と行ってきたっすけど、福引きはお前がやりたがるんじゃないかって、券とってあるっすよ。」

 「本当?ありがとう。行く。」

 「じゃあ、出掛ける支度してこい。」

 「解った。」

 そう言って花月が嬉しそうに自室に戻っていって、浩太が大きく息を吐き出した。

 「浩太。お前も一緒にくじ引き行くっすか?」

 「いや、俺は残ってる。なんか疲れた。」

 「お疲れ様。なんて言うか、あいつ基本聞き分け良いのに、お前にはどんどん遠慮がなくなってってるっすからね。帰省前よりかなり酷くなってるし。本当、あいつと付き合うの、色々大変そうっすね。頑張るっすよ。色々。俺で役に立つことなら手貸すっすから。」

 そんなやりとりをしているうちに花月がお待たせと部屋から戻ってきて、じゃあ行ってくるっすねと湊人は皆に声を掛けて、彼女を連れて出掛けた。

 ウキウキしながらくじ引きの会場に向かい、キラキラした目をガラガラに向ける花月を見て、湊人は、本当、花月は子供っすよねと思った。自分と同い年とは思えない。それどころか、現在高校一年生の妹よりずっと幼く見える。まぁ、それは、花月が幼いだけじゃなくて、結奈の方がしっかりしてるのもあるっすけど。浩太はまだ解るけど、真田もよくコレが恋愛対象になってたっすよね。俺には全く理解できないっす。でも、あいつはコレに真剣だったんすもんね。真田の奴、今頃どこら辺にいるんすかね。まだ三島さん達の地元辺りで撮影してるのかな。冬休み中と言わず大々的になんて言ってったっすけど、冬休み明けたら一旦帰ってきたりしないんすかね。いくら小まめにメールしてきたって、ずっと帰ってこないと皆心配するっすよ。なんて、湊人は花月を眺めながらもう一人の同い年に思いを馳せた。

 「湊人。湊人は今年は何が欲しい?」

 そう言われて、湊人は景品の一覧を眺めた。ゲーム機や掃除機などいくつかの景品はもうなくなっていたが、まだ色々と残っていて、花月の強運なら今年もじゃんじゃんこういうの当てられるんすかねなんて思って可笑しくなる。

 「そうっすね。やっぱ一番は米っすかね。高級食材は量が少ないっすから、サクラハイムの食卓に出すには心許ないし。まぁ、食材系はあればあっただけ良いっすけどね。」

 「他には?」

 「うーん。食材を除いたら、そうっすね。コレといってめぼしいものは・・・。」

 「皆で使えるもの以外引いたら、わたし達で好きにしていいって皆言ってたよ。欲しいものあって当たったら、それもらえるよ。」

 「それは知ってるっすけど。去年、俺は自転車もらっちゃったしな。花月はなんか欲しいものとか、興味あるものないっすか?」

 「えっと。温泉。」

 「温泉?意外っすね。」

 「この前、旅番組で温泉やってて、皆が温泉良いよねって話ししてて。わたし、ああいうところに行ったことないし、温泉ってどんな所かよく解らないんだけど。でも、皆とテレビ見ながら皆の話し聞いてたら、楽しそうだなって。本当に皆で行けたら楽しいだろうなって。皆で行ってみたいなって。それで。」

 「なるほど。そういうことならお前らしいっすね。」

 そんな話しをしているとくじ引きの順番が回ってきて、花月が嬉々として係の人に券を渡してガラガラを回し始めた。そして、ガラガラから飛び出してコロコロ転がる玉の色に、次々鐘の音が鳴り響いて、湊人は、花月の強運は今年も健在っすねと思った。そして、去年同様景品の山ができあがって。

 「今年も管理人さんに車出してもらうっすか。あの人、基本お酒呑まないけど、勧められると付き合い程度に口にするから、お酒吞んでないといいんすけど。」

 そんなことを言って湊人が和実に電話を掛け、事情を話しヘルプを頼み、二人で迎えを待った。

 「ねぇ、湊人。」

 「なんすか?」

 「これ、湊人にあげる。」

 そう言って花月が温泉のペア宿泊招待券を渡してきて、湊人は疑問符を浮かべた。

 「温泉気になってたんっしょ?それで、管理人さんにでも連れてってもらえばいいじゃないっすか。」

 「えっと。お姉ちゃんが、温泉行きたいな、温泉って疲れもとれるし癒やされるよねって言ってたら、遙がいつもダラダラしてる人が何言ってるのって。そういうのはいつも頑張ってる湊人みたいなのが言う台詞でしょって。これじゃ皆で行けないし。だから湊人にあげる。コレ使って、湊人とお姉ちゃんで温泉行けば良いと思う。」

 そう言われて、湊人は一瞬心臓が止まる思いがして言葉を詰まらせた。そして、そんな自分を不思議そうに見上げてくる花月を見て、ため息が出てくる。

 「花月。大人になったら、気軽に男女二人きりで泊まりがけの旅行なんて行かないんすよ。」

 「そうなの?お姉ちゃんも行きたがってたし、湊人も行けるし、丁度良いかなって思ったんだけど。大人になるとダメなのか。」

 「いや。ダメって訳じゃないっすけど・・・。」

 「けど?」

 「色々あるっすよ。色々。そのうちお前にも解るようになるっす。多分。」

 花月の追撃にどう答えれば良いのか解らず、湊人はそう言って話しを切り上げた。

 「でも、とりあえず湊人にあげる。わたしはいらないから。」

 そう言って差し出された温泉のペア宿泊招待券を受け取って、湊人はコレどうするっすかねと思った。まさか、本当に管理人さん誘って行くわけにはいかないし。そもそも冗談でもそんなこと口に出す勇気なんて俺にはないっすよ。でも、管理人さんが行きたがってたなら、誰かと行って下さいって、あの人にあげるっすかね。皆のいるとこで渡したらどうせまた遙辺りに茶化されるし、花月の前で渡してもこいつ絶対皆に言いふらすっすから、同じ事になるし。後で、こっそりわたしに行くことにするっすか。そんなことを考えながら、それでも和実と旅行に出かける妄想をしてしまう自分がいて、湊人はモヤモヤした。本当、花月はガキなんすから。何の気なしにあんなこと言い出して。どうしてくれるっすか、コレ。本当、このままじゃ管理人さんの顔まともに見れないっす。だから、管理人さんがここに到着する前に鎮まるっすよ、俺の心臓。そんなことを考えて、湊人は顔を伏せ、落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせた。


         ○                           ○


 和実は管理人室で書類の整理をしていた。整理し終わった書類のファイルを棚に収め、それを眺めて、自分が管理人になってからの書類もだいぶ増えたなと思う。たった二年。丸々二年まであと数ヶ月。その程度しか経っていなくても、そこにある確かな存在感にここに暮らす皆で重ねてきた時間を重ねる。色々あったな。学生寮だったこの建物を仮にシェアハウスとして運営を始めた一年目も、正式にシュアハウスとして動き出した二年目も。喧嘩したり、怒られたり、皆で色々話しながら、皆で生活のルールを決めていった。細かい規定も色々変えて、どうすれば皆が一番生活しやすいのか皆で話し合って。なんだかんだ大変なことも多かったけど、楽しかったな。そう思う。そして、建物の老朽化の問題もあるし、またそのうち皆でこれからのことちゃんと話し合わないとなと思って、和実はなんとも言えない気持ちになった。ずっとこのままを続けていきたいと思う。でも、ずっとこのままは続けられないことも解っている。三島君は希望していた劇団への入団がかなわず、舞台俳優としてやっていきたいという意思から断り続けていた芸能事務所への所属を、何度も足を運んで説得しに来たスカウトマンさんの熱意に負けて了承した。香坂君は、無事、私立高校の教員採用試験に受かって、希望通り四月から学校の先生になる。真田君は、知り合いの写真館の館長さんに勧誘されて、そこで経験を積みながら、大学卒業後はそのまま写真館のカメラマンとして働く予定。片岡君は、年の近い皆が就職先を決めていくのを見ながら、自分の就職について考えるようになり、バイト先のオーナーに愚痴がてら相談した結果、このままここに就職しろと言われてちゃんちゃん。金出してやるから調理師免許とってこいだのなんだのと、返事をする前から勝手に就職することに決められて色々話しを進められて、まったくあの人は、なんて文句を言いつつ、悪くないような顔でオーナーの言う通りにしている。藤堂君は無事に舞台美術が学べる専門学校に進学することが決まり。去年、夢を叶えるために外国語大学に進学した風間君は、充実した学生生活を送っている。そしてきっとこのまま二人とも夢に向かって自分の道を進み続けるんだろう。そうやって、皆、それぞれに自分の道を歩き出した。今はまだ高校生の遙君や浩太君も。来たばかりの頃はまるっきり何も知らない子供のようだった花月ちゃんも。いずれは巣立ちの時が来る。サクラハイムというこの場所を、寮ではなく、ずっと皆が暮らし続ける家にしたいと、皆が帰ってきたと思えるような、ここに来れば力が抜けてホッとできるような皆の家にしたいと、そう思っていた。そして、今は本当に家のような場所になっていると思う。でも、ここは結局、皆がこれからを歩んでいく道のりの通過点の一つで、最後に落ち着く場所じゃない。最後に落ち着くのは、自分で作り、自分で育む、自分の家だから。ここは謂わば、第二の実家のような場所だから。でも、そうなら。いつか皆がこの場所を離れ、ここを閉めるときが来ても、皆の心の中に根付き、ずっと皆を支え続ける家でありたい。そんなことを考えていると、ドアをノックする音が聞こえて、和実はどうぞと声を掛けた。

 「あの。すいません。今、いいっすか?」

 そう、どこかぎこちない様子で湊人が入って来て、和実は疑問符を浮かべた。

 「何かあった?」

 「いや。別に何もないんすけど。その・・・。」

 何故かしどろもどろで言葉を濁す湊人の様子に、和実は、何もないと言いつつ何か余程のことでもあるのかと思って、彼が自分から話しを聞き出そうとしてきた時の台詞を、ふざけた調子で発した。

 「じゃあ、その何でもない事の内容を、何はぐらかそうとしてるのかな。本当に何もないならとっとと喋ってしまえ。そして、本当はなにかあるなら、素直に白状しろ、このやろう。」

 そう言ってつつくと、本当やめて下さい。マジで、そんなことばっかしてると本当知らないっすよ、と湊人が抵抗してきて、和実は笑った。

 「まったく、本当、管理人さんは。人で遊ぶのいいかげんにして下さい。」

 そう言って溜め息をつく湊人を見て、和実はいつもの調子に戻ったなと思った。いったい何の話しをしに来たか解らないけど、これでいつも通り話せる。そう思う。

 「で、結局なんの用事なの?」

 そう言うと、あー、これっす、これ渡そうと思ってと、白い四角い封筒のような物を差し出されて、和実は疑問符を浮かべた。

 「温泉の一組様一泊ご招待券っす。花月がくじ引きで引き当てたんすけど。なんか、遙が温泉は俺みたいなのが行くべきみたいなこと言ってたから俺にくれるって渡してきたんすよ。でも、俺はそこまで行きたいって訳でもないし。管理人さんが行きたがってたって花月が言ってたから、管理人さん、どうかなって。友達でも誘って、たまにはここ離れてのんびりしてきて下さい。」

 そう言われて、ありがとうと受け取ってしまって、そして、和実はいやいやいやと湊人にそれを押し返した。

 「片岡君がもらったんだから片岡君行ってきなよ。」

 「いや、いいっすよ。本当、俺、別に興味ないっすから。」

 「いやいや。ほら、片岡君、実家にいたときは家のことばっかで全然贅沢してこなかったんだし。ここでもいつも皆に気を配ってるんだから。片岡君こそ、たまにはここ離れて羽伸ばしてきなって。」

 「いやいや、管理人さんこそ。ちゃんと頑張ってるのにいつもあんな雑な扱いされてて気苦労耐えないじゃないっすか。本当、遠慮とかいらないっすから、行ってきて下さい。」

 そんな終わりの見えない攻防を暫く続け、それに和実が終止符を打った。

 「じゃあ、わたし達二人で行っちゃう?なんて・・・」

 いつも通りのふざけた調子で、いつも通り、その後に冗談だよと続けようと思っていたのに、

 「管理人さん!」

 そう強い調子で湊人に呼ばれて、和実は思わず背筋を伸ばして半分裏返った声で、はいと答えた。

 「本当、そういう冗談やめて下さい。」

 そう言う湊人が本当に辛そうな顔をしていて、和実の胸に一気に罪悪感が広がった。

 「冗談だって解ってるっす。冗談だって。でも、そういうこと言われると、俺。冗談だって解ってても考えちゃうっすよ。管理人さんは、俺とそういう風な関係になっても良いって思ってるのかなって。期待しちゃうっす。管理人さんにそう言う冗談言われる度、やたら近い距離で接せられる度、俺、マジで辛いんすよ。」

 俯きながらそう言って、湊人は顔を上げて真っ直ぐ和実を見つめた。

 「俺は、管理人さんの事が好きっす。本当に。好きなんです、貴女のことが。だから、そういう冗談言われたり、やたら近い距離で接せられると辛いんすよ。だから、俺とそういう関係になる気がないなら、もうこういうことするのやめて下さい。お願いっすから。」

 そういままでごまかしてきた色々を真っ直ぐ伝えられて、和実は一気に顔が熱くなった。冗談で許される、ちょっとしたわがままもちょっとしたいたずらも全部許されてきた、この自分にとって都合の良い、安心できる距離を一気に崩されて、和実は頭の中がパニックになった。

 「管理人さん、顔真っ赤っすよ。その反応は、ちょっとズルいっす。それって、管理人さんが俺のことちゃんと男として意識してくれてるって思っていいんすか?俺は、こっから先を期待してもいいんすか?俺は、管理人さんと、特別な関係になりたいっす。もっと近くで、ずっと一緒にいたいっす。俺の彼女になってくれますか?」

 そういつもの優しい声音で、いつもの穏やかな調子で言われて、和実は何故か少し落ち着いて、そして、凄く恥ずかしくなって顔を伏せた。

 「こんなわたしでよろしければ、どうぞよろしくお願いします。」

 自然とそんな言葉が出てきて、そんなことを口に出したことがまた凄く恥ずかしくなって、和実は消えたくなった。もう、これ夢とかなら良いのに。目が覚めて、なんだ夢かでいつも通りになってればいいのに。ずっとそんなことを考えながら悶々としていると、そのうち少し落ち着いてきて、そして自分が返事をしてからずっと湊人も黙ったままなことに気が付いて。和実は顔を上げた。そして、そこに驚いたような顔で固まっている湊人を見付けて、目が合った彼が顔を赤くして口元を抑え顔を背けて、和実はまた胸が高鳴った。

 「すみません。その。凄く嬉しいっす。えっと。これ、俺の夢じゃないっすよね。これで目覚めて夢でしたとか本当勘弁っす。」

 そう、自分が思っていたことと真逆のことを言う彼を見て、和実はなんだか可笑しな気分になった。

 「何、笑ってるっすか?」

 「別に、笑ってないよ。」

 「いや、笑ってるっす。めちゃくちゃニヤニヤしてるっすよ。」

 「そうかな?いやー。なんかさ。」

 「なんかって、なんすか?俺がこういう経験ないからって、からかうのやめて下さいよ。本当、こういうときどうすれば良いのか分かんないっすから。OKもらった後どうすれば良いのか全然分かんなくて、今、俺、結構パニクってるっすからね。今いつもの調子で遊ばれたら本当、本当にムリっすから。」

 そんな風に本当にパニクった様子で捲し立てる湊人を見て、和実は声を立てて笑った。そして、ムッとした顔で睨まれて、笑いを抑えられないまま、軽い調子でごめんごめんと謝る。

 「ったく、管理人さんは。すぐそうやって・・・。」

 「だから、ごめんって。そんなに怒らないでよ。」

 「別に、怒ってないっすけど。怒ってはないっすけど。」

 「怒ってないって言って、顔がふて腐れてるぞ。」

 そう言ってほっぺをつつくと、もう、本当そういうのやめて下さいと湊人が、怒っているようで、でも困ったような恥ずかしそうな微妙な顔をして睨んできて、和実は戸惑った。いつもなら、もっと本当に嫌そうに抵抗してきて、その反応を笑って、更にムッとされてから呆れたような顔をされて、笑い合って、それでちゃんちゃんなのに、何この反応。この反応は予想外だよ。そんなことを考えて、頭の中がまたパニックになる。

 「本当、そんなことばっかしてると知らないっすからね。本当にもう知らないっすよ。俺、もう我慢しないっすから。もう付き合ってるんすから。管理人さんはもう、俺の彼女なんすから。あんまりそんな風に無防備に突っかかってくると、俺・・・。俺だって、仕返しするっすよ。」

 言っていて恥ずかしくなったのか、あー、もう、と湊人は声を上げて、両手で顔を押えた。そして、

 「もう、本当、管理人さんは。俺の告白に良い返事しておいて、今まで通りでいられると思わないで下さいよ。俺だって、やっぱ、色々求めちゃうっすから。別に何か無理強いとかするつもりはないっすけど。でも、やっぱ、俺だって男っすから。好きな人に、しかも付き合ってる彼女にそんな風にされたら、色々。本当、色々、我慢できなくなりそうなんすよ。俺の理性が飛んだら、それ、確実に管理人さんのせいっすからね。管理人さんが俺に対して無防備すぎるのが悪いんすから。だから、今まで通り人おちょくって遊んでくるつもりなら、覚悟しといて下さいよ。本当、覚悟しとくっすよ。俺、ちゃんと言ったっすからね。」

 真っ赤な顔でそんなことをふて腐れたようにぶつぶつ言って、湊人は、夕食の買い出し行ってくるっすと和実に告げて管理人室を出て行った。その背中を見送って、和実は何故か、食材溢れてるから暫く買い出しいかなくていいって言ってたのに、本当に行くのかな?と思った。何買ってくるんだろ?何を買うにしても、帰ってきた後に頭抱えてる姿がありありと目に浮かぶんだけど。そんなことを考えて、和実は、自分の心臓がバクバクしているのを自覚した。あー。またわたし、これから目を逸らすためによく解らないこと考えて気を紛らわしてる。それで、いつも色々ごまかすのにふざけてつっかかっちゃって。そういうことするから、片岡君にあんなこと言われるんだよね。直さないと。直さなきゃいけないのは解るけど。でも、すぐに直るなんてムリだよ。直さないでいつも通り接しちゃったら、いったいどんなことになるんだろう。そう考えるとなんだか少し怖い気がする。でも、片岡君なら・・・。今まで彼と積みあげてきた時間を振り返って、和実は大丈夫と思えた。片岡君とならきっと、ちゃんと、お互いを想い合いながら尊重して進んでいける。どっちか一方が押しつけたり押しつけられたりしないで、ちゃんと。お互い、自然体で一緒にいられる気がする。関係が変わったって、今までと少し関わり方が変わったって、きっと、怖くない。怖くない。片岡君なら、安心できる。そう考えて、和実は胸が暖かいもので満たされるのを感じた。まだ少し、怖い。色々なことが。でも大丈夫。これからきっと良くなっていく。なにもかも、きっとこれから全部良くなっていく。わたしだけじゃない、皆も。皆の未来はきっと明るい方に向かっている。そう考えて、和実は新しく迎えた年のこれからに希望を抱いて、期待で胸を膨らませた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ