告白
「見て、見て。わたし、合格したよ。高認試験、無事合格できた。」
そう全身で嬉しいを表現しながら、合格通知を手にはしゃいで食堂に入ってくる篠宮花月を見て、そこにいた面々が口々におめでとうと口にした。それに、嬉しそうにありがとうと応え、花月は楠城浩太の元に駆け寄った。
「浩太。これで来年度一緒に受験できるね。同じ大学行けるように一緒に頑張ろうね。」
そう笑顔で言ってくる花月に見惚れて、呆けた様子でうんと応える浩太を見て、柏木遙が呆れたように溜め息を吐いた。
「良かったね。一緒に受験できるようになって。まぁ、花月のことだから高認試験くらい絶対合格できると思ってたけど。っていうか、花月なら大学受験も問題なくいけるって信じてるし、俺、花月のことは全く心配してないけど。浩太。花月の志望大学が偏差値六十八の市ヶ谷学園大学だって忘れてないよね?お前、夏から少しは偏差値上がったの?夏に受けた模試、E判定だったでしょ。いくら学校で成績上位キープしてても、お前が通ってるのバカ校だからね。いくら進学クラスでも、ようやく普通の高校レベル。そこで学年一位もとれないんじゃ、壊滅的。本気で花月と同じ大学行く気なら、それこそ死にもの狂いで勉強しないといけないんじゃないの?」
そんな遙の冷ややかな言葉を受けて、浩太は顔を強張らせて固まった。
「お前が一緒の大学行こうなんて気軽に約束するから、花月、もうすっかりその気でいるけど。ムリならムリって、今のうちにちゃんと謝っとけば?できもしない約束するとか、無責任だと思わないの。」
そんな遙の追撃を聞いて、花月が、浩太一緒の大学行けないの?と残念そうに見つめてきて、浩太は、頑張ると呻いた。
「俺、死にもの狂いで頑張る。ちゃんと、頑張るから。今は確かに壊滅的だけど。でも、まだ一年あるし。一年あればまだまだ、なんとかなる、かも。ダメかもしれないけど。でも、最初からダメだなんて決めつけないで、花月ちゃんと一緒に大学行けるように本当に頑張るから。本当に必死こいて頑張るから。だから、花月ちゃん、これからも一緒に頑張ってくれる?」
そう意を決した様に言った浩太に、花月が満面の笑みを向けて、うん一緒に頑張ろうねと応え、遙が言っちゃったからには本当に死にもの狂いで頑張りなよと冷ややかな視線を向けていた。そこに香坂光が帰ってきて、それを見付けた花月と浩太が彼に駆け寄る。
「光。光が勉強教えてくれたから、わたし、高認試験受かったよ。ありがとう。」
「香坂さん。俺が市学受かるにはどうしたら良い?今の壊滅的な偏差値どうやったら上がるかな。香坂さん、お願い、助けて。」
そう嬉しそうに合格を報告する花月と、泣きついてくる浩太に囲まれて、光はたじろいだ。
「えっと。とりあえず。花月ちゃん、おめでとう。花月ちゃんなら大丈夫だって確信してたけど、合格できて本当に良かったね。でも、高認試験はあくまで通過点だから、市ヶ谷学園大学に入学して、ストリートパフォーマンス研究会に入りたいっていう花月ちゃんの夢を叶えるために、ここで気を緩めずにここからまた頑張っていこうね。」
「うん。光、ありがとう。わたし、これからも一生懸命頑張る。だからこれからもよろしくお願いします。」
「こちらこそ。花月ちゃんは基礎がしっかりできてるし、知識もしっかり身につけてるから。今まで力入れてこなかった小論文とか、作文、英作文の書き方を中心に受験対策をしていこう。大学受験は面接もあるから、そういうのの練習もやろうね。面接は僕より健人の方が得意だから、きっと健人が力になってくれるよ。」
「解った。」
「浩太君は、受けた模試、二回ともE判定だったんだよね。正直、かなり厳しいところではあるけど。浩太君も伸びてきてるから、今から頑張ればまだ充分合格できる可能性はあるよ。この前の模試も前回に比べればだいぶ良くなってるし。判定だけ見ると成果が実感できないかもしれないけど、ちゃんと勉強してきた物は身に付いて力が付いてきてるから、根気よく頑張ろう。浩太君の場合はケアレスミスが多いから、落ちついて、まずは一つ一つしっかり問題を解くこと、答えをちゃんと確認することを身につけていこう。あとは、英語の文法が苦手だよね。それにスペルミスが多い。浩太君は文法より先に英会話身につけてたから、基礎が雑になってるのかな。基礎をしっかり身につけて、ケアレスミスを少なくすれば今よりだいぶ良くなるはずだよ。古典もちょっとボロボロだけど、古典は必須じゃなきゃ選択しなければいいだけだから、ちょっと置いといて。浩太君は集中して勉強するのが苦手だから、普段の勉強とは別に、漫画とかゲームを通して知識を吸収するのもいいかもね。ゲームのキャラクターのステータス覚えたりとかは得意でしょ?知識に関しては参考書読んだりするより、遊び感覚で身につける方が合ってるかもね。」
「え?漫画やゲームで勉強できるの?」
「できるよ。特に歴史なんて、題材にしたゲームや小説、漫画なんかいっぱいあるし。ただ、フィクションも多く含まれてるから、それを鵜呑みにしちゃうとっていう事もしばしばあるけど。地理なんかも、双六ゲームで日本全国を回って特産品を集めるゲームとかあって、そういうので覚えたって人もいるし。浩太君は活字読むの苦手で小説なんかは結構流し読みしてるけど、辞書片手にじっくり読んでみるっていうのも勉強になると思うよ。僕も何か勉強に向いてそうなのないか探しておくね。」
「ありがとう。香坂さん。それなら俺、できそうな気がする。」
「どういたしまして。でも、かなりの努力が必要だって事には変わりはないから。気を抜かないでね。というか、実は、自分の受験の時、一緒に市ヶ谷学園行って演劇やろうって約束してた同級生は、付きっきりで勉強教えたけど受からなかったからさ。その人、今の浩太君より偏差値高かったんだけど。僕が教えるからって安心できないというか。正直、浩太君を合格圏内まで実力付けられるか自信がないというか・・・。ごめん。」
そう申し訳なさそうに光に言われて、浩太がそんな~と情けない声を上げた。
「でも、僕もできる限りのことは協力するから。できる所まで頑張ろう。花月ちゃん程じゃないにしても、この一年くらいの間での浩太君の伸び率も目を見張るモノがあるから。本当に必死になれば奇跡も起こるかもしれないし。」
「う~。香坂さん。それ慰めになってない。俺が市学合格するって奇跡レベルとか、本当絶望的じゃん。」
「じゃあ、花月と一緒に大学行くの諦めたら?そんなこと言ってうじうじしてるんじゃ、結局ムリでしょ。浩太に後ろ向きになって立ち止まってるヒマがあると思ってるの?今の自分を嘆いたってしょうがないんだから、今の自分に絶望するなら、そこを脱却するように今すぐ勉強頑張りなよ。本当に、やる気があるならだけど。」
そう遙に釘を刺されて、浩太は俯いて呻いて、諦めないと叫んだ。
「俺は、花月ちゃんと市学入ってストリートパフォーマンス一緒にやるんだって約束したから。一緒に頑張るって約束したから。絶対に諦めない。絶対、途中放棄なんてしないから。遙ちゃんの言うとおり、俺に立ち止まって後ろ向きになってるヒマなんてないんだから、もう弱音吐くのやめる。絶対、市学受かってやる。」
そう決意表明して、浩太は光に、本当に死にもの狂いでやるからよろしくお願いしますと頭を下げて、早速勉強教えてと頼み込んで、勉強道具をとりに自室に向かって行った。そんな浩太を見送って、行っちゃったと呟く花月が嬉しそうで、遙は嬉しそうだねと声を掛けた。
「うん。だって、浩太、わたしとの約束守るために頑張ってくれるって。諦めないって。凄く嬉しい。浩太と大学行けるの楽しみだな。浩太と一緒なら、絶対楽しいに決まってるもん。」
そう言って幸せそうに目を細める花月を見て、遙はあっそと呟いた。そして、食堂の椅子に置いてあった包みをとって花月に渡す。
「はい、コレ。合格祝い。」
「ありがとう。」
「遙君、用意が良いね。合格発表が今日なのに、もう用意してたんだ。」
「花月は絶対受かるって思ってたし。花月のことだから、合否通知届いたら真っ先にここに来て皆に報告するだろうなと思ってここに置いといたの。」
そう言って、遙は花月に包みを開けるように促した。そして、中に入っていたリュックを手にとって目を輝かせる花月を見て、遙は小さく笑った。
「まだ早いけど、これから学生生活送るなら教科書とかノートとか入るような大きさのこういうのあった方が良いでしょ。花月はよく動くし、手提げよりリュックの方が機動力高いと思ってさ。機能性もデザインも良く考えて選んだし、それスポーツ用品作ってるブランドので耐久性も身体にかかる負荷も計算されて設計されてるヤツだから、お前が思いっきり動き回ったって大丈夫だと思うよ。」
「ありがとう。遙。これ、大切にするね。」
「当たり前。大切に使わないようなヤツに、こんなちゃんとしたのあげないから。」
そう言って遙は笑った。
「それ、大学の合格祝いも兼ねてだからね。花月なら、大学受験も絶対に突破して、再来年度には大学生になってるって信じてる。だから、先にその分も渡しとこうと思って奮発しといたから。俺、その頃日本にいないかもしれないし。」
「そっか。そういえば、遙は留学するんだっけ。」
「うん。だから、俺がここでこうやって皆と過ごすのも、あと一年くらいかな。」
「そうなんだ。あと一年くらいしたら、遙、居なくなっちゃうのか。なんか、寂しいな。」
そう言ってしおれる花月の顔が、小学生の頃父親の仕事の関係で三年間海外に行くことになったことを告げたときの浩太の顔と重なって、遙は可笑しくなった。
「なんて顔してんの。そんな寂しがることないでしょ。今生の別れじゃあるまいし。」
そう、あの頃浩太に言ったのと同じような台詞を花月にも投げかけて、遙は声を立てて笑った。
「もう、本当。花月って浩太と似てるよね。俺と離れるのそんな寂しいの?バカみたい。別にもうずっと会えないわけじゃないのに、そんな顔しちゃってさ。二号室は借りたままにしておくつもりだから。長期休暇とかには帰ってくる。それに、花火大会、また三人で行くんでしょ?」
そう言うと花月が嬉しそうにうんと頷いて、遙は目を細めた。
「お前の事は心配してないけど、まぁ頑張りなよ。応援してる。」
「ありがとう。遙も頑張ってね。」
「うん。向こうで勉強して、絶対に夢を叶えてみせる。」
「遙の夢、わたし、応援してる。」
「ありがとう。ねぇ、花月。もし浩太が受からなかったらどうするの?あいつと一緒じゃなくても、大学行きたい?」
「うーん。浩太が一緒なら一緒の方が楽しいと思うけど。一緒じゃなくても大学行きたいのは変わらないし。浩太が頑張ってもダメだったら、その時考える。」
「あっそ。お前って結構行き当たりばったりだよね。まぁ、浩太がいなくてもお前は大学生活楽しんでそうだけど。浩太は市学落ちたらどうすんだろ?どっか違うとこに行くのかな?」
そんな話をしていると、浩太が部屋から戻ってきて、恨めしそうに遙を睨んだ。
「遙ちゃん。受ける前から、俺が落ちる話しするのやめてくれない?今から頑張るって言ってるのにさ。頑張るから。マジで。俺、本気だから。そういう水差すようなこと言わないで。」
「あっそ。俺はお前の成績で市学一本に絞るのはどうかなって心配してるだけだけど。因みに、俺、お前は受からないと思ってるから。現実見て滑り止め考えといたら?」
「うわっ、遙ちゃん酷い。」
「お前とは長い付き合いだけど、その中でお前に根性あるとこ見たことないし。俺の中にお前の頑張るに対する信憑性ないから。まぁ、頑張るって言ったからには頑張るんだろうけど、その頑張るのレベルがどの程度かはね。お前、自分に甘いし。」
「うっ。それは。確かに俺、あんま根性見せたことないけど。でも、俺だってやるときはやるから。」
「へー。じゃあ、見せてよお前の根性あるところ。今までお前の本気なんて見たことないけど、お前の本気っていうのがどの程度なのかさ。やるときはやるってとこ証明できたら、今の発言全部撤回して、お前の事バカにしたこと謝ってあげる。まぁ、精々頑張れば?」
そう遙に小馬鹿にしたように見下ろされて、浩太は唸った。
「頑張るって言ってるのにそういうこと言ってくるとかさ。遙ちゃん、本当酷い。酷いけど。遙ちゃんに言われてることがもっともすぎて、言い返せない自分がいてマジ悔しいんだけど。なんか、スゲー腹立つんだけど。あー、もう。こうなった俺、逃げ道作らないで本当に市学一本で行くから。絶対合格して、遙ちゃんに謝らせてやる。」
そう憤って、ちょっと顔洗って頭冷やしてくると、また浩太が食堂を後にして、それを見送った光がなんとも言えない顔で遙を眺めた。
「なんて言うか。遙君。浩太君の扱い上手いね。今の、奮起させるようにわざとでしょ?」
「まぁね。伊達に長く付き合ってないから。あいつ、ちゃんと尻叩いてやんないと、甘やかすだけじゃダメになるから。これで少しは勝率も上がるでしょ。まぁ、それでも本当に俺は浩太が市学受かるとは思ってないけど。でもね。浩太が受かんなかったら花月が寂しがるし。浩太だって頑張って受からなかったら落ち込むだろうし。二人とも俺にとって大切な友達だからさ。二人にとって一番良い結果になるなら、何だってしてあげる。俺は二人の味方だから、これからもずっと。」
そう言って遙は、あっと何か思いついたように花月を見た。
「俺は二人の味方だけど。浩太と花月が対立したら、お前の味方になってやるから。花月の方が俺の言うこと素直に聞くし、真面目だし、うだうだ言わないし。浩太の奴は、遙ちゃん遙ちゃん泣きついてくる癖に、俺がじゃあこうすればとかいってもでもでもだってで全然行動しなくて苛つくこと多くてさ。前は、浩太とお前同じくらいって言ってたけど、今は軍配お前の方に傾いてるから。何かあったら言いなよ。俺があいつのことしめてやるから。」
そう言っていたずらっぽく笑うと、遙は、俺がここにいると浩太が勉強集中できないからどっか行ってくると食堂を後にした。そして、それと入れ替わるように他の住人がぽつりぽつりと帰ってきて、花月はその一人一人に高認試験に合格した旨を嬉しそうに報告して回った。
○ ○
「真田。今日は何作ってるっすか?」
住人達が学校やバイトなどで出掛けている昼間。たまたま予定が空いてサクラハイムに戻ってきた片岡湊人は、キッチンに立つ真田一臣の姿を見付けてそう声を掛けた。
「今日はプリンだな。高認試験の合格祝いに好きな物作ってやるって花月に言ったら、特大のプリンがいいって言うから、ゼラチン使わずに固まるギリギリの所で特大プリンに挑戦中だ。バケツプリンなんかはゼラチンで固めるんだが、ゼラチン使うとやっぱ味が変わるからな。形は拘らないって言ってたから、高さは出さずに広さを出して体積を増やしてみた。型から出した時に崩れなきゃ良いんだが。ちゃんと皆用には普通のやつ作っといたぞ。」
そんなことを言いながら真剣な顔で作業する一臣を見て、湊人は多少崩れても花月は気にしないと思うっすけどねと呟いた。
「俺はオムライスがいいって言われたから、今日の晩飯はオムライスっすよ。ケチャップで合格おめでとうって書いといてやれば喜びそうっすよね。」
「そうだな。目をキラキラさせて、ありがとうって言ってる姿が目に浮かぶ。」
そう言って目を細める一臣を見て、湊人も微笑ましそうに目を細めた。
「早いもんで、もう十二月っすね。花月のこと、クリスマスとかどっかに誘ったりしないんすか?」
「付き合ってるならともかく、そういうのはな。それに、あいつはそういうイベント事は皆で一緒に楽しみたい奴だろ。片岡こそ管理人さんの事誘ったりしないのか?」
「俺は例年通りバイトっすよ。それに、そんなあからさまなイベントに誘ったって、困らせるだけっしょ。遙辺りが思いっきりからかってきそうだし。」
「それは、想像つくな。遙がいつも本気で言ってるのかは知らないが、いっそのことあいつの軽口に乗って勢いで告白してみたらどうだ?案外上手くいくかもしれないぞ。」
そう言って笑う一臣を湊人は、他人事だと思ってと恨めしそうに睨んだ。
「そんな恥ずかしいことできるわけないっしょ。ったく。皆の前でそんなこと言う勇気とかないっすよ。皆の前じゃなくたってそんなこと・・・。」
「そんなこと言ってたらいつまでたってもなにも始まらないぞ。」
「そういうお前はどうなんすか。ちょこちょこあいつと出掛けてるのは知ってるけど、何か進展はあったっすか?ただ一緒に遊んでるだけじゃ、浩太と同じで友達止まりのままっすよ。」
「そうだな。今のところあの鈍ちんは全く気付く様子ないな。俺としては結構アピールしているつもりではいるんだが、清々しいくらい空回りしっぱなしだ。一緒にいていつも、俺の事なんて眼中にないんだろうなって思うよ。でも、だからといって諦めるつもりは毛頭ないし。あいつには本当にストレートに言わないと通じなさそうだから。今度、告白しようと思ってる。」
その言葉を聞いて、湊人が驚いたような顔をして、一臣はそんなに驚くようなことか?と苦笑した。
「良いタイミングだろ?丁度今、あいつは高認試験が終わって落ち着いて。時間が経てば、今度は大学受験が近くなってまた言い出すタイミングがなくなるだろうしな。告白するなら今しかないと思うんだ。」
「そうっすね。そうっすよね。あいつの受験もだけど、俺達も年が明ければ卒論とか色々忙しくなるっすから。今がチャンスっすよね。上手くいくと良いっすね。応援してるっす。」
「ありがと。」
そんなやりとりをして、よく解らない沈黙が少し続いて、そして、湊人が口を開いた。
「お前と花月が付き合いだしたら、浩太の奴かなりショック受けそうっすよね。」
「そうだな。」
「あいつの受験へのモチベーション、全部が花月って言っても過言じゃないっすから。失恋のショックで、勉強手つかなくなって、不合格とかならないと良いっすけど。」
「どうだろうな。浩太はかなりムリなレベルの受験するつもりだし、花月っていうモチベーションがなくなったらどうなるかは解らないな。でも、それは俺の知ったことじゃない。花月が俺を選んだとして、その後それでも花月と一緒に受験するのか、やめるのか、それを選ぶのは浩太自身が決めることだしな。受験目前ならともかく、今ならまだ気持を切り替える猶予はあるだろ。それに、まず俺が上手くいくとも限らないしな。俺にとられたとしたら、それは、あいつが先にとっとかなかったのが悪い。そうじゃないのか?」
そう言う一臣の目が厳しくて、湊人は思わず息を呑んで少し俯き気味に視線を逸らして、そうっすねと答えた。
「お前、なんて言うか、強くなったっすね。前はもうちょっと柔いというか、そんな厳しいこと言うような奴じゃなかった気がするんすけど。それに、そんな我を通す奴じゃなかった気がするっす。」
「だな。前の俺ならきっと、浩太のこともそうだし、花月のこれからのこととか、他にも色々とごしゃごしゃ考えて、告白しようとすら考えなかったと思う。ただ片想いを募らせて、あいつに届かないアピール続けながら、あいつが自分に振り向いてくれないかなんて期待して。あいつから自分のとこに来てくれないかなんてどうしようもない期待をしながら、ずっと動けずにいたんだと思う。でも、他人のことを気に掛けて自分の気持ちを押し殺すのはもうやめにしたんだ。自分の中の優先順位をハッキリさせて、誰彼構わず大切にするんじゃなくて大切にしたい物だけ大切にして、自分のことも大切にするってそう決めた。それで、腹が決まって、迷わなくなった。俺はわがままになったんだ。前よりずっと、わがままを通すことに決めた。それで誰かを傷つけることになっても、自分が後悔しない選択をするって決めたんだ。」
「そうっすか。腹が決まってるなら良いっすよ。でも、正直俺は、今のこのサクラハイムの雰囲気が壊れるのが怖いっす。恋愛事のせいで、今の皆が一つに纏まった家族みたいな関係性が壊れるのか怖いんすよ。きっと、色々言い訳して管理人さんとのことに踏み出せないのも。本当はただ怖いだけっす。家族の形が壊れるのを見たくないだけっすよ。」
「そうか。それは悪いな。」
「いや。別に良いっすよ。こんなんただの俺のわがままっすから。人の決めたことに口は出さないっす。でも、そうやって腹がくくれるお前がちょっと羨ましいっす。俺もそんな風に開き直れたら、きっと色々変わるんすけどね。俺はお前と違って臆病者っすよ。」
そう言って湊人は遠い目をして、それから一臣に視線を向けた。
「今の形が壊れるのが怖いって言うのも本音っすけど、お前の事応援してるって言うのも本心っすよ。だから、そう決めたなら、当たって砕けてこい。」
「いや、砕けたらダメだろ。」
そんなことを言い合って、二人は顔を合わせ声を立てて笑った。
○ ○
「うー。口の中がまだ痛い。あれ、想像以上に辛かったよ。」
そんなことを言いながら顰めっ面で隣を歩く花月に、一臣は、だから水は飲むなって言っただろと言って笑った。
「香辛料の辛さは水飲むと増幅するからな。」
「だって、喉渇くし。一臣が声かけてくれたときにはもう飲んじゃった後だったから、しょうがないじゃん。あの後、一臣が牛乳注文してくれて、それでマシにはなったけど。でも、まだひりひりする。」
「最近辛いの平気になってきたんだとか言って、ノーマルにしておけばいいものを、ちょっとチャレンジしてみるって辛さ倍増のやつ頼むから。ムリして全部食べる必要も無いし、残すのが嫌だって言うなら変に意地張らないで俺のと交換すれば良かったのに、自分で頼んじゃったんだから自分で全部食べるって、お前完食したからな。」
そんなことを言って一臣は、だって・・・なんて言い訳しながら、でも美味しかったよとか、一臣は自分の食べたいの選んだのにわたしがそれもらっちゃったらさとか言ってくる花月を見て微笑んだ。
「口直しに甘い物でも食べに行くか?丁度この近くに前から気になってたケーキ屋があるんだ。そこに行ってみないか?」
そう声を掛けると、花月が目を輝かせて行くと元気よく返事して、一臣は声を立てて笑った。
「え?わたし、今なんか変なこと言った?」
そう首を傾げる花月に、別に変なことは何もしてないよと答え、それを聞いて更に疑問符を浮かべる姿に一臣は頬が緩んだ。
「本当、お前見てると飽きないな。表情がころころ変わって面白い。」
「それって良いこと?」
「良いことだよ。俺にとっては。お前といると本当楽しい。お前がいるだけで、一人でいるよりずっと楽くなる。菓子作りも、手芸も、こうやって食べ歩きしたり、色々見て回るのも。そういうの元から好きだし、よく一人でやってたけど、お前が一緒だと全然違う。本当、一人でやるよりお前と一緒の方が凄く楽しいよ。」
「そっか。一臣が楽しいなら良かった。わたしも一臣とこうやって一緒に出掛けるの楽しいよ。一臣、色んな物見付けてきて、こういうのお前好きそうだよなって、今度一緒に行ってみないかっていつも誘ってくれて、色々連れて行ってくれて。わたしが知らなかったやったことないことや、行ったことない場所を沢山知れて、沢山体験できて、いつも凄く楽しい。いつもありがとう。」
そう言って向けられた花月の笑顔が眩しくて、一臣は彼女に触れたくなった。でも、彼女が自分から視線を外して、一臣と一緒にいると夏樹も一緒に三人で遊んでたときのことをよく思い出すんだと言われて、胸が苦しくなった。
「昔は三人で、今一臣と二人でしてるみたいに色々行ったよね。あの頃は夏樹がいつも、あーしようぜこーしようぜ、今度あそこ行ってみようぜって、わたし達のこと引っ張っていって。あの頃も凄く楽しかった。もう夏樹はいないけど、でも、今でもこうやって一臣と友達続けられて、あの頃と同じように過ごせて、わたし、凄く嬉しい。時々ちょっとだけ、ここに夏樹もいたらなって思って寂しくなるときがあるけど。でも、きっと、今のわたし達見たら、夏樹笑ってくれるよね。」
「そうだな。二人だけで楽しみやがって、俺も混ぜろって、笑いながら突っかかってくる姿が目に浮かぶ。」
「うん。だから、実際にはここにいなくても、一臣と一緒にいると夏樹もまだ一緒にいる気がして、時々 笑ってる夏樹の姿が見える気がして、なんか胸の真ん中が暖かくなる。でも、いないって解ってるから、いないって実感して、なんか胸がぎゅってして苦しくなる。変な感じ。」
「その気持ち、解る気がする。俺も、今でもまだあいつがここにいないっていうのに慣れないよ。よくあいつの姿が頭に浮かんで話しかけてくるんだ。前はな、まだそんなことやってるのかって、ムダに図体でかいんだから本当にでかい男になれって言っただろって、苦言漏らされることが多かったんだけどな。最近は、ようやくまともな顔つきになったなって。コレでようやく下僕は卒業してちゃんとダチになれるなって笑われる。ずっと待ってたんだぞって。待たせすぎだろって。本当はあいつが生きてるうちにちゃんと向き合えてたらなんて思って辛くなる。でも、俺の頭の中のあいつがそう言うって事は、ようやく胸張ってあいつに顔向けできる自分になれたってことだなって思うんだ。だから俺は、これからは前を向いて歩いて行く。そしてそんな俺の隣にはお前にいてもらいたい。お前はいつも真っ直ぐで自分を偽らないから、お前に気付かされることや励まされることも多い。再会した当初のあのボディにくらったパンチもかなり効いたしな。これからも一緒にいてくれるか?」
そう伝えて、彼女が屈託のない笑顔でうんと応えるのを見て、一臣は本当解ってないなと思って苦笑した。ここまで言ってもどうせ、これからもずっと友達でいてくれって意味にしか捉えられてないんだろうななんて思って苦しくなる。彼女の特別な存在になりたい。彼女にとって特別な誰かはいつだって自分ではないけれど。今だって、彼女は別の誰かを特別に想っていると解っているけれど。それでも、俺は彼女の特別になりたい。彼女にとってかけがえのない存在に俺はなりたい。そんなことを考えて、一臣は改めて自分の中にちゃんと彼女に告白しようという意思を固めた。
二人でケーキ屋に入って。店頭に並ぶ鮮やかなケーキたちを見て、綺麗、美味しそうと目を輝かす花月を見て、色々種類注文してシェアするか?なんて声を掛けて。うん、そうするなんて嬉しそうに自分を見上げてくる彼女に一臣は微笑み返した。お互いの予算を考えて、一人二個づつ計四種類に絞ろうなんて話し合って。これも良いけどあっちも美味しそうだなとか、コレにしようかな、やっぱこっち?アレって何が入ってるんだろうとか、楽しそうに話しながらあれこれ悩む彼女に、それぞれのケーキの説明をしたり、花月はこの系統が好きなんじゃないか?なんて勧めたり、二人でこの店オリジナルのケーキは押えときたいよねなんて言い合って、笑い合って。一臣は、こんな時間がいつまでも続けられたらいいなと思った。
注文して、喫茶スペースに移動して、お互いのケーキを切り分けて交換する。その作業を楽しみな様子で目を輝かせて眺めている彼女を、交換が終わってさそっくそれを口に入れ、美味しいと幸せそうな顔をする彼女を見て、胸が熱くなって、一臣は自然とカメラを構えてシャッターを押していた。画面に収められた彼女の姿を見て、本当にいい顔してると思う。画面に映る彼女の楽しそうな姿が、嬉しそうな姿が、とても愛おしいと思う。
「一臣は食べないの?」
そう声を掛けられて、一臣はカメラを置いて自分もケーキを口にした。二人で感想を言い合いながら、気に入ったケーキを今度再現してみるかなんて話したり、全然関係のない思い出話しや世間話をしたり、一臣は花月との他愛のない会話を楽しんでいた。こんな時間をこれからもずっと過ごせたら良いと思う。この笑顔を少しでも長く独り占めしていたいと思う。そんなことを考えて一臣は、浩太の存在がなければ勘違いもできたのになんて思った。彼女が自分に向ける笑顔が誰にでも向けられる物だと知っているから、彼女が特別な相手にだけ向ける笑顔を知っているから、だから、どんなに二人きりで過ごして、傍で楽しそうにしている姿見ていても、嬉しそうな笑顔を向けられても、勘違いができない。彼女が自分に特別な想いを寄せているなんて勘違いをさせてもらえない。こんな時間をこれからもずっと一緒に過ごしたいと思う。でも、彼女の言動の端々でそれが彼女にとって特別な物じゃないと実感してしまうから辛い。自分にとって特別で大切なこの他愛のない時間を、彼女の中でも当たり前じゃなくて特別な物に変えたい。だから、俺は・・・
「花月。帰る前にちょっと、どっか寄っても良いか?話したいことがあるんだ。」
告白をするための、ちゃんと想いを伝えるための一歩を踏み出す。
「いいけど。話しって、ここじゃダメなの?」
「そうだな。ここは人が多いから、できれば二人で落ち着いて話せるところがいいな。大切な話しなんだ。」
そう伝えると、大切な話し?なんて首を傾げて、解ったと言って花月が神妙な顔をして、一臣は本当解ってないななんて考えて、なんだか妙に可笑しくなって笑った。あまりにも鈍感で理解しない彼女の様子がおかしいのか、勝ち目がないと解りきっているのにそれでも彼女に傍にいて欲しいと告白しようとしている自分自身が滑稽なのか、一臣には解らなかった。勝ち目がないのは解っている。でも、どんなに彼女が自分ではない誰かをを特別だと想っていたとしても、それを彼女自身が自覚していない今ならば、もしかしたらこっちに転ぶなんて奇跡があるかもしれないだろ。そう、自分の勝率なんて奇跡に頼るくらいしかない。でもそんな運任せの勝負でも、俺がしようとしてる事が彼女の無自覚につけ込む卑怯な行為だって解ってる。自分がしようとしてることがズルいって。彼女が彼女の本心に気付く前に、彼が行動を起こす前に、それより先に行動して彼女を自分の物にしようだなんて。それが二人の想いを踏みにじる自分勝手な行為だって解ってる。でも、それでも諦められないから。だから、最初で最後のチャンスに掛けてみたって良いだろ。誰に向けてか解らないそんな言い訳を心の中でして、一臣は自分の中に燻っている罪悪感に蓋をした。
ケーキ屋を出て、二人でとりあえず帰路を歩く。どこか落ちつて話せる場所なんて思いつかず、サクラハイムへの道のりがどんどん進んで、景色がだんだん見慣れた物へと変わっていく。このままじゃサクラハイムに着いてしまうななんて考えて、自分がどこでどんな話しをするつもりなのか考えているのか、普段と違ってどこか緊張した面持ちで隣を歩く花月を見て、一臣はとりあえず目に付いた公園の敷地内へ入っていった。
この時間の公園は案外人がいないななんて思いながら、どこかなんて思いつかないしここでもいいかななんて考えながら、一臣は自分についてきている花月を見た。そして、改めて告白するとなるとどう伝えれば良いのかなんて、ここにまで来て今更悩む。ただ、好きだと伝える?付き合って欲しいって。なんかそれじゃ全然自分の想いは伝わらない気がする。でも、ストレートに言わないと結局花月には伝わらないと思う。そんなよく解らない葛藤をして、一臣は肩から提げているカメラを手に取り、それを眺めた。ここには想い出が詰まっている、沢山の大切な時間がこの中に収められている。そんなことを思って、頭の中を彼女と過ごした沢山の時間が通り過ぎて、その全てがが自分の中に鮮やかに映し出された気がした。
「花月。俺は、お前といると世界が輝いて見える。同じ景色を見ていても、そこにお前がいる、それだけで全然違った景色に見える。世界が色づいて、キラキラ輝いて、何処までも広がって見えるんだ。お前と一緒なら、俺は何処までも行ける気がする。お前が傍にいてくれれば俺は。俺の日常は、それだけで特別な物に変わるんだ。だから・・・。」
思いついたままにぽつりぽつりと言葉を紡いで、そして、決定的な言葉を口にしようとしたとき、花月に呼ばれ、一臣は言いかけた言葉を呑み込んで彼女の方を見た。
「ここね。浩太と始めて会った場所なんだ。」
いつの間にか自分から離れてベンチの所にいた花月がそう言って、嬉しそうに思い出話しを始めるのを見て、なんで今その話しを始めるかなと思う。キラキラした顔で、嬉しそうな笑顔で、愛おしそうに目を細めて、幸せそうに想い出を語る彼女を見て、本当は俺の気持ちに気が付いていてワザと言わせないようにしてるんじゃないかなんて思いが湧いてきて。でも、花月にそんな器用な真似ができるわけないかなんて思って一臣は苦しくなった。気が付いたら隣を歩いていたはずの彼女が、自分から離れたベンチの所にいるっていうのは、きっと俺がごちゃごちゃ考えている間に想い出の場所が目に入ってそっちに向かっていたということで、きっと彼女は今の俺の話を全く聞いていなかった。そう思うとなんとも言えないモヤモヤが胸の中に広がって、一臣は虚しくなった。
「浩太ってさ、夏樹に似てるよね。」
そんな花月の声が聞こえて、同意を求めて自分に視線を向ける彼女と目が合って、一臣は似てるか?と返していた。見た目も中身も、二人が似てる所なんて思いつかない。自分勝手で横暴な俺様気質の夏樹と、お人好しでお調子者の浩太の共通点と言えば、強いて言うならば、二人とも花月に惚れていた、それくらいしか解らない。
「全然似てないけどさ。似てるよ。一緒にいると楽しくて、胸の真ん中が暖かくなる。一人でいるとき、何かしてるとき、ここに一緒にいたら楽しいだろうなって、想像するだけで嬉しくなる。元気になれる。そういうとこが凄く似てる。」
自分の胸に手を当ててはにかみながらそう言う花月を見て、一臣は訳のわからない衝動に突き動かされた。
「花月。」
名前を呼んで、自分の声に反応して顔を上げ、自分を見上げる彼女の頬に手を添えていた。そしてそのまま、一臣は彼女の唇を奪っていた。自分がなんでそんなことをしたのか解らなかった。ただ、唇を離し、驚愕したように目を見開いて、呆然と自分を見上げる彼女と目が合って、罪悪感で胸が詰まって、目を逸らしてごめんと呟いた。
「悪かった。急に、こんな事して。」
そう言って、一臣は自分の拳を握りしめた。花月の顔が見れなかった。さっき目が合った彼女からは不本意でされたことへの衝撃だけが見て取れて、それ以外の何もそこにはなくて、何で自分はこんなことをしたんだと、こんなことするつもりなんてなかったはずなのになんて考えて、自己嫌悪に苛まされた。本当に、なんで、なんで衝動的にあんなこと。そんなに俺は、無理矢理にでも花月に自分を意識させたかったのか。
「ごめん。こんな事して、本当に悪かったと思ってる。悪かったと、思ってる。俺は、お前の事が好きなんだ。お前といると世界が広がって見えて、同じ景色が彩り豊かに輝いて見えて、全然違った景色に見える。お前がいるだけで、俺の世界は本当に・・・。お前の事が特別で、お前の事を大切にしたいってそう思ってたはずなのに。なのに、お前の意思と関係なくこんな事して。俺は、本当、最低だ。ごめん、花月。本当に悪かった。こんな事して悪かったと思ってる。でも、俺が本気だって事は解って欲しい。わがままだって事は解ってる。でも、それでも俺はお前に傍にいて欲しい。もし俺がしたことを許してもらえるなら、これからは友達としてじゃなくて、恋人として傍にいて欲しい。だから、俺とのことを真剣に考えてくれないか。その上で、お前が俺を許せないって、俺ともう二度と顔も合わせたくないってそう思うなら、俺はサクラハイムを出てくから。もう二度とお前の前に姿を現さないから。だから・・・。」
自分は何を言ってるんだろう。何を。本当、俺は自分勝手でどうしようもない。本当に花月のことを想うなら、彼女に選ばせるんじゃなくて、自分から消えるのが当然だろ。なのに、こんなこと言って縋り付いて。本当に、俺はどうしようもない。どうしようもない。
「ごめん、一臣。わたし、今、全然頭が追いついてかなくて。一臣のことはずっと友達だと思ってたし。急にキスされたの、ビックリしたけど。それもよく解らないというか。本当、全然頭が追いつかなくて。訳わかんなくて。一臣が凄く後悔してるって事だけは解る。本当にわたしにごめんって思ってるって事だけは。でも、ごめん。一臣とこれからどうなりたいのか、わたし、全然解らない。もう一緒にいたくないのかどうなのかも。このまま友達でいられるかとか、恋人になれるのかとか、何も解らない。今は何も考えられない。ごめん。でも、ちゃんと考えるから。ちゃんと考えて、ちゃんと伝えるから。でも、今は。ごめん。頭がごちゃごちゃして、本当、訳わからない。」
心底混乱した様子で、どこか泣きそうな声でそう言うと、花月はぱっと踵を返し走り去って行った。そんな彼女の足音が遠くなっていくのを聞きながら、一臣は塞ぎ込んで目をぎゅっと瞑って、そして彼女の足音が完全に聞こえなくなるとベンチに腰を下ろし、空を仰いだ。
○ ○
花月は自室で一人ベットに蹲っていた。数日前、一臣に告白された時の事を考えると、いまだに訳がわからなくなる。あの日、あの後、走ってサクラハイムに帰って、自室に駆け込んで、ベットに飛び込み布団に顔を埋めて、そして泣いてしまった。一臣にキスをされたのが嫌だったのかそれすらも解らなかったのに、訳がわからないまま、意味が解らないまま、自分の状態が解らないまま、訳がわからなくて、どうしたら良いか解らなくて、涙が溢れてきて、ただ泣いていた。暫くして涙が落ち着いた頃、何故か晩ご飯のことを考えた。今日はもう何もしたくない、皆にどんな顔で会えば良いのか解らない、一臣とどんな風に顔を合わせれば良いのか解らない。だから、花月は部屋にいるのに湊人に、晩ご飯はいらないと、今日はもう寝るからお風呂も入らないとメールした。でも、その日はいつまで経っても寝付けなかった。いつもは遙に夜更かしができない体質だとからかわれるくらい、定時になると眠気が襲ってきて、どんなに頑張っても日付が変わる前には寝落ちしてしまうのに。あの日だけは全く眠れなかった。気持が落ち着いてきても、一臣にされたことを思い出すと顔が熱くなって、心臓がバクバクして。一臣から言われたことを考えるとまた頭の中がごちゃごちゃして。自分がどうしたいのか訳がわからなくなって。そんなことを繰り返しているうちに気が付くと朝になっていた。皆が起きてくる前にシャワーを浴びて、ジャージに着替えて、いつも通り三島健人と一緒に早朝ランニングに行った。自分の前を走る健人の背中を眺めながら、健人も男の人なんだよななんて考えて、そんなことを考えるとよく解らないモヤモヤが自分の中に広がって、花月は苦しくなった。
「ねぇ、健人。男の人と女の人ってずっと友達でいるのって難しいのかな?ずっと、同じように一緒にいるってできないのかな?」
「なんだ、急に。」
「なんとなく。気になったから。ずっと同じようにいられないなら、そのうち皆と今まで通り一緒にいられなくなるのかなって。」
「なにかあったか?まぁ、何があったかはあえて聞かないが。そうだな。そういうのは個人差が大きいから一概にどうとは言えないが、一般的に難しいんじゃないか。でも、ようは相手と自分の考えようだろう。俺はそういうのを気にしないというか、割り切って物事を考える質だから、相手もそういうのを気にしない質なら、よほどそいつともう付き合いたくないと思うような事情がない限り、どんなことがあっても結構平気で友達付き合い続けていけるけどな。そういうのがムリな奴は勝手に向こうが離れてくし。それは本人の気質だから、自分がどういうスタンスで行くのが楽かだけ考えとけばいい。後は相手次第だから、皆とずっと同じように一緒にが難しくても、誰かしらはずっと同じように一緒にいられると思うぞ。答えになったか?」
「うん。よく解らないけど、なんとなく解った気がする。ありがとう。」
「あぁ。参考にでもなったなら良かった。」
そんな会話をして、後はいつも通り黙々と走り続けた。そうやっていつも通り健人とランニングをしているうちに落ち着いてきて、ごちゃごちゃしていた頭がすっきりしてきて、サクラハイムに帰る頃には、皆にいつも通りおはようが言えるようになっていた。いつも通り皆と一緒にご飯を食べて、いつも通り過ごせるようになっていた。一臣に対してだけ、姿を見るだけでどう接せれば良いのか解らなくて、彼の顔が見れなくて、よそよそしい態度になってしまうだけで、あとは普段通りに振る舞うことができたと思う。
あれから何日も経つのに、その状況は変わらない。自分の中の答えが出せない。一臣のことを考えるとドキドキするけど、モヤモヤするのはどうして?解らない。お姉ちゃんから勧められた少女漫画や恋愛小説を読み返してみたけれど、なんか自分のドキドキは本の中の登場人物のようなキラキラした物と違う気がして、もっと暗雲とした重たい物のような気がして、花月は苦しくなった。ドキドキするけど、嬉しいとか楽しいと言うより、不安というか、怖いというか、なんか辛い。なんか苦しい。自分にキスをして、目が合った一臣は、本当に申し訳なさそうな、それでいて酷く傷ついたような顔をしていた。それを見て真っ先に頭に浮かんだのは、ごめんという言葉だった。嫌だとか、嫌じゃないとか、怒るとか、怒らないとか、彼をどうしたいとか、彼とどうなりたいとか、そんなことじゃなくて、何より先にごめんってそう思った。ドキドキすると同時に、よく解らない罪悪感で胸がいっぱいになった。一臣が自分の知っている彼ではなく全然違う人に見えて、不安になって、そして少し怖かった。
ベットに伏せって、蹲っては暫くして顔を上げて、ごろごろ転がって、また蹲って。花月は大の字になって天井を仰いだ。集中できなくて、頭が働かないから、ここのところずっと勉強してないな。光に見てもらっても全然進まなくて、それでも毎日時間があれば付き添って教えてくれている彼に、なんか申し訳ない気持ちになる。光は、今までずっと休まずに勉強し続けてきたんだから、たまには暫く休むのも良いんじゃない、なんて言ってったっけ。浩太は集中力鍛えるのに暫く部屋で一人で勉強するって言って、食堂で勉強しなくなっちゃったし。浩太が一緒なら、こんな時でも楽しく勉強できたかな。浩太が一緒なら、大丈夫になれる気がするのに。そんなことを考えて、花月は自分の腕を額に乗せ、目を瞑り、額に乗せた腕をを少し下げて目隠しをした。
「花月ちゃん、遊ぼう。」
ドアの向こうからそんな浩太の声が聞こえて、花月は飛び起きた。
「久しぶりにスケボーしに行かない?ほら、高認試験も終わったし。香坂さんも、花月ちゃんもたまには勉強休むのも良いって言ってたじゃん。受験に向けての勉強にスイッチ切り替えるにもさ。一回、ぱーっと気分転換に遊ぼうよ。思いっきり身体動かしたら気分もスッキリするよ。」
ドアの向こうから続けられる浩太の明るい声を聞いて、花月の気持ちはパッと明るくなった。
「うん。行く。支度するから待ってて。」
そう元気に返して急いで支度をする。そして、部屋の外に飛び出して、じゃあ行こっかと笑いかけてくる浩太を見て花月は嬉しくなった。
二人で公園に出掛けて、スケボーをして。花月は、前もこんなことあったなと思った。あれは、今は完全に縁が切れた実家に連れもどされそうになった時。サクラハイムにいたいのにいられない、いるわけにはいけない自分の現実にうちひしがれて落ち込んでいたとき。今日みたいに浩太が遊びに誘ってくれて、スケボーの乗り方を教えてくれた。あの時は、調子に乗って中難度かっ飛ばして高難度の技に挑戦して、バランス崩して浩太に支えてもらって。着地前に気を抜いちゃダメだよなんて怒られたっけ。そんなことを思い出して、花月は心が弾んだ。
「ねぇねぇ、浩太。前は失敗しちゃったけど、わたしあれから練習して、こんな技もできるようになったんだよ。」
そんなことを言いながら、自分ができるようになった技を披露していく。それを見て、流石花月ちゃん、凄い、なんて言いながら、浩太がじゃあこういうのは?とか言って違う技を見せてきて、そのやりとりが凄く楽しくて、花月は夢中で技の見せ合いをしていた。花月ちゃんもだいぶ乗れるようになったし、本気で障害物競走してみる?なんて言われて、花月は喜んで、やると答えた。負けないからなんて言いながら勝負して、普通に負けて、やっぱ浩太は上手いな、浩太は凄いななんて思いながら、次こそはなんて何回も勝負して。夢中になって一緒にスケボーを楽しんで。遊び疲れて二人で並んでベンチに腰掛けた。
なんか飲み物買ってくると立ち上がる浩太を眺め、花月はやっぱ浩太といると楽しいなと思って顔がほころんだ。鬱々とした気分が吹っ飛んで、今は凄く気持ちいい。
「はい、花月ちゃん。花月ちゃんはレモンスカッシュでしょ。」
戻ってきた浩太にそうジュースの缶を差し出されて、花月はありがとうと受け取った。
「花月ちゃんってレモン味の飲料好きだよね。レモンスカッシュないとレモン味のスポーツドリンク選んでるし。」
「好きって言うか、運動した後は酸っぱいのが良いって健人が言ってたから。クエン酸、クエン酸。疲れがとれやすいんだって。シュワシュワは好きだよ。最初飲んだときは凄くビックリしたけど、なんか飲んだときの感覚が面白いから。だから、遊んだ後はレモンスカッシュにしてるの。」
「そっか。そうやって言われたこと何でも真面目に取り込むところが花月ちゃんらしいよね。」
そんな会話をしながら、二人で並んでジュースを飲む。その時間がなんだか嬉しくて、なんかふわふわした気持がして、胸の真ん中が暖かくなってきて、花月は幸せだなと思った。そういえばここは始めて浩太と会った場所だ。そして、浩太が一緒に頑張っていこうって、遠く離れたって、もう会えなくたって、ずっとお互い頑張っていこうって言ってくれた場所だ。わたしがどこにいても、わたしに浩太が頑張ってるって伝わるように、世界で活躍するような有名な人になるって言って励ましてくれた場所だ。そんなことを考えて、花月は自然と口元がほころんでいた。
「浩太はいつもわたしに元気をくれるね。」
そう言って彼を見ると目が合って、花月は嬉しくなって笑った。
「浩太、始めて会った日のこと覚えてる?わたし、ここに座ってて、浩太があそこの階段の手すりをスケボーで滑って降りてきて、ジャンプして、スケボー回転させて自分も回って、わたしの目の前に着地してさ。わたし凄く吃驚して。凄いなって、格好いいなって目が釘付けになっちゃって。わたし、あの時さ、家出してきて友達に会いに来て、でも友達がみつからなくて。探しても探してもどこにも居なくて。凄く落ち込んでたんだ。どうせ帰り道も解らなかったけど、解ったとしても家には絶対に帰りたくなかったし。でも友達もこのまま見つからなかったらどうしようって、なんか頭の中がごちゃごちゃして、凄く苦しくて、ここで動けなくなってた。でも、浩太がそうやってわたしの前に現れて、そしたらパーって気持ちが明るくなって一気に元気になれた。浩太と話して、浩太がサンダルくれて、凄く嬉しかった。もうちょっと探してみようって、頑張ろうって気持ちになれた。」
そう、あの日、あの時、浩太と出会ってわたしは元気をもらった、初めて会った時からずっと、いつだって浩太はわたしに元気をくれる。
「最初に会ったときだけじゃない。わたしが落ちこんでたり元気がないと、浩太はいつも元気をくれる。わたしがサクラハイムに居られなくなりそうになったあの時も、今も。浩太と一緒だといつも楽しくて、胸が暖かくなって、落ち込んでたり元気が出ないときもいつだって元気になれて、頑張ろうって気持ちになれる。浩太はわたしの太陽だね。」
そう、浩太といるといつだって、胸が暖かくなって、熱くなって、嬉しくて楽しくて、元気になれて。浩太はわたしの太陽だ。夏樹も、わたしの太陽だった。家の中に閉じ込められて独りぼっちだったあの時、味方が誰もいなかったあの時、夏樹のことを思い出せばいつだって大丈夫って思えた。外に出られたら夏樹の所に行こう。夏樹にまた会えたら、今度はずっと夏樹の所にいよう。そう思って、再会できた時の事を考えれば楽しい気持になれた。だからあの時、開いている窓を見付けたあの瞬間、わたしは迷いなく窓の外に飛び出せた。これで夏樹の所に行けるって、ワクワクして飛び出した。飛びだした先にもう夏樹はいなかったけど、夏樹が見つからなくて落ち込んでたとき、浩太に出会って元気をもらった。そして、今は、サクラハイムって居場所ができて、皆と出会えて、わたしは幸せだ。このままずっと皆といたい。でも、ずっとはいられないのは解ってる。遙も留学しちゃうし、今は皆学生だけど、卒業して就職したら、いつまでもここにいるとも限らない。ずっと同じ場所で、すっと同じ関係でいられるなんてありえない。それは、わたしだって解ってる。皆が変わっていくように、わたしだってずっとこのままじゃいられない。じゃあ、わたしはどうしたいだろう。どう在りたいんだろう。わたしはこれからどんな風になりたいんだろう。そんなことを考えて、花月は自分の隣にいる浩太の存在を大きく感じた。
「浩太は凄いね。憧れちゃうな。わたしも浩太みたいに、誰かに元気をあげられる人になりたいな。皆を笑顔にできる人に、わたしもなりたいな。」
心からそう思う。わたしは浩太みたいになりたい。浩太はいつだってわたしに元気をくれる。わたしにだけじゃない、遙の文化祭に遊びに行った時みたいに、浩太は皆に元気と笑顔をあげられる。浩太は凄い。浩太みたいにわたしもなりたい。そんなことを考えて、花月は胸が暖かくなった。そして、でもわたしはまだ浩太みたいにはなれないからと思って、自分に告白してきたときの一臣の姿を思い出して苦しくなった。わたしは元気をあげられない。笑顔にできない。大切な友達を、よく解らないけど傷つけた。解らない。どうすれば良かったんだろう。どうすれば良いんだろう。どうしたら・・・。
「実はわたし、今悩んでてさ。それで頭の中がごちゃごちゃしてよく解らなくて。どうしたらいいのか解らなくて。それで、ちょっと、なんかいつも通りができないというか、よく解らない感じになってて。」
そうやって花月は浩太に胸の内を打ち明けた。何があったのか、それで自分がどう思ったのか、今のごちゃごちゃしてよく解らなくて、意味が解らなくて、苦しくて、辛くて、どうしたら良いのか解らなくて、そんなまとまりのない話をとりとめもなく思いつくままに全部吐き出して。花月は黙って聞いてくれる浩太の存在に安心感を覚えていた。全部吐き出し終わって、なんかちょっとスッキリして、だからといって答えは出なくて、沈黙が続いて。その沈黙を浩太が破った。
「花月ちゃんは、いつも元気で明るくて。何でも楽しそうに一生懸命取り組んで、いつも笑顔で。ちょっとしたことで本当に嬉しそうに笑って、本当に楽しそうに笑って。花月ちゃんのいる世界はいつだってキラキラしてるから。花月ちゃんがいると、いつだって元気になれるから。自分も楽しくなれるから。そんな花月ちゃんだから、きっと真田さんも花月ちゃんといる世界がキラキラして見えるんだと思う。真田さんとお付き合い始めたらさ、きっと花月ちゃんが見てる世界も変わるよ。花月ちゃんは今でも凄く楽しそうだけど、きっと、今とは違った風に世界が輝いて見えて、もっと楽しくなると思うよ。嬉しいことも、もっと沢山増えると思う。俺は花月ちゃんにずっと笑ってて欲しいから。だから、そんな風に悩むくらいなら、いっそのこと飛び込んでさ。それで、今までずっと始めてすることに目をキラキラさせて何でも楽しんできたのと同じように、誰かとお付き合いするって初めての体験を思いっきり楽しんで欲しいと思う。花月ちゃん、真田さんのこと嫌いじゃないでしょ?なら、付き合ってみればいいじゃん。」
そんな浩太の言葉を聞いて、花月は顔を上げた。一臣と付き合い始めたらわたしの世界が変わる。今までみたいに初めての体験を思いっきり楽しめば良い。その言葉が自分の中にすっと入って来て、花月は視界が開けた気がした。浩太の言うとおり、わたしは一臣のこと嫌いじゃない。ずっと友達だと思っていた。自分にとって大切な友達だと思っていた。大切な友達として一臣と過ごしてきた時間は、自分の中に大切でかけがえのない想い出として積み重なっている。一臣はいつもわたしらしく在ることを応援してくれた。沢山の初めてを教えてくれて、沢山の楽しいをわたしにくれた。わたしのやりたいを尊重して、わたしの話しを聞きながら、いつだってわたしのペースに合わせてくれた。喧嘩もしたし、ずっと良い関係だったとは言えないけど、でも、急にあんなことされたからっていなくなって欲しいとか思わない。むしろいなくなって欲しくない。ずっと、今まで通りが良い。あんなことがあったって、やっぱり一臣もわたしにとって大切な人の一人だから。だから、一臣にも笑っていて欲しい。元気になって欲しい。ずっと友達だと思っていたから、それ以外の関係が想像つかなくて、不安で、怖かった。告白されたときの一臣は全然知らない誰かに見えて、友達以上の関係になるということに頭が追いつかなくて、訳がわからなくなって、友達じゃない一臣が怖く感じたけど。でも、そんなに怖がる事じゃなかったのかもしれない。一臣は優しい。あの時、あんな顔して謝ってた一臣が、もう急にわたしの意思と関係なくあんなことするわけがない。わたしの頭が追いつかないなら、わたしの気持ちが追いつかないなら、きっと、わたしの気持ちが落ち着くように寄り添って、わたしのペースに合わせて待ってくれる。無理強いしないでちゃんと待ってくれる。今までの彼を思い出すとそう思える。そう信じられる。
「そうだよね。悩んで答えが出せないなら、実際付き合ってみて、一臣の気持ちや自分の気持ちと向き合ってみるっていうのもアリなのかも知れないよね。ありがとう、浩太。わたし、一臣の所に行ってくる。」
そう言って花月は清々しく笑って、浩太のいってらっしゃいの言葉に背中を押された。そして、立ち上がり、一臣の元へ向かおうとして、自分を呼ぶ浩太の声に花月は振り返った。
「俺は、花月ちゃんがいたからいつだって頑張れた。花月ちゃんの笑顔に励まされて、元気をもらって。いつだって何でも一生懸命やってる花月ちゃんを見て、やりたくないなって逃げそうになっても、俺も頑張らなきゃって思えた。花月ちゃんが一緒に喜んでくれたから、楽しいとか嬉しいとかそういう気持ちが何倍にもふくれあがって。俺は。俺に憧れる必要なんて無いよ。花月ちゃんは充分、今だって充分、人を元気にできる人だよ。人を笑顔にできる人だよ。花月ちゃんは俺の太陽だ。ずっと、これからも君は俺の太陽だよ。」
そう言って笑う浩太の顔を見て、花月は胸が熱くなって、凄く嬉しくなって、笑い返した。
「そっか、浩太もわたしと同じ気持ちだったんだね。」
そのことが本当に凄く嬉しい。浩太がわたしの太陽であるように、浩太にとってのわたしも太陽だった。浩太みたいに皆は笑顔にできなくても、わたしも誰かに元気をあげられてた。浩太を元気にしてあげられてた。
「浩太のおかげでわたし、ちょっと自分に自信が持てたよ。わたしも誰かの太陽になれるんだなって。人からもらってばっかじゃなくて、ちゃんと人に何かあげられてたんだなって。浩太のおかげでそう思えた。浩太、ありがとう。」
そう言って、花月は心からの感謝を込めて浩太に笑顔を向けた。やっぱり浩太は凄い。浩太の言葉一つ一つが凄く嬉しくて、浩太の言葉一つ一つに励まされて、わたしは前を向ける。いつだって、どんなときだって、浩太の存在に背中を押され自然と顔を上げ前を向いていられる。
「じゃあ、一臣の所に行ってくるね。」
そう告げて、花月は浩太と別れて一臣の元へ向かった。
浩太と遊びに出掛ける前のような鬱々した気持ちはもうすっかり吹っ飛んでいた。今は凄く気持ちがふわふわしていた。浩太の言葉を思い出すと、嬉しくて、嬉しくて。浩太も自分と同じ気持だったと思うと、凄く嬉しくて、凄く幸せで。胸が熱くて、心がふわふわして、気分が凄く上がって、そのまま浮かれてどっか飛んで行ってしまいそうで。花月はふと、浩太のことばかり考えている自分を認識して不思議な気持になった。あれ?わたし、今から一臣の所に行って、一臣に告白の返事をするつもりなのに。なんで浩太のことばっかり考えてるんだろう。浩太のことばっか頭に浮かんで、気分が凄く高まって・・・。そんなことを考えて、花月は自分が今浩太のことを考えてドキドキしていることに気が付いた。そうだ、わたし、いつだって浩太といるとこうだった。楽しくて、嬉しくて、心がふわふわして、なんかもぞ痒い感じがして、一緒にいられるのが幸せだなって、いつだって浩太にドキドキしてた。浩太といると世界がキラキラして見えた。他の誰といる時よりずっとキラキラして見えて、世界がぱっと明るくなって、浩太がいるのといないとじゃ全然違った風に見えていた。そう気が付いて、花月はそうかわたしは浩太のことが好きなんだと気が付いた。これが好きって気持ちだったんだ。そう繋がって、色々な想い出が自分の中で繋がって、花月は一臣に告白された時のその言葉を思い出して胸が苦しくなって、俯いて、胸の前で手をぎゅっと握った。一臣が言ってた事ってこういうことなんだ。一臣が言ってたこと、わたしも解る。わたしもその気持ち知ってたんだ。好きな人と一緒にいられるって事がどういうことなのか、そんな時間をずっと続けていきたいって、今よりずっと一緒にいたいって、もっとずっと近くに感じたいって、その気持ち、わたしも本当は解ってたんだ。でも、どうしよう。解っちゃったけど。解っちゃったから。わたし。一臣の気持ちには応えられない。でも、応えなかったら一臣は・・・。
少しの間その場で葛藤して、そして、花月は自分のスマートフォンを取り出して一臣に電話をかけた。どこにいるのか確認して、今から会いに行くと伝えて。花月は心を決めて彼のもとに向かった。
一臣を見付けて、声を掛ける。振り向いた彼と目が合って。久しぶりに目が合って。花月は、何をどう伝えれば良いのか解らなくなった。どうしたら彼を傷つけないですむだろう。そんなことを考えてしまって。でも、自分の気持ちはハッキリしてるから。それをどう伝えたって傷つけないわけにはいかないことはハッキリしてるから。だから覚悟を決めて、花月はいつも通り偽らない言葉で、まっすぐ彼に自分の想いを伝えることにした。
「一臣、ごめん。わたし、浩太のことが好き。だから、一臣の気持ちには応えられない。ごめんね。」
そう伝えて、それを聞いた一臣が、辛そうな、それでいてどこかホッとした様な顔で、そうかと答えるのを見て、花月は不思議な気分になった。
「そうだと思ってた。ハッキリ言ってくれてありがとな。」
そう言って笑う一臣を見て、花月も曖昧に笑い返した。こんな時どんな顔をすれば良いのか解らなかった。これからどうすれば良いのか解らなかった。
「ったく。らしくねー顔してんじゃねーよ。自分の気持ちに真っ直ぐなところがお前の良いところだろ。自分の気持ちに気が付いたなら、いつも通り真っ直ぐぶつかってこい。それで付き合えたなら、好きな奴と一緒にいられることを心から楽しんでこい。」
そう言われて、花月はハッとして一臣を見上げた。
「うん。わたし、行ってくる。浩太の所に行って、浩太に自分の気持ち伝えてくる。」
「あぁ。行ってこい。」
そう言い合って、お互いの拳をぶつけ合う。そして、花月は踵を返し浩太の元に向かった。数歩歩いたところで伝え忘れたことを思い出し、立ち止まって振り返る。
「一臣。わたし、一臣にいなくなって欲しくない。これからも友達でいて欲しい。ずっと友達でいてくれる?」
そう伝えると、一臣は呆れたように笑った。
「お前、それ。フッた相手に言うの酷だぞ。でも、まぁ、これからは友達として割り切れるように努力する。どうせお前はごちゃごちゃ考えるの苦手なんだから、周りのことは気にせず思ったまま突っ走ってこい。気にされて余計な気を遣われる方が面倒くせーし、見せつけられた方がこっちもスッキリする。」
そう言って一臣は、ほらっさっさと行ってこいと花月の背中を押した。そうされて、花月は今度は振り返らず、自分が見付けた本当の気持ちを伝えるために、浩太の元へ走って向かった。
走りながら、花月の中に浩太への想いが溢れかえっていた。一緒に勉強するのが当たり前になって、一緒に遊ぶのが当たり前になって。いつだって浩太を見付けると心が弾んで彼に駆け寄っていた。傍にいたい。ずっと。浩太ともっとずっと一緒にいたい。だから、この気持ちを早く伝えないと。なんか凄くドキドキする。不思議なくらいワクワクする。なんか、なんだろう、わたしなんか凄く変だ。でも、この感じ、嫌じゃない。早く浩太に会いたい。そんなことを考えているうちに公園について。別れたベンチにまだ座っている彼の姿を見付けて、花月は最高潮に胸が高鳴って彼に駆け寄った。でも、座っている彼が蹲って泣いているのに気が付いて、花月は戸惑った。
「浩太、大丈夫?具合悪いの?」
心配になって彼の顔を覗き込む。
「なんで泣いてるの?なにかあった?」
そう言ってハンカチを差し出すと、顔を上げた浩太が何でと呟いて、花月は疑問符を浮かべた。
「真田さんの所に行ったんじゃなかったの?」
「行ってきたよ。」
「それで、どうしてここに戻ってきたの?」
自分が差し出したハンカチを受け取って、それで涙を拭って、まだ少し震える声で心底意味が解らないといった調子でそう訊いてくる浩太を見て、花月はどうして自分がここに戻ってきたのか思い出して、少し気恥ずかしい思いがした。
「だって、浩太にわたしの気持ち伝えたかったから。」
そう伝えると浩太がきょとんとした顔をして、理解できないという顔で自分を見つめてきて、花月は思ったままここに来た経緯を口にしていた。
「わたし、解ったんだ。わたしにとって浩太が特別なんだって。浩太、さっき言ってたじゃん。わたしが一緒だと楽しいとか嬉しいとかそう言う気持ちが何倍にもふくれあがるって。わたしも一緒。浩太が一緒だと楽しいとか嬉しいとかそう言う気持ちが何倍にもふくれあがって、凄く凄く楽しくて、凄く凄く嬉しくて。他の人といるときとは全然うんだよ。浩太の顔見てると、こうやって一緒にいられて嬉しいなって、幸せだなって、なんかいつも胸の真ん中が暖かくなって。なんか凄くふわふわした気持ちになって。なんかね、もぞ痒い感じがして、変な感じがしてた。どうしてそうなるのかよく解らなかったんだけど、でも、解ったんだ。さっきの浩太の言葉を聞いて、わたし凄く嬉しくて。浩太もわたしと同じだったんだって凄く嬉しくて。なんか気分が凄く上がって、どっか飛んでっちゃいそうな感じがして。それで、浩太のこと考えてドキドキしてる自分を見付けたの。それで、そっか、わたしの浩太への気持ちは好きって気持ちだったんだなって。ずっと浩太に感じてたこれは、浩太のことが好きってことなんだって。わたし、浩太に恋してたんだって気付いたんだ。だから一臣に、わたしは浩太が好きだから一臣の気持ちには応えられないってごめんなさいしてきて、それで、浩太にこれを伝えなきゃって戻ってきたの。」
そう話しているうちに恥ずかしくなって、顔が熱くなって、花月は浩太の顔が見れなくなった。ちゃんと伝えないと。そう思う。ここに来た理由じゃなくて、ちゃんと、わたしは浩太が好きって、付き合って下さいって伝えないと。そう思って、花月は深呼吸をして心を落ち着けて、顔を上げて浩太を真っ直ぐ見つめた。
「わたしは浩太のことが好き。浩太、お付き合いを始めたらわたしの世界が変わるよって言ってたけど、今とは違った風に世界が輝いて見えてもっと楽しくなると思うって、嬉しいことももっと沢山増えると思うって言ってたけど。そういう風にわたしの世界を変えてくれる人は浩太が良いって思うから。浩太の世界も一緒にそうなってくれたら良いなって思うから。だから。わたしとお付き合いして下さい。」
そう言い切って頭を下げる。なんだろう。凄くドキドキする。胸が痛いくらいドキドキして、なんか怖い。なかなか返事が聞こえてこなくて。今更だけど、これでダメだったらどうしようって。浩太にごめんって言われたらどうしようって不安になってきて、花月は恐る恐る顔を上げた。
「ダメ、かな?浩太はわたしとお付き合いするのはイヤ?」
そう訊くと、浩太がハッとした顔をして立ち上がって、必死に、ダメじゃない、ダメなわけないしイヤなわけなんて絶対ないからと言ってきて、花月は心底ホッとして、力が抜けて、良かったと胸をなで下ろした。
「えっと、あの。花月ちゃん。」
そうしどろもどろに声を掛けられて、花月は改めて浩太を見上げた。
「その。俺も、ずっと前から花月ちゃんのことが好きでした。よろしくお願いします。」
そう言って頭を下げ返してくる浩太を見て、心底嬉しくなって、嬉しくて嬉しくてしかたがなくて、花月は笑った。顔を上げ目が合った浩太の顔が一気に赤くなって、それで彼がまた俯いて、花月は本当に浩太もわたしと同じ気持ちなんだと思って、幸せな気持ちでいっぱいになった。
「浩太。あのさ・・・。」
勇気を出して声を掛ける。浩太のことが好き。浩太がわたしの特別だから、だから・・・。そう思って言葉を紡ぐ。
「キス、してもらってもいいかな?」
そうお願いすると驚いたように浩太が顔を上げて、目が合って、花月はものすごく恥ずかしくなって、顔が凄く熱くなって俯いた。
「いや、その。せっかく好きな人とお付き合いできたなら、さ。あの。意図せず最初は奪われちゃったし。その。浩太にして欲しいなって・・・。」
ドキドキして頭の中がごちゃごちゃして、でも、なにか言わないとと、ぼそぼそとそんな急にキスして欲しいなんて言い出した言い訳をしてみたりして。でも恥ずかしすぎて顔が上げられなくなって。浩太の手が肩に置かれ、花月はハッとした。好きな人が自分のして欲しいに応えてくれる、その期待に胸を膨らませて、でも凄く恥ずかしくて、目を瞑って顔を上げ、彼の次の行動を待ってみる。今まで感じたことがないほど胸が高鳴っているのを感じて、緊張して震えている自分を認識して、早く、早くなんて思う。早くしてくれないと、わたし、恥ずかしすぎて逃げちゃいそう。緊張がピークに達してどうしようもなくなりそうになりかけたとき、唇にそっと彼の唇が触れる感触がして、花月は胸がいっぱいになった。嬉しい。凄く。なんだろうこの気持ち。好きな人とキスをした、そのことで頭がいっぱいになって、その事実を噛みしめているともう一度彼の唇が自分のそれに触れて。今度はさっきより長く触れていて。花月はその不意打ちの行動に戸惑った。
「えっと。その。ごめん。」
自分の肩からパッと手を離して真っ赤になった顔を背けてそう言う浩太に、花月は首を横に振って、大丈夫と伝えた。
「その。ありがとう。」
そう、ありがとうって思う。浩太からしてくれて嬉しかった。一回だけだと思ってたからビックリしただけで、心の準備ができてなかったから驚いただけで、浩太がそうしてくれたことは凄く、凄く嬉しい。自分だけの気持ちじゃないんだなって実感できて本当に嬉しい。そんなことを考えて、花月は恥ずかしくて顔が上げられなくなって。お互いお互いの顔が見れないままよく解らない沈黙が続いた。
「帰ろっか。」
少しドキドキが収まってきた頃、そう言う浩太の声が聞こえてきて、花月はそうだねと返した。そして、帰り道を二人並んで歩いていると浩太が何気なく手を握ってきて、花月は少しビックリして、でもそれが凄く嬉しくて、彼の手をそっと握り返してみた。彼の手の温もりを感じて、いつもよりずっと近く感じる彼の存在に、本当に恋人になったんだと実感が湧いてくる。これからはこの距離で一緒にいられるんだ。これからもずっと一緒にいて、一緒に頑張って、一緒に・・・。浩太とのこれからを考えるとまた胸が高鳴って、ふわふわした気持ちになって、花月は幸せな気持ちでいっぱいになりながら、サクラハイムへの帰路を大好きな彼と一緒に歩いた。