勝利に食らいつく
正直噛みつきが来るという可能性は頭からすっぽり抜けていた。真正面から突っ込んできた森林狼は俺の頭を狙っていたようだが、もしもザクッじゃなくパクッといかれていたら間違いなく致命打でお陀仏していたことだろう。
俺は右爪による引っ掻きを鼻っ面に風を感じながら紙一重で躱し――
「どっ……せい!!」
右前脚ごと狼の頭を脇に抱え、両腕でがぶるように抑え込んだ。突進の勢いに弾き飛ばされそうになりながらも、一メートルほど後方に押し出されて、ようやく勢いを殺しきった。
しかし爪が胴を掠めたダメージと突進の衝撃が変換されたダメージによって、俺のHPはもうすぐ紅に染まりそうなところまで来ていた。
「荒っぽいんだから、もう……」
「イリィス! ポーション!」
「はいはい、投げるわよ!」
今日何度目になるか分からないイリスの呆れた声を聞き流して、俺はHPポーションを要求する。こちらに近づく足音は、味方へのアイテム投擲のコントロールが大幅に補正される五メートル圏内に入ろうということだろう。
直後、後頭部に軽い何かがぶつかる衝撃とガラスが砕ける音がして、中に入っていた液体が頭にかかる。液体で濡れた感覚はすぐに消えてなくなってしまったが、冷たさがなくて不思議な感じがする。
経口摂取するよりもゆっくりとしたスピードで俺のHPバーが満タン近くまで回復していく。これであとは死なずにWP枯渇ペナルティが明けるのを耐えるだけなのだが。
「どうどう狼クン、落ち着けー落ち着けー。怖くないぞーぅ?」
「ウゥゥゥ……」
「そのうーうー言うのをやめ――」
「ガァウッッ!!」
「あ、こら暴れるな! こちとらまだ体重いんだから!」
お互い相手にバランスを握られている状態、押し引きが起こるのは自明の理だがやたらめったら暴れ回られると対応がきつい。
ただの単純な押し合い引き合いなら行動速度が下がっててもどうにかなるが、力の入り抜きが遅くなってるからこういう勝負では力が下がってるのと同義だ。
「お――と、ぅおっ――あぶっ」
地を掴む狼の三本の足が絶えず動き回り、がぶりを振りほどこうともがいてくる。そろそろ、両手のロックが外されそうな感じが――なんて冷静に考えてる場合じゃない、と力を込めなおす。
鼻をくすぐる狼の体毛とケモノ臭でどうにも集中力が殺がれていくが、後二十秒とちょっとか? 何とか堪えきって
「あ」
左手が外れ――
「やっべ! あ、痛、コラ、向う脛を引っ掻くな!」
狼の自由になった右脚でガシガシと向う脛を殴られる。ダメージは2とか3とかその程度だが、いかんせん攻撃間隔が短すぎる。このペースで行くと……生きるか死ぬかぎりぎりだな。弱体が剥がれたあとの戦闘も考えるとかなり分が悪いか。くそぅ、これだから四足歩行は。
正直なところ内心かなり焦っている。
既に戦闘を省み始めた俺の脳内は現状への対応策には興味なさげな様子だ。億劫がる頭脳へと、何か手はないのかと要求を送り続ける。そして厄介払いをするように投げ渡されたのは「何のためにここに来たのか」という自問で――
「イリス! テイム行けるか!?」
その答えは「テイムに成功さえすればこちらの勝ち」だ。当初の目的に対してあたかも光明を見出したような心持ちだが、そう楽観視できるわけでもない。
森林狼と俺のHPが逆転し、俺のHPバーは再び黄色を示す。弱体解除も俺の命も、およそ残り十秒か。
「行けないこともないけど、HP半分以上残ってると成功率が……それに一発拒絶もあるわよ」
イリスは逡巡しているようだが生憎悩める時間はもう残っていない。
テイムは敵モンスターのHPが少ないほど成功しやすくなる。そして同一個体に対しては一戦闘内で三回までテイムを試行することが可能だ。もしも三回連続で失敗したならば、その個体は「拒絶」状態になり、以後テイムを受け付けなくなる。
一発拒絶というのは敵モンスターのHPが半分以上残っている状態でテイムに失敗した場合に起こりうる現象で、一度目だろうが二度目だろうが失敗時に五割の確率で「拒絶」状態に移行するというものだ。
要するに敵モンスターをテイムするのならばHPを半分以上削れというのが基本且つ大原則であり、テイマー魂を持つ者たちはそれに反する行いに忌避感を抱いてしまうのだ。
「いやほら、死ぬが?」
「う……でも、半分……」
残り五秒。簡明に状況を伝えてもなおテイマーウィルスに全身が侵されたイリスは迷いを顕わにする。半分半分って、何かを半分にしようと思ったら大抵どっちかに偏るものだろう。つまり誤差だよ、誤差。この狼のHPは実質半分になってると言えるはずだ。
残り三秒。あほなこと考えてる場合じゃなかった。これは俺が死ぬか半分以下まで削るかしないとテイム使ってくれないやつだ。
つまり――思考破棄。
削れば、いいんだろ。
「う、お、らぁあ……っ!」
俺は狼の腰のあたりの毛を左手でひっつかみ、強引に持ち上げた。タイミングよく狼の右脚が空を切り、一秒のゆとりを得る。狼の体は倒立するように、その頭は地を向いている。俺は背中から後ろに倒れ込みながら、右脇にホールドした狼の頭部に一人と一匹分の全体重を乗せ――
「なんちゃって、ブレーン――バスターッ!!」
そのまま地面に叩きつけた。空中でもがいていた狼だが、頭への衝撃に一瞬痙攣するかの如く動きを止める。
本来受け身を取りやすいはずの垂直落下式は、受け身を取らせないのであれば全てのエネルギーが頭部にぶち込まれる危険技となる。その破壊力は二割近く減った狼のHPバーが如実に語っており、すなわち勝利条件が整ったということ――!
「イリス!!」
「『従魔契約』!」
緑の小さな光、蛍のような輝きが四つイリスの手から放たれ、体勢を立て直さんとする森林狼の周囲を回りながら取り囲んだ。その様子を見て勝利を確信した俺は気も力も抜き、余裕ぶっこいていたのだが。
立て続けに四度、キン、と金属的な弾ける音と共にイリスの「あ」という呟きが耳に届く。その先を口にしてほしくないなあ、と気の抜けた頭でぼんやりと考えつつ、ブレーンバスターから立ち直った狼と目が合う。
「失敗しちゃった、ごめんなさい」
「あふん」
イリスは謝罪を口にし、狼は俺の首元を口にする。おいしくないぞ、なんて口にする間もなく、俺は森林狼にがぶりといかれた。




