狼と青年と
とても暑い日々ですね。皆様も十分お気をつけください。
私は見事に体調を崩したので熱中症かと頭痛をこらえて病院に行ったところ、腸が疲弊してると言われました。ストレスと寝不足からの前日の酒と生牡蠣のせいだと思われます。
皆様も十分お気をつけください。
というわけで一週間ぶりです。
俺は珠鳳の手料理をたらふく平らげてから、そのまま食休みをすることもなくとっとと家に帰ってきた。
帰宅してすぐさま風呂場に向かい、夏が近づいてきたせいかすっかり熱を帯びた体にシャワーで冷水をぶっかけて、ようやく人心地が付いた。
ふと気を抜くと珠鳳の料理に「おいしい」と言ってしまいそうだった。それは……よろしくない、色々と。何よりも言ってしまえば珠鳳のためにならない。
「ムキになってたな。あいつ」
俺は全身の熱が収まっていくのを感じながら、改めて自分に言い聞かせるように思いを口にする。
「まだまだ、言ってやるわけにはいかないな。それに、いざとなったらあの約束を――は、クシュンッ」
……おっと、ちょっと体を冷やしすぎたみたいだ。
俺は芯まで冷えた全身を手早く洗い上げて、軽く震えながらシャワーから脱出することにした。
さて、歯は磨いた。トイレは済ませた。水分補給もした。つまりこのまま寝られる状態になった。室温調整はエアコン様に任せて、今夜も寝るまでゲームに勤しみましょうか。
VRギアを起動し、メニュー画面に遷移したはいいが視覚同調でエラーでも吐いたのか、さっきから視界内でデカイ羽虫がぶんぶんと鬱陶しい。仕方ない、一旦同調切断してから直接エートスを起動して――
「お知らせです! お知らせです! お知らせです!」
「うるっせえ! クリーンインストールすんぞオラァ!」
「未読メッセージが一件あります。ご確認ください」
俺がクリーンインストールとがなり立てた瞬間、忙しなく俺の目の前を飛び回っていた羽虫は空中でぴたりと停止。微動だにせず機械的な口調で事務的に用件を告げてきた。よっぽど頭がきれいさっぱりするのは嫌らしい。いやさ本当にするわけないんだから、そう涙目で震えないでもらいたい。
「こ、このメッセージが私を狂わせるのです。私のせいではないのです」
「責任転嫁とは味な真似を。確認してやるからとりあえず開封せい」
俺がそう催促すると、リージアはびくびく怯えながら白い封筒状のオブジェクトを虚空より引っ張り出し、その中から便箋を抜き出した。畳まれた便箋が俺の目の前で開かれ、メッセージウィンドウが出現する。
「なになに……『親愛なる創吾様へ。私、狼が欲しいです。栞より』」
「……え? それだけですか?」
「こんだけだな。ざっくりしすぎだろう、いくら何でも。で、重要度が「高」になってると。お前がやかましかったのはこれのせいか」
「そうなのです。抗えない使命感と焦燥感でどうにかなってしまいそうでした……」
「ああ、ルール設定してなかった俺が悪かったな。次からは重要度に係らず対応は同じでいいから。複数届いた時だけ重要度付きがあったら教えてくれ」
「かしこまりました。次回より、そのように」
怒られなかったことに安心したのか、リージアはあからさまにほっとした様子でふよふよと擦り寄ってきた。俺の腕を持ち上げて、どうやらロビーに向かわせようとしているみたいだが
「いや、行かないぞ」
「つーめーたーいーですー!」
駄々をこね始めたリージアを努めて無視して、俺はエートスを起動した。
リージアと戯れるのはまた今度だ。最近ちょっと蔑ろにしてるような気がするし、できるだけ早めに時間を作ってやろう……少なくとも今年中には。
『モネーロの街』に「マクス」となって降り立つと、俺はすぐにフレンドリストを確認する。ログイン中になってるのは――なるほど一人だけか。
「待っていたわ、マクス」
フレンドリストを閉じるのが早いか、突然話しかけられた方へと反射的に顔を向ける。視線の先にいたのはまさしく唯一ログインしていたフレンド、仁王立ちで不敵な笑みを浮かべるイリスその人であった。
この後のことが楽しみだったのは分かるんだが、まさか一番乗りで戻ってきているとは。
「さすがに早くない? ちゃんとメシ風呂済ませたん?」
「早いって言っても一時間半は経ってるわよ。むしろマクスこそもう少し早く来ると思ってたのだけど」
「あー、まあ、うん。メシを外に食いに行ったからな。それで」
「なんだ、タマオのとこで食べてたの」
何故分かった、と表情に出てしまった時点で手遅れだが、鎌をかけるにしても確信的な物言いに疑問の目を向けてみれば
「あの子ちょっとそわそわしてたし、何かあるなとは思ってたのよ。そこにマクスの煮え切らない答えでしょう? それでそうなのかなって」
「チッ、特に隠す意味もないけど長風呂してたとでも言っておけばよかったか」
「隠す意味ないなら誤魔化さなくてもいいじゃないの……でもタマオのごはんかー、いいなあ。何食べたの?」
「カレーっぽいやつ。名前は忘れた」
「またどこのか分からない料理作ったのかしら。料理下手がやると悲惨だけど、タマオだものねえ。羨ましいなあ」
そう口にしながら歩き始めたイリスに俺は追従する。すぐに追いついて横並びになると、イリスは都合三度目になるおねだりを懲りもせずぶつけてきた。
「ねえ、マクス? 私ね、狼が欲しいなあ」
「何回も聞いた。分かってるからほら、とっとと行くぞ」
「ありがとう。いつもこれくらい優しいといいのだけど」
「俺はいつも優しいだろ。それにイリスには特に優しくしてるつもりだぞ」
「そう、なの? ……どうしてって、聞いてもいい?」
目を逸らしながら怖々と問いかけてくるイリス。何かに期待しているような、でもそれを聞いてはいけないような、そんな雰囲気を纏いながらイリスはもじもじしている。
俺は天を仰いで呼吸を整える。これを口にしてしまえば、俺たちはこれまで通りではいられなくなってしまうのだろう。だが俺の心はこの気持ちを叫びたがっている。この気持ちをイリスに伝えたいという想いが溢れそうになっている。
覚悟の時、なのだろうな。心を落ち着けるべく俺は屈伸運動を行う。立ち上がり、正面遠くの街門を見据えて、心に秘めた想いをイリスに告げる。
「――イリス、俺はな」
「……はい」
「小っちゃい子には優しいんだよ」
「コロ」
答えを最後まで聞くことなく俺は門に向けて全力疾走する。後ろを振り返ってしまえば修羅と化したイリスが迫っているのではないかと思うと怖ろしかった。
結局パーティを組んでいなかったのが災いしたか、門からフィールドに出た時の出現位置の差によって俺はあえなく捕獲された。もとい、突然目の前に出現したイリスに俺の方からぶつかっていった。もんどりうって倒れた俺たちの間に、何とも言えない空気が流れた。
少なくとも俺は逃亡を再開する気も起きず、「びっくりして怒りもどっかに飛んで行ったわよ」なんて愚痴るイリスを助け起こしてから二人並んで森まで歩いてきたところだった。
「夜の森だけれど、真っ暗で何も見えないというほどではないのね」
「そういうゲームもあるだろうけど、大体がホラー系じゃねえかな。それもある程度は見えるっていうのが多いだろうけど」
「ゲームが成立しないものね……でも、拍子抜けな感じは否めないわ」
初日とはいえ来慣れた森、ゲーム内時間が夜ということでそれまでと異なる様相を呈してはいるのだが、満月の夜よりも多少見通しが利く程度には物が見えている。昼間の森から当然若干は光度が下がっているが、ほとんど色相を青めに寄せたようなくらいの変化しかない。拍子抜けという評価は正直その通りだと思う。
さて、狼なら夜の森に出てくるという社畜情報を信じて来てみたはいいものの本当なのやら。ゲームのモンスターがリアルの生物と同じかと問われれば全く以ってそうとは限らないわけで。
「なんか、ごめんね? マクス」
周囲に注意を向けながら多少慎重に森の中を進んでいると、イリスが前方を警戒しながら何に対してかはっきりとしない謝罪をしてきた。まさかこれから生き埋めにでもされるのだろうか。このゲームだとできないわけでもないのが怖い、がそういうわけでもなさそうだ。
「戦闘中サボってたことか?」
「そんなバッサリと……まあ、そう、なのかな。やっぱりサボってるように見えるのね……」
「うそうそ、ちゃんと強化はやってるじゃん。強化は」
「フォローする気全く無しね。戦闘の事もだけれど、そのために今付き合ってもらってることも、ね」
依然こちらを向くことなくイリスは言葉を続ける。さほど申し訳なさそうな雰囲気ではないが、これはいつもの悪い癖かな。どこかでスイッチが入ったのか、はたまたひた隠しにしていたものがつい漏れ出てしまったのか、どちらにせよ言葉として吐き出した時点でこいつはそれなりに気に病んでるのだろう。
俺は音を立てないようにそっと近づき、イリスの後頭部を軽く小突いた。何事かと反射的に振り向いたイリスの表情は驚きよりも気落ちした色が濃く見えて……ほんとめんどくさい性格してるわ。
「申し訳ないと思うならちゃんと目を見て頭を垂れて、『ごめんなさい』と言うのが筋ではありませんかぁー?」
「……その、通りね。ごめ――」
「そもそもいちいち謝られても面倒だし。何のために一緒にプレイしてんだって話だろー?」
「……うん」
「俺だけじゃないけどさ、他の連中だって、面倒なことにはすぐ文句言うんだからそれを無視するくらいで丁度いいんだよ」
俯きながら、うーん? と首を捻るイリス。誰からの何からの干渉にも無駄に申し訳なさを感じていた頃と比べれば大分マシになってきたとは思うが、まだまだ遠慮は抜け切れてないようだ。親しき仲にも礼儀ありとは確かに言うけれども、そんなもん弁えていればいいだけで表に出す必要なんてない。
「好きで付き合ってる……とは限らないか。まあでも嫌々ってことはないからさ、気にするなってことで。今回のこれだって結局パーティの強化になるんだから、別にイリスのためだけってわけじゃないんだぞ?」
「そう、ね。皆にも迷惑がかかるのだから――」
「おっと、そういう意味じゃなくてだな。つまりあれだ、謝るなら自分で手打ちにしようなってことだ」
「……うん、ありがとうマクス。そうよね、謝るのなら――」
イリスの表情は少し明るくなっただろうか。一度謝り始めるとどう返事しようが延々恐縮していくのだから始末が悪いというか。いっそタマオくらい図太くなってくれてもいいと思うんだけどな。
自分の中でケリが付いたのか、イリスは先ほどまでとは打って変わって晴れやかな笑顔を浮かべて
「――今日一日散々からかってくれたマクスの方よねぇ……」
「話し合おう。いや俺が全面的に悪かったです申し訳ありませんでした!」
煙に巻いたまま燻っていた怒りが蘇ってきたらしい。にこやかな笑顔が時折ピクピクと引き攣るのが怖くて、俺は目線を逸らすべく頭を下げて謝罪した。
「許しません。気にしてるのを知ってて何度も何度も……考えてみれば、こんなやつに気を遣うのがそもそも間違いだったのよね、反省しなくちゃ」
「親しき仲にも礼儀ありですよー。ちょっとは気を遣って?」
「そっくりそのままお返しするわ。そろそろ一度こってり絞り上げないといけないみたいね……!」
だめだ、謝ってもヒートアップしていくだけだ。にじり寄ってくるイリスを迎え撃つ体勢になり、この後どうしたものかと思案する。
何か、何か状況を打開できるものは……頭は動かさず目だけを彷徨わせて周囲を窺う。そして視界に紛れ込んだシルエットに、俺は思わず声を漏らした。
「あっ」
「そんなあからさまなので誤魔化されないわよ」
「いやそうでなく、いた。狼」
「え、本当!?」
イリスはハッと口を抑えて、俺が指差す方へと振り向いた。俺を窮地から救ってくれたのは、当初の目的だった狼さんだった。
まさしくベストタイミングで現れた狼に俺は心の中で感謝を捧げ、これは是が非でもイリスに捕まえてもらわなければと決意を固めた。
テイムに失敗したら俺の人としての尊厳は……頼むから大人しく捕まってくれよ狼!
その場その場で設定を盛ると矛盾や齟齬が発生します。想定の甘さが浮き彫りになるわけですね。
具体的には華鳳ちゃんの存在は後から追加されたので見事に8話と食い違ったのでちょっと修正しまし……




