陽は沈みゆけども、ゆらり揺らぎ熱りて
光の粒子化が存在の流失であるとするならば、これは一体何を表しているというのだろうか。
時間が突然止まってしまったように停止した黒ゴブリンもとい狂化感染:小鬼人は、その輪郭を周囲の風景ごと乱れさせたかと思えば、影に光が差すかの如く跡形もなく消失した。まるで初めからそこには何もなかったんじゃないかと錯覚してしまうほどに。流れるシステムログだけが先ほどまでの戦闘は確かに在ったのだと主張している。
《ジョブレベルが2上昇しました》
《戦闘経験によりアビリティ「体術」を取得しました》
《戦闘経験によりスキル「ライトステップ」を取得しました》
《戦闘経験によりスキル「フォウメントブレード」を取得しました》
《戦闘経験によりスキル「ブラインドサイド」を取得しました》
《称号「狂いを還す者」を取得しました》
ドロップアイテムがなかったのは残念だが、レベルが2上がってスキルがわさっと手に入ったから結構満足だ。一時はただの雑魚なのでは、その分報酬も少ないのでは、なんて心配になったが杞憂だったな。まあそんな心配もほんの一瞬だけのものだったけども。何せ……
「まさか最後は完全無差別攻撃になるとは。流石に予想外だったわ」
「ホントにねー。私もちょっとびっくりしたけど、イリスは狙いが向いた時面白いくらいびびってたよねぇ」
「そんなこと……無かったわよ?」
「私の背中に隠れて盾にしようとしたよねぇ……?」
タマオからじっとりとした視線を浴びせられ、イリスはついっと顔を背ける。タマオはイリスの顔を覗き込むべく正面に回り込もうとし、さらにイリスは顔を背け……二人でくるくる回りながら戯れている。何やってんだこいつら、仲いいな。
それにしても、と消え失せた黒ゴブリンに思いを馳せる。生物的、より正確に表現するなら普通のゴブリン的な動きをし始めた黒ゴブリン。後は消化試合かと気を抜きかけたのだが、全くそんなことはなかった。
左右にステップを入れてフェイントとも言えないような拙い揺さぶりをかけてきた黒ゴブリンは、突然俺もミケも無視して後衛に向かってカチコミをかけにいきやがった。それも支援組の方にだ。俺たち前衛はすっかり作業モードに入っていたせいで完全に対応が遅れて、ものの見事に出し抜かれてしまった。幸いというかタマオが何とか黒ゴブリンを捌いてくれたおかげで事なきを得られたが、その後も好き放題暴れ回ってくれて結局最後の最後まで油断できない面倒な奴だった。
陽がだいぶ落ちてきて森は暗さを増してきている。周囲の安全を確認して、俺たちは休息を取ることにした。全員今の戦闘含めレベルが上がったことでステータスを確認したかったらしい。他の連中はジョブスキルも取得しただろうし丁度キリがいいところだったのかな。
俺もついでにとステータスを開いてポイント振りを考える。STRを上げたい欲が留まるところを知らないが、ここは思い切って全部DEXにぶち込んでみるか? 今でこそ力こそパワー状態だがそういうジョブじゃないしな……よし、決めた。残ってる16ポイント全部DEXにぶち込もう。
ドカッと増えたステータスに一人頷いていると、アーウィンがぽつりと疑問を呟くのが耳に届いた。
「にしても、あのゴブリンっぽいのは何だったんだろうな?」
「そうだなあ……」
答えるべく考えを巡らせながら、俺は茶運人形を呼び出した。気づけばMP満タンだったしな、勿体ない勿体ない。イリスが一瞬びくっと身を引いたのが目に入ったけど何だろうか。
戦闘終わりで気分がいいせいか心なしか味が増したような気がする出涸らしをちびちびと飲みながら、考えを整理するように言葉を紡ぐ。
「まず普通に出現する感じじゃあなかったな。どう見ても」
「そうだな。名前見た限りではレアやら徘徊ボスでもないだろうな」
「だよな。そうなると条件満たすと特殊出現するタイプ? 称号が手に入ったことも考えると、何かのイベント的要素がありそうな気もするな」
俺たちが何かしたから出現したっていう感じではないように思う。フィールド全体で一定数のゴブリンが倒されると発生する突然変異とか? それもしっくり来ないかな。何せあいつが本当にゴブリンなのかというところがそもそも怪しいのだ。何か別の理由があって発生したと考える方が自然だ。
「イベント、かどうかは分からないけれど、出てくる前に周りに一瞬影が落ちたのは何か関係があるのかしら」
「影? ……あぁ、そういえば」
そんなこともあったかな。ほんの一瞬だったしその後の印象が強烈で記憶の端に追いやられていた。
……それにしても影が落ちた、か。もしかして、そういうことなのか。文字通り影が「落ちて」きたのか? なるほどそうすると、狂化感染っていうのはモンスターに何かが感染したというよりはむしろ……
「それはそうとしてルナティック、ですか。「月に魅せられて」狂ってしまうというのはなんだか少しロマンチックですよね」
「物は言いようよねぇ。トチ狂ったゴブリンとロマンスしたいの? セルディ」
「嫌ですよ何でですか。タマオさんには情緒を解する心というものが欠けてるのですか」
「しっつれいな、ちゃんとありますぅー! 月見団子食わせるぞこらー!」
「望むところです。ちゃんと手作りでお願いしますね」
ちょっと思索に耽ってみれば、いつもの二人がいつも通り言い合いを始めていた。何気なく始まるから止める間もありゃしない。じゃれてるだけだから止めるつもりもないけど。
隣り合ってきゃいきゃい戯れてる二人は置いといて、二人の会話を聞いて気になったことがある。
月、か。偶然なんだろうか、つい先ほど森と月に係る話を聞いたばかりなのだが。現状あの金狼と繋がりがあったとしても、どう繋がるのか判然としない。とはいえ鬼人と殴り合ったら出てきましたっていうよりよほど「らしい」だろうか。
それに、だ。もしも黒ゴブリンが狼と全く繋がりのない単なる異物だったとしてもそれはそれで構わない。その場合は――きっとオーガの時と同じなのだから。
木々の合間を縫うようにその姿を見せていた夕陽は、赤々とした光を湛えつつも今まさに高台に身を隠そうとするところであった。その輪郭を幽かに揺らめかせる様は、まるで何かに怯え震えているようで。
あと僅かでその身を地に隠すことができたのであろうが、時を待たず夕影は失われてしまった。
なるほど与太と思っていた話はその実、真を告げていたのかもしれない。まさに太陽は食べられてしまったように感じるのだから。
「今回は大遅刻じゃないかクソ犬。職務怠慢か?」
俺は歓喜と少しの恨みに逸る心を必死に押し止めながら、陽に代わって鎮座するそいつに向けて悪態を吐いた。薄暗くともはっきりと認識することができるその表情が一瞬ピクリと引きつったような――気のせいか?
不機嫌そうな雰囲気を隠そうともしない闖入者の存在に他の連中も気づいたらしい。
「ありゃあ……うん無理だな。喧嘩になる相手じゃねえ」
「そう、だね……ほんとにカーソルが出ないんだ」
「おー。きれいな狼ねぇ」
緊張を高める男共とは対照的に、タマオの呑気な感想にうんうんと頷く女性陣。俺こいつに犬パン食らってお陀仏してるんですけど……なんでそんな和やかなんでしょう。確かにモンスターではないけど一応全滅の危機だと思うんですよね……ま、いいか。死んだら死んだで。そろそろ晩飯時だし、デスペナもらってもさして問題はないだろう。
突如そこに現れた金狼は、ただ静かにこちらを瞰下し睥睨していた。毛の一本一本が淡く光を放っているらしく、それらが寄り集まって揺れ動く様は紅炎のよう。その奥に灯る瞳は白っぽく輝いているように見える。その瞳は俺たちを見ているのか、はたまたここにはいない何かを感じ取ってでもいるのか。
「黒いゴブリンを狩りに出て来たんなら、お生憎様。俺たちが先に始末したぞ」
膠着しつつあった状況を打開するべく、俺は金狼に言葉を投げかける。おそらく奴にも分かっていることだろう。今なお続く不機嫌そうな雰囲気はおそらく、わざわざ出向いてみれば獲物がすでに狩られていたことへの不満の表れだ。
都合二度話しかけられた金狼は、その瞳の焦点を明確に俺へと合わせた。纏う空気が不機嫌さの中に鬱陶しさやら面倒臭さが混ざったような、そんなものに変わる。
何故か俺から距離を取ったパーティメンバーを横目に、俺はさらに言葉を続ける。
「あの黒いやつはあれか、お前と何か関係があるのか」
金狼は小馬鹿にするようにフン、と鼻を鳴らすと、風がそよぐような自然さで高台を離れ、俺の眼前まで近づいてきた。見下ろす眼から敵意はあまり感じられず、言いたいことがあるなら言ってみろというようなふてぶてしさに溢れている。
女性陣がいそいそと金狼の傍らに寄って行き、その毛並みをまじまじと見つめ始めた。まとめて狩られても知らんぞ、と俺は呆れた眼を向けたのだが、金狼はそれに一瞥をくれるとすぐに視線をこちらに戻した。なんか俺に対する態度と露骨に差がないか?
まあそれは今は置いとくとして、NPCならおそらくそうじゃないかと予想していたように金狼はこちらの言葉を理解している節がある。オーガの時は獲物を奪われて思わず敵意を向けてしまったが、今の俺は一味違う。俺たちは分かり合える、仲良くなれるはずだというオーラを全身から溢れさせている。するとどうだ、「畏怖」も食らわずに五体満足健康体でいられてるじゃないか。
これは流れが来ている。ランダムエンカウントの調査対象が自らのこのこ来てくれているのだ。まさしく千載一遇の好機、何が何でも情報を毟り取ってやるからな。どうせ持ってるんだろう? とびっきりのクエストとかさあ……!
おっと、邪心が漏れかけた。ステイ、ステイ、気のせいだから前脚を持ち上げるな。
さて、割と生命の危機が近いらしい。所詮は犬っころ風情か、忍耐力に欠けているようだ。とっとと目の前のゴミを片付けて帰りたいという眼をしている。こうして見ると仕草は俗っぽいというか、感情を器用に表に出す様は見た目の神々しさとのギャップがあるな。
あまり長々と考えてる余裕はないが、叩きつける言葉はよくよく選ばなければ。こちらが抱える情報は極めて断片的で抽象的だ。調査というのは往々にして芋づる式に進展していくものだが、蔓どころか畑すら見つけられていないような現状、ある程度アタリをつける必要があるか。
最優先で欲しいのは正当な遭遇条件。こいつが森を徘徊するのはそのような生態だと設定されているからで、偶然出会うことでクエストが発生するというのは、二度目の今回でも無かったことから蓋然性は低い。確定遭遇そしてクエスト発生が望める特定条件がおそらくあるはず。
数少ない持ち札の中に金狼以外の外的要因を含むものがただ一つだけある。殊更に中身が不明瞭なこのカードをどのように提示すべきか。反応から推察するために解釈し、必要十分量を抽出して、切り札へとすり替える――
「大切なお月様の元へ行かなくてもいいのか? 樹々の守護者さん」
場に出されたジョーカーに対して、金狼は微かな焦りと、多分な苛立ちを顕わにした。今にも眼の前の生ゴミを処分して立ち去ってやろうという気勢が伝わってくる。上々だ。この札で手に入る情報としては完璧と言っていいだろう。
時間があるなら懇々と問い詰めてやりたいところなのだが、生憎そうはいかないらしい。それでも十分な収穫を得られて満足した俺は、金狼に感謝の意を伝えるべくインベントリを開いて一つのアイテムを取り出した。
差し出した俺の右手につままれたそれに怪訝な目を向ける金狼。ちゃんと贈り物だと言ってやらないと分からないか、と俺は爽やかな笑顔を浮かべて金狼に話しかけた。
「これやるよ、「豚っぽい肉」ぅうううおおおお!!??」
――……
言い終えるよりも先に、俺の体はくの字になって宙をぶっ飛んでいた。凄まじい勢いで飛翔した俺は間もなく強かに木にぶつかって死んだ。
『モネーロの街』に帰ってきた。犬畜生め、噛みついてぶん投げるとはやってくれやがる。ちゃっかり肉は持ってってるんだもんな。まあこの死亡は想定内だ。何となく金狼が出てきた時から死ぬような気はしてたんだ。残された連中もまとめてポイ捨てされるかもしれないし、少し待ってみようか。
俺は門を往来するプレイヤーたちをぼんやりと眺めながら、最後の出来事に思考を巡らせた。
――残り滓風情が……
あれは何だったんだろうな。
設定増えども本文増えず。
次回「創吾、メシを施される(仮)」




