セイレーン(後編)
※
この船は帆船ではなくゴーレム船なのだそうだ。
ゴーレム船……正にファンタジーならではの船種であるな。
形状的には外輪船に似ている。
内燃機関の代わりにゴーレムが動力として外輪を回している、という訳だ。
ゴーレム自体は術者の魔力を糧にして動くので、この船にも数人の術者が魔力供給係として乗り込んでいる。
ゴーレム駆動の船はその性質上、遠洋漁業とか長距離の航海には向かないのだが、近距離を航行する船にはよく使われているそうだ。
で、マストやら何やらが無い分、甲板に開放感がある。
その広い甲板の真ん中でハーンさんが自慢の美声を披露していた。
《ああ、麗しきカグラ神。白き聖獣を従えて獰猛なる異界の魔を切り裂いた。やがて地に光満ち、民は希望を取り戻す……》
なんでもこの世界の神話を元にした話の弾き語りらしい。
ありがちと言えばありがちな内容だったが、声は間違いなく美声だった。
先ほどのへらへらした様子はまったく持って窺えない。
周りの聴衆達も頬を紅潮させ聞き入っている。
やがて物語は佳境を過ぎ、カグラ神が天界へと帰ったところでフィニッシュとなった。
と、途端に鳴り響く歓声と拍手。
ハーンさんの前に置かれた料金箱にはおひねりが次々と投げ込まれていく……。
「どうだ、結構なもんだったろ?」
聴衆が散った頃を見計らってハーンさんが少し離れて見ていた私に料金箱を掲げて見せた。
ほとんどが小銅貨と銅貨だったが、それでもこれだけあればかなりの物だろう。
「うん、綺麗な声だった~……ハーンさんはいつもこうやって船客専門の仕事をしているの?」
「あ、いやぁ~……これはついでというか、だな。本職は冒険者協会の方だな」
「……って、冒険者なんだ。ハーンさん。吟遊詩人の冒険者って珍しいんじゃない?」
「ん、そうでもない。元々街から街へと渡り歩く吟遊詩人は各街に支部のある冒険者協会と相性が良い……一人旅にゃそれなりに戦闘能力も要求されるしな」
「なるほどぉ~……と言うことは今回この船に乗ったのって依頼がらみなんだ」
「んくっ……まあ……そういうこったなぁ…………言いふらすなよ? 実はな……」
どうやらハーンさんはあんまり口が硬い方じゃ無いらしい。
冒険者協会に守秘義務とかあるのかは知らないけど。
その口の軽いハーンさんの話によると――最近この海域を通る船に座礁事故が頻発しているそうなのだ。
幸い、人的被害は怪我人くらいだったので、被害状況を聴取したところ……
座礁前に妖しげな歌を聴いた、という証言が多くある事が分かった。
そこから、原因はおそらくメロウかセイレーンなどの歌を操る水妖の類だろう、という事になって、幻惑系の歌を中和できる吟遊詩人のハーンさんに依頼が来たとの事だった。
「それが本当なら航海を中止した方が良いんじゃないの?」
「それは出来ねぇ。シュレン島は蓄魔水晶の一大産地でな。本土との行き来が3日も途絶えると島民の生活にもジザの街にも影響が大きすぎる……」
「じゃあ航路を変えるとか」
「そもそも航路のどの辺りでやられてんのかわからねぇしな。今回の俺の仕事はそれを確認する事も含まれているんだ」
「……なるほど。水妖を倒せって依頼じゃないのね」
「……んなもん俺1人で何とかなる訳ねぇじゃねぇか」
なるほど、道理だ。
「で、そのメロウとかセイレーンってのは……どんな姿の魔物なの?」
「んー……まあ、どっちも言ってしまえば下半身が魚の美女って感じだな。どちらかと言えばメロウは天候を操り船を沈め、セイレーンは歌で乗組員を操って座礁させる……だから今回はセイレーンの可能性が高いだろうな」
むう。下半身が蜘蛛の私としては共感を感じるところでありますね……それはともかく。
「下半身が魚って……例えばあんなの?」
船の右舷50メートルほど先にぽつんと浮いている人の上半身。
全体的に青みがかった肌をしているが、その姿はごく美しい女性のそれだ。
青い髪は長く水面になびき、耳のあるところからは魚のヒレのようなものが覗いている。
そして時折、ぱしゃん、と水面を大きな魚の尾が叩いている。
「そうそう、ちょうどあんな――――って、うぇぇぇぇ!?」
どうやら大当たりだったらしい。
慌ててハープを取り出すハーンさん。
「ええと、ち、中和の楽曲は……」
ぽろん。ぽろろん。
ハーンさんは慌てながらもハープを弾き始めるが、ほぼ同時に水妖も、まるでグラスハープのような声で歌い始めた。
ぴきゅるいきゅるるるるるるるるぃ……きゅきゅきゅ……
水妖の歌が海に響き渡ると、歌の魔力が船の穂先を航路から逸らしていく。
どうやらハーンさんの中和の楽曲よりも効果が上のようだ。
「くっ……やるなセイレーンっ! これでどうだ!」
ぽろろろんぽろん……ぽろろん……
ハーンさんのハープが更に鳴り響く……その額には玉のような汗がびっしりと張り付いている。
その甲斐あって徐々に船の穂先は本来の航路に修正されつつある……。
「ふ、ふは……見ろ、吟遊詩人の呪歌をなめんじゃねえ……」
「おー流石」
「だろ? だろ?」
「あ、でも……」
「あん?」
「……増えたよ?」
「……マジか」
最初から居たセイレーンに加えて、更に5人のセイレーンが水面に上半身を表し戦線に参加。
独唱から合唱に変化する。
ぴきゅるいぴきゅるいきゅるるるきゅるるるるるるるるぃ……きゅきゅきゅきゅきゅきゅ……
「ぐわぁあああ! こんなん中和できるかぁ!!」
「あー……これは流石にねぇ」
セイレーン達の歌がハーモニーになった途端、歌にこもった魔力が10数倍に膨れあがったのを感じた。
どんどん航路を外れていく船。
確かにこれを個人の技能で跳ね返すのは無理がある。
……人間なら。
「おい、一体何の声だ」
「綺麗な音だけど……なんか切なげ」
「……て、おい! あれ!」
「魔物!?」
「セイレーンだ! 船を迷わせる魔物だぞ!」
ありゃ、やばい。
他の乗客も気が付いたみたいだ。
甲板に人が集まってきて騒ぎになってきている。
「おい、このままだと……難破するんじゃ……」
「最近座礁事故が多かったのってセイレーンが!?」
「お、おい船員! なんとかしろぉ!!」
「今の内に小型ボートに乗れば」
「とても全員は無理だ……ていうか、ボートに乗り移ったとしてもあの歌から逃げられるのか!?」
うーん、このままだとパニックになって、最悪海に飛び込んじゃう人とか出るかもだなぁ……
しかたない。
「ハーンさん、ちょっと演奏止めて」
「なっ、何ばか言ってんだ嬢ちゃん……ただでさえぐいぐいと持ってかれてるってのに!」
「試したい事があるの。多分何とかなるから」
「…………ち、どのみちこのままじゃジリ貧だしな……分かった、何やるか知らないが……やってみな」
「ん。じゃあ……」
すちゃ、と、袋の中から取りだしたのは例の三味線。
鼈甲こそ無いものの、他はレア素材を惜しみなく使い、魔力を付与した……言ってみれば「魔法の三味線」だ。
「お、おい……その楽器……なんだそりゃ。形も見た事がねぇが……魔力というか妖力というか、ハンパじゃねえな……一体何でできてんだ?」
「んー……たいした物じゃ無いよ。まだ未完成だし。本体は剣樹や暴走巨獣の牙、火炎狐の皮……弦はアルケニーシルク、かな」
「……十分たいした事あるわい。それだけ稀少素材使ってりゃ妖気の一つも放つわな」
妖気に緊張したのか、ハーンさんの額から汗が流れ落ちた。
「で、それで中和の楽曲を奏でようってのか」
「いやぁ……流石に吟遊詩人のスキルまで習得してないなぁ」
「じゃ、何をしようって……」
「セイレーンて、自ら歌うだけあって、歌とか音楽への感受性って強いと思うんだよね」
「あ? ああ……まあ……話によるとスキルでもねぇ、ただの歌に聴き惚れて演奏者の元に寄って来たって……話もあるにはある、な」
なら、出来るかも。
私には呪歌や呪曲を奏でるスキルは無いけど、『魅了』のスキルなら、ある。
これと演奏と歌を組み合わせて――
べんっ!べべんっ!
ほとんど魔法の呪器と化した三味線が、波間を切り裂いて音をセイレーンへと届ける。
「海の狭間にぃ 椿の花がぁ~……波に負けずに紅く咲く……」べべん
海に死んだ漁師の父親と、後を継いだ息子達の事を歌った曲……
私の十八番の一つ「花船」だ。
思いっきりコブシと魂を込めて歌い上げる。
世界中に良曲数有れど、感情を込める事の出来る歌、という点では演歌がずば抜けていると思うんだ。
特に寂寥とか哀愁とか悲しみとか義理とか人情とか。
「波を切り裂き~ 時化にも負けず……」べべんべん
ふと気付くと、セイレーンの声が消えている。
彼女ら自体はさっきよりも船の近くまで来ているが、幻惑の歌を再び歌うようなそぶりは見えない。
「今日も漕ぎ出す~魂の花船さぁ~……」
コブシ回しも最高潮、乗りに乗って最後まで歌い上げる……と、一拍おいて万雷の拍手が。
先ほどまでパニック状態だった乗員達が涙を流して拍手をくれているのだ。
それだけじゃなく、セイレーンの彼女達も涙を流して感激しているようだ。
ぴーきゅーるりーぃぃぃ……
何々。こんな悲しげでいて胸を締め付けられる歌は初めてだって?
ぴきゅるり。きゅるきゅるきゅる……きゅるり。
「いやっはっは、それほどでも。そっかー貴女たちも大変だったんだねぇ……それで船を呼んでたんだ」
きゅるりー……
「そうだねぇ、結果的に船を難破させる事になったし。それは反省して貰わないと」
「ちょ……ちょっと?」
「ん、なに? ハーンさん」
「……さっきからセイレーンと会話してないか?」
あ。やば。
何となく普通に会話してたけど、これは同じ魔物であるアルケニーだからなのであって……普通の人間には分からないのが当たり前ですね。
「あ、ああ、魔法! 魔物の会話が理解できる魔法の指輪を持ってて!」
中指の銀の指輪を掲げてみせる。
実際は付与されているのは『光よ我が身を清めよ』の魔法だけれども。
「あ、あー……なるほどな。で、彼女らはなんて言ってんだ?」
「うん。彼女達には船を難破させる意志は無かったみたい」
「あ゛? そんな訳……」
「むしろ助けて欲しかったんだって。以前住んでいた死海域の巣を皇王亀に襲われて追い出されちゃったって。それで強そうな人が乗っている船を見つける度に歌で誘導して巣に導いていたんだけど、どうやらそこに行くまでに岩礁が多くある海域を通らなきゃいけないみたいで……」
「それで結果的に、座礁、か」
「そゆこと」
「あー……しかしなぁ……それが本当なら……多分Sランク冒険者にだって解決できねぇぞ? 皇王亀ていやあ、全長が20メートル以上になろうってな化けもんだ。陸上ならともかく、海上だとなぁ」
「うん、だからね、私が上手く話してセイレーン達に別の海域に行ってもらうよ」
「あー……それしかねぇか……悪いが頼めるか?」
「任せてー……その代わり、この船に積んである小型ボート一台、船長さんに話して譲って貰ってくれる?」
「ああ、セイレーンを誘導するにしても足が必要か……分かった、話してくらぁ」
それからしばらくして。
船長さん達は少女1人だけをボートに乗せて送り出すのにだいぶ抵抗があったみたいだけれど、セイレーン達が私の指示を良く聞くと言う事を納得させ(具体的にはセイレーン達にイルカショーのような事をやって貰った)なんとかボートを出して貰う事が出来た。
「いいか、絶対に無理はするなよ? セイレーン達を誘導したら、すぐ船まで戻って来るんだぞ」
「うん、大丈夫。無理はしない」
「よしっ……頼むぜシオリ」
「うん、行ってくる~」
私は船員や乗客達の悲壮な表情の見送りを受け、小舟でセイレーン達と共に船から離れていった。
彼らには、私はその身を犠牲にして乗客らを助けた自己犠牲溢れる少女、という風に映っているのだろう。
だがそれは全くの的外れである。
ハーンにも約束した通り、私はまったく無理するつもりは無かったのだから。
たまたまセイレーン達を誘導中に皇王亀と遭遇して、運良く討伐する事が出来て、その素材――皇王鼈甲を入手し、1時間ほどで船に無事戻って来ただけなのだ。
うん、嘘はついてない。
……帰ってきた私を泣きながら抱きしめてくる船員さん達にちょっと罪悪感が沸いたけども。
あ、ちなみに後日、皇王亀の肉をコラーゲン鍋にして食べたら「水中行動Ⅰ」「水鉄砲」「無呼吸行動Ⅱ」「海生生物威圧」「物理防御大強化」等のスキルも入手したですよ。
実にお得な亀さんでした。まる。
流石にカイザーアーケロンの甲羅全部は魔法の袋にも入らないので、必要な分を採取した後、セイレーン達に預かって貰ってます。
あと、文中の、セイレーン相手に歌った曲は実在しません。モデル……というかイメージした曲はありますけども。
以下恒例の制作物ステータス
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
三味線「音舞・改」
形状:三味線(中棹)
攻撃力0
基本知力+1
基本魅力+1
精神異常耐性+30%
音波攻撃のダメージ50%カット
楽器演奏に補助+50%
歌唱に補助+30%
詠唱に補助(詠唱失敗の確率-50%)
演奏時、半径1キロの任意の範囲に演奏者の歌と曲を届ける事が出来る。
皇王亀の撥
攻撃力69
会心率+30
弦楽器演奏に補助+30%