エピローグ
エピローグ
「いま帰った」
入り口の織物を除けて顔を見せたのは、鍛え抜かれ、生活に磨かれた精悍な体躯の男だ。
「おとうさん!」
その顔を見た途端、幼子──小さな女の子は、跳ねるように立ち上がって、に駆け寄った。
「おかえりなさい!」
「ただいま」
男は愛情たっぷりの笑顔を満面に浮かべてしゃがみ込み、女の子を受け止めた。
「遅かったのね」
その様子を暖かな眼差しで眺めながら、小柄な女が男に歩み寄る。敷物の隙間から差し込んだ月光が、女の髪を同じ色に輝かせた。
「心配したのよ?」
「すまん、ちょっと事後処理に手間取ってな。帰り際までドタバタしてたんだよ。土産を調達する暇もなかったし、悪かった」
「いいえ。あなたが無事なら、それ以上必要ないよ」
するり、と男と女は、優しく繊細にその身体を擦り合わせる。まるで、鹿のつがいがそうするように、愛情溢れる仕草だった。
今この時間が、どれだけ貴重で幸せなことであるのか、知っているのだろう。
言葉など無くても、そこにはいくつもの時間と経験を経、何度も繋ぎ直してきたのであろう、強固な絆が目に見えるようだった。
「なにか、あるのか?」
「わかる?」
「まあ、それくらいはな。なにかは知らんが……」
男は苦笑いして顎を掻く。
「今日、婆様のところに行って、確認してきたんだけど……」
女は、自らの下腹部に手を当て、恥ずかしげに微笑んだ。
「多分、間違いないって」
「なに?!」
すぐにその意味を察した男の顔が、みるみるうちに喜色に染まる。
「そうか……! オレが土産貰ってるんじゃ、ますます申し訳ないなぁ」
男は嬉しそうに女を抱きしめると、恥じらいに少し俯く女の額にそっと自分の額を当てて、そっと顔を上げさせると、そのまま優しく唇を重ねる。
「おとうさん、あたしも!」
足にしがみついて、ぴょんぴょんと飛び跳ねつつ、女の子が催促する。
笑いながら頷いて女の子を抱き上げ、顔を寄せる。
ところが、女の子はそれをするりと避けて、男の顎に口づけた。
「あたし、これすき!」
男の顎にある傷に指先で触れながら笑顔を浮かべる女の子に、唇を避けられたことで微妙な顔になっていた男の顔も笑み崩れる。
そして、女の子を下ろすと、しゃがみ込んだまま、すぐ側の女の下腹部に頬を押し当てる。
「次は、男の子がいいかな?」
「どっちでもいいさ、元気で生まれてくるなら」
女の問いに答えながら、男は目を閉じた。
「早く生まれてこい。辛いこともいっぱいあるかもしれんが、きっとそれ以上に幸せなことが、きっとある。待ってるぞ」
まだ見ぬ我が子に語りかける男の顔を眺める女の顔には、幸せが溢れていた。
「お腹はすいてない? なにか食べてきた?」
「いや、さっきも言ったが、バタバタしてたんでな。腹ぺこだ」
「じゃあ、残り物で悪いけど、少し暖めるね」
微笑んで、炉の方を向いた女の瞳が、炎を照り返して紅く輝いた。
「ほら、ここは外の風が当たる。火の側へいけ」
「はーい」
火の側で作業を始めた女のもとへいく姿を眺め、男は入り口の敷物を整え、腰の長剣を螺鈿の鞘ごと抜き、自分も火の側へ寄った。
夜の空には月が掛かり。
散りばめられた星々の囁きのように、潮騒が遠く聞こえている。
了