何をいまさら。私を馬鹿にする夫にすがるつもりはありません
書籍化作業で忙しく、約一年ぶりの投稿になります。
そんな中、作った短編です!
お付き合いいただけると嬉しいです。
「明日の夜会ですが、何時ごろに邸を出ますか?」
私の問いに答えず、夫であるカスター様はブロンドの髪をなびかせ、青い瞳を正面にだけ向けて廊下を進む。
そうして、偶然通りかかった侍女を呼び止めた。
「ラスティ、今夜着る夜会の服を用意してくれ。帰宅したらすぐに出る」
「は、はい。旦那様!」
私のことを二日も無視して、これみよがしに夜会に関する用を侍女に言いつける。
またか。
二日前、友人宅で開かれたお茶会から帰る時間が遅くなったのがいけなかったのだろうか。
それとも、夕食のときに彼の話に望む返答ができなかったのが癇に障ったのだろうか。
もしかすると、友人の旦那様が帰りに持たせてくれたワインが気に入らなかったのかもしれない。――他の男からもらった品に喜ぶな、というくだらない理由で。
とにかく、カスター様は二日前から不機嫌だ。
私をいないものとして扱う。そして普段は声をかけない侍女や使用人を呼び止め、楽しそうに雑談に興じてみせるのだ。
なんて、みみっちい男なんだろう。
どうしてこんな男と結婚したのかと、数年前の自分を呪ってしまう。
私、マリアリーナ・スタンレー伯爵令嬢と、カスター・シデナル侯爵令息とは、貴族にしては珍しく恋愛結婚だ。学生時代、彼から猛烈なアピールを受け、ほだされうっかり心を許したのが運のつき。
とにかく、些細なことで不機嫌になるのだ。そうして私を無視する。
初めはなぜか分からなくて、心当たりを探して謝ると許してくれた。そのあとは、まるでご褒美だとばかりに優しくなるのだが、私が再び彼の意に反する発言や行動をすると、口を利かなくなる。
では何に対して怒っているのかといえば、些細なことで。
たとえば友人と一緒にいるとき。
その友人の婚約者が騎士トーナメントで三位になったと聞き、「すごいですね」と褒めれば、カスター様とふたりきりになった瞬間「俺が武芸に不慣れなのを馬鹿にしているんだろう」と怒りだす。
あの会話、何をどうしたらそう感じるのだろう。
私からしたら、褒めないほうが常識のない人間で、彼の顔に泥を塗ると思うのだけれど。
揚げ足を取るかのように私を非難し、察しろと無言になって、自分の機嫌を取らせようとする。
そんな彼の本性に気づいたときには婚約式は終わっていて、後戻りができなかった。そして、十七歳で婚約し、十八で卒業すると同時に結婚した。
「離婚したい」
夫を見送った部屋で、ひとり愚痴る。鏡を見ると、亜麻色の髪を結い上げ、うつろな赤い目をした自分と視線があった。
この結婚に家同士の利益は関係ない。ただ、この国で離婚をする貴族は少なく、醜聞は避けられない。再婚は望めないだろうし、実家の両親も肩身を狭くするだろう。
私がこの国、カルトアに来たのは、十五歳のとき。留学生として貴族学園に入学した私は、自国・バードリナ国では学べない魔法学を専攻した。そこで一緒のクラスになったのが、カスター様だ。
知らない人ばかりなうえに、慣れない土地。右も左も分からない私に親切にしてくれた彼に惹かれたのも、仕方ないのかもしれない。だって、あのときはとても優しかったんだから。
でも、婚約が決まると、彼のメッキはボロボロと剥がれ、結婚をしたあとはカスター様の傲慢さはさらに増した。
あれほど人当たりがよく、にこやかだったのは、彼の外の顔だった。
家の中で笑うことはなく、むっとしたまま私を威圧する。何かしてしまったのかと不安になって聞いても、答えてくれない。
彼は、ものすごくプライドが高く、不機嫌を垂れ流すことで他人を威圧し、自分の思いのままにコントロールしようとする男だった。
そんな生活も、今年で四年目となった。
最近では、彼に触れられるのが辛い。だけれど夫婦の寝室を別にしてほしい、なんて言ったらどんな悪態をつかれるか目に見えていて、とてもではないが言えない。
夕暮れ、テラスで本を読んでいると、カスター様が帰宅された。
出迎え、一緒に執務室へと行く。そうして彼が机に座ったところで、侍女を呼んで紅茶を持って来させた。ここまでがいつものルーティンで、うっかり出迎えるのが遅れたときには不機嫌全開になってしまう。
「疲れた。お前はいつも家でのんびりできていいな。そんな生活ができるのも、俺が働いているからだ」
「はい、ありがとうございます」
「新しく部下になったヤツが使えなくてさんざんだ。でも、やっと交渉が終わって、明日から少しは落ち着くだろう」
カスター様は行政管理部で働いている。国王陛下が決めた国の政策を実行すべく、各部署と調整や交渉をするのが仕事らしい。
今日は機嫌がよさそうだ。このタイミングを逃してなるものかと、私は切り出す。
「実は、母国にいる友人から手紙がきまして、少し仕事を手伝ってほしいと言うのです」
「仕事? お前に仕事ができるわけがないだろう?」
鼻からフンと、カスター様は息を出す。そう言うと思った。
「それほど難しい仕事ではありません」
「お前に頼むのだからそうだろうな。で、どんな仕事なんだ」
「使用済みの魔石を使ったアクセサリーが、平民の間で流通しているのをご存じですか?」
魔石は、特定の山から採れる。その名の通り魔力を宿していて、これを使って武器や生活道具などが作られている。見た目はルビーやエメラルドといった鮮やかな色の宝石と変わらない。
魔石はその魔力をすべて使ってしまうと、捨てられる。だけれど魔力を失っても見た目は変わらないことから、使用済みの魔石を使ってアクセサリーを作る者が現れた。
貴族の間でそれが身に着けられることはなかったが、綺麗な石は平民の興味を引き、価格も手ごろなことから市井で流通しはじめた。それが三十年ほど前の話だ。
「もちろん。偽物の宝石を身に着けているようで、恥ずかしくないのだろうか」
馬鹿にしたように、カスター様は笑う。でもこれは彼に限ったことではない。貴族は皆、そう思っているだろう。
「仕事というのは、ネックレスや指輪の台座から魔石をはずすことです」
「なぜ、そんなことをするんだ」
「新たに魔石を使用するためです。幼馴染のコーディアがそのような事業を始めたそうで、人手が足りないので手伝ってほしいと手紙に書いてありました」
「貴族の服や靴を買い取り、仕立て直して売る店があると聞く。魔石も新しく作りかえてまた売るというわけか。古いデザインから流行りのデザインに変えれば、商品価値は上がる」
普段から自分は頭の回転が速いと自負しているカスター様が、話を進める。
おおむね合っているので頷くと、推測が当たったことに気をよくしたようだ。
「暇つぶしに刺繍をする夫人は珍しくない。数少ないお前の友人の頼みだ、好きにしたらいい」
「ありがとうございます!」
「しかし、家政をおろそかにするのは許さない」
「はい。もちろんです」
すんなり了承を得られたことにほっとした。早くコーディアに返事を書かなくては。
じつはこの依頼は一ヶ月前にされたものだ。カスター様の機嫌を毎日窺い、許可を得る最適の日を待っていた。
そうして翌月、私のもとに大量の使い古した魔石のアクセサリーが届いた。
カスター様はそれを見て、教会の慈善事業にでも参加するのかと、嘲笑った。
教会に譲るものもあると答えると、「所詮、女が暇つぶしですることだな」と言い捨て、出ていった。その後ろ姿を見送る私の心に、もはや彼に対する愛情はない。ただ失望と諦めがあるだけだ。
*
半年後、故郷・バートリア国王の要人を招いてパーティが開かれることになった。
ここ数年、後継者を誰にするかで揉めていたが、やっと決まったらしい。とは言っても、揉めていたなんて内情は公になっておらず、その経緯を私に教えてくれたのは友人のコーディアだった。
バードリア国王には、子供がひとりしかいない。コーディアはそのひとり息子の婚約者だった。しかし、王子は真実の愛に目覚めたとかでコーディアとの婚約を破棄し、さらにはコーディアが自分の恋人を虐め、命の危機にさらしたと言い出した。
すぐにそんな事実はないと判明すると、身勝手な王子は次期国王に相応しくないと言い出す派閥が現れた。王族、準王族がゴタゴタし始め、いろいろあったらしい。
カスター様と一緒に登城し、パーティ会場に入るとすでに多くの人がいた。パーティは三夜連続で開かれる。後継者に決まった方は、今宵は船旅の疲れを取るため出席されず、二日目から来られるそうだ。
カスター様の機嫌を損なわないように振る舞い、会話を選ぶ。そうしながらダンスをして、久々に再会した学友と話に花を咲かせていると、カスター様も自分の友人を見つけたのか、そこへ向かわれる。
その後ろ姿に、友人のひとりがうっとりと目を細めた。
「いつ見ても、あなたの夫は素敵ね。夜会でもあなたにピッタリとくっついて、それでいて私達と話す時間も作ってくれる」
「そう、ね」
曖昧な笑みで答えると、私は近くを通った給仕係を呼び止め、ワインを手にする。
友人は知らない。彼が私の側から離れないのは、私が他の男性と話さないようにするためだ。それでいて、常に自分を立てるよう圧をかけてくる。
カスター様自ら、己の優秀さを語るのは印象が悪い。そこで横にいる私に、彼がどれだけ優れた人間かを語らせるのだ。
彼の意に沿わない発言をすると、帰宅後、明け方まで説教をされ、さらに無視される日々が続く。だから夜会は嫌いだ。
鬱々とした日々は相変わらずだけれど、仕事を始めたことで少し気が楽になった。
こんな私を認めてくれる人がいるのが嬉しい。
今まではカスター様が私の生活の中心にいたけれど、彼とは関係のない私だけの世界やつながりを持ったことで、カスター様から鬱憤をぶつけられても流すことができるようになった。
彼に関与されない、私だけの世界がある。
嫌なことがあっても、その世界に没頭すれば忘れられた。
結婚して以来、カスター様中心の生活をおくっていたけれど、私には私の生活があると思うだけで、心が軽くなった。
彼に言わせれば、私のしていることなんて仕事ではないのだろう。でも、私はやりがいを持てる仕事ができて、救われた。
カスター様と離れ、ほっとしながら友人との会話を楽しんでいると、カスター様が会いたいと言っていた貴族を見つけた。なんでも彼とのつながりが欲しいらしく、見かけたら教えるようにと言われている。
友人に断りをいれ、カスター様を探しにいくと、テラスで同僚と雑談をしているところだった。
あの雰囲気なら声をかけても怒られないだろう。そう思いながらも、声をかけるタイミングを間違えると「同僚との会話を邪魔すんな」と叱責される可能性もあるので、ひとまずそっと近づき、会話に耳をすます。
「ははは、そんなことだから、妻が思い上がるんだ」
大声で笑うカスター様の話が、耳に飛び込む。どうやら話題は同僚の奥様らしいが。
「お前は妻のしつけがなっていないんだ。夫を立てて当たり前。常に夫の機嫌を取って正しい行動をするように教えこまないと」
「いや、それはちょっと違うんじゃないか。そもそも機嫌を取ってもらうという発想が好きでは……」
「だから甘いと言っているんだ。女は馬鹿だからすぐ図に乗る。ひとりでは生きていけないんだから、夫に従うのは当然だろう」
ひやり、体温が下がる。日頃の彼の言動から、私は下に見られている、馬鹿にされていると思うところはあったが、こうしてはっきり口にされるとそれが心に突き刺さった。
「気に入らないことがあれば無視をすればいいんだ。そうすれば、何が悪かったか考え、自分の行いを正す。犬だって何度も同じことを繰り返させてやっと、命令を聞くようになるだろう。あれと一緒だ」
いかにも自分は正しいことを言っているかのように高笑いするカスター様に周りの人がドン引きする。
それに気づかず、彼はさらに声を大きくした。
「その点では、俺もまだまだ甘いかもしれない。最近、あいつがアクセサリー販売の慈善活動を手伝うようになったんだが、どうも俺をおろそかにしているように思えてならない」
「慈善活動なんてすばらしいじゃないか。応援してやれよ」
「はっ? 俺より優先するものなんてこの世にないだろう。あいつは俺が心地よく生活するために存在しているんだから」
「いや、その考えは改めたほうがいいぞ」
「お前はそんなこと言っているから、ダメなんだ」
そろそろと足を引き、数歩離れたところで踵を返した。これ以上、ここにいられない。
そう思って立ち去ろうとした瞬間、人にぶつかってしまった。
「申し訳ありません」
「いや、こちらこそ。ドレスは大丈夫だろうか」
私にぶつかられた男性の手には、ワイングラスがあった。そのワインがこぼれたようで、ドレスの裾が少しだけ汚れている。
「いえ、これぐらいは平気です。あなた様は大丈夫ですか?」
「俺は……えっ、もしかしてマリアリーナか?」
「えっ、……レオリック? どうしてここに?」
青銀色の髪に紫色の瞳の紳士は、私の幼馴染のレオリックだった。
彼は私の存在に気づくと、背後に目をやる。そこではまだ、カスター様が同僚と談笑していた。
「あれは、マリアリーナの夫か?」
「ええ。あっ、私、いかなきゃ」
ここでレオリックと会話をしているのを、カスター様に見られるのはまずい。
彼は、私が他の男性と話すのをことさら嫌うのだ。
自分は他の女性ともダンスをするし、彼が不機嫌なときなんて見せつけるように相手の女性と身体を密着させることもある。だけれど、私が学友と親しくするだけで、色目を使ったとか、浮気をしているんだろうと言ってくるのだ。
しかも、いくら否定しても耳を傾けてくれず、彼の中で私の浮気が決定していることもあった。
誤解を解くのに一ヶ月かかったし、その間、同じ言語を話すのに言葉が通じない人間を目の前にしているようで、気持ち悪かった。
だから急いでその場を離れようとしたのだけれど、「ちょっとだけ、時間がほしい」と頼まれてしまう。
今、ここで別れたら、他国で暮らす彼と話す機会は一生ないかもしれない。
少しだけなら、という気持ちが心の隅で湧き、私は廊下に出た。
「偶然だけれど、君の夫の会話を耳にした。マリアリーナ、大丈夫か?」
「平気。いつものことだもの。もう慣れたわ」
「うそだ。そうやって笑うときはいつも無理をしている」
相変わらず鋭い。痛いところを突かれた私は、笑うしかない。
「でも、結婚したら、大なり小なり我慢をしなきゃいけないわ。彼はまじめに働いているし、私の知る限り浮気もしていない。だから、大丈夫だよ」
「今言った二つのことは、当たり前のことだ。それをしているからと言って、妻の人格を否定するような言動が許されるわけではない」
珍しく声を荒立てたレオリックに驚いていると、彼は言い過ぎたと思ったのか、視線を逸らした。
「久しぶりの再会なのに、すまない。だけれどコーディアからマリアリーナの話を聞いていたから、ちょっと心配していたんだ。そこへきて、マリアリーナの夫のあの発言を耳にしてしまって、つい言い過ぎた」
「謝らないで。心配してくれてありがとう」
「マリアリーナのことだから、ずっと我慢して耐えているんだろう?」
コーディアの手紙には、カスター様についての不満を正直に書いている。彼女もまた、婚約破棄されたときの辛さを手紙にしたためてきたので、お互い近況を伝え合い、励まし合ってきた。
どうやらコーディアは、私の置かれている状況をレオリックに話したようだ。
心配してくれてのことだから、それはいい。だけれど、どれだけ心配してもらっても、私は今の状況を変えることはできないのだ。
「俺もそこまで詳しくは知らないが、さっきの発言だけでもありえない。マリアリーナ、離婚は考えないのか?」
「離婚? 無理よ。貴族の間で離婚がご法度なのはレオリックも承知しているでしょう?」
私の問いに、レオリックは驚いたように眉を上げた。そうして口元に手を当て思案する。どうしたのだろうとその様子を見ていると、彼はおずおずと聞いてきた。
「もしかして、世事に疎くなっていないか?」
「それはあるかも。ずっと家にいて、カスター様中心の生活をしているから。この国の内情は知るように心がけているけれど、他国については結婚前の知識で止まっている部分もあると思う」
夜会で他の貴族と話すとき、あまりにも世間知らずだとカスター様が恥をかく。
そんな理由から、政治や派閥など必要なことはカスター様から教わっている、というか教え込まれている。
だけど、カスター様が私に教える内容に、偏りがあるのは気づいていた。故意なのか、彼が無知なのかは分からないけれど。
カスター様が知らない話題について私がたまたま詳しいだけで、ありえないぐらい不機嫌になるので、世間への興味を持たないようにしていた節もある。
だからレオリックの問いに首肯すると、レオリックは眉間を揉んで「優秀なマリアリーナの才能をつぶすなんて許せない」とぼやいた。
「そんな。私、優秀じゃないよ」
「それ、本気で言っているのか? コーディアがマリアリーナの発想にはいつも助けられていると話していたぞ」
たしかに、昔から、突拍子もないことを思いつく瞬間がある。
それを手紙にしたためコーディアに送ると、コーディアが私の発想をもとにさらに試行錯誤を加えて実行する、なんてこともあった。そのひとつが、魔石の再利用だ。
「コーディアが始めた魔石の再利用事業だが、共同経営者としてマリアリーナの名前もある。その自覚はあるか?」
「あるけれど、私が事業に貢献していることなんて、それほど多くないわ。この国にずっといるから、できることは限られているし」
魔石の再利用が好調なのは知っている。でもどうやらそれは、私の想像をはるかに超える事業となっていたらしく、レオリックがコンコンと説明をしてくれた。
もちろんコーディアから売り上げや収支報告書と一緒に、事業の評判について聞いていた。だけれど、文字で読むのと聞くのとでは、違う。特にバードリナ国内の評判については、レオリックの熱い口調で説明してもらって、やっと気づいた。
「そんなことになっていたんだ。母国のことなのに、すっかり疎くなってしまって、恥ずかしいわ」
「それから、さっき離婚はご法度って言っていたけれど、いつの話だ? バードリナ国では最近、離婚が増えている。誇れることでも喜ばしいことでもないけれど、世論は変わってきているんだ」
レオリックの話によると、きっかけは四年前に起きた王子の婚約破棄騒動らしい。
当時、バードリナ国では真実の愛がもてはやされていた。
政略による結婚ではなく、恋愛結婚こそが幸せなのだという世論が溢れていたらしい。
そのため、いたるところで婚約破棄が起きた。
王子もその流行りに乗ったのだろう。だけれど、相手が悪かった。
相手の男爵令嬢は婚約破棄を利用して、コーディアを貶めにかかった。
嘘偽りだらけの証言は、コーディアの実家の力によってすぐに明らかになる。それもそのはず、コーディアのお父様は王弟なのだ。
王子の従妹であり、準王族でもあるコーディアに対する侮辱は、大きな問題となり、とある議題が、何度も議会で話し合われたそうだ。
そして王子の婚約破棄騒動から一年後、離婚をする貴族が増えた。
主に、恋愛結婚をした夫婦だ。
熱く燃え上がった恋の炎は、日常と言う名のもと鎮火され、価値観の違いを露呈させた。
「真実の愛」を口にしたのが、身分差のある恋人が多かったからだろう。家同士の利益が絡まない結婚は、離婚もたやすい。
そんなバードリナ国の内情を、レオリックは詳細に語ってくれた。
あまりの変化に驚いていると、ふいに名前を呼ばれ、肩を跳ねあがらせる。
「マリアリーナ、こんなところにいたのか。その男は?」
カスター様は他人がいるところで不機嫌な顔を見せない。穏やかな笑みで問いかけてくる姿に、背筋が凍る。
「か、彼は、私の幼馴染です。久々に再会して、故郷の近況を聞いていました」
「レオリック・バーナーと申します。懐かしさのあまり、つい、話しすぎてしまいました。ではこれで失礼します」
そういうと、レオリックは去っていった。気まずく残された私が立ち尽くしていると、カスター様に腕を引っ張られる。
「お前がここまで破廉恥な女だと知らなかった。こんなところで男と密会するとはな。昔の恋人だろう」
「違います。偶然再会して。それに密会だなんて、ここは人が多く通る廊下ですよ」
廊下の隅で話している私たちの前を、ひっきりなしに貴族や給仕係が通っている。密室でもなければ、人目の少ない場所でもないのだ。
それなのに、カスター様は舌打ちをすると、無理やり私を馬車に押し込め、帰宅してしまった。
次の日、私は自室にこもって考えていた。
目の前にあるのは、カスター様から渡された離縁状だ。彼の名前が書かれている。
あれから邸に帰るなり、彼は私を突き飛ばし、胸ぐらをつかんで怒鳴りつけてきた。
「あいつとはどんな関係だ」「ずっと連絡をとってきたのか」「俺に恥をかかせるつもりで、あんな人の多いところで密会していたのだろう」
――人が多いところで会うのは、密会ではないと思うのだけれど。
そう考えられるのは、少し時間が経って冷静になったからだ。
怒鳴られている最中は怖かったし、いくら違うと話しても「俺が間違っていると言うのか」と堂々巡りになってしまう。
浮気なんてしていない。
そういうと、今度は証拠を出せと言ってきた。
していないことを証明する――俗にいう、『悪魔の証明』だ。
結婚して以降、レオリックに手紙を出したことはないから、侍女や執事に聞いてと言っても、使用人を使わずに手紙を出すのは可能だと言われ。
一度も帰国していないという反論はさすがに否定しなかったけれど、国内で密会できると言われてしまった。
こうなると、もう何も言えない。
離婚届を渡されたのは、これが初めてではない。
彼は私を屈服させるために、何度も私に離婚届を渡してきた。私がそれを受け入れないと知っているからだ。
別れて惨めな人生を送るのはお前だというけれど、彼は気づいているのだろうか。それは彼自身にも言えることで、離婚届はいわば諸刃の剣なのだ。
「マリアリーナ様、コーディア様から手紙が届いています」
侍女のラスティが、手紙と紅茶を持ってきてくれた。
「ありがとう」
「マリアリーナ様、私にできることはありますか? 実は私の元婚約者は、カスター様によく似ていました」
「そう、だったの」
「はい。ですからマリアリーナ様の置かれている立場が他人事とは思えず。でも、私はカスター様に雇われている身ですから、何も言えずに申し訳ありません」
項垂れる彼女から聞いた身の上話は、今の私の状況ととてもよく似ていた。
男爵令嬢だった彼女は、そんな最低な男と結婚するよりは平民になったほうがいいと、家を出たらしい。勘当されたようなものです、と笑う彼女の顔は、とても逞しかった。
私は届けられた手紙を、何度も読んだ。
コーディアはレオリックから私の結婚生活について聞いたようで、今まで以上に詳細に、私たちの起こした事業について書かれていた。
昨日レオリックから聞いた話と、コーディアからの手紙が私の背中を押す。
「ラスティ、お願いがあるの」
そう言われ頷くラスティに、私は一通の封筒を渡したのだった。
夜会、最終日。
二日目の夜会は、私の体調不良によって欠席したということになっていた。
今夜も行かないつもりかと思っていたが、カスター様は私にドレスを投げてよこしてきた。彼の青い瞳と同じドレスだ。
パーティが始まるとすぐに、カスター様は私を彼の友人たちのもとへと連れていった。
そしておもむろに、友人たちに目を配る。
「皆、意見が欲しいのだが。妻が魔石の再利用の事業にのめりこみ、家政を疎かにするんだ。俺が注意しても聞かなくて、困っている」
「そんな! 私は家政を疎かになんて」
「ほら、こうやってすぐに反論する。最近では手に負えなくてな。皆の夫人は貞淑で素晴らしいだろう。それを教えてやって欲しいんだ」
私は、ぐっと唇を噛む。どうやら、レオリックと話していた罰として、私から魔石の再利用の仕事を奪うつもりのようだ。
あの仕事を、私が大事にしているのを知っているからこそだろう。
彼を囲む友人のほとんどは、躊躇うように視線を合わせていた。
そんな中、ひとりの男性が口を開く。
「夫人、カスターが言うように、何においても一番に夫のことを考え、尽くし、従うのが正しい淑女の在り方というものだ」
「あなたの奥様はそのような方ですの?」
「ええ。でも、当初は違った。何度も意見の相違があり、そのたびに朝まで話し合いを続け、やっと私の言うことを理解した。カスターにもこの話はしたのだが」
なるほど、カスター様が明け方まで私を罵倒していたのは、この友人の影響だったらしい。彼の望む意味とは違う理由で納得していると、さらに饒舌になる。
「実は、妻の前に婚約をしていた女性がいたが、男爵令嬢のくせに俺の言うことにいちいち反論し、俺の思うように動かないから、婚約破棄したんだ。ラスティというんだが、今はどこかの貴族の家で侍女をしていると聞いた。ほんと、馬鹿な女だ」
その名前に、かぁと頭に血が昇った。
言い返そうと口を開けたところで、カスター様が言葉を重ねてくる。
内容は、私が我がままで、自我が強く、夫を立てることができない不出来な妻というもので、事実を歪め、誇張し、自分の都合のいいように語っていく。
その話を聞いて、どんどん私の心が冷めていった。
と、背後から声がした。振り返ると、そこにいたのは。
「コーディア!」
「マリアリーナ、やっと会えたわ。レオリックから夜会に来ていると聞いて、昨日会えるのを楽しみにしていたのに、あなた来ないのだもの。どうしたの」
「ごめんなさい。ちょっと体調がすぐれなくて」
昨晩、欠席した理由を聞かれたら、そう答えるようにカスター様に言われていた。
その通りの言葉を伝えると、コーディアは私の周りにいる男性を見渡した。誰が夫か知りたいのだろう。
「紹介するわ。夫のカスター・シデナルよ。カスター様、私が手紙のやりとりをしているコーディアです」
「初めまして、カスター様。マリアリーナとはバードリナ国にいたときから親しくしていたの」
「妻が世話になっている。魔石の再利用の仕事をしていると聞いた。バードリナ国では女性が働くんだな」
「ええ、忙しくしています」
コーディアは笑っているが、目は鋭いままだ。それに、全身から殺気のようなものを感じる。
カスター様以外の男性は、コーディアの登場に驚いたのか、黙ってしまった。
だけれど、カスター様はそんなことに気づかず、ここぞとばかりに饒舌になる。
「女性に働かせるなんて、バードリナ国の紳士はどうなっているのだろう。あなたも大変だね」
「あら、私は自ら望んでしているの。決して大変なんかじゃないわ」
「望んで! それはまた、奇特な女性だ。ご主人は何も言わないのか?」
「私は独身です。婚約はしていたけれど、破棄となりましたから」
コーディアの発言に、カスター様は失笑をする。
「ははは、それはそうだろう。実は僕の友人にも婚約破棄をした者がいる。男を立てることができず、仕事ばかりしていたら婚約を破棄されて当然だ。なるほど、最近マリアリーナの様子がおかしかったのは、あなたの影響だったんだな。マリアリーナ、普段から言っているだろう、友達は選ばなくてはいけないと」
初めて会った人に対する発言とは思えない態度で、カスター様は言葉を続ける。
青ざめた友人が「おい、その人は」と肩を叩くが、カスター様はその手を撥ねのけた。そうして私に向き直る。
「マリアリーナ、今すぐ仕事を辞めるんだ。そして、もっと貞淑な友人を持て。お前は人を見る目がないから、俺が選んでやろう」
――もう、どうでもいいかな。
ここまで黙って聞いていたのは、夜会で騒動を起こしたくないからだ。
だけれど、カスター様は私だけでなく、コーディアも侮辱した。
「人を見る目がないと言う部分だけ、合っています。あなたを夫に選んだのは、私の人生最大の過ちですから」
「なっ! お前! 夫に向かってその口の利き方はなんだ!」
カスター様の声が、ひと際大きくなる。
だけれどそれに被さるように、背後から現れたレオリックがコーディアの名を呼んだ。
「コーディア王太女殿下、もう会場に来られていたのですか」
王太女、という言葉はこの国では聞きなれないが、次期王となるのが男子の場合王太子、女性の場合を王太女と呼ぶ――ようにバードリナ国ではなった。
「王太女?」
カスター様は怪訝な顔をしたあと、私を見ると「ははは」と笑った。
「お前の幼馴染の男は何を言っているんだ? バードリナ国王の実子は王子ひとり。それなのに、どうしてこの女が王太女となるんだ。男に捨てられるような女だぞ」
嘲笑うカスター様から、友人たちが青い顔をして離れていく。
それもそうだろう。彼らは昨晩の夜会に出席している。そのとき、カルトア国王は、コーディアが王太女となったことを、伝えたはずだ。
「おい。お前たちも何か言ったらどうだ」
すすすっと離れていった友人にカスター様が話しかけるけれど、皆、一様に顔を逸らした。さすがにおかしいと気づいたのだろう、カスター様は戸惑うように目線を彷徨わせる。
コーディアは、カスター様を無視して私に話を振った。
「それで、マリアリーナ、どうするか決めてくれたの?」
「ええ。私、あなたと一緒にバードリナ国へ帰ろうと思う」
「本当に! よかった。私はこのたび正式に王太女となったから、魔石の事業をあなたに任せたいと思っていたのよ。だってあれは、マリアリーナが考えた画期的な発明なのだから」
コーディアが私の手を取って喜ぶ。それに答えようとしたのに、カスター様が私の腕を掴んで、自分へと向き直させた。
「何を言っているんだ! お前は俺の妻だ。妻のくせに夫を置いて帰省しようなんて絶対に許さない。その間、家政は誰が取り仕切るんだ。そもそも、魔石の再利用なんて子供のお遊びみたいなものを事業というのが、馬鹿げている。そうか、低俗なお前の友人は、世間知らずばかりなのだな」
私とコーディア、それとレオリックは顔を見合わせる。誰が説明するかと目線で会話をすると、ふたりとも面白そうに口角を上げた。
そうだと思ったけれど、そんなふたりが口を開くより先に、私が一歩踏み出す。
「まず初めに、コーディア王太女殿下への非礼を詫びてください。一貴族が他国の王族を侮辱するなんて、不敬罪で罰せられて反論できませんよ」
「お前がそこまで愚鈍とは知らなかったよ。バードリナ国も我が国同様、国を治められるのは男だと決まっている」
「数年前までは、そうでした。カスター様、あなたの背後で顔色を悪くしているご友人に、昨晩、何があったかお聞きになったらいかがですか?」
カスター様が首をぐわんと背後に回すと、友人たちはぎこちない仕草で頷いた。
「……まさか、本当にマリアリーナの友人が次期女王だというのか?」
「そうだ。コーディア王太女殿下とは、昨晩、ご挨拶をさせていただいている」
「そんな馬鹿な。法律で国を治めるのは男だと決まっているはずだ」
「ですから、その法律を変えたのよ」
意味が分からないと目を見開くカスター様に、コーディアがくすっと笑った。
「私は、元王子の婚約者でした。彼は男爵令嬢にうつつをぬかし、それだけでなく私を貶めようとした。それが露見し、貴族たちはそんな浅はかな男が国王になっていいのかと言い始めた。もともと学生時代の成績も悪ければ、他国の言語も分からないし、国政にも疎かったから、当然といえば当然ね」
そこでまず名が挙がったのが、現国王の弟であるコーディアの父だった。しかし彼は、公爵家に婿養子に入っている。子供はふたりいるが、コーディアの弟はまだ幼い。
「どうすべきか何度も議会が開かれたわ。私との婚約を復活させ、不出来な王子はお飾りで隣に立っていればいい、と言い出す者も現れた。とてもではないけれど、そんな話は受け入れられない。そこでマリアリーナに相談したところ、私が王太女になればいいと教えてくれたの」
それは突飛な思いつきだった。
準王族としてコーディアの名前は上位にある。もし、コーディアが男だったら、議会はとっくに彼女を王太子としていただろう。
私の意見に、コーディアはすぐに反応した。
そして父親を、親戚を説得し始めたのだ。
当然、話がスムーズに進むはずがない。なんといっても法律を変えなくてはいけないのだ。
「もちろん反対意見もあったわ。女の私に何ができるのかって。で、マリアリーナにそう愚痴ったら、とある論文を送ってきたの」
「論文?」
カスター様が「何のことだ」と私を睨んでくる。私の行動はすべて制限して把握したい性格をしているから、きっと腹立たしく思っているのだろう。
「卒業論文です。魔力を使いきってただの石になってしまった魔石――元魔石に、魔法式を書き込み魔力を補充するんです。そうすれば、魔石として再び利用できます」
論文は充分に検証することができず、仮説として提出した。
結婚後も時間を見つけては魔法式の分析をして、試行錯誤した結果、三年前にやっと完成した。
「では、お前がしていた魔石の再利用とは……」
「その名前のとおり、魔石を、魔石として再利用することです」
魔力を失った魔石は、庶民の間でアクセサリーとして流通していた。それを買い取り、新たに魔力を補充したものを販売する事業を立ち上げたのだ。
魔法式はまだ改良の余地があり、今のところ新しい魔石とまったく同じ魔力を補充することはできない。
それでも、魔石を使った生活道具程度なら充分に稼働できる。
一般家庭向けに販売すると同時に、教会への寄付も始めたのだけれど、カスター様はそこだけ切り取って慈善活動だと勝手に解釈していた。
自分の都合のいいように話を切り取るのは彼の十八番だから、私もまたかと聞き流していたのだが、それがここまで話を食い違わせてしまったとは。
「その事業が認められ、私は王太女となった。すべてマリアリーナのおかげよ」
コーディアはそう言ってくれるけれど、彼女が王太女となったのは魔石の事業が成功しただけではない。
学業にも秀で、数ヶ国語を話せる。王太子妃教育も終えているし、他国の情勢にも詳しい。それに、以前から元王子の代わりに国内の政治にも関わっていた。
それらすべての実績をもって「女に国は任せられない」という意見をねじ伏せたのだ。
「まだまだ問題は山積みだけれど、マリアリーナが帰国してくれるなら、これほど心強いことはないわ。これからもよろしくね。あっ、レオリックが昨日から浮かれているけれど、それは当面気にしなくていいから」
「? 浮かれているの?」
そんなに私の帰国が嬉しいのだろうか。幼馴染だから気持ちは分からなくもないが。
そう問いかけると、レオリックは急に顔を赤くした。そうして、誤魔化すように咳ばらいをする。
「コーディア王太女殿下、それについては俺から話しますから」
「そう言って手をこまねいていて、振られたのはどこの誰かしら」
「だから!」
言い合うふたりを不思議に思っていると、カスター様が私の前に立ちふさがった。邪魔だな。
「コーディア王太女殿下が即位された経緯も、魔石の事業についても分かった。だが、お前は俺の妻だ。帰国するなんて絶対に……」
「もう、妻じゃありませんけれど」
「えっ?」
何を言われたか理解していないのだろう。口をパクパクさせるカスター様に、私は首を傾げる。
「だって、昨日のうちに離婚届を提出しましたから」
「離婚届だって! 俺はそんなこと承諾していない」
「でも、あなたのサインはすでにされていたので、正式なものですよ」
彼が私を脅すために用意した離婚届は、ラスティの手によって提出済みだ。
ちなみにラスティは今頃退職届を出して荷造りをしているだろう。もちろん、私と彼女のふたり分である。
「領地におられるシデナル侯爵ご夫妻にもすでに手紙を送っていますし、私は明日、コーディア王女殿下と一緒に帰国します」
「離婚だなんて、貴族にとって生き恥だぞ!」
「それはこの国の価値観ですよね。私の母国では最近離婚が多いそうで、それほど醜聞にはなりません」
出戻りの私と結婚したいと言ってくれる人が現れるかは不明だけれど、コーディアのもと国政に励む人生も悪くない。
ファンファーレが響く。国王陛下の登場だ。
では、と私は元夫にカーテシーをする。それに慌てたように、カスター様が床に膝をつき頭を下げた。
「待ってくれ。行かないでくれ。俺はマリアリーナを愛しているんだ」
「何をいまさら」
だったら、もっと大事にしてくれればよかったのに。私はあなたの機嫌を取るために存在しているのではない。
レオリックが手を差し出してくれた。ここは王太女であるコーディアをエスコートするところだと思うのだが、彼女はとっくにひとりで歩いている。
「お帰り、マリアリーナ」
「ただいま、レオリック」
レオリックの手を借り、コーディアのもとへ行く。
*
数年後、コーディア王太女の右腕となった私は、レオリックの猛烈な求婚に絆され結婚した。二度目の結婚は砂糖漬けのように甘く幸福なものになるのだが、それはまだ先の話だ。
こんな男いそう~と思いながら読んでいただけると嬉しいです。
他にも2作投稿しています。
11/2投稿 短編:聖女様を優先していた婚約者が、土下座で詫びてきた~回帰したという婚約者の話、あなたなら信じますか?~
11/1投稿 長編:古文書修復師の受難〜婚約解消を宣言したら、筆頭魔術師にストーカーされるようになりました
ぜひ、こちらもよろしくお願いいたします。




