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第26話:異星よりの訪問者

 あの穏やかな雨の日曜日から、二日後の放課後のことだった。


 いつものように学校が終わり、翔大とモナは並んで家へと帰ってきた。


 50代の記憶を持ったまま送る二度目の高校生活は相変わらず奇妙で、けれど隣で「今日の小テスト、難しかったっちゃねー。ダーリンが昨日教えてくれなかったら、うちは今頃星になってたっちゃ」と無邪気に見上げるモナがいるだけで、このおっさんの再履修ライフもなかなか悪くないと思えていた。


 カバンを置いて居間で一息つこうとした、まさにその時。


 家から目と鼻の先にあるガレージの暗がりで、奇妙な現象が起きていた。


 古い石壁のわずかな隙間から、まるで呼吸をするように、かすかな銀色の光が漏れ出す。それは時空の歪みが、誰かの手によって静かに口を開けられた合図だった。


 だが、家の中にいる二人はまだそれに気づかない。


 ピンポーン。


 一階の玄関チャイムが、静かな家の中に鳴り響いた。


 その音と同時に、さっきまでソファでだらけていたモナが、弾かれたように跳ね起きた。その大きな瞳が、これまでにないほど見開かれる。


「お父さん、お母さんだっちゃ!」


「えっ!? ほんまに!?」


 モナは歓声を上げると、玄関へと猛ダッシュしていく。翔大も半分パニックになりながらその後に続いた。


 ガラリと扉を開けると、そこには洗練された、しかし地球のどのブランドとも違う奇妙な光沢を放つ衣装に身を包んだ、一目で気品があるとわかる男女の姿が佇んでいた。


「お父さん!お母さん!」


「モナ、元気そうでよかった。寂しくなかった?」


 微笑みをたたえた温和な母親が、愛おしそうにモナの肩を抱きよせる。その後ろには、仕立ての良い上着を着こなした、がっちりとした体格のおおらかそうな父親が、優しく目を細めて立っていた。


 翔大の両親には「仕事で世界中を飛び回っている多忙な夫婦」と説明してあったが、翔大だけは知っている。目の前にいるのは、遥か何千光年も離れた星からやってきた、本物の「異星人」だということを。


 しかし、居間に通された一同の間には、針が落ちても聞こえそうなほどの重苦しい沈黙が流れていた。


 座卓を囲むのは、翔大とモナ、正式に挨拶を交わしたモナの両親。翔大の側には、いつも笑顔の母・佳子と、モナの父親のインポート物(と本人は信じ込んでいる宇宙工学製の特殊繊維)の服を「すげえ……」と目を輝かせて凝視している13歳の弟・彰宏。


 そして――上座で文字通り腕を組み、般若のような険しい顔をしてフンフンと鼻息を荒くしている父・文司郎だった。


 文司郎は生来、頑固で気難しい昭和の男だ。いくら海外を飛び回る多忙な仕事とはいえ、愛娘を何も言わずに預け、これまで一度もまともな連絡をよこさなかったモナの両親に対して、筋が通らん、と腹を立てているのは明白だった。


(ヤバい、オトンの地雷踏みまくっとる……。相手は宇宙人やぞ、怒らせて地球ごと消されたらどうすんねん!ここは一応、俺が大人としてフォローせんと!)


 翔大が緊張に耐えかねて、冷や汗を流しながら口を開きかけた、その時だった。


 モナの父親が、すっと姿勢を正して文司郎に真っ直ぐ向き直った。


「峰川文司郎さん。これまで長きにわたり、我が娘モナを温かく預かっていただき、心より感謝いたします。通信環境が非常に悪い地域におりまして、ご連絡もせぬまま長らく不義理を働いたこと、この通りの非礼、深くお詫び申し上げます」


 モナの父は椅子のない畳の上で、非の打ち所のない完璧な所作で、深く、誠実にお辞儀をした。その紳士的で礼儀正しい態度には、一片の嘘もなかった。


「……ふん」


 文司郎は一つ大きく鼻を鳴らし、組んでいた腕をゆっくりと解いた。頑固親父の目から、すっと険が消えていく。どれだけ理屈に合わなくても、誠実な人間には誠実さで返すのが文司郎という男の流儀だった。


「……頭を上げてください。まあ、娘を心配する親の気持ちは、私も人の親ですからよく分かります。何はともあれ、お元気そうで何よりだ。佳子、お茶だけでは失礼だ。とっておきのお菓子をお出ししなさい」


「はいはい、今、お持ちしますね。遠くからわざわざ、お疲れになったでしょう」


 佳子がいつもの優しい笑顔で立ち上がる。張り詰めていたリビングの空気が、一気に和やかなものへと変わっていった。


「奥様、お気遣い痛み入ります。本当に、行き届いた素晴らしいご家庭だ。お美しい奥様の入れてくださるお茶なら、なおさら格別でしょう」


 モナの父が佳子に向けて、実におおらかで爽やかな微笑みを浮かべた。


 その瞬間。


 ピキリ、とモナの母親の笑顔が完全に固まった。その温和だった瞳の奥に、一瞬だけ絶対零度の鋭い光が宿る。


「あなた? 地球の――いえ、日本の『オモテナシ』に感動するのは結構ですけれど……少し鼻の下が伸びていなくて?」


「ふぇ!? い、いや、そんなことは……」


「お母さん、お父さんはいつもそうなっちゃ! 綺麗な女の人がいるとすぐ格好つけるっちゃ! ヨーロッパでもそうだったっちゃ!」


 モナがすかさず口を挟み、自分の両親が「海外を飛び回る夫婦」であるという設定に完璧に話を合わせた。翔大の家族に正体がバレないよう、機転を利かせてお芝居をしてくれたのだ。


(うわぁ……既視感。モナが俺に向けるヤキモチ警報、100%これやん。宇宙共通の遺伝子かよ)


 翔大が心の中で呆れ半分、親近感半分のため息を漏らしていると、モナの父親が慌てて話をそらすように、懐から奇妙な形をした金属製の小さな筒を取り出した。


「おっと、そうだ。これは私たちが滞在していた先で見つけた、ささやかなお土産です。あらゆる油汚れを分子レベルで一瞬にして分解する、特殊な海外製の清掃器具でして」


(それ絶対に『海外製』の清掃器具やなくて異星のプラズマクリーナーかなんかやろ!?)


 翔大が心の中で激しくツッコミを入れるのを余所に、佳子は目を輝かせてそれを受け取った。


「あらぁ!分子レベルで? 換気扇の頑固な油汚れも一瞬で落ちるのかしら。便利ねぇ!」


 未知のオーバーテクノロジーを、一瞬で「優秀な主婦の味方」として受け入れる佳子の包容力に、翔大は心の中で脱帽した。


★ ★ ★


 やがて、男たちが庭や玄関の方へ少し話を移している間、台所のカウンターでは、佳子とモナの母親が並んでティーカップを片付けていた。


「本当に、うちの主人がお見苦しいところを……。いつもあんな調子で、お恥ずかしい限りですわ」


 モナの母親がふうっと小さく息をつきながら、どこか申し訳なさそうに微笑む。その指先がカップを拭く動作は、なぜか物理法則をちょっと無視するかのように、一瞬で水滴を完全に蒸発させる不思議な光沢を帯びていた。


 だが、隣でスポンジを持っていた佳子は、それを特に驚く様子もなく、ふっと柔らかく微笑んだ。


「あら、いいじゃないですか。ご主人がそれだけ素敵で、自慢の旦那様ってことでしょう? うちの主人なんて、普段は仏頂面ばかりでちっとも褒めてくれませんもの」


「……えっ?」


 モナの母親が少しだけ目を見張る。しかし、佳子は気にした様子もなく、優しい目でモナの母親を見つめながらこう続けた。


「それにね、私、なんとなく分かってるんです。モナちゃんが普通の女の子じゃないことくらいね」


「――っ!?」


 モナの母親の背筋が、ピシリと緊張ではね上がった。一瞬、星間を統べる者としての冷厳な気配が漏れかけたが、佳子は全く動じず、ただ穏やかにクスリと笑った。


「どこか遠い、とっても特別な場所からいらしたお嬢さんなんでしょう?だからこそ、あんなにピュアで、まっすぐで……うちの翔大のことを、あんなに命がけで愛してくれている。それだけで、私にとっては十分すぎるほど大切な家族です」


「……奥様……」


 モナの母親は絶句した。地球人の常識を遥かに超えた大らかな包容力。そして、すべてを包み込むような母親としての強さ。それは、地球という星の底知れない深みそのものだった。


 やがて、モナの母親の瞳から緊張の色がスッと消え、代わりに心からの敬意と温かい涙の膜がうっすらと浮かんだ。


「……ありがとうございます。モナは本当に幸せな子です。本当に……本当によかったわ」


「ふふ、当たり前よ。峰川家にとってモナちゃんはもう、うちの大事な子ですから」


 母親同士の間に、星の距離をも超える、秘密で、けれど最高に温かい「共犯関係」と確かな絆が結ばれた瞬間だった。


★ ★ ★


 やがて楽しい時間は過ぎ、名残惜しそうにするモナと母親が玄関先で言葉を交わしている、ほんの一瞬のことだった。


 居間に残った翔大の前に、モナの父親がゆっくりと歩み寄ってきた。さっきまでのコミカルな雰囲気は一切消え、その瞳には高度な文明を統べる者としての、圧倒的な威厳が宿っていた。


 言葉には出さなかった。だが、その目は確かに、初めて対面した地球の少年に問いかけていた。


(我が娘は、この時空の歪みのなかで、すべてを投げ打って君を愛している。君には、それを受け止めるだけの覚悟があるかね?)


 普通の17歳の少年なら気後れするほどの重圧。しかし、翔大の心根は50年を生き抜いてきた元サラリーマンだ。異星の男が向けてくる「覚悟」の重さは、痛いほど理解できた。


 翔大は真っ直ぐに父親の目をみつめ返し、一歩も引かずに、静かで力強い一礼を返した。


 それを見た父親の口元が、フッと満足そうに、おおらかに緩む。そして、モナたちに聞こえないほどの低い声で、翔大にだけ聞こえるようにボソリと呟いた。


「……やはり、ただの少年ではないな。君のその瞳は、ずいぶんと長い時間を旅してきた『大人の男』の深みを持っている。君がこの時代に戻ってくるまでのいきさつも、その胸にある50代の魂のことも、私はすべて知っているよ」


「えっ……」


 翔大は息を呑んだ。薄々気づかれているどころではない。モナの父親は、最初から自分の正体も、時空を超えたこの運命の全貌も、すべてを把握した上でここに立っていたのだ。


「時の流れに抗い、過去を書き換えるのは容易なことではない。モナの持つ指輪の力、そしてこの時空の歪みが維持できる時間も、決して無限ではないのだよ。……いずれ君には、大きな『選択』の時が来る。それまで、どうか娘をよろしく頼む」


 父親は翔大の肩をポンと力強く叩くと、そのまま優しく微笑んで玄関へと向かった。


 残された翔大の胸に、冷たい楔のような警告が突き刺さる。


 指輪がもたらす異星の力、外部から告げられたタイムリミット。この幸福なモザイクのような高校生活は、いつまでも続くわけではない。その終わりは、確実に迫っているのだ。


 けれど――。


(お父さん、俺の正体もいきさつも全部知っとる上で娘を託してくれたんやな。やったら、あんたたちが宇宙人だろが関係あらへん。これだけ愛されて、これだけ真っ直ぐな笑顔を自分に注いでくれるモナを、何があっても、俺がこの手で守って、大切にしていく。そのために、俺の50年の人生経験があったんや!)


「ダーリン、どうしたっちゃ? 変な顔して」


 両親を見送り、戻ってきたモナが心配そうに翔大の袖をきゅっと引っ張る。


「いや、なんでもない。ちょっと、お前のトコのお父さん、めちゃくちゃ格好ええなと思ってな」


 翔大が意識していつもの笑顔を作り、モナの小さな頭を撫でると、モナは誇らしげに胸を張り、また嬉そうに、弾けたようなラム色の笑顔を咲かせた。


 その無邪気な笑顔を絶対に見失わないと、翔大は胸の奥で、静かに、しかし生涯で一番固い誓いを立てるのだった。

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