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第19話:無力な拳(こぶし)と、世界一のヒーロー

 夕食を終えた帰り道。


 昼間の喧騒が嘘のように人影のまばらになった薄暗い砂浜を、5人は夜風に吹かれながら歩いていた。心地よい波の音を聞きながら、楽しかった一日の余韻に浸る――そんな穏やかな時間をぶち壊すように、前方に数人の人影が立ちはだかった。


 街灯の光に照らされたのは、いかにもガラの悪い地元の不良グループだった。タバコの煙を燻らせながらたむろしていた彼らは、歩いてくるモナの姿を捉えるやいなや、下品な笑みを浮かべて行く手を塞いできた。


「お姉さん、見ない顔だねぇ。観光客?可愛いじゃん。これから俺たちと、もっと面白いことしに行かない?」


 絵に描いたようなナンパの台詞に、モナは露骨な嫌悪感を顔に出して一歩後ずさりした。


「うちはダーリンと一緒に帰るから、どいてほしいっちゃ!」


「あ?ダーリンってどいつよ、えっ?その冴えない薄汚いジャージの男?冗談きついって」


 男の一人が薄笑いを浮かべ、モナの細い腕を掴もうと手を伸ばした。


 その瞬間、翔大の体は頭で考えるより早く、無意識に前へと飛び出していた。


「こら! こいつに手を出すな!」


「あぁん?なんや、お前」


「お前、関係ないやろが。すっこんでろや!」


 凄んでくる男たちの鋭い眼光と、アルコール臭の威圧感。中身は50代のおっさんとはいえ、喧嘩の修羅場をくぐってきたわけではないただの元サラリーマンだ。若者たちの放つ剥き出しの暴力性に気圧されそうになり、心臓がバクバクと嫌な音を立てる。


 だが、後ろにはモナがいる。翔大はぐっと拳を強く握りしめ、喉の震えを必死に抑えて、覚悟を決めた言葉を言い放った。


「関係……ある。こ、こいつは、俺の女やから!」


「……っ!」


 その瞬間、後ろでモナの身体がびくりと震えた。


 いつもは「うちのダーリン!」と一方的に追いかけ回し、呆れられることの多かったモナにとって、翔大の口から「俺の女」という明確な境界線、そして強い独占欲の言葉を聞いたのは、これが初めてだった。


 モナの大きな瞳が、一瞬で感動と歓喜に潤んでいく。


「何が『俺の女』だ、ガキが調子乗ってんじゃねえよ――!」


 不良の一人が胸ぐらを掴もうと、ドスの利いた声で一歩踏込んできた、その時。


 翔大の左右に、ガシッと頼もしい影が並び立った。荻中と村上だ。


「なんだがん、お前たち!多人数で囲んで恥ずかしくないんきゃ!」


 荻中がドスの効いた名古屋弁で鋭く睨みつける。


「モナちゃんに近づくなピー!彼女を怯えさせるなんて男の風上にも置けないぜぇ……っ!」


 村上もオタクのプライドを懸けて威託する。……が、よく見ると長ズボンの下で膝が小刻みにガクガクと震えていた。


(みんな、体を張ってくれてる……!)


 翔大は胸を熱くしながら、趣味の空手(ほとんど中途半端、しかも50代の感覚で鈍っている)の経験を総動員し、右拳を腰に引いて戦闘態勢の構えをとった。心臓は狂ったように脈打っている。ここで引いたら男じゃない。ツレたちのためにも、モナのためにも、絶対に一歩も退かない。


 砂浜に一触即発の、痛いほどの緊張感が流れた。


 殴り合いが始まる、まさにその寸前――。


「あ、もしもし警察ですかー!? 砂浜に不審者が大勢いて、女子生徒を拉致しようとしてるんですけどー!はい、今すぐ来てください、場所は――」


 少し離れた暗がりから、玉田のひときわ大きな声が響き渡った。


 近くの公衆電話の受話器を耳にあて、いかにも緊迫した表情で通報するフリをしているが、その瞳は驚くほど冷静に不良たちの動向を観察している。


「チッ、警察かよ……。おい、ずらかるぞ。面倒なことになる」


 さすがに警察沙汰は嫌だったのか、不良グループは吐き捨てるように言うと、足早に闇の中へと消えていった。


★ ★ ★


 夜の静寂が戻ると同時、玉田が「ふぅ……!」と息を吐き、砂浜へへなへなと座り込んだ。


「あー、緊張したじゃん!横浜仕込みの迫真の演技、100点満点だったでしょ!」


「おみゃあ天才だがん!本当にかけてるかと思ったわ!」


 荻中がガシガシと玉田の頭を撫でて胸をなでおろす。すると、それまで震えていた村上が、急にシャキッと背筋を伸ばし、ふんぞり返って顎を引いた。


「へっ! 玉プィーが通報しなくても、俺のこの自慢の右足から放たれる『超次元ドライブシュート』が火を噴いて、不良どもをまとめてゴールネットごと塵にしていたところだピー。……俺が言うくらいだぜぇ〜!」


 キメ顔で豪語する村上だったが、玉田は砂を払いながら容赦のない視線を向けた。


「あんたが言ったからどうだっつーの。さっきまで足がゼリーみたいにフニャフニャだったじゃんかさー」


「ケケケケッ!バレてたピー!」


 村上がお腹を抱えて笑い転げ、荻中も「おみゃあ格好つけきれてにゃあがや!」と爆笑する。


 けれど、翔大だけは砂浜に向けた拳を下ろせないまま、激しく落ち込んでいた。空手の構えまでしておいて、結局は自分の力では何も解決できなかった。玉田の機転に救われただけだ。自分のあまりの無力さに、男としてのプライドがちくちくと痛んでいた。


★ ★ ★


 ホテルに一旦戻り、荷物を置いた後、男子4人は夜食のアイスとジュースを買いに近くのコンビニへ出かけた。


 夜風の吹き抜ける道を歩きながら、翔大がポツリと呟く。


「……すまん。俺が情けないばっかりに、みんなに怖い思いさせてもうたな」


 すると、アイスの袋を抱えた荻中が、ガシッと力強く翔大の肩を抱き寄せた。


「何言っとんだがん、峰ピー!お前が真っ先にモナちゃんの前に飛び出したの、でらカッコよかったぞ!」


「そうだピー。俺なんて膝ガクガクだったけど、峰ピーが一人で体を張ってるのを見て、逃げるわけにはいかんわって思ったんだぜぇ」


 村上が照れくさそうに頭を掻く。玉田もジュースの缶をカチリと開けながら、優しく目を細めた。


「そうだよ。峰川が最初に一歩を踏み出したから、俺らも動けたんだ。無力なんかじゃないじゃんか」


「お前ら……」


 自分が無力だと落ち込んでいた翔大の胸に、じんと温かいものが広がっていく。大人になってからの打算的な人間関係では味わえなかった、泥臭くも真っ直ぐな友情。


「……おう。サンキューな」


 翔大は照れ隠しに笑い、みんなで買ったばかりのアイスを噛み締めながら、夜の道をホテルへと歩いた。

 部屋に戻ると、さっきの恐怖などどこへやら、荻中と村上は疲れも忘れてゲームコーナーの格闘ゲームで大盛り上がりを始めた。


「負けないがん! 必殺技出すがや!」


「玉プィー、そこピー! 後ろから敵が来てるピー!」


「わーっ、ちょっと村上、僕のシャツの袖を引っ張るなってば!操作ミスるじゃん!」


 翔大はその賑やかな喧騒を離れ、静まり返った客室のベランダへと足を運んだ。


 心地よい夜風が、さっきまで火照っていた顔を優しく撫でていく。ガララ、とサッシが開く音がして、モナがはにかむような笑顔で後を追ってきた。二人は並んで手すりに手をかけ、しばらく何も言わずに夜の海を見つめる。


「ダーリン、さっきはうちのために怒ってくれて、手に汗握って守ろうとしてくれてありがとう。体を張って守ろうとしてくれたダーリンは、うちの、世界一格好いいヒーローだっちゃ……」


「……ヒーローって。俺、結局何もできんかったし、みんなに助けられただけやで」


 翔大が苦笑いすると、モナはふっといたずらっぽく微笑み、翔大の耳元にそっと顔を寄せた。


「実はね……あの時、うちの指輪の力を使えば、あんな奴ら一瞬で吹っ飛ばせたんだっちゃ」


「あっ……ほんまや!」


「うん。でもね、ダーリンが『俺の女』って前に出てくれた時……すごく格好良くて、嬉しくて。うち、ダーリンの背中に守られていたいって思ったんだっちゃ」


「お前なぁ……」


 呆れつつも、モナがどれほど自分を信頼し、男としてのプライドを立ててくれていたのかを知り、翔大の胸はたまらない愛おしさでいっぱいになった。


「だってダーリン、うちのこと、はっきりと『俺の女』だって言ってくれたっちゃ……。うち、ずっとダーリンの特別になりたかったから……」


 月光の下、こぼれ落ちそうな大粒の涙を湛えた瞳で、モナが切なげに囁く。


「……ねぇ、もう一回だけ、言ってほしいっちゃ……」


「そんなん、恥ずかしくて二度と言えるか!」


 翔大が耳まで真っ赤になってバッとそっぽを向くと、モナはぷくーっと不満げに頬を膨らませた。


「もう、ダーリンのけち! 減るもんじゃないっちゃ、言って!」


「言わん!」


「言わないと――こうだっちゃ!」


「うわっ、ちょ、モナ!どこ触っとんねん、こらぁーくすぐるな、アハハ!やめ、アハハハ!」


「言ってくれるまで絶対にやめないっちゃ~」


 ベランダで楽しそうにくすぐり合い、小さなステップを踏むように笑い合う二人。


 その様子を、ゲームコーナーから缶ジュースを買って戻ってきた玉田が、客室のガラス窓越しから静かに見つめていた。


 手元の冷えた缶ジュースを一口すすると、玉田は「やれやれ」と呆れたように、けれどその口元にはどこか嬉しそうな、優しい笑みを浮かべて首を振った。


「……ほんまにあいつらは、仲良いよなぁー」


 夜風に乗って、翔大とモナの幸せそうな笑い声が、いつまでも広大な夜の海へと溶けていくのだった。


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