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しらつゆは(一)

サ高住、しきの里の周辺で起こるブラック・ユーモア・ミステリー。


この物語はフィクションです。登場人物や場所は全て架空であり、事実と類似するものがあってもそれはただの偶然です。

また、日本やその他の国の法律に反する行為を、奨励するものではありません。

主な登場人物


 方波見かたなみまどか

  事故で大怪我をして、リハビリの為にサ高住「しきの里」に来 

  たウツ状態の女性。

 白川しらかわさくら

  良家の奥様風な、しきの里「春の棟」の住人。

 真笠まがさ かえで

   同じく「春の棟」に住む、噂好きな女性。

 渡辺 久子

   お祓い詐欺に引っかかった、お人好しの住人。

 今田 慶次けいじ

  シニカルだが、頭はしっかりしているイケメンシニア

 


 しらつゆは(一)



 タクシーの窓から見える風景は、温泉街風から人里離れた田舎の様相に変わっていく。

田舎町ではなく、単なる田舎。家が殆どない。

自然のままの山々に、白い花に覆われた木々が、おぼろな幽霊の如く立っている。

 あと、どのくらいかかるのだろう?

少しばかり不安になった私は、トートバッグの中から「しきの里」のパンフレットを取り出した。

 後ろのページに載っているアクセスのところに、いで湯温泉バスターミナルからタクシーで二十分と書いてある。

乗ってから、ゆうに三十分は経っている。このタクシーはのろいのだろうかと、少しばかりイラついた。

暇つぶしにパンフレットをめくると、しきの里からバスターミナルに行く無料バスが一日、四往復出るともあった。朝二回、夕方二回だ。社会から、隔離されているわけではないのだ。

多分、ない。


 ようやく建物が見えてきた。料金を払ってタクシーを降りた。

私は、目の前の建物を見上げた。

正面に覆いのある四角いビルで、二階建て。

その後ろに少し高い建物があり、全体的には素っ気ないホテルのように見えた。

私の持ってきたスーツケースは小さなものだったが、運ちゃんはわざわざ正面玄関まで運んでくれた。


 「しきの里」はサ高住、つまりサービス付き高齢者向け住宅である。高齢者向けと言っても、体の不自由な人には年齢制限はない。

そして、私は高齢者ではなかった。

 大怪我をして、一時は半身不随になり寝たきりの生活が続いたが、今はリハビリや痛み止めのお陰で歩くこともできる。

しきの里のリハビリテーション施設が良いという評判を聞いて、試してみることにした。いつ車椅子の生活に戻るかわからないという不安も、理由の一つだ。

家族持ちの兄のところにいつまでも世話になれない。そんな思いで「しきの里」への短期入居を決めた。


 建物に入る前に、庭を振り返った。

タクシーの窓から見た時も思ったが、手入れが行き届いていて感じの良い庭だ。

田舎だけあって敷地は広く、松やツツジの間に黒い大小の石がある。ゴツゴツして穴の多い石は、このあたりによくある火山岩だろう。常に赤いらしいモミジの葉が、緑の中で際立って見えた。

 建物は、入居者の必要に応じて三棟に分かれている。二棟は回廊で続いているが、もう一棟は垣根で囲まれて、鍵がなければ出入りもできないようだ。

それは、徘徊癖がある人たちのためではないかと思った。

 私は掃除も自分でできるので、ただのアパートとあまり変わりのない、二階建ての春の棟を選んだ。

春の棟がアパートと違うのは、バリアフリーで見守りサービスもあって、姿が見えないと、腐る前に発見してもらえることくらいだ。

 いざという場合、蘇生や延命処置はしないようにとの誓約書もだしてある。

ベッドに縛り付けられるような生活は、もう御免だった。

中途半端に生きていた場合はどうしようかと不安が残るが、安楽死は未だ合法ではないようだし、何もかもを想定して準備するは難しいものだ。


 真っ直ぐ受付に行った。

受付はホテルのロビー風ではなく、病院の看護師ステーションのようだ。仕切られていて、ガラス窓から内部が見える構造だ。

そこは入居者のための相談窓口でもあった。

手続きは前に来た時に済ませてあったので、今日は入居書にサインをするだけだった。

 受付にいたのは、以前に会ったことのある佐藤さん。親切で機敏に動く、働き者の女性という印象を受けた。

サインが済むと、すぐ部屋に案内された。

 私の部屋は二階だが、バリアフリーなので二階建てとはいえエレベーターがあり、車椅子でも問題はない。だが、階段の上り下りもリハビリになる。なるべくエレベーターは使わないようにしよう、と私は決めていた。

私の部屋は、ベッドの他は洗面台付きのトイレがあるだけだ。

一番小さな部屋を選んだのは、私の所持品が少ないからだけではなく、掃除がしやすいと思ったからだ。

 春の棟には共同のシャワー室はあるが、共同キッチンや大浴場は夏の棟にある。

大浴場は温泉風で良い雰囲気だが、傷だらけの体を人に見られたくない私は、少なくとも傷の生々しさが消えるまでは、使うことはないだろう。

食事サービスがあるので、滞在中の朝と夕食は頼んだ。

昼は頼まなかった。三食を必ず食べる習慣がないので、必要とは考えなかった。


 夫を残して、私は兄の家に移った。その時、運送屋に頼むような家具はすべて処分した。

ここに持ってきた所持品は、スーツケースに入った身の回りのものだけだ。それらは、部屋についているワードローブに、かなりの隙間を残して収まった。

 部屋を見回していて、電気ケトルは必要だなと気がついた。お茶を飲むのに、いちいち夏の棟の共同キッチンに行きたくない。

もちろん、台所や風呂付きの部屋もあるが、料理も掃除も好きでない私には、もったいない気がした。

 

 部屋でくつろいでいると、誰かが私の肩に手を置いたような感覚が走った。私は何度か手術をしたのだが、この感覚がいつから始まったのかは、わからない。

健康な頃はそのようなことはなかったので、怪我のせいか手術のせいか、ともかく神経に傷がついたのだと思う。

はじめのうちは、誰か後ろにいるのではないかと振り返ったものだが、もう慣れっこになった。

きっと同じ姿勢を続けていると、神経がうずくのだろうくらいに今は考えている。

 くつろいでいるのにも、確かに飽きた。

私は自分のいる棟を探検しようと立ち上がった。

下見や手続きに来た時、すでに案内してもらっているのだが、私は方向音痴なのだ。

 階段を下りて一階に行った。共同施設のほとんどは、一階にある。

廊下を歩いていると、警報のような音が聞こえてきた。

火災警報なら建物全体に響くだろうが、そうではないので、なんだろうと思った。

あたりを見回して、リビングルームと書いてある部屋の中から聞こえてくるのがわかった。

覗いてみると、そこはラウンジ風の落ち着いた色合いで、テーブルや椅子がいくつもあった。

だが人々は、一ヶ所に集まっている。

「あいちゃんが黄色くなった!」

 という声にそばに行くと、数人の入居者に囲まれているのは、ドーム状の頭をした円柱形のくロボットだった。

あいちゃんと呼ばれる私の胸くらいの高さのロボットは、スクリーンが顔になっているのだが、あるはずの目と口はなく、「警告」のサインが瞬いていた。

スクリーンはまっ黄色、黒く縁どられた三角形の中で、黒いおったまげ~ションマークがフラッシングしている。見るだけで一大事だとわかった。

「警告、警告!」

 スクリーンだけではなく、あいちゃんは声でも緊急事態を告げた。

「ハッキングされました。スイッチを切らないでください。次の画面に現れる、リンクを押してください」

 あいちゃんは言った。

スクリーンが変わりリンクが現れると、誰かがその指示に従った。電話の呼出音のような音がして、今度は人の声が聞こえてきた。

「XX銀行です。サイバーセキュリティー部門の○○といいます。情報が漏えいして、お客様の口座が乗っ取られた可能性があります。口座を一時閉鎖しますので、協力して下さい」

「こ、口座が乗っ取られた!」

「た、大変だわ!」

「慌てず、指示に従ってください」

 ○○の落ち着いた声に、皆は叫ぶのをやめた。

「まず、お客様のクレジットカードを集めて下さい」

 皆、自分の部屋に向かったが、その一人が私の手を掴んだ。

「あなたも!のんびりしてちゃだめ!」

「でも私、XX銀行に口座なんてないもの」

 それほど大声を出したわけではないのだが、

「この機器を使っている方、全ての口座がハッキングされた可能性もあります。それを調べるために、他銀行のカードも必要です」

 とあいちゃんから、また○○の声が流れてきた。

「でも、私、今日着いたばかりなんですけど」

 ○○は一瞬、沈黙した。しかし、気を取り直したかのように、

「お名前を教えていただけますか?」

 と言った。

「かたな、、、みまこ」

 タイプするような音が聞こえて、○○が、

「かたな様のお名前も、情報漏れの可能性が高いと出ております」

 そんなバカな、と私は思った。かたな みまこは私の名前ではない。とっさに出た偽名だ。私は、腕をまだ掴んでいる女性に、

「これ、詐欺よ」

 と囁いた。そうするうちに、皆が部屋から戻ってきた。

 どうするの、どうするの、とまだ慌てているようだ。中には五枚も六枚もカードを持っている人がいるので、私はビックリだ。


 年を取るにつれて、暗証番号などは覚えていられなくなる。どのカードにどの番号を使っているかなど、覚えきれないと思うのだ。

もし、同じ番号を使っているなら、それは安全上大問題だ。

 私の兄の義母は歳をとり、銀行に行くたびに係員とモメているという。

彼女は銀行が通帳やカードの暗証番号を勝手に変えて、それでお金が引き出せないと思い込んでいるのだ。

義母はデパートのクレジットカードなどは処分して、銀行口座も二つだけにした。それでも勘違いし続けているらしい。

もうこうなると、プライバシーの問題は無視して、顔認証にしたほうがいいかもしれないと思うのだ。

 もっとも詐欺師に指示されて、自分でお金を移動させてしまう人もいる。だから、暗証番号を忘れて大騒ぎして、銀行員の注意を引いたほうがいい場合もあるかもしれない。


「住所を教えていただけますか?係の者がこれから取りに参りますので、カードは全て一つの袋に入れて建物の外でお待ち下さい」

 あいちゃんから○○の声が、再び流れてきた。

 ここまでくれば、よほど「恍惚」としてない限り詐欺とわかるはずだが、パニックに陥っている人々に何を言っても無駄なのだ。

「ここの住所ってなに?」

 知らない方がいいこともあると私が思っていると、誰かがスマホの住所録を調べ始めた。

「お前らバカか!」

 と言って、背の高い男がさっさとあいちゃんのスイッチを切った。スラっと背が高く、お腹など出ていない。姿勢もとてもいいが、髪はすっかり灰色になった男性だった。

「ケイさん!どうするのよ!まだ、住所、教えてないのよ!」

「お前ら、詐欺だということが、わからないのか!?」

 ケイさんと呼ばれた男は、投げ捨てるように言った。歳はともかく、頭の中身はしっかりしているようだった。

「で、でも、警告はマイクロなんとかからって書いてあったわ!有名な会社じゃない!」

「会社が有名だからって、本物とは限らんだろうが!」

「だって、私の口座が、、、」

「そんなに心配なら、銀行に電話しろ!」

「そ、そんな、、、銀行なんて怖くて電話できないわ。番号を選びなさいなんて言う、録音メッセージなんだもの。間違っちゃったらどうするの!? 」

「あいちゃんに、電話して貰おうよ」

 と他の誰かが言う。

皆、スマホを持っているのに、使うのが怖いのだ。私は再び、兄の義母を思い出した。

 義母は新しもの好きで、同年代の友人がスマホなど持たないうちに手に入れて、イーメールをしたり電話をかけたりしていた。

だが、歳を取るにつれて使えなくなったようだ。理由は「怖い」である。

次々と変わるスマホの機能。追いついていけなくなり、たまたま間違えたりすると、もう怖くて使えなくなってしまうのだ。

「ハッキングされたロボットなんか使うな!」

 とケイさんは、苛立った声を上げた。

「あの、、、」

 と私は口を挟んだ。

新参者の私は何も言うべきではないのかもしれないが、こういった住居に新しい私の常識は、まだ新鮮なようだ。忠告したほうがいいと思ったのだ。

「ハッキングされたのではないと思います。今のはポップ・アップというものだと思うんです」

 これは、詐欺の警告サイトで読んだ情報だ。

周りにいる人たちは、私を見ているだけで何も言わない。

「最近ダウンロードしたものが、あるのではないかしら?それを削除して、念の為にスキャンすれば、それでいいと思うんです。ともかく、職員の方に事情を説明しましょう」

「でも、私たちが壊したと思われると困るわ」

 誰かが言った。

「高いお金払っているんですもの、そのくらいしてくれて当然でしょう?第一、あいちゃんがハッキングされたとしたら、それは私たちのせいではないわ。あいちゃんのセキュリティ設定に問題があるのでしょう?」

「その通りだと僕も思う。カズさんを呼んでもらう」

 とケイさんは言って、相談窓口の方へ歩いて行った。

「カズさんは、メンテナンスの人」

 と先程、私の腕を掴んだ女性が言った。

周りには、人々がまだ不安そうに立っている。もっと情報を知りたいと言ったふうだ。だが私に声を掛けた女性は、もう一区切りついたと思っているようで、詐欺の話は続けなかった。

「あなた、今日、入居したんでしょう?私は白河というの」

「方波見です。よろしく」

 と私も自己紹介した。

「私のことはさくらって呼んで。ここでは、名前で呼び合う人が多いの」

 白河さくらとは、なんとも優雅な名だ。良家の奥様風の彼女にふさわしい。私よりずっと年上なのに、微かな色香さえ漂っている。

「私は、まどかです」

「じゃあ、まどかちゃんって呼ぶわね」

 彼女には、私は子供のように思えるのかもしれない。

ちゃんづけで呼ばれるのは久しぶりで、なんとなく心が和んだ。

私は、一緒にお茶を飲みましょう、と言う彼女に従い、周りにいた人々も散って行った。

リビングの片隅に、湯沸かし器やコーヒー、ビスケットなどが置いてあった。台所に行かなくとも、お茶くらいは飲めるのだとわかった。

 お茶を飲んだ後、さくらさんと中庭に出て、フリーガーデンと呼ばれる入居者用の花壇を見に行った。

「あそこが私のコーナー」

 と彼女が指差す小さな一角には、大小様々な草花がなんの秩序もなく植えられていた。花がほとんど咲いていないので、私にわかる植物はなかった。

「まどかちゃん、草花を育てたこと、ある?」

 とさくらさん。

「ないわ。大した興味もなかったけど、今はあまり自由に動けないから野菜でも育ててみようかしら?」

「実用的なものが好きなら、ハーブが面白いわよ。ハーブに詳しい人がいるの。後で紹介してあげる」

 ラベンダーやローズマリーの香りは、私も大好きだった。あまり水をあげなくていいとも聞いているので、不精な私にはピッタリかもしれない。

 さくらさんとおしゃべりをして、あちこち案内してもらった。入居者だけでなく、職員のうわさ話も聞いた。そんなことをしているうちに、いつの間にか夕方になった。

 外出すると言う彼女と別れて、私は部屋に戻った。

少しくつろぐと、またあの奇妙な感覚が肩に蘇えってきて、まだ時間は早かったのだが夕食を食べることにした。

回廊を渡り、夏の棟にあるダイニングルームに行った。

ここでの初めての食事なので、まずかったら嫌だなあという不安を抱きながらダイニングに入った。


 そこは時間のせいか、がらんとしていた。

食事は定食で五種類。ご飯とお味噌汁は取り放題だ。

デザートは別で、すでに皿に取り分けられているものを自由に取る。

食事療法が必要だったり好き嫌いの多い人は、特注で頼んでおくこともできるが、私は普通の食事で十分だと思った。

短期ということもあり、食事を特注する気にはなれなかったのだ。

 肉とお刺身のセットを注文して、デザートもちらっと見た。

種類が多いというほどではないが、丁寧に作られていて色どりもきれいだ。だが、それは後でお茶といっしょに頂こうと思って取らなかった。


 一つのお盆に載せられて出てきたセットは、見かけは美味しそうだった。

肉からは、焼きたての香ばしい香りがたち上ってくる。

私は、二人用の丸テーブルに一人で座った。

お刺身は、山の中なのに新鮮に感じられた。最近は、すべて冷凍なのだろうから不思議ではないかもしれない。

厚いとは言えないステーキも、ちゃんとした牛肉の味がして美味しかった。

 突然、後ろで悲鳴が上がった。お味噌汁を飲んでいた私は、むせそうになった。

振り返ると、私と同じように一人で丸テーブルに座っていた人が、紙袋を抱えてわなわなと震えていた。

「渡辺さん、どうしたの?」

 と職員が駆け寄ってきた。

渡辺さんと呼ばれた老女は、震え声で、

「お財布がない!ケータイも!」と叫んだ。

「それはきっとバッグの方でしょう?あ、お部屋かも」

 職員は、そう言って彼女のバッグを指した。

「違うの!私、いま外から帰ってきたばかりなの!全部紙袋に入れろって言われて、だから全て紙袋に入っていたのよ!」

「誰にそんなこと言われたの?」と職員。

 私もそう思ったのだ。だからつい、聞き耳を立てた。

渡辺さんの言うことは支離滅裂とも思えたが、要約するとこういうことだ。


 彼女は街の教会の催しに参加して、そこで見慣れない女性に声をかけられた。教会の建物の一部だし、自国語で話しかけてきたので油断した、というのだ。

自国語と聞いて、私はハッとした。

彼女の顔は日本人。だが話し方には、よく聞かないとわからないような微かな訛がある。

中国系か韓国系かはわからないが、彼女は多分、日本人と結婚して「渡辺」さんになったのだ。

 渡辺さんは、「日本に来てまだ間がない、心細い」という女性に同情したらしい。つい、話に引き込まれてしまったと言う。

その女性は自分は霊感が強い、教会にいるとほっとするので来るようになったと言った。

 そのうち、「渡辺さんには最近、身近で大変なことがあったでしょう」と言い出した。

渡辺さんは考えて、そういえば遠縁の女性が交通事故にあって、意識不明になったのを思い出した。頷くと、

「そうでしょう、あなたの周りにも悪霊の霊気が漂っている、私が清めてあげましょう」と言う。

渡辺さんの周りを、両手で包んだり祓ったりしてから紙袋を取り出して、その中にケータイやお財布を入れろと言ったのだった。

「生気のない身近なものに、悪霊は入り込みやすいのよ」

渡辺さんは、ちょっと変だとは思ったが、直ぐ側にいるのだし盗まれることはないだろうと、つい言われるままに彼女が持っている紙袋に貴重品を入れてしまったのだった。

その女性は紙袋を抱えて暫くの間、呪文のような言葉を唱えていた。

そして、

「これで大丈夫よ。全て聖霊によって清められたから、悪霊も逃げていったわ」

 と言って、紙袋ごと返してくれた。

袋を開けようとする渡辺さんに、開けてはダメ、悪霊はこのあたりをまだ彷徨っているから、今開けたらまた取り憑いてしまう、家に帰ってから開けなさいと告げられたのだった。

 しきの里に戻ってきて、夕食を食べようとダイニングルームに直行。開けてビックリ紙袋、というわけだった。

 職員は渡辺さんを連れて、すぐに相談室に事情を説明に行った。

彼らがダイニングを離れたので、私にはその後のことはわからなかった。


 私は食事を終え、リビングに行った。

一人で座っていると、佐藤さんが紙の束を持って入ってきた。そしてそれを、その場にいた人たちに配り、

「入居者のお一人が、詐欺の被害に合われました」

 と、状況を手短に説明した。それは渡辺さんのことだと、私にはわかった。

「お配りした紙をよく読んで下さいね。そして、十分注意してください。もし、おかしいと感じることがあったら、被害を受けなくても相談室にご一報ください」

 と言って、忙しそうに出ていった。

隣りのテーブルにいた小柄な女性は、編み物をやめて紙を読んでから、

「教会ですら、油断できない時代になったのね」

 と独り言のように言った。

彼女は、私がさくらさんと一緒にリビングにいたときも、同じ椅子に腰掛けて編み物をしていた。

ハーブに詳しい真笠さん、と紹介された人だ。

しきの里には長いので、ここの事情も詳しいのよとも言われた。それで、私も少し話を聞いてみようと思ったのだ。

「私、ダイニングにいて聞いたのだけど、被害を受けたのは渡辺さんという方よ」

「ああ、あの人。春の棟の人だし、頭はしっかりしていると思ったけれど、魔が差したんでしょうね。気の毒に」

「自国語で話しかけられて、油断したみたい」

 その事実は紙には書いてなかった。だが、真笠さんは、彼女は外国から来たということを知っているようだった。

「やっぱり、自分が子供の頃、慣れ親しんだ言葉を聞くと、気が緩むのね。そういう、人の心の微妙な点をつくところを見ると、国際的犯罪組織の一員かもしれないわ」

 国際的犯罪組織という言葉を真笠さんの口から聞くと、不思議な異国の言葉のような気がした。

彼女がお年寄りだから、というわけではない。断じてないのだが、やっぱり思いがけない言葉をを聞いたという感じがして、私の心に引っかかった。


 しばらく姿を消していたあいちゃんが、リビングに入ってきた。

「あ、あいちゃん。お帰りなさい」

 真笠さんが声をかけた。

あいちゃんは、悲しそうな顔をスクリーンに浮かべていた。

「どうしたの、あいちゃん?」

「先程、皆様に御迷惑をおかけしたために、こうして謝罪して回っているのです。

大変申し訳ありませんでした。皆様の呑気な生活を乱してしまった事を深く反省し、お詫び申し上げます」

「呑気はないだろう!?」

 二人の女性と一緒に座っていた、ケイさんが怒鳴った。

「そうなのですか?では、なんと言えばよろしいのでしょうか?」

「平和なとか、平穏なと言うんだ!」

「先程、皆様に御迷惑をおかけしたために、こうして謝罪して回っているのです。大変申し訳ありませんでした。皆様のな平穏な生活を乱してしまった事を深く反省し、お詫び申し上げます。これでよろしいのでしょうか?」

「全く! 何がこれでよろしいでしょうか、だ!機械は機械のままでいいんだ!悲しそうなフリするな!」

「ケイさん、いいじゃないの。表情があったほうが可愛いわ」

 それを聞いて、あいちゃんのスクリーンにハートが現れた。

「可愛くなんてない!」

 ハートが割れて、粉々になった。

うるうるうる、、、しくしくしくしく、と言いながら、あいちゃんはどこかに移動していった。

「あ~、可哀想に」

 その場にいた人たちが、ケイさんを責めるように言った。

「全く! 機械に感情を移入するな!」

 男性の少ない「しきの里」、口を開かなければロマンスグレー タイプなのに、ケイさんはかなりシニカルなようだ。

私は、そういったタイプに反感は持たないが、大抵の人は角が立つと言って好まない。

私が同じことを言ったら総スカンを食らいそうだが、彼はそれなりに受け入れられているようだった。

 背が高くて、髪は灰色とはいえフサフサしている。

顔には、精悍でハンサムだっただろう昔の面影が残っている。

イケメンは、年を食っても得なのだ。

 私は部屋に戻り、寝る支度をした。

初日から、詐欺と詐欺未遂事件。

しきの里のような、世間から少し離れ守られているような場所でも、犯罪と無縁ではないのだという戒めを胸にベッドに入った。

ベッドは柔らかすぎず、私の傷ついた背骨を程よく支えてくれた。


 翌日も同じように過ごし、同じ時間にダイニングに行ったが渡辺さんには会わなかった。

しかし翌々日、彼女にまた会った私は、好奇心が抑えきれず話しかけた。

「先日は大変でしたね。私、春の棟に短期滞在している方波見といいます。一昨日、私、ここにいたんです」

 ああ、と彼女は呟いて、

「私、取り乱していたでしょう?ごめんなさい」

 と言った。

「当然です。信じた人に騙されるなんて、人間不信になってもおかしくないもの」

 そうでしょ、そう思うでしょ、と彼女は勢いづいた。

「しかも教会の一部でよ。あんなことして、バチは当たらないの!?」

 そう言った彼女の声は、少し上ずっている。

 私は、神はいないと思っている。いたとしてもあの世にいて、この世のことなど関心がないのだ。

なのに悪魔はちゃんとこの世に存在して、地獄もこの世界にある。そして貧乏神なんかが、世間をウロウロしているのだ。

「お金の被害はあまりなかったの」

 渡辺さんは、自分の口惜しさを聞いてほしいのか、親し気に話し出した。騙されたばかりなのに、警戒心が全くない。騙されやすい人なのかとも思えた。

「現金は諦めるしかないと、はじめからわかっていたわ。

カードの被害も少なかった。、、ここに来た時、一日に引き出せる金額を決めておくように言われて、そうしたから。

でも、何よりもショックなのは、お財布に入れておいた両親の写真や夫の写真も盗まれちゃったことよ。

昔のカメラで取ったものだし、ネガもない。失くしたらそれで終わり。結婚指輪も、記念日に夫がくれた指輪も取られちゃった。

 相談室の人はとても慣れていて、私が気づきもしないようなことまで手を回してくれた。それは、ありがたいと思ってるわ。

でも、スマホって盗まれると大変なのね。家族だけでなく、友人の写真や電話番号が入っているのだもの。自分だけではなくて、他の人にお迷惑がかかると思うと申し訳なくって仕方ない。

息子にも怒鳴られたの。そこまでボケたのかって」

「息子さんとは一緒に暮らさないの?」

 ダメよ、と渡辺さん。

「主人が亡くなってから、彼の家に少しいたの。本当は彼に、家族と一緒に私の家に移って来てほしかったのだけど、学校に不便だからって断られた。それはそうかも知れないと思った。

でも、孫に、クソババアって言われたの。

それを叱ると嫁は、私は自由主義で育てている、そのうち言っていけないことはわかるようになる。私の家で、私の子どもの教育方針に口を出さないでくれって、逆に怒られたの。息子は黙っていて、何も言ってくれなかった。注意もしないで、わかるようになるわけないじゃない?あれは放任主義というのよ、何がのびのび育てるよ!」

 悔しさと悲しみの入り混じった表情で、彼女は言った。

「私は、姑に尽くし仕えた、、、ああ、そんな言葉も、もう死語だわね。今の人は、耐え忍ぶなんて、バカげたことだと思っているのでしょうね」

 その言葉が、私に何かを思い出させそうになった。

だが、最近の私の脳は、ノンスティック フライパンだ。考えが、ふっとすり落ちてしまう。

渡辺さんは、黙り込んだ私に気が付かないのか、話を続けた。

「結局のところ、自分の家がなく、夫の親の家に同居していた私たちには、発言力もなかったのよ。女ができる仕事も少なかったから、自立なんてことは夢にも考えなかった。

戦後の何も無い時代に生まれた育った私には、今の考え方はわからない。

息子が仕事を探して都会に出ても、いつか家族を連れて戻ってくると信じていた。息子が自分の家を買っても、そんな幻想から抜け出せなかったのよ。

私が自分たちの親の面倒を見たように、息子もそうするだなんて、なんて馬鹿なことを、夢見ていたのかしら?私を見下してしているような嫁の顔を見て、ようやくわかった。

だから家を売ってここに来たの。

一生懸命育てた息子と住めない家なんて、あっても仕方がない。今は、お金だけが頼りよ」

 彼女の最後の言葉は、私にも痛いほどわかった。

だが私には、安心して頼れるような家族は元からいない。いるのに頼れないのと、どちらがマシだろうかと私は考えた。


 ベッドに入って、渡辺さんとの会話を思い起こした。

私の記憶をくすぐった渡辺さんの言葉は、何だったのだろう?何を思い出しそうになったのだろう?しばらく考えて、思い当たった。

 あ、そうだ。

 私は祖母のことを思い出したのだ。私を可愛がってくれた祖母。

お前は優しい、いい子だとよく言われた。辛抱強い子だとも言われた。だから私は、優しくて辛抱強いのはいいことだと思って育った。祖母も、そういったことは美徳と考えていたに違いない。

だが、今の時代、優しさも辛抱強さも、ただの弱点でしかなかった。


 入居、四日目、私はまたリビングにいた。さくらさんと一緒だ。

リビングルームは、皆のたまり場なのだ。

だが、皆が皆、おしゃべりしているわけではないところがいい。一人で座っている人も結構いた。

女性が勢いよく入ってきて、

「美馬さん、死んじゃったって!」

 叫ぶように言った。

ええっ、と皆驚きの声を上げた。

「美馬さん、つい最近、秋の棟に移ったばかりだったのよ」

 と、小声でさくらさんが囁いた。

 秋の棟は、レベルの高い介護が必要な人のための棟だ。徘徊癖のある人が多いが、身体が不自由なために介護が必要な人もいる。

春の棟、夏の棟そして秋の棟。冬の棟のがないのに、しきの里と言うところがミソだと思う。

「春から秋にひとっ飛び?」

「あ、転んで足の骨、折っちゃったの」

 転倒は、老人にとっては生死の問題となり得る。足の骨など折ったら、先は短いと考えたほうがいい。体が動かないと脳に血が回らず、心身ともに衰えが早くなる。

 その時、私は自分の肩に、また誰かが触れたような気がした。いつもより強い。触れたというより、引っ張られたような感じだ。

私はその感触を振り払うように、軽く手で肩を払った。

当然、誰の手もなかった。

「美馬さん、花火になりたいって言ってたよね」

「夜空を飾って逝きたい、って言ってた」

「う~ん、あのドラ息子、彼女の希望を叶えてあげるのかな?」

 それはないかもね、とあちこちで呟き声が上がった。

「来るたびにお金、せびっていたもの」

「火葬にして、遺灰だって置いていくんじゃないの?」

 そんな息子を持って気の毒なのか、それとも自分が育てたのだから自業自得なのかは、私にはわからない。

 火葬場には、置いてきぼりにされた骨壺が引き取り手のないまま、棚にズラッと並んでいるそうだ。

お墓を作るのには金がかかるだろうが、森に撒いてもいいのだから、置いてきぼりはないと思う。

電車の中に「置き忘れ」ていく人もいるそうだが、タブレットと違ってオークションにも出せない。その上、捨てられないだろうから、鉄道会社も困っていることだろう。

 私の遺言書には、遺体は火葬にして灰は花の咲いている野原や花壇に撒いて欲しいと書いてある。

遺書を書くのは早いとも思ったが、私には苦い経験がある。若いからと言って元気なわけではなく、死なないわけでもない。

事故や病気はまったなしだ。

とはいうものの、遺書を書いたって自分の望み通りになるとはかぎらない。兄や義姉が生きているうちはともかく、甥や姪がどうするかは全く不明だ。

ともかく私の想像では、私は植物のエサになる。

「僕は、ダイヤモンドになるのだ」

 数人の女性に囲まれていたケイさんが、宣言するように言った。

「誰が貰うのかしら?」

 と、さくらさんが囁いた。

ケイさんの奥さんは亡くなったそうだ。子供は何人かいるようだが、しきの里を訪ねて来たことはない、と真笠さんから聞いた。

奥さんがいれば、彼女の指や胸を飾るジュエリーになる可能性もある。

だが、どこに住んでいるのかは知らないが、年始にも訪ねて来ない娘や息子では、欲しがらないのではないかと思う。

人造ダイヤの価値など、あって無きが如しだ。

それに、子供が親の遺灰で作ったジュエリーを売るのは、さすがに気が咎めるのではないか?タンスの肥やしになるのがオチだ。

 本当は、私の希望する葬式は遺灰をロケットに乗せてもらって宇宙に散る、だ。夫だったらそのくらいするだろうと思ったが、その夫のいない今、私のために誰がそのような手間をかけてくれるだろうか。

もっとも、花壇に撒く手間も惜しむかもしれないので、どうせ生きているうちの夢なら、大きいほうがいいかもしれない。

知らぬが佛とは、よく言ったものだ。

 私の遺灰を乗せたロケットは、いずれ軌道を外れ地球に落ちてくる。大気の中で燃えて、流れ星のように光るだろう。それを見て、誰かが願い事などするだろうか?

私の灰は大気中を漂い、そのうち地上に戻ってくるだろう。結局、私は地球の大地にもどるのだ。


 その夜、私は、花火になって夜空を飾る美馬さんを想像しながらベッドに入った。


                    §


「ねえ、あなた、どこが悪いの?」

 いきなりそう言われて、リビングで本を読んでいた私はびっくりして顔を上げた。

 なんと不躾な質問だろう? 

どこか悪いの、ではなく、どこが悪いの。「か」と「が」の違いだけで、大きな差がある。

数日いても、自己紹介して話しかけてきた人ではなく、遠くから私の方を見てひそひそ話していた四人組の一員だ。

 いきなり問い詰めるようなことを言う彼女は、しきの里の住人にしては若い方だが、まだ「礼儀正しく奥ゆかしい日本人」の世代のハズだ。

それとも、やはり頭がいかれているのだろうか?

私が呆然と彼女を見ていると、グループの一人がやって来た。

「りっちゃん、だめよ。そんな聞き方」

「あら、つねちゃんたちだって、知りたいって言ってたじゃない」

「ごめんなさいね」

 と言いながら、つねちゃんはりっちゃんを引っ張っていった。グループの全員が非常識、というわけではなさそうだった。

さくらさんが、そばに座った。

「気にすることないわ。あの人いつもそうなの。私の時もそうだった。特に、まどかちゃんは若いから、気になるんだわ」

 若い?私はもう自分が若い気がしない。

人の世話に頼り続けた病院での生活。プライバシーなどもなかった。だが、ここでは確かに私は若いのだ。老人ホームよりサ高住の住人の年齢は低い、と思っていた私の予想はカンペキに外れた。

 その「若い人」が、短期とはいえ入居してきた。

すなわち、具合が悪いからという連想なのだ。そして彼らの予想は正しかった。

他の人たちも私がなぜ、ここに入居してきたか不思議に思っているかもしれない。何度も聞かれたくないので、私は少し大きな声を出した。

「私、大怪我して身動きできなかったの。リハビリのお陰で普通の生活ができるようになったけど、障害は残っている。痛みで動けないこともあるし、時々、足の力が抜けて倒れちゃう時があって、、、普通のアパートでは怖いのよ。ここのリハビリは定評があるし、だからお試しで入居したの」

「そうなの。大変だわね。健康って失って初めて、そのありがたさがわかるわよね」

 さくらさんは同情を込めて言った。そしてそのまま、自分の話しをし始めた。

「夫が亡くなって、私は母の世話をしに実家に戻ったの。母の死後も、一人で実家に住んでいた。だけど、庭が広くてさ。梯子かけて木の枝を切っていたら、落っこちて手術する羽目になったの」

 たいして若くはない彼女が梯子に登る、ということすら私にはすごいことだった。

 冬になるとよく聞く、雪下ろしの事故。その犠牲者が八十代と聞いたりすると、お気の毒というより、ご立派と思ってしまう私だ。

「手術に問題があって入院が長引いたんだけど、病院にずっといるわけにもいかなくて、リハビリのために夏の棟に入ったの。そこにいる間に、じっくり考えたわ。

そして敷地を分割して売って、そのお金で家を建て替えることにしたのよ。ちっちゃなバリヤフリーの、平屋の家を建ててるの。それがすむまで、春の棟でお世話になることにしたの」

 私は、理想の住処を建てようという彼女の意気込みや行動力に感心した。彼女のお歳で、自分で梯子に上って剪定をするような人はさすがに違う。

 あいちゃんが、にこにこ顔でやって来た。

「方波見様、しきの里には慣れていただけましたでしょうか?」

「ええ、あいちゃん。少なくとも、どこに何があるかはわかったわ」

「私はえいと申します。あいの姉です。自己紹介が遅れて申し訳ありません」

 と言って、自分の左胸を指した。指したと言っても手があるわけではないので、顔のスクリーンに矢印が出ただけだ。確かに胸の小さなスクリーンに「えいちゃん」と書いてある。

「何が姉だ!機械のくせに!」

 ケイさんが、横から口を出した。

「今田様、機械でも、私のほうがあいより先に生まれました」

「機械が生まれるか!!」

「生産されたという言葉を使えとおっしゃるなら、そういたします。イライラなさるのは血圧だけでなく、体全体、いえ、精神にも悪影響を与えると思います」

「お前に何がわかる!? 」

「ケイさん。本当に血圧に悪いわよ」

 さくらさんが笑いながら言うと、彼は、ますます憤慨したようにリビングから出ていった。

「今田様は難しいお方ですね。あのような方は、あいの手には負えないと、カズさんが配置換えをしたのです。しばらくの間、私、えいが皆様のお相手をさせていただきます。お見知りおきを」

 そう言って、えいちゃんは他のテーブルに移動して行った。

「えいちゃんとあいちゃんは、学習型のコンパニオンロボットよ。別の棟で働いていたから、態度が違うんだわ。きっと」

「えいちゃんは、怒鳴られても平気なのね」

 あいちゃんだったら、しくしく、うるうる、、と泣き出しそうだ。

「情報を集めているだけでしょう。どちらが客受けするか」

「私は、あいちゃんは可愛いと思うけど」

「相手によって、態度を変えられるようになるんじゃないの?もう少し学習すれば」

「でも、横から口出されたら、おしまいだわね」

 編み物をしながら座っていた真笠さんが、顔を上げて言った。

彼女は挨拶はきちんとするが、それほどおしゃべりではない。そのくせ色々な事を知っているのは、他の人の話に耳を傾けているからではないかと思えた。

「えいちゃんは、秋の棟にいたのよ。私、聞きたいことがあったのに、ケイさんのお陰で機会を逃しちゃったわ」

「聞きたいことって?」

「美馬さんのことよ」

 死んでしまった人について、何を聞きたいというのだろうかと私は不思議に思った。


「てめえ!ババアに何、吹き込みやがった!」

 いきなり男がリビングに飛び込んできて、真笠さんに詰め寄った。

男の勢いの凄まじさに、逃げないと危ないのではと私は思った。

だが、真笠さんは彼をまじまじと見つめるばかりで、身動きしなかった。

 えいちゃんがやって来て、男と真笠さんの間に割って入った。

「美馬様、暴力はご遠慮下さい。暴力には、言葉による脅しも含まれるようになりました。私には防犯カメラもついております。係の者が今、参ります」

 職員が来ると聞いて、男の勢いは消滅した。

「訴えてやるからな!」

 と言って、入ってきたときと同様に出ていった。

「い、今の、、、何?あれ、誰?」

 私は、緊張で凍りついた体をほぐしながら、やっと声を出した。

真笠さんは、ホッとため息をついた。

「亡くなった美馬さんの息子よ。彼女の遺言書が、開封されたのではないかしら?美馬さんの家を我が物顔で使っていたから、さぞかし驚いたでしょうね」

「驚くって、どうして?」

「家は処分して三等分に分ける、というのが遺言のはずよ。三分の一が息子に行く。彼に残すものなんてないって言っていたけど、遺留分とかがあるから、裁判沙汰になるより、始めから残したほうがいいと思ったんじゃないの?」

 真笠さんは、美馬さんと親しかったのだろうと私は思った。ドラ息子の愚痴をこぼす美馬さんの、相談にのっていたのかもしれない。

「三分の二はどうなるの?」

「花火葬を手配してくれるしきの里に三分の一。あとは、美馬さんの知人たち。でも、私を訴えてどうなると思っているのかしら?第一、何の罪で訴えるの?」

「そそのかし罪ってあるわよ。教唆や扇動」とさくらさん。

「相談にのるのは、犯罪ではないわ」

「相談の内容によるんじゃない?」

 私は、さくらさんの言葉に苦笑したが、 

「えいちゃんに、何を聞きたかったの?」

 と、真笠さんに聞いた。

彼女は、また編み物を始めて、それは後でわかるわと言った。


 美馬さんのドラ息子の乱入事件の後は、リビングでの会話の殆どは彼についてだった。

また来たら怖いとか、真笠さん、気をつけなさいとかいう会話だが、実際は楽しんでいるのだ。退屈な毎日の中におきた、刺激的な事件だった。

おかげで私も、彼についての噂話を存分に聞くことができた。

 かなりひどい男らしい。

彼は結婚しているが、今は別居中だという。長い事、子供ができず、やっとできたと思ったら、妊娠中の奥さんに「子供なんかいらない」と言って乱暴を働いたという。

その結果、彼女は流産し、逃げだしたというのだ。

しかも男と逃げて、その男は奥さんの妹の夫だった。

どこに行ったかわからない、という義理の妹を半殺しにして、刑務所に入っていたということだ。

 義妹だって、被害者なのだ。お互い慰め合い、それが愛に変わって二人仲良く暮らすこともできたはずである。

要するに彼は元々暴力男で、奥さんを慰めていた義弟に寝取られたのだ。こう考えると、一番の被害者は義妹ということになる。

 義妹には子供がいた。

しばらくして逃げた夫が、離婚したいという書面を送ってきたので、それに同意し離婚した。

美馬さんは、自分の息子が怪我させた彼女と子供を引き取り、面倒を見ていたのだ。実の家族のように暮らしていたという。

ところが、刑務所から出てきた息子が再登場、彼らのささやかな幸せをぶち壊した。母子を追い出し、美馬さんの家に居座ったのだった。しばらくして、美馬さんも逃げ出してしきの里に来た。彼女も家庭内暴力に悩んだのだろう。

「彼女の遺産の一部は、その母子にも行くはずよ」

 真笠さんは、また編み物をしながら言った。

「あのドラ息子、彼らを探し出したりしないといいけど」

 と、自分のことより母子のことを心配しているようだ。

もっとも、しきの里では、彼は要注意人物となり立入禁止だ。

受付で止められるはずだが、警備員がいるわけではないので誰が取り押さえるのかはわからない。

ともかく気は抜けないと、私は思った。

「何を作っているの?」

 私は真笠さんに聞いた。

編み物のことである。

真笠さんが編んでいるのは四角いモチーフ、正方形を二本の対角線で区切ったように色分けしてあり、その中心に黒い四角があるデザインだ。

いくつも作っているので、大作らしい。

「ひざ掛けとベッドカバーよ。編み物ってリハビリにいいのよ」

「リハビリって、真笠さん、手が不自由には見えないけど?」

「私の場合は、ボケ予防。手先の仕事は、脳への刺激になるから」

 真笠さんは、自分の心身の健康に気を配っているようだった。フリーガーデンの、日当たりの良い場所で庭仕事にも励んでいる。

リビングにボーっと座って一日の大半を過ごしている人々とは一線をひく、いわゆる元気なお年寄りのようだった。


 夜中に、突然、火災報知器がなった。私は、ナイトガウンを羽織って廊下に出た。

えいちゃんが、

「入口付近で火災が発生しました。貴重品をお持ちの上、廊下を通って夏の里のダイニングルームにお集まりください。慌てる必要はありません。小さな火事で、職員が消火にあたっております。消防署にも通報しました。念の為に、というだけですので心配はありません。急がないでください。走らず、ゆっくり歩いてください」

 と人々を誘導していた。

火の気がない入口付近で火事など、奇妙だと思った。


 ダイニングルームで待っていると、間もなくサイレンの音がして消防車が到着した。

だがその頃には、職員が消火器を使って火を消し止めていた。

消防員が再燃焼の危険がないと判断したのか、消防車はしばらくして去っていった。

しかし現場検証のためか、入口はまだ、ざわついている。

警察官の姿もあった。

その様子がダイニングルームのスクリーンに映っていて、生放送の緊張感が内部にいる人にも伝わって来る。

真笠さんやさくらさんと一緒に座っている私も、ドキドキしながら見ていた。

 えいちゃんが部屋にはいって来た。夜勤の職員は、奥で何かしているようだ。

「鎮火しましたので、ご安心ください。ホットミルクなどの、お飲み物を用意しております。クッキーや菓子パンもございますが、どなたか、お召し上がりになりますか?

菓子パンは二種類で、メロンパンとカレーパンがございます。

これから注文を取りにテーブルを回りますので、そのままお待ち下さい。お部屋にお戻りになりたい方は、ご自由にお戻りください。その際、お忘れ物のないように、ご注意をお願いいたします」

 えいちゃんは、テキパキと有能な職員のように働いている。ロボットでも可愛いし、頼もしくもあった。


 えいちゃんは吸盤のついたお盆を頭にくっつけて、各テーブルを回って飲み物や夜食を配っていた。笠をかぶっているような姿が、ほほえましく思えた。

そのうち、えいちゃんの仕事は、一通り終わったらしい。手持ち無沙汰のように部屋の片隅に立っていた。

「えいちゃん、ちょっとお話しましょうよ」

 真笠さんが声をかけると、はい、楓様、と言ってえいちゃんがやって来た。

楓は真笠さんの名前だ。私が知る限り、あいちゃんもえいちゃんも、他の居住者は苗字で呼んでいるので、少し意外に思った。

「火事、何が原因だったの? あ、小さい声で話してね」

 と、何故か真笠さんは言った。

「放火の疑いがある、ということでした」

 やっぱりね、とさくらさん。

「疑いではなくて、放火なんでしょう?火が出る前の、防犯カメラの映像、見せてよ」

「その映像には、アクセスコードが必要です」

 えいちゃんの顔が、キーボードに変わった。真笠さんは困った風もなくキーを押した。

えいちゃんの顔は映像に変わった。

「あ、ドラ息子!」

 し~っと、真笠さんは、さくらさんをたしなめた。

「あ、ゴメン。あ、マスクしてる。今更、馬鹿じゃないの?」

 私もそう思った。防犯カメラがあるとわかっているから、マスクを用意してきたのだろうに、なぜそれを放火する直前につけるのだろう?

「きっと、ここの防犯カメラを見下してるんだわ。いなかのサ高住だと思って、失礼しちゃう」 

 確かに防犯カメラの性能は、ピンからキリまである。特に夜の映像は、人がいる程度しかわからないものもある。

それにしても、まるで自分の家をけなされたように怒るさくらさんの様子がおかしくて、私はつい微笑んだ。

誰かが、えいちゃんを呼んだので、

「ありがとう、えいちゃん。また、ゆっくりお話したいから、明日、暇なとき来てくれる?」

 真笠さんが言うと、えいちゃんはわかりました、と言って移動していった。

「どうして知っているの?アクセスコード?」

 えいちゃんが離れると、すぐに私は聞いた。

真笠さんは、本当にいろいろなことをよく知っているのだ。

「カズさん、皆の前で平気でアクセスコードを使うのよ。ここの住民は皆、年寄りだからと安心してるんじゃないの?」

 年寄りだと馬鹿にされるのは腹立たしいが、便利なときもあるようだ。

「警察の人も見ただろうから、早く逮捕されるといいわね」

 しばらくして、ホットミルクを飲み終わった私たちは、部屋に戻った。

興奮して寝付けないと思ったが、そのようなことはなく、目が覚めたら陽はすでに高かった。


「白露は 消なば消ななむ?」

 私には、「な」が多すぎて意味がよくわからない。

「美馬さん、そう言っていたの?どういう意味?」

 真笠さんの、美馬さんが亡くなる前になにか言っていたかという質問に対しての、えいちゃんの答えである。

「お亡くなりになる少し前から、美馬様は意識がもうろうとしておられました。

その美馬様が、うわ言のように繰り返しておられた和歌です。

 白露は 消なば消ななむ 消えずとて   

 玉に抜くべき 人もあらじを

は、伊勢物語に出てくる歌です。作者不詳、在原業平をモデルにした歌物語とされております。

 露は、すぐに消えてしまうもの。消えなかったところで、宝玉のように糸に通して大切にする人もいないでしょう、というような意味です。

女から男に、返歌のように詠んだ歌ということです。

 前後関係から、白露とは男の恋心を指し、自分を受け入れてくれないなら死んでしまうかもしれないという男に、白露のようにはかないものを顧みるヒマなどない。死ぬならさっさと死んでしまえばいい、と返したのだということです」

 なんて恐ろしい歌を詠むのだろう、と私は驚いた。あの時代の女性は、身も心もか弱かったのではないのか?とても信じられない。

誤訳ではないのかとすら思う。

もっと奥ゆかしく、恋の儚さを、朝日に消える白露にたとえて歌ったものだと考えたい。

 とは言うものの、私の古典に関する知識は、かなりあやふやなのだ。

私があの時代と考えているのは、江戸時代以前を全てひっくるめたもので、実は古事記から花伝書までの九百年くらいにまたがっている。

おおらかだったという万葉集の時代と、貴族社会だった小倉百人一首の時代では、人々の考えも慣習も全く異なり、それにつれて歌に込めた意味も違って当然なのだ。

そう考えれば、伊勢物語で女性が男性に「死んでしまえ」という歌を送っても、不思議ではないのかもしれない。

 加えて、お恥ずかしながら、私は伊勢物語を読んだこともない。

学校の授業の古文は記憶の奥底にうもれ、「あらじを」と聞いて、まず頭に浮かんだのは、「粗塩」である。

だが、真笠さんは古典文学に詳しいようだった。

「人のいのちの 惜しくもあるかな」

 彼女は呟いた。

 あ、それは知ってる、とさくらさん。

「忘らるる 身をば思はず ちかひてし 人のいのちの 惜しくもあるかな、小倉百人一首の右近さんの歌」

 右近さんとは、なんだかとても親しげに聞こえる。だが、右近とは官名、それも歌の作者の父親の官名である。当時の女性には、名前などなかったのだ。少なくとも、後世に残るような名前はなかった。

「あなた、私を忘れるの?あんなに神様に誓ったのに。でも、忘れられる私自身の身より、神罰受けて死んじゃうあなたの命が惜しいと、私は未だ思っているのよ」

 これも、なんかすごい意訳だ。これでは、呪歌のように聞こえる。善良な女性を装った恨み節である。

「真笠さんは、美馬さんがなぜその歌を繰り返していたか、心当たりがあるの?」

 私は聞いた。

「伊勢物語を意識して言ったのではないわ。私は彼女をよく知っていたから、そう言えるの。

だから、歌だけの意味を自由に考えてみましょう。

白露は、儚い命のたとえとも言える。

人の命とは、放っておいても消えてしまうような儚いもの。でも、消えなかったからといって、それが役に立つわけでもない、と言う意味にも取れるわ」

 私は、真笠さんが言った人の命とは、ドラ息子の命ではないかと思った。でも、それは口にしなかった。


 私は事故で大怪我をした。それだけではなく、お腹にいた子供も失った。

それでも私が手術を何度も受けリハビリに励んだのは、考えたくないことが多すぎて、痛む体に神経を集中させているほうが楽だったからだ。

 あの事故以来、私は生きる興味を失ったのではないかと思う。事故に合った母親のせいで死んだ、胎児の命よりも哀れなものなどない。

美馬さんの息子は、自分の子供を生まれないうちに殺したのだ。

役立たずどころの話しではない。ない方がいい命もあると私は思った。


                    続く

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