第四話:返討(法務)
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男の名前は、山田浩二。38歳。既婚。子供二人。
そして、マッチングアプリで20代女子を漁っていたクズである。
「慰謝料300万払え。じゃないと訴える」
ぴえんに送られてきたLINEを、私は何度も読み返した。
300万。
らむねの家賃71ヶ月分である。払えるわけがない。
「らむねぇ……あたし、どうしよう……」
ぴえんが泣いている。いつも通りだが、今回の涙には本気の怯えが混じっている。
「落ち着け。まず状況を整理する」
私はスマホを置き、ホワイトボード——ぴえんの作戦本部にあったやつ——を引っ張り出した。
***
【状況整理】
・山田浩二(38歳・既婚)
・マッチングアプリで「独身」と偽って活動
・ぴえんとマッチング、メッセージのやり取りあり
・ぴえんが「既婚者では?」と疑い、調査
・Facebookから妻のアカウント特定
・妻にDMで証拠を送付
・妻、激怒。離婚へ。
・山田、逆ギレ。「慰謝料払え、訴える」
***
「ぴえん」
「……はい」
「お前、山田と実際に会ったか?」
「……一回だけ、カフェで」
「それだけ?」
「うん……その時点で怪しかったから、調査モードに入った」
「身体の関係は?」
「ないよ! あたしそこまでバカじゃない!」
そこまで、という言い方が気になるが、今は置いておく。
「よし。なら戦える」
「戦える……?」
私はホワイトボードに、赤いマーカーで大きく書いた。
**「不貞行為なし」**
「これが、お前の最強の武器だ」
***
法律のことは詳しくない。
でも、歌舞伎町で4年生きてきた私には、それなりの知識がある。ホストに貢いで借金地獄に落ちた女、風俗で働いて摘発された女、DVで訴えた女、訴えられた女——そういう人間たちの話を、山ほど聞いてきた。
だから分かる。
**この男は、ハッタリをかましている。**
「いいか、ぴえん。法律的に言うと——」
私はスマホで検索しながら説明した。
「お前は、山田と肉体関係を持っていない」
「うん」
「つまり、不貞行為の当事者ではない」
「……ふていこうい?」
「浮気のこと。法律用語だ」
「お、おう……」
「不貞行為がない以上、お前は浮気相手ですらない。ただの、マッチングアプリで知り合った人だ」
「……そうなの?」
「そうだ。そして、山田の妻に真実を伝えたことは、違法ではない」
「違法じゃない……?」
「むしろ、山田が『独身です』と嘘をついてアプリを使っていたことの方が問題だ。場合によっては詐欺に近い」
ぴえんの目に、少しだけ光が戻った。
「じゃあ、あたし悪くない……?」
「**お前は何も悪くない**」
***
とはいえ、相手が「訴える」と言っている以上、放置はできない。
「ぴえん、山田とのLINE、全部見せろ」
「う、うん……」
スマホを受け取り、トーク履歴を遡る。
山田浩二。プロフィール写真は、爽やかな笑顔。38歳には見えない、若作りの写真。たぶん5年は前のやつだ。
メッセージを読む。
「はじめまして!素敵な笑顔ですね(笑顔)」
「お仕事何されてるんですか?」
「今度ご飯行きませんか?」
「独身ですよ!彼女もいません!」
**「独身ですよ」**
私はスクリーンショットを撮った。
「これだ」
「え?」
「山田は、自分から『独身です』と言っている。つまり、嘘をついた証拠が残っている」
「あ……」
「お前が妻にDMを送ったのは、この嘘を暴いただけだ。何も悪くない」
ぴえんが私を見た。涙が止まっている。
「らむね、すごい……」
「すごくない。これが、証拠を残すということだ」
私はスマホを返した。
「いいか、ぴえん。**記録こそ刃**。お前はちゃんと刃を持っていた。あとは、それを正しく使うだけだ」
***
夜。
私はぴえんのスマホを借りて、山田浩二にLINEを送った。
もちろん、ぴえんの名前で。
「お話があります。明日の19時、新宿のカフェで会えますか?」
既読。即返信。
「ようやく分かったか。300万、用意しとけよ」
**馬鹿が。**
***
翌日。新宿のカフェ。
私とぴえんは、山田より30分早く到着した。席は窓際。隣の席との間隔が広い。**会話が筒抜けにならない場所を選んだ。**
「らむねぇ……緊張する……」
「大丈夫だ。私が話す。お前は黙ってろ」
「うん……」
ぴえんの手が震えている。私はその手を握った。
「武士は、戦場で怯えない。たとえ怯えても、刀は握れる」
「……うん」
「お前の刀はここにある」
私はテーブルの上に、スマホを置いた。録音アプリを起動済み。
「**記録こそ刃だ**」
***
19時ちょうど。
山田浩二が現れた。
写真より老けている。腹が出ている。髪が薄い。なんでこんな男が20代女子を漁れると思ったのか、本気で分からない。
「お前がぴえんか」
山田が座る。私を見て、眉をひそめた。
「誰だ、そっちは」
「弁護士です」
嘘である。
「弁護士……?」
「はい。本日は、山田さんのご要望について、お話を伺いに参りました」
私は名刺を出した。姐さんに借りた、スナック「地獄極楽」の名刺だ。名前のところだけシールで隠して、「法務担当」と手書きしてある。
**バレるかもしれない。でも、押し通す。**
「で、300万の慰謝料というお話ですが」
「あ、ああ。そうだ。こいつのせいで俺は離婚することになった。慰謝料を請求する権利がある」
「なるほど。では、いくつか確認させてください」
私はスマホを取り出し、メモを見るふりをした。
「山田さんは、マッチングアプリで『独身です』と自己申告されていますね?」
「……は?」
「こちらに証拠があります」
スクリーンショットを見せる。山田の顔が、一瞬で青くなった。
「これは、婚姻関係にある状態で、独身と偽って異性にアプローチした証拠です。場合によっては、**詐欺罪**が成立する可能性があります」
「さ、詐欺……?」
「また、マッチングアプリの規約にも違反しています。運営に通報すれば、アカウント削除だけでなく、損害賠償請求の対象になる可能性もあります」
山田の顔から、さらに血の気が引いていく。
「ま、待ってくれ……」
「お待ちしません。さらに言えば——」
私は声のトーンを落とした。
「山田さんが、今後も『訴える』とおっしゃるなら、こちらも対応します。具体的には、**山田さんの会社に、この証拠を提出します**」
「な……っ!」
「既婚者が、マッチングアプリで20代女性を騙していた。しかも、バレたら逆ギレして慰謝料を要求した。——これ、会社に知られたら、どうなると思います?」
山田の顔が、完全に蒼白になった。
「……おい、待てよ……」
「待ちません。私のクライアントは、何も悪いことをしていません。悪いのは、嘘をついて女性を騙していた、あなたです」
私はスマホを持ち上げた。
「この会話は録音しています。『300万払え、訴える』という発言も、すべて記録に残っています」
「……」
「さて、山田さん。もう一度聞きます。**本当に、訴えるんですか?**」
***
沈黙が流れた。
5秒。10秒。30秒。
山田の額に、汗が浮かんでいた。目が泳いでいた。唇が震えていた。
そして——
「……すみませんでした」
山田が、頭を下げた。
「訴えるとか、言いすぎました。慰謝料も、いりません。だから、会社には——」
「二度とぴえんに連絡しないと、約束してください」
「約束します」
「LINEをブロックしてください。今、目の前で」
山田が震える手でスマホを取り出し、ぴえんをブロックした。
「これで、いいですか……」
「結構です。お帰りください」
山田が立ち上がり、逃げるようにカフェを出て行った。
***
「……らむね」
「なに」
「**かっこよすぎ**」
ぴえんが泣いていた。でも今回は、嬉し泣きだ。
「弁護士って嘘ついた」
「バレなければ嘘じゃない」
「それ、武士道……?」
「知らん」
私はコーヒーを飲んだ。冷めていた。でも、悪くない味だった。
***
帰り道。
新宿の雑踏を歩きながら、ぴえんが言った。
「らむね」
「なに」
「あたし、また間違えるかもしれない」
「だろうな」
「でも、その時は……また、助けてくれる?」
私は空を見上げた。新宿の空は狭い。ビルに囲まれて、星なんか見えない。
でも、悪くない。
「**武士は、戦友を見捨てない**」
「……うん」
「だから、好きなだけ間違えろ。その代わり、私に相談しろ。勝手に突っ走るな」
「約束する……!」
ぴえんが私の腕に抱きついてきた。重い。でも、温かい。
「らむね」
「なに」
「大好き」
「知ってる」
***
『葉隠』にはこうある。
**「勝つと思うな、思えば負けよ」**
——勝利を意識すると、油断が生まれる。だから、勝つことを考えるな。
つまり、**証拠を集めろ。勝ちは後からついてくる。**
そういうことだと私は解釈している。




