第二十二話:潜入(本部)
決行日。
午後8時。新宿区、柊グループ本部ビル。
私と翔太は、ビルの裏口に立っていた。
「緊張してる?」
翔太が聞いた。
「してない」
嘘だ。心臓がバクバクしている。
「嘘つけ。手、震えてるぞ」
「……うるさい」
翔太が、少し笑った。
「大丈夫。俺がついてる」
「お前がついてるから不安なんだけど」
「ひでえ」
軽口を叩き合う。
でも、それで少し気が楽になった。
***
翔太が、裏口のドアを開けた。
「セキュリティは?」
「俺のカードで解除できる。まだ、アクセス権は剥奪されてない」
「親父、油断してるな」
「俺のこと、舐めてんだよ。『あいつに何ができる』って思ってる」
翔太の声に、怒りが滲んでいた。
「見返してやる」
「ああ。——行くぞ」
私たちは、ビルの中に入った。
***
廊下は、静かだった。
翔太の情報通り、下っ端は外に出されている。
「親父のオフィスは、5階だ」
「エレベーターは?」
「使わない。監視カメラがある。——階段で行く」
私たちは、非常階段を上り始めた。
足音を殺して、慎重に。
***
5階。
廊下の突き当たりに、大きな扉があった。
「あれが親父のオフィス」
「会議は?」
「隣の会議室でやってる。——今、真っ最中のはずだ」
翔太が、耳を澄ませた。
「……声が聞こえる。まだやってる」
「よし。今のうちに——」
「待て」
翔太が、私の腕を掴んだ。
「誰か来る」
***
足音が近づいてくる。
私たちは、物陰に隠れた。
男が一人、廊下を歩いてきた。
スーツ姿。40代くらい。
「あれは?」
「幹部の一人。山本だ」
山本が、会議室のドアを開けて入っていった。
「……セーフ」
「行くぞ。今しかない」
私たちは、柊誠一郎のオフィスに向かった。
***
オフィスのドアの前。
翔太が、カードキーをかざした。
ピッ。
緑のランプが点灯。
ドアが開いた。
「入れ」
私たちは、オフィスの中に滑り込んだ。
***
柊誠一郎のオフィスは、想像以上に広かった。
豪華な家具。絵画。観葉植物。
金持ちの趣味全開だ。
「パソコンはどこ」
「あそこ。デスクの上」
翔太が指さした先に、大きなデスクがあった。
その上に、ノートパソコンが置いてある。
私たちは、デスクに近づいた。
「ロックは?」
「かかってる。でも——」
翔太がパソコンを開いた。
指紋認証の画面が表示される。
「親父の指紋なんか持ってないぞ」
「大丈夫。裏口がある」
翔太が、キーボードを叩いた。
「親父、ITに弱いんだ。パスワード、全部同じやつ使ってる」
「マジで」
「マジ。——誕生日だよ」
翔太が、数字を入力した。
カチッ。
画面が開いた。
「入った……!」
「急げ。時間がない」
私は、USBメモリを取り出した。
翔太がフォルダを開いていく。
「これだ。『取引記録』」
「コピーして」
「やってる」
進捗バーが動き始めた。
10%……20%……30%……
遅い。
「あとどのくらい」
「5分くらい」
「長いな」
「データ量が多いんだ。我慢しろ」
40%……50%……60%……
***
その時——
廊下から、声が聞こえた。
「会議、終わったみたいだな」
「やばい」
翔太の顔が青ざめた。
「親父が戻ってくる」
70%……80%……
「まだ終わらないのか!」
「あと少し——」
足音が近づいてくる。
90%……95%……
「翔太、隠れろ」
「でも——」
「いいから!」
私は翔太を押して、デスクの下に隠れさせた。
そして、自分は——
隠れる場所がない。
98%……99%……
ドアノブが回る音。
100%。
コピー完了。
私はUSBメモリを抜き取り、ポケットにねじ込んだ。
そして——
ドアが開いた。
***
柊誠一郎が、オフィスに入ってきた。
そして——私を見た。
数秒間、沈黙。
「……誰だ、お前は」
低い声。冷たい目。
これが、柊誠一郎。
「……」
「どうやって入った。——いや、そんなことはどうでもいい」
柊誠一郎が、一歩近づいてきた。
「何をしていた」
私は、答えなかった。
答えられなかった。
体が、凍りついていた。
殺される。
本能が、そう告げていた。
「答えろ」
柊誠一郎の手が、私の首に伸びてきた。
——その時。
「親父」
翔太が、デスクの下から出てきた。
「翔太……?」
柊誠一郎の目が、見開かれた。
「お前、何をして——」
「俺が連れてきた」
翔太が、私の前に立った。
「この女を、ここに連れてきたのは俺だ」
***
『葉隠』にはこうある。
「窮鼠猫を噛む」
——追い詰められた鼠は、猫をも噛む。
私は今、追い詰められている。
でも——まだ、噛める。




