第二話:討入(物理)
---
深夜2時、歌舞伎町のドン・キホーテ。
私は今、調理器具コーナーの前に立っている。隣にはぴえん。本名は知らない。知る必要もない。**戦場で必要なのは名前ではなく、覚悟だ。**
「らむねぇ……本当にやるのぉ……?」
ぴえんの目は涙で濡れている。というか常に濡れている。この女、起きてる間の70%は泣いているのではないか。残り30%は配信中だ。
「やる」
私は短く答え、棚からフライパンを手に取った。26センチ。鉄製。重い。**重いということは、つまり威力が出るということだ。**
「ぴえんも選べ」
「えぇ……」
ぴえんはおずおずと棚を見つめ、やがて一本のすりこぎを手に取った。
「これ……なんか可愛いから……」
可愛いからで武器を選ぶな。まあいい。**武士は仲間の選択を尊重する。**
***
事の発端は三時間前に遡る。
ぴえんからのLINE。「カレシがまた浮気してた」。私は証拠を取れと言った。ぴえんは取った。というか、取りすぎた。
**彼氏のiPhoneのパスコードを誕生日から推測して突破し、LINEのトーク履歴をすべてスクショ、写真フォルダから女との自撮りを67枚抽出、さらに位置情報の履歴からラブホの利用頻度を割り出してExcelでグラフ化した。**
ぴえん、お前才能あるよ。CIAに入れるよ。
問題は、その証拠を見たぴえんが完全にぶっ壊れたことだ。
「ころす」
LINEにそう送られてきた。ひらがな四文字。逆に怖い。
私は即座に電話した。
「落ち着け」
「ころす」
「まず深呼吸しろ」
「すーはー。ころす」
呼吸の意味がない。
***
私はぴえんのアパートに駆けつけた。玄関を開けると、ぴえんが台所で包丁を握っていた。
**実家から送られてきた関孫六だった。** いいやつ使うな。
「ぴえん、それを置け」
「やだ」
「置けって」
「やだもん……こいつで関サバみたいに捌いてやるんだから……」
関サバは捌かれる側である。
私はゆっくり近づき、ぴえんの手から包丁を取り上げた。抵抗はなかった。というか、たぶんこの子は握力が足りない。
「いい? 聞いて」
私はぴえんの目を見て言った。
「殺意は分かる。痛いほど分かる。でもね、**本物の刃物はダメ**」
「なんでぇ……」
「捕まるから」
「……それは、やだ」
「だろ? だから——」
私はスマホを取り出し、ドン・キホーテの地図を表示した。
「**鈍器にしよう**」
***
そして現在。ドンキの調理器具コーナー。
私たちは武装を整えた。私はフライパン。ぴえんはすりこぎ。追加で私は菜箸も買った。長いやつ。**目でも突くかもしれないからだ。** 突かないけど。たぶん。
レジのおばちゃんが完全に無の表情で会計してくれた。深夜2時のドンキに来る女二人組なんて珍しくもないのだろう。歌舞伎町、懐が深い。
「で、場所は」
「えっと……高田馬場のアパート……」
近い。地下鉄で10分。
私たちは東西線に乗った。フライパンを紙袋に入れて。すりこぎはぴえんがなぜかそのまま持っていた。**棍棒を持った地雷女。** 車内の乗客が微妙に距離を取っている。
「らむねぇ……あたしたち、捕まらないかなぁ……」
「大丈夫。殺さなければ傷害で済む」
「傷害……」
「初犯なら執行猶予つく」
「そ、そっかぁ……」
納得するなよ。
***
高田馬場。午前2時47分。
ターゲットの男——名前は「りゅうき」、27歳、自称DJ——のアパートの前に到着した。築古の木造。壁が薄そう。**つまり、悲鳴がよく響くということだ。**
「本当にやるのぉ……?」
「やる」
「でもぉ……怖いぃ……」
ぴえんが震えている。当たり前だ。これから犯罪をしようとしている。震えない方がおかしい。
でも私は知っている。**この震えは恐怖じゃない。武者震いだ。**
「ぴえん」
「……なに」
「お前、アイツのこと好きだったんだろ」
「……うん」
「本気で好きだったんだろ」
「……うん……」
「裏切られて、傷ついて、それでも殺意が湧くくらい、まだ感情があるんだろ」
「…………うん」
「なら行け」
私はぴえんの背中を叩いた。
「**武士は主君のために死ぬ。でもお前の主君はお前自身だ**。自分の誇りのために、行け」
ぴえんの目から涙が溢れた。また泣いてる。でも今回の涙は、さっきまでとは違う気がした。
「……らむね」
「なに」
「**……討ち入り、する**」
***
インターホンを押した。
三秒。五秒。十秒。
応答がない。
もう一度押した。
「……はい」
眠そうな声。男の声。りゅうき。
ぴえんが口を開いた。
「あたしだけどぉ」
「え、ぴえん? こんな時間になに——」
**ガンッッッッッ!!!**
ぴえんがドアを蹴った。鍵がかかっている。当たり前だ。開くわけがない。
「いたぁっ! 足いたぁっ!」
「鍵かかってんだよ馬鹿!」
「そんなのわかんないもん!」
わかれよ。
ドアの向こうで、りゅうきの声が響いた。
「ちょ、何? やばくない? 警察呼ぶよ?」
警察。その単語で私の脳が一瞬冷えた。**まずい。このままでは不法侵入未遂で終わる。**
だが、武士に撤退の文字はない。
「りゅうき」
私は冷静に声を発した。
「今すぐドアを開けろ。さもなくば——」
「さもなくば何だよ!」
「**お前の浮気のExcelグラフを、お前のインスタのフォロワー全員にDMする**」
五秒の沈黙。
ガチャリ。
ドアが開いた。
***
りゅうき、27歳、自称DJ。パーマ。ヒョロい。顔は中の中。なぜこんな男に女が群がるのかわからない。いや、わかる。**ヒョロい男には母性本能をくすぐる何かがある。** くすぐられるな。蹴れ。
「お、おい、話し合おう、な?」
りゅうきが両手を挙げている。フライパンを見ている。怯えている。**当然だ。鉄製26センチは人を殺せるサイズである。**
「話し合い?」
ぴえんが一歩前に出た。すりこぎを握りしめて。
「話し合いしてあげるねぇ」
「お、おう……」
「**死ねクソ男ぉぉぉぉぉぉ!!!**」
ぴえんがすりこぎを振りかぶった。りゅうきが悲鳴を上げて後ずさる。狭いワンルーム。逃げ場がない。
ゴッ!
すりこぎがりゅうきの肩に命中した。
「いっっっっ!!!」
「死ね! 死ね! なんで浮気したのぉ!」
ゴッ! ゴッ! ゴッ!
すりこぎがりゅうきの腕、背中、尻に次々と命中する。ぴえん、意外と運動神経がいい。というかキレると人間は強くなるのだ。
「ごめん! ごめんって! まじごめん!!」
「ごめんで済んだら警察いらないんだよぉぉぉ!」
**お前が今やってることに警察は必要だよ。**
私はフライパンを構えたまま、玄関で見張りをしていた。武士には役割分担がある。ぴえんが斬り込み隊長なら、私は殿だ。
「らむねぇ! こいつ謝ってるけどどうするぅ!」
「誠意を見せろって言え」
「誠意見せろぉ!」
「わかった! わかったから! 何すればいい!」
りゅうきが土下座した。すりこぎで殴られながらの土下座。なかなか絵面が強い。
「**浮気相手全員にLINEで謝罪しろ**」
私が指示を出す。
「え……」
「今すぐ。私たちの目の前で。そして『二度と連絡しません、僕は最低です』と送れ」
「そ、そんな——」
「送らないなら、Excel公開する」
りゅうきが震えながらスマホを取り出した。そして、一人一人に謝罪のLINEを送り始めた。
ぴえんが横で監視している。すりこぎを握ったまま。**監査法人かよ。**
***
午前3時34分。
りゅうきは浮気相手5人全員に謝罪LINEを送り終えた。何人かから「は?」「きも」「最低」と返信が来ていた。**追加ダメージ。**
「これで……許してくれる……?」
りゅうきが情けない声を出す。
ぴえんが私を見た。私は頷いた。
「許す」
ぴえんがそう言った。
「……ほんと?」
「うん。許す。でもね」
ぴえんはすりこぎを高く掲げ——
**ゴッッッ!!!**
りゅうきの頭に振り下ろした。
「別れるねぇ♡」
りゅうきが白目を剥いて倒れた。気絶している。死んではいない。たぶん。呼吸してるし。
「……ぴえん」
「なに?」
「**やりすぎ**」
「えへへ」
えへへじゃないが。
***
午前4時。歌舞伎町に戻ってきた。
夜明け前の街は、思ったより静かだった。ホストたちはとっくに帰宅し、始発を待つ酔っ払いがちらほらといるだけ。
「らむね」
「なに」
「……ありがと」
ぴえんが言った。その顔は、三時間前より少しだけ晴れやかに見えた。
「礼を言うな。**武士は戦友を見捨てない**。それだけだ」
「……らむね、かっこいい」
「知ってる」
私たちはコンビニに寄った。からあげクンを買った。フライパンとすりこぎは、近くのゴミ捨て場に置いてきた。**証拠隠滅である。**
「ねぇ、らむね」
「なに」
「武士道って……いいね」
ぴえんがからあげクンを頬張りながら言った。
「次は……あたしも本、読んでみようかな」
私は空を見上げた。少しだけ、東の空が明るくなり始めている。
**また一人、武士が生まれようとしている。**
***
『葉隠』にはこうある。
**「大事の思案は軽くすべし」**
——重大なことほど、軽やかに決断せよ。
つまり、**殴り込みはノリで行け。**
そういうことだと私は解釈している。




