【第4話 唸り声の挨拶】
街の外れ、獣人たちが集う交易市場。
人間の街ルミナスでも、獣人たちは自分たちの区画を持っていた。
毛むくじゃらの耳、尻尾、鋭い牙。
彼らは人間とは違う歩き方、違う匂い、違う声で生きている。
カイはここに来るのが初めてだった。
薬草採取の報酬で得た銅貨を握りしめ、
「獣人族の革細工が安い」と聞いた噂を頼りに足を運んだ。
新しいブーツが必要だった。
森で歩き回って、底がすり減っていたから。
市場は喧騒に満ちていた。
獣人たちが低い唸り声を上げて交渉し、
人間の商人たちはジェスチャーで値切り、
時折、緊張した空気が流れる。
カイは一軒の革屋の前に立った。
店主は狼のような耳と灰色の毛を持つ大柄な獣人。
肩幅が広く、腕に古い傷跡がいくつもあった。
店主はカイを見上げ、
低く、喉の奥から響く唸り声を上げた。
「グルル……」
人間には威嚇にしか聞こえない音。
カイは一瞬、体が固まった。
でも、すぐに「言語理解の欠片」が働いた。
言葉の意味はわからないが、感情だけは伝わる。
……歓迎?
……興味?
店主はもう一度、唸りながら、
革のブーツを一つ持ち上げて見せた。
カイは頷き、指で値段を示そうとした。
「これ……いくら?」
もちろん、通じない。
店主は首を傾げ、
今度は少し低い唸り声を上げた。
……値下げ?
……交渉?
カイは自分の財布を見せ、銅貨を数枚出してみせた。
店主は鼻をひくつかせ、
匂いを嗅ぐようにカイに近づいてきた。
カイは動けなかった。
店主の大きな手が、カイの肩に置かれる。
重い。
温かい。
そして、店主はゆっくりと唸った。
「グルゥ……」
感情が、はっきり伝わってきた。
……安心しろ。
……怖がるな。
カイの肩の力が抜けた。
店主はブーツを差し出し、
もう一度唸った。
……これでいいか?
カイは頷き、銅貨を渡した。
店主は受け取り、
満足げに尻尾を軽く振った。
取引成立。
カイはブーツを抱えて店を出た。
心臓が、まだドキドキしていた。
威嚇だと思っていた唸り声が、
実は挨拶だったのかもしれない。
人間同士なら、笑顔で「いらっしゃいませ」。
獣人にとっては、低い唸り声がそれだったのかもしれない。
カイは市場の端に座り、
新しいブーツを履き替えた。
足にぴったりだった。
そのとき、背後から複数の唸り声が聞こえた。
振り返ると、三人の獣人が近づいてくる。
若い狼獣人、熊のような巨漢、
そして狐のようなしなやかな女性。
彼らはカイを取り囲むように立ち、
一斉に低い唸りを上げた。
「グルルル……」
人間なら、絶対に威嚇だと思う音。
カイは立ち上がった。
でも、逃げなかった。
感情が、ぼんやりと伝わってくる。
……怒ってる?
……いや……違う。
……心配?
巨漢の熊獣人が、一歩前に出た。
そして、ゆっくりと唸りながら、
カイの新しいブーツを指差した。
店主のところから買ったものだ。
カイは頷き、
ブーツを指して、
親指を立てた。
「いい、買った」
通じないのはわかっている。
でも、伝えたかった。
熊獣人はもう一度唸り、
今度は少し柔らかい音。
……良かった。
狐の女性が、尻尾を軽く振って笑ったように見えた。
三人はカイの周りを一周し、
それぞれの唸り声を残して去っていった。
カイは立ち尽くした。
何だったんだろう、あれは。
威嚇じゃなかった。
……仲間意識?
……それとも、ただの挨拶?
カイは市場を後にし、街に戻った。
夕暮れの空が赤い。
ギルドに戻ると、リアが待っていた。
「カイさん! どうだった?」
カイはブーツを見せながら、微笑んだ。
「獣人さんたちと……少し、話せた気がする」
リアは目を丸くした。
「え? 獣人族と? 言葉通じないのに?」
「うん。
唸り声だったけど……怖くなかった」
リアは少し考えて、
優しく言った。
「カイさん、どんどん変わってるわね」
カイは頷いた。
まだ、言葉は通じない。
でも、唸り声の中に、
温かさが混じっていることに気づいた。
地球で、詰まって伝えられなかった言葉。
ここで、少しずつ、別の形で伝えられるようになってきた。
カイは夜空を見上げた。
星が、また一つ増えた気がした。
第4話 終わり
(次回、第5話 振動の約束)




